2.お砂場遊び
歌劇団の付属学校に入学するためには、入試で合格しないといけない。
入試には一次試験で面接があって、二次試験で面接と歌唱と舞踊があって、三次試験で面接と健康診断がある。
塾の勉強はどれだけ中学校の中で成績がよかったかの内申点として加算されるので、絶対に手を抜けない。
華やかさや容姿や態度や動作を見られる面接と、課題曲の歌唱により声量や声質や音程を見られ、新曲歌唱によって読譜力も見られる歌唱試験と、リズム感や基本的な運動能力や柔軟性、洋舞の適性を見られる舞踏試験を潜り抜けて、なんとか合格しなければいけない。
香織ちゃんはバレエの練習でかなり絞られていた。
私や千草ちゃんはオムツも取れていない二歳の頃から歌とダンスの教室に通って、歌唱力を伸ばして、バレエで身体を鍛えてきた。
香織ちゃんはそれがなくて、歌唱力はピアノの教室で上級だったので、読譜力があって声も元々よかったので、甥つけているが、バレエは中学に入ってから始めたので、どうしても追い付かない部分があるのだ。
歌劇団の付属学校に入学するためには一定以上のバレエの能力が必要だ。それに付け加えて、華やかさや表現力も求められる。
「演技は素晴らしいし、歌も上達しましたが、ダンスが伴ってないんですよね」
「基礎からもう一度練習します」
「もっと表現力を高めましょう」
先生の個人練習も受けるということで香織ちゃんはますます忙しくなっていた。
「ねぇね……あとんでくれない」
「あーたん、ねぇね、あとばない。ねんね」
迎えに来た香織ちゃんのママと私のママの足元で、沙織ちゃんと旭くんが話していた。
中学三年生になってから、送り迎えはママがするようになった。
香織ちゃんのママにいつまでも頼んでおけないと旭くんをチャイルドシートに乗せて車でやって来てくれるようになったのだ。
千草ちゃんのママも、千歳くんをベビーシートに乗せてお迎えにやってくる。
「千歳くん、ベビーシートで泣かなくなったのよ。ドライブが好きみたい」
「旭くんもドライブだと思ってるみたいで、楽しそうに乗ってるわ」
「あーたん、ぶっぶー、すち」
旭くんにとっても、千歳くんにとっても、私たちのお迎えはいいドライブになっているようだった。
それにしても沙織ちゃんと旭くんが言うように、私も香織ちゃんも忙しすぎて、旭くんや沙織ちゃんを構うことができていない。
一緒に遊びたいと思ってくれる旭くんと沙織ちゃんの気持ちに応えられていない。
「香織ちゃん、次の休みはいつ?」
「日曜日も個人レッスンを入れてるから、それが終わってからかな」
「何時ごろ?」
「十五時過ぎると思う」
十五時過ぎでも、沙織ちゃんと旭くんは十分に遊べるだろう。
私は基礎練習を続ける香織ちゃんに話しかける。
「私のマンションと千草ちゃんのマンションの間にある小さな公園で、沙織ちゃんと旭くんと遊ばない?」
「私、へとへとかもしれないけど」
「沙織ちゃんと旭くんが遊ぶから、香織ちゃんはベンチに座っていてもいいよ」
「私も千歳くんのお散歩に行ってもいい?」
千草ちゃんも行きたいと言い出して、次の日曜日は私のマンションと千草ちゃんのマンションの間にある小さな公園で待ち合わせをすることになった。
公園に先に来て待っていると、公園の砂場に旭くんは大好きなひとを見付けていた。
「こーたん!」
「あーたん!」
光輝くんが駆け寄って、旭くんと抱き合って再会を喜ぶ。最近よく遊んでいるようなので、光輝くんと旭くんはますます仲がよくなっていた。
「これをー、こちてー」
「あい」
お砂場セットのバケツの中に砂を入れる光輝くんに、旭くんも一緒になって砂を入れている。
砂がいっぱいになると、旭くんが私を呼んだ。
「ねぇねー! ちて!」
「はーい! ひっくり返そうね」
バケツに入った砂を押し固めてひっくり返すと、バケツの形の砂ができて、それを大喜びで光輝くんと旭くんがスコップで崩す。
遊んでいると、千草ちゃんがベビーカーを押してやって来た。ベビーカーの中には千歳くんが座っている。
「うっ! うっ! おっ!」
「暁ちゃん、こんにちは。とても楽しそうね。千歳くんも見てて楽しいみたい」
砂場の柵の向こうにベビーカーを設置した千草ちゃんに、後ろから千草ちゃんのパパが来て危険がないように見ている。
「旭くんが来てくれてよかったわね、光輝」
「あーたん、すち!」
「こーたん! すち!」
仲良しの旭くんと光輝くんがお互いに「好き」と言い合っているのを、私は微笑ましく見守っていた。
砂場で遊んでいると、光輝くんのママから話しかけられた。
「暁ちゃんは、歌劇団の付属学校に行くの?」
「受かったら行くつもりです」
「あの歌劇団、興味あったのよね。一度見に行ってみたいわ。チケット取れるかな?」
「チケットは絶望的に取れないので、映画館でやっているライブビューイングを狙った方がいいですよ。舞台が生放送で見られます。千秋楽でカーテンコールまで全部」
私は光輝くんのママに説明していた。
「劇場に光輝と行くのはハードルが高いから、パパに預けて、映画館でライブビューイング、狙ってみるわ!」
「行ってみたら感動すると思います」
次の公演のポスターは私の大好きな役者さんはいなかったけれど、同じ歌劇団に所属する馴染みの役者さんはいて、やっぱり見に行きたいと思ってしまった。
歌劇団の公演を見るのも勉強になるし、何より歌劇団が大好きなので、ママはきっと次の公演のチケットも狙うだろうし、取れなければライブビューイングに行くだろう。
私も一緒に行かせてもらうつもりだった。
砂場で旭くんと光輝くんが遊んでいると、沙織ちゃんを連れた香織ちゃんがやってくる。香織ちゃんのママも一緒だった。
沙織ちゃんは自分のお砂場セットの入った袋をしっかりと握り締めて、堂々とした様子で柵を潜って砂場に入って来る。
「さおたん、こーたん」
「こーたん、さおたんよ」
「さおたん!」
旭くんが沙織ちゃんに光輝くんを紹介して、沙織ちゃんが光輝くんに自己紹介して、光輝くんは沙織ちゃんの名前を呼んで確認していた。
可愛らしい光景に私は表情筋が緩んでしまう。
「ねぇね」
「あーたん、ねぇね」
ついでに私と香織ちゃんも紹介されるが、知っているので私たちは笑ってしまった。
砂場でバケツの中に砂を入れる旭くんと光輝くん。沙織ちゃんは動物の形の砂を形成するカップの中に砂を詰めて、ぺちぺちとスコップで叩いていた。
まだ旭くんと光輝くんは砂をしっかり詰めるところまでできないので、沙織ちゃんとの年齢差を感じさせる。
ひっくり返すのは上手にできないのか、沙織ちゃんは香織ちゃんの助けを求めていた。
「ねぇね、ちて」
「ひっくり返そうね」
「香織ちゃん、私が見てるから、休んでてもいいのよ」
沙織ちゃんと遊んであげている香織ちゃんは明らかに疲れていた。毎日忙しいのに、休みの日まで個人練習が入って、体力の限界なのだろう。
「沙織ちゃんと最近遊べてなかったから。ごめんね、寂しい思いをさせて」
「香織ちゃんのせいじゃないよ。香織ちゃん、頑張ってるじゃない」
「そういうの、沙織ちゃんには分からないから。沙織ちゃんは遊んでくれないんだってずっと我慢してたと思うんだ。私、沙織ちゃんのために頑張る」
香織ちゃんは立派なお姉ちゃんだった。
ベビーカーの上に乗せられていた千歳くんは、敷物を敷いて、地面に座らされている。近くに玩具を置いてもらって、握って、振って遊んでいる千歳くんの視線は、ずっと砂場の方にある。
「千歳くんももうちょっと大きくなったらお砂場で遊べるわよ」
「うー」
砂場で遊んでいる旭くんと光輝くんと沙織ちゃんを、千歳くんは羨ましそうに見つめていた。
千歳くんは八月の終わりの生まれだ。
今年の八月で一歳になるけれど、その後に入試で千草ちゃんが歌劇団の付属学校に合格すれば、一番可愛い時期を一緒に過ごせなくなる。
そのことを千草ちゃんも気付いているのだろう。
できるだけ千歳くんとの時間を大事にしているようだった。
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