7.胸のもやもや
ママが寝坊をした。
私も寝坊をしてしまったのだからママを責めることはできない。
「ごめん、暁ちゃん、朝ご飯、おにぎりだけでいい?」
「おにぎりだけでも作ってくれてありがとう」
ご飯に紫蘇ワカメふりかけを混ぜて、海苔を巻いておにぎりにしてくれるママに、私は感謝して食べていた。
私が夜遅くまで塾やお稽古があるということは、ママは帰って来た私にご飯を食べさせて、片付けをしてから寝る準備をしなければいけないわけで、ママが寝るのが遅くなるのはある意味私の責任なのだ。
昨日は特にパパが遅かったようなので、ママは遅くまでパパを待っていたのだろう。
パパは自分で起きて朝ご飯を食べて仕事に行くけれど、私は自分で起きることがまだ苦手だ。ママに起こしてもらわないと朝は弱い。
朝ご飯もママに作ってもらわないと自分では作ることができない。
歌劇団付属の学校に入学すると全寮制なのだが、私は大丈夫なのだろうか。
「頑張って一人で起きられるようにして、お料理もちょっとはできるようにならなくちゃ」
私が呟いていると、ママは目を細めてそれを聞いていた。
中学校までは走って行った。
授業が始まるギリギリには間に合って席に着く。
授業は塾で習ったところばかりで退屈だったが、復習だと思ってしっかりと聞いておいた。
中間考査の日も近付いている。
中間考査の前には私のお誕生日がある。
お誕生日には毎年千草ちゃんと千草ちゃんのママを招いて、新しい公演のDVDやBlu-rayの鑑賞会をして祝う。
パパは歌劇団には興味がないのだが、私のお誕生日だけは鑑賞会に付き合ってくれる。
昼休みには私は二組に行って千草ちゃんと話していた。
「お誕生日に観るのは、絶対、あの公演だよね?」
「あの公演が最新だからね」
「嬉しいなぁ。ママ、あの公演のDVD買ってくれてるんだろうなぁ」
春休みに私と千草ちゃんと私のママと千草ちゃんのママで見に行った公演は、私と千草ちゃんの将来を決めるきっかけになった。
その公演を見られると思うと楽しみでならない。
「千草ちゃんは誰が一番好きだった?」
「私は神父様かな」
「私も!」
公演の内容で盛り上がっていると、私に女子たちの集団が近付いてきた。
「高羽さん、今度の土曜日空いてる?」
「土曜日は歌とダンスの教室だから」
「いつなら空いてる?」
「空いてる日は、いつだろ?」
首を傾げる私に、千草ちゃんが目を吊り上げて問いかける。千草ちゃんの肩で寛いでいた鶏さんも羽を広げて威嚇している。
「何の用かはっきり言ったらどう?」
「狛野さん怖い」
「狛野さんに聞いてないわ」
どうやらその女子たちは私だけに聞いていて、千草ちゃんには聞いていないようだ。
それならば私の態度は一つだけだ。
「私は千草ちゃんと一緒じゃないとどこも行かないよ」
遊びに誘われているのかもしれないが、千草ちゃんがいなければ楽しくない。はっきりと断ると、女子たちはばらばらになっていなくなってしまった。
「何だったんだろうね」
私の問いかけに千草ちゃんがため息を吐く。
「暁ちゃん、格好いいって噂なのよ」
「え!? 私、女だよ!?」
「暁ちゃんは歌劇団で、何を演じるの?」
「男役」
「それなら、今の状況もおかしくはないでしょう」
私は女だし、女の子と付き合うつもりもないのだが、女子生徒の中では私は「格好いい」と噂になっているようだ。
「同年代の男子は子どもだし、暁ちゃんはしっかりしてて、清潔感があって、格好いいから、憧れの対象にしているのよ」
疑似恋愛だと言う千草ちゃんに、そんなものなのかと私は思う。同性でも格好いい相手には憧れてしまうのは、歌劇団の男役さんたちを見て知っていた。
「私なんかまだまだなのに。一度歌劇団のDVD見た方がいいよ、あの子たち」
私が言えば、千草ちゃんは苦笑しているようだった。
中学校が終わると、今日は塾の日。
ママが迎えに来てくれて、車で塾まで行った。
徒歩で行ける範囲の塾はあまり評判がよくなくて、ママは一流の塾に私を入れたくて、車でしか行けない場所にある塾に連れて行っている。
歌とダンスの教室は自転車で行けば何とか行けないこともないのだが、ピアノ教室もママの車でないと行くことができない。
私の生活はママに頼りきりだと気付かされる瞬間がある。
塾の休憩時間に相変わらずお腹を空かせた私が千草ちゃんと一階のコンビニに行っていると、千草ちゃんに声をかけてきた男子がいた。
「狛野さんだろ。その髪、伸ばしてるのか?」
「どうでもいいでしょう」
「学年でも一番髪が長いよな。綺麗だし」
千草ちゃんに声をかけてきた男子は、頬を染めて千草ちゃんに話しかけている。私が突っ立っていると、他の男子が「ちょっと」と私を連れて行こうとする。
「暁ちゃんに触らないで! 暁ちゃん、行きましょう」
「う、うん」
私を連れて行こうとした男子に鋭く言って千草ちゃんは塾の教室に戻った。塾は成績ごとにクラスが違うので、男子たちはそこまでは追って来られなかった。
コンビニで軽食を買うことができなかったので、私がお腹を空かせていると、千草ちゃんがおにぎりを差し出してくれる。
「私があまり食べないから、ママが持たせてくれてるの。食べる?」
「いいの? 千草ちゃんはお腹が空かない?」
「私はお腹が減ってないから、暁ちゃん食べていいわよ」
アルミホイルに包まれたおにぎりをもらって、食べ始めるとお腹はいっぱいになっていくのに、胸がもやもやとする。
千草ちゃんに話しかけてきた男子は、千草ちゃんの髪を褒めていた。
「あの子、もしかして、千草ちゃんのこと……」
「どうでもいいわ。興味ないし」
次の授業の準備を始める千草ちゃんに、私はアルミホイルを畳んでポケットに入れた。
千草ちゃんのことを好きな男子がいるというだけでなんでこんなにもやもやとしてしまうのだろう。
千草ちゃんのことは大好きだ。それが恋愛かどうかといわれれば、そうではない。千草ちゃんとは同じ舞台の上で演じられるように努力していく相棒であり、かけがえのない親友なのだ。
千草ちゃんのことで悩んでしまって、晩ご飯の箸が進まない私に、ママが心配そうに私を見ていた。
「暁ちゃん、どこか悪いの? 今日のアジフライ、タルタルソースじゃなくてレモンでさっぱり食べたかった?」
「ご飯はとっても美味しいよ。タルタルソースも美味しい。でも……」
俯いてしまった私に、ママがお茶を淹れてくれながら椅子に座って話しを聞いてくれる。
「千草ちゃんに近付いてくる男の子がいたの。それを見たら、胸がもやもやしちゃって。千草ちゃんのことは幼馴染で、大好きで、親友だけど、恋愛感情とかないはずなのに」
私の言葉にママはお茶を飲みながら聞いてくれる。
「歌劇団も、歌劇団の付属の学校も、恋愛も結婚も禁止だわ。千草ちゃんはその男の子にどういう対応を取ったの?」
「無視してた」
「それはそうよね。恋愛なんて早すぎるし、これからも歌劇団の付属の学校に行ったら許されないわ」
それに、とママは続ける。
「千草ちゃんは、暁ちゃんのパートナーでしょう?」
「私のパートナー?」
「二人でトップスターコンビになって、退団まで添い遂げるのよね。トップスターコンビは夫婦のようであれ。それが歌劇団の掟よ」
私と千草ちゃんはトップスターコンビになる。トップスターコンビは夫婦のように仲睦まじくなければいけない。
それを考えると私の胸がもやもやしたのも分かってくる。
「千草ちゃんは私の奥さんなんだ!」
「トップスターになれればね」
「なる! 私、頑張る!」
歌劇団のラストを飾るデュエットダンスは、トップスターのコンビが踊る。その二人はいつだって仲睦まじく愛し合っている姿を見せていたではないか。
あんな風に千草ちゃんと踊れるのは私だけ。
そうなるためには、やはり間違いなく歌劇団の付属の学校に入学しなければいけない。
私は決意を新たにしていた。
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