20.千草ちゃんのお誕生日と推しの退団

 千草ちゃんのお誕生日に私と香織ちゃんは千草ちゃんの家に招かれた。

 千草ちゃんのお誕生日は春休み中なので、その日だけは塾もピアノの教室も歌とダンスの教室もお休みして、お祝いに行く。


「千草ちゃん、お誕生日おめでとう」

「千草ちゃんが私よりお誕生日が遅いなんて意外だわ」


 香織ちゃんは驚いているが、私は生まれたときからの付き合いなので千草ちゃんのお誕生日が三月の最後であることに慣れていた。


「ありがとう。私、学年で一番遅い方のお誕生日だから」


 笑っている千草ちゃんの後ろで、千歳くんが眠っているベビーベッドに黒い影が近寄ろうとしている。


『新鮮な生命力だ』

『この生命力を得ればもっと強くなれる』

『一口齧ってやろう』


 黒い影を駝鳥さんが必死に突いて追い払っている。完全に追い払えない分は、千草ちゃんの鶏さんが出てきて、翼を大きく広げて光を放って黒い影を掻き消していた。


「千草ちゃん、駝鳥さん、頼りになるみたいだよ」

「よかった。千歳くんは安心ね」


 千草ちゃんのお誕生日のパーティーのお料理はお上品なものだった。

 クレープのようなものに卵やハムを置いて、四方を折り曲げている料理だ。


「これは何?」

「ガレットっていうのよ。そば粉を使ったフランス料理の一つ」


 普通のクレープではないことを千草ちゃんのママが教えてくれた。

 そば粉を使ったクレープのようなものに包まれた具材を、ナイフとフォークで切り分けながら食べる。


「私、ガレットが大好きなの。今日はパパが作ってくれたのよ」

「千草ちゃんのお誕生日だからね」

「ありがとう、パパ」


 お礼を言っている千草ちゃんはとても嬉しそうだった。

 ガレットだけでは私は全然足りないが、千草ちゃんはそれでちょうどいいのだろう。私は自分の食いしん坊を少しだけ恨んだ。


 ケーキが出てきて、私は目を輝かせる。

 苺のショートケーキはスタンダードだがやっぱり美味しい。

 切り分けられたケーキを紅茶で、千草ちゃんのお誕生日をお祝いする。


 まだまだ春休みには行事がいっぱいだった。

 歌とダンスの教室の発表会もあった。


 発表会では衣装を着て、演劇の会場を借りて去年のように発表会が行われた。

 小さな生徒さんたちは出番が終わると保護者の方に迎えに来てもらって、客席で鑑賞する。

 私と千草ちゃんは主役なのでほぼ出ずっぱりだった。

 香織ちゃんは前半の最後で私の演じるトニーに殺される。


 後半はキャストが入れ替わって、私の演じるトニーと千草ちゃんの演じるマリアのシーンから始まる。

 二人は愛を誓いあうのだが、トニーは警察に指名手配されている。

 その上、シャーク団からも狙われている。


 潜伏するトニーと、シャーク団の仲間からトニーは兄のベルナルドを殺したのだからそんな相手は忘れろと迫られるマリア。

 ベルナルドの銃を持ち出したチノをマリアは止められない。


 姿を現したトニーをチノが撃って、マリアが銃を取り上げる。


「みんながトニーを殺したのよ!」


 嘆きながらマリアも命を断とうとするが銃弾がなくてできない。

 マリアに黒いヴェールがかけられて、トニーの葬列が組まれて幕が下りる。


 拍手を受けて私と千草ちゃんはカーテンコールに出ていた。

 香織ちゃんも他の年上のメンバーも出て来る。


 発表会は大成功で終わった。


 発表会が終わると、次は大好きな役者さんの千秋楽のライブビューイングを見に行く。

 千秋楽の日には、千草ちゃんのパパが仕事を休んでくれて、千歳くんを見ていてくれるということで、千草ちゃんのママも加わった。

 私と千草ちゃんと香織ちゃんと私のママと千草ちゃんのママで、とっておきの白い服を着て映画館に行く。

 ライブビューイングのチケットは比較的取りやすくなっていた。


 映画館の席に座ると、私も千草ちゃんも香織ちゃんも、私のママも千草ちゃんのママも神妙な顔付きになっていた。


「Blu-rayは予約したし、サヨナラショーとディナーショーの入った特別ボックスも予約したわ」

「月穂ちゃん、一緒に観ましょうね」

「千枝ちゃん、必ず」


 ママは完璧に予約を済ませていた。

 一度見た演目でも、これで大好きな役者さんが男役をするのを見るのは最後かもしれないと思って見ていると、劇場で見たのと全く違う風に見えて来る。

 大好きな役者さんの動きを全て目に焼き付けたい。


 宮本武蔵伝が終わって、レビューも終わって、サヨナラショーの準備がされる。

 私はハンカチを握りしめていた。


 サヨナラショーでは大好きな役者さんは、これまでに演じた役の曲を何曲も歌って踊った。

 DVDやBlu-rayで見た演目もあれば、生で見た演目もある。

 自然と涙が零れるのにハンカチで拭いていると、千草ちゃんも香織ちゃんも涙を流しているのが分かった。


 泣きながら私は最後までサヨナラショーを見た。


 退団の挨拶を聞いて、何度も鳴りやまないカーテンコールを受けて、大好きな役者さんが何度も挨拶をして、遂には幕の前にまで出て来るのを見る。

 トップスターに連れられて幕の前に連れて来られた大好きな役者さんは、照れているようだった。


 その頬に美しい一筋の涙が伝う。


 私は大好きな役者さんを映画館で見送ることができた。


「本当に来てよかったわ。月穂ちゃん、ありがとう」

「千枝ちゃん、気持ちは同じよ」

「月穂ちゃん!」


 感極まって抱き締め合う千草ちゃんのママと私のママ。

 私も涙でぐちゃぐちゃになった顔で千草ちゃんに抱き付いていた。香織ちゃんも千草ちゃんに抱き付いて、千草ちゃんが間に挟まれる。


「悲しいけど、これからの活躍を応援しようね」

「最後の公演が見られてよかったわね」

「あぁ、悲しすぎる」


 私は大好きな役者さんのこれからを考えて、千草ちゃんはこの公演が見られてよかったと言っているが、香織ちゃんは心の整理がついていないようだ。

 涙を拭いて鼻をかんで、なんとか顔を整えた私だが、香織ちゃんはまだ泣いている。


「本当に大好きだったのよ」

「分かるわ。私もよ」

「しばらく落ち込んじゃうわ」


 香織ちゃんはすぐには気持ちを切り替えられず、しばらくはそのことを引きずりそうだと言っていた。


 ママの車で香織ちゃんを送って行って、千草ちゃんのママと千草ちゃんも一緒に香織ちゃんのママに報告した。


「素晴らしいサヨナラショーだったわ」

「特別ボックスを予約してあるから、みんなで見ましょう」

「香織ちゃんを連れて行ってくれてありがとうございました」

「香織ちゃんもあの役者さんが大好きだったんだもの」

「気持ちは同じよ」


 私のママも千草ちゃんのママも香織ちゃんのママに、香織ちゃんが泣いていたこと、サヨナラショーが素晴らしかったことなどを話していた。


 千草ちゃんと千草ちゃんのママと駐車場で別れると、私はママと一緒にエレベーターでうちのある階まで登る。

 家に帰ると、パパが旭くんと遊んでいた。


「お帰り。旭くんが『ままー? ねぇねー?』ってずっと探してたよ」

「ごめんね、旭くん。今日はとても大事な日だったのよ」

「ねぇね、帰って来たわよ」


 旭くんをママと私で挟むようにして抱き締めると、お目目をくりくりさせている。


「まま、ねぇね、いた」

「ただいま、旭くん」

「帰って来たわよ」

「まま、ねぇね、あとぼ」


 遊びに誘われて、私とママは手を洗ってからしばらく旭くんと一緒に遊んだ。

 旭くんは私にリクエストをしてきた。


「ねぇね、おうた」

「歌を歌うの?」

「あい!」


 お願いされて私が歌い出すと、旭くんはお尻を振り振り踊り出す。発表会の日も来ていたし、発表会の練習も見ているので、真似をしているつもりなのだろうが、まだよろよろしていて、とても可愛い。

 歌い終わると、旭くんが真剣な顔で指を一本立てる。


「もいっちょ」

「もう一回?」

「あい!」


 歌を再度リクエストされて私は旭くんが踊るのを見ながら歌っていた。旭くんの周りで私の子犬さんも、旭くんのセントバーナードさんも、ママのパピヨンさんも、パパのパンダさんも、楽しそうに踊っていた。

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