6.私の知らない私
リビングで宿題をしながら、私はぼんやりとテレビをつけていた。
テレビでは世界的に有名なバレエ団のドキュメンタリーが流れている。
バレエ団の団員を選ぶときには、三代前まで遡って体型を確認されるのだとか、バレエ団の華やかな舞台の裏でどれだけ過酷な練習がされていて、役をもらうのにどれだけ努力しなければいけないかなど、カメラが舞台裏に迫っていく。
旭くんは踊るバレエ団のひとたちを見ながら、くるくる回って踊っているし、私はそれを微笑ましく見ているし、平和な時間だった。
番組が終わってから、ママが旭くんを抱き上げてぽつりと呟いた。
「歌劇団の付属学校も三代前まで遡って体型を確認されるんだったら、危なかったわね」
「ママは太ってないじゃない」
「大事なのは足の長さよ。足が体の三分の二はなければいけないのよ」
足が体の三分の二!
そんなに足の長いひとがいるのだろうか。
私が驚いていると、ママは旭くんを抱っこしたままうっとりと言う。
「暁ちゃんは足が体の三分の二あってよかったわ」
「えぇ!? 私って、足が体の三分の二なの!?」
そんな足の長いひとはいるのだろうかと考えたすぐに私の名前が出されて、私は大きな声を出してしまった。
旭くんがお目目をくりくりさせて首を傾げている。
「洗面所の鏡でも全身は映らないわよねぇ……そうだ。これ。歌とダンスの教室の発表会のときに撮った写真」
ママは携帯の液晶画面を見せて来る。
そこには私と千草ちゃんと香織ちゃんが三人で並んでいる写真が映っていた。
写真を見ていると、私は確かに足が長いような気がするが、千草ちゃんと香織ちゃんも変わらない気がする。
「千草ちゃんと香織ちゃんと同じくらいだよ? 私が背が高いから特に足が長く見えるだけじゃない?」
何度見ても比率は千草ちゃんと香織ちゃんと変わらないように思えて、私が言えば、ママは苦笑している。
「千草ちゃんも香織ちゃんも、足が体の三分の二あるのよ。あなたたちはすごく体型に恵まれているのよ」
千草ちゃんと香織ちゃんも私と同じく、足が体の三分の二あったのだった。
衝撃の事実に、私は中学校に行って、千草ちゃんと香織ちゃんに話していた。
「昨日、バレエ団の番組を見たんだけど、そのとき、ママが言ったのよ。私は体の三分の二が足だって」
「えぇ!? バレエ団の入団の条件をクリアしてるじゃない」
「暁ちゃんすごい!」
私が言えば千草ちゃんも香織ちゃんも純粋な目で感激してくれる。
どうやら千草ちゃんも香織ちゃんも気付いていないようだ。
「写真を見せてもらったんだけど、私、ピンと来なくて」
「自分のことは分からないよね」
「そういうことってあるよね」
「そうじゃなくて、千草ちゃんと香織ちゃんも同じように見えたんだもの」
自分のことは分からない。
千草ちゃんの言葉は的確に千草ちゃんと香織ちゃんの状況を表していた。
「千草ちゃんと、香織ちゃんも、足が体の三分の二だったのよ!」
真実を明かせば、千草ちゃんも香織ちゃんも戸惑っている。
「私の足が、身体の三分の二?」
「暁ちゃんは背が高いから、分かるんだけど、私の足が?」
「香織ちゃんも伸びて来てるじゃない。それに二人とも私と比率は変わらなかったよ」
この件に関しては、千草ちゃんと香織ちゃんで検証をすることになった。
中学校が終わってから、歌とダンスの教室で踊るための服に着替えて、鏡の前に立つ。
歌とダンスの教室は鏡張りなので、私たちは自分の体形をある意味見慣れていた。
正面から鏡に映して、比率を調べる。
鏡に映った私の姿を、千草ちゃんと香織ちゃんがメジャーで測っていた。千草ちゃんも私と香織ちゃんで測ったし、香織ちゃんも私と千草ちゃんで測った。
正確な数字を出して、携帯電話の電卓機能で計算していく。
結果、私も千草ちゃんも香織ちゃんも、身体の約三分の二が足だということが証明されてしまった。
「私たちって足が長かったんだ!?」
「全然気付いてなかった!」
「暁ちゃん、千草ちゃん、これは試験で有利になるところかもしれないよ」
驚いている私と千草ちゃんに、香織ちゃんは前向きにそのことを捉えているようだった。
三人で測って検証していると、少し前に歌劇団の付属学校の進学を諦めた年上の生徒さんが私と千草ちゃんと香織ちゃんの近くにやってきた。
「仲良しなのね、羨ましい」
「私たち、一緒に歌劇団の付属学校を受験するんです」
「三人で受かって、一緒に切磋琢磨していくの」
「将来は同じ舞台に立つのが夢です」
私と千草ちゃんと香織ちゃんが答えると、年上の生徒さんは眩しそうに目を細めていた。
「私は諦めたけど、あなたたちは頑張ってね。私には最初から向いていないって分かったの。教えてくれてありがとう、高羽さん」
私がしたことは年上の生徒さんにとっては重要なことのようだった。お礼を言われて、私も頭を下げた。
「暁ちゃん、何かしてあげたの?」
「見えてないんだろうけど、分かったんだと思う。あのひとに黒い影が憑りついてて、私、それを子犬さんに祓ってもらったのよ」
私にお礼を言わせたのは、あの年上の生徒さんの守護獣さんのような気がする。そういう風に導いたのだろう。
「暁ちゃんは私に内緒で動いていたのね」
「そういうときもあるよ」
「水臭いわ」
千草ちゃんに言われてしまって、私は千草ちゃんや香織ちゃんに相談すればよかったのだと気付く。
「タロットカードで子犬さんに相談したけど、私には千草ちゃんや香織ちゃんがいたね。千草ちゃんと香織ちゃんに相談すればよかったんだね」
「そうよ。もっと頼って」
「私も。頼りないかもしれないけど」
千草ちゃんも香織ちゃんも頼っていいと言ってくれている。
「私もいつか子犬さんが見えなくなる日が来るのかな」
私の呟きに千草ちゃんが首を傾げる。
「見えなくなりそうなの?」
「パパも小さい頃は見えていたけど見えなくなったって言っていたし、お祖母ちゃんも若い頃は見えていたけれど、結婚して子どもが生まれたら見えなくなったって言ってたわ」
こういう話を千草ちゃんにもするのは初めてかもしれない。パパが見えていた件に関しては、私も今年の春にやっと知ったのだ。
「暁ちゃんが他のひとに見えないものが、見えなくなっても、暁ちゃんは暁ちゃんだわ」
「そうよ。兎さんと話せなくなるのは寂しいけれど、暁ちゃんとは話せるもの」
千草ちゃんも私が見えなくなっても私は私だと言ってくれているし、香織ちゃんも私と話せるからいいと言ってくれている。
「私、ずっと一人だと思ってた。ママと沙織ちゃんはいたけど、ママはパパとのことで揉めていて大変で、私を見ている暇なんてないし、沙織ちゃんは小さいし、私を見守ってくれている存在なんてないって思っていたの」
「香織ちゃん、大変だったものね」
香織ちゃんが大変だったことは、香織ちゃんの別れたパパが香織ちゃんと香織ちゃんのママと沙織ちゃんの住む家を、自分と不倫していた元の恋人の家族が住めるように出て行けと言った場面に出くわしているから、よく分かる。
あんな酷いパパがいたら、香織ちゃんのママも香織ちゃんをゆっくりと見守る余裕もなかっただろう。しかも、香織ちゃんのママは妊娠中にパパと別れていて、沙織ちゃんを一人で産んでいる。
香織ちゃんはずっと寂しい思いをしてきたのだ。
「守護獣さんの話を暁ちゃんが打ち明けてくれて、私には兎さんがいるって教えてくれた。兎さんとタロットカードを介して話している間に、私はずっと見守られていたんだって分かったのよ」
そのことが香織ちゃんの自信に繋がった。
私がしたことはそんなに大きいものだとは思っていなかったが、香織ちゃんの中では大きな意味を持っていたようだ。
「兎さんの存在があるって分かったし、今は暁ちゃんと千草ちゃんと親友で、一緒に歌劇団の付属学校を目指す仲間で、すごく幸せよ」
香織ちゃんが言っている足元で、兎さんが胸の毛を膨らませながら満足そうな顔をしていた。
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