11.千草ちゃんとのお盆休み

 夏休みに入ると中学校がない分、塾の時間も歌とダンスの教室の時間も増える。ピアノの教室だけはいつも通りの時間だが課題曲が増える。

 忙しくなるので、最近は千草ちゃんのママがうちに来て、千草ちゃんの分と一緒にお弁当を作ってくれていた。


「本当にごめんね、千枝ちえちゃん」

「気にしないで、月穂つきほちゃん」


 千草ちゃんのママは千枝さんという名前で、私のママは月穂という名前だ。

 私のママが妊娠してから千草ちゃんのママと私のママはますます仲がよくなったようだ。学生時代のように名前で呼び合っている。


「月穂ちゃんは健康な赤ちゃんを産むことだけを考えて。大事な体なんだからね」

「ありがとう、千枝ちゃん」


 その姿が私と千草ちゃんのようで私は憧れてしまう。


「千草ちゃんと私も、あんな風にずっと仲良しでいられるかな?」

「きっと大丈夫よ。私は暁ちゃんが大好きだもの」

「私も千草ちゃんが大好き!」


 言い合っていると、パパから電話が入った。

 ママは電話を取ってパパと話している。


「夏休みには千草ちゃんと千枝ちゃんを夫の実家にお招きしたいって話があるんだけど、どうかしら?」

「月穂ちゃんの負担にならない?」

「夫の実家は、うちの実家よりも優しくしてくれるのよ。それで、夫も私が休めるように手配してくれたの」

「それなら、お邪魔しようかしら。千草ちゃんはどう?」


 私のママと千草ちゃんのママの話を聞いていた千草ちゃんは、話を振られて顔を輝かせる。


「暁ちゃんのお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも大好きよ。行きたいわ」

「それじゃ、決まりね」


 ママはパパに電話をかけて、千草ちゃんのママと千草ちゃんがパパの実家に行くことを告げていた。


 塾とピアノの教室と歌とダンスの教室が休みなのは、お盆だけだ。お盆近くの一週間だけ、私と千草ちゃんは完全な休みになる。

 それまではお弁当を持って塾に歌とダンスの教室に通わなければいけない。ピアノの教室だけは時間が変わらないので、お弁当はいらなくて、その代わり家での練習が大変になっている。


 千草ちゃんが誘拐された事件以来、二人きりでいるのは怖いということで、千草ちゃんと千草ちゃんのママは私の家にいることが多くなった。

 ママの体調もよくないので、私は千草ちゃんのママがいてくれて心強いし、千草ちゃんがいてくれるのも楽しくて嬉しい。


 ピアノの教室の日は、教室が終わった後に順番にピアノの前に座って千草ちゃんと練習をする。千草ちゃんとは先生が違うので課題曲が違うのだが、千草ちゃんがピアノがとても上手で私は聞き入ってしまう。


「千草ちゃん、ピアノの腕が上がったんじゃない?」

「暁ちゃんは、歌が上手って先生に褒められてたわよ」

「え? 本当?」


 私はひとの話を聞かないところがあるので、褒められたときも聞いていなかったのかもしれない。

 全員の前で褒められたようなのだが、多分そのとき、私は次のダンスの振り付けで頭がいっぱいだったのだ。


「暁ちゃんは自分がすごいっていう自覚がないわよね」

「そうかな?」

「暁ちゃんのクラスの子に、格好いいって噂されてるの、気付いてないし」


 言われて私は首を傾げる。


「格好いいって言われても、私は女だし、困っちゃうよ」

「歌劇団の男役のトップスターになるんでしょう? 誰でも魅了できるようにならなきゃ」


 そう言いつつも千草ちゃんは唇を尖らせていた。


「そうなると、ちょっと妬けるけどね」

「そうなの?」

「暁ちゃんは私の親友だもの」


 千草ちゃんは私にとっても親友だ。

 将来は歌劇団のトップスターコンビになって、一緒に舞台に立つのだ。

 それがどれだけ厳しい道であるかは、私も歌劇団の公演を見ているのでよく分かっている。

 大好きな男役さんがトップスターになれずに退団していくのも何度も見ている。そのたびに悔しくて、悲しくて、自分もこの世界に入るのが怖くなる。


「千草ちゃんはずっと一緒だもの」

「そうよね。暁ちゃんとはずっと一緒よね」


 手を取り合って私と千草ちゃんは気持ちを確認した。


 お盆休みに入ると、ママの車をパパが運転してパパの実家に行く。

 うちには一台しか車がなくて、それはママが使っている。パパも運転できるのだが、一家に二台の車は多すぎるし、維持費もかかるので、通勤は電車でしているのだ。

 だからパパは朝早く出かけて行って、夜遅くに帰ってくる。


 ママが妊娠中で体調がよくないので、パパが運転しているが、普段はこの車はママが運転する。


 千草ちゃんと千草ちゃんのママは千草ちゃんのママの車で来ている。

 車を停める駐車場はパパの実家にはないので、一台で来ても二台で来ても同じなのだ。


 パパの実家の近くの駐車場に車を停めて、そこからは歩いていく。

 途中の公園を見て私と千草ちゃんは足を止めた。


「あの公園で一緒に遊んだよね」

「お砂場セット持って行ったよね」


 懐かしい公園は、工事中のようだった。

 砂場も遊具も撤去されていて、工事の重機が入っている。公園の姿が様変わりするのは少し寂しい気がした。


 パパの実家に行くと、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが迎えてくれた。

 お祖父ちゃんは口数は多くないけれどにこにこして私と千草ちゃんを見守ってくれるし、お祖母ちゃんは大量の料理を作って待っていてくれた。


「ママ、ラザニアだよ!」

「暁ちゃん、まずご挨拶して」

「あ、そうだった。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お久しぶりです」

「お世話になります、暁ちゃんのお祖父ちゃん、お祖母ちゃん」


 私と千草ちゃんが挨拶をするとお祖母ちゃんが私と千草ちゃんの手を握る。


「よく来てくれたわね。暁ちゃんも大きくなって。千草ちゃんも大きくなったわね」

「背はクラスの女子では高い方だよ」

「私はそれほどじゃないけど、髪は一番長いです」

「千草ちゃんは生まれたときから髪を一度も切っていないのよね」


 お祖母ちゃんの言葉に千草ちゃんが頷く。

 千草ちゃんは生まれたときから髪を整えることはしても、ばっさりと切ったことはない。


「歌劇団の付属学校に入学するときには、ある程度の長さに切ろうと思っています。多分、それだけでも三十センチはあるだろうから、ヘアドネイションできるんじゃないかと思っています」

「願掛けのために切っていないの」

「そうなんです。私、歌劇団の付属学校に合格するまでは髪を切らないんです」


 歌劇団の付属学校に入学したらある程度の長さで髪を切ると言っているが、それまでは千草ちゃんは髪を切らないで願掛けしているとのことだった。

 切るときには三十センチ以上切ってヘアドネイションするつもりだなんて、初めて聞いた。


「そうだったの、千草ちゃん?」

「惰性で伸ばしてたけど、中学に入ってから、そうしようって決めたのよ」

「ヘアドネイションって、髪の毛を寄付するんでしょう?」

「そうよ。私の髪の毛が役に立つなら嬉しいと思って」


 歌劇団の娘役だからといって髪の毛をものすごく長く伸ばしておくことはない。むしろかつらを被ったりするので娘役さんの髪の毛はそんなに長くないことが多い。

 千草ちゃんも歌劇団の付属学校に入学したら髪を切ろうと思っていたのだ。


「全然知らなかった。でも、ヘアドネイションしようなんて、千草ちゃんらしいね」

「寄付するなんて偉いわね」


 私が感心していると、お祖母ちゃんも目を細めて千草ちゃんを見ていた。

 手を洗って、やっと私は食卓につける。


 ラザニアにコロッケ、シーザーサラダ、サーモンのカルパッチョと、私の好きなものばかりテーブルに並んでいる。

 シーザーサラダなら生野菜が苦手な私も食べられるのだ。


 お皿に取り分けていると、千草ちゃんもお皿に取っている。

 私が山盛り乗せているのに対して、千草ちゃんは少しずつお皿に乗せている。


「千草ちゃん、それで足りるの?」

「多すぎるくらいだわ」

「信じられない」


 ラザニアを大きな口で頬張りながら、私は千草ちゃんの小食さに驚いていた。

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