14.同級生の黒い影

 死んだひとの恨みや妬みが凝り固まって黒い影になることはお祖母ちゃんから教えられていた。

 死んだ後にひとはどうなるのだろう。

 魂はあるのだろうか。

 神様はいるのだろうか。


 守護獣さんだけは見えるのではっきりといると答えられるが、私には分からないことがたくさんある。

 それを子犬さんに聞いても答えは帰ってこないだろう。


 夏休みが終わって二学期が始まった。

 受験生にとってはここが山場となる。


 他の生徒たちは塾を毎日入れているようだが、私と千草ちゃんと香織ちゃんは逆に、塾に行かなくなっていた。

 歌劇団の付属学校の試験は面接と実技。

 実技を特に仕上げておく時期になったのだ。


 試験前には塾に行くが、それ以外では歌とダンスの教室がほとんどの日数を占めることになっていた。


 歌とダンスの教室では、毎日私と千草ちゃんと香織ちゃんは別メニューで先生がついて練習する。

 小さい頃からバレエはやってきたし、基礎は体に叩き込まれているので、私と千草ちゃんは問題なく踊ることができた。

 香織ちゃんは中学に入ってからダンスを始めたので、身体の芯がぶれることがある。

 香織ちゃんは特に指導が入って何度もやり直しをさせられていた。


「こんなんで私、歌劇団の付属学校に受かるのかしら」


 落ち込む香織ちゃんに、先生が言う。


「歌劇団の付属学校では、伸びしろのある子を優先的に取るといいます。香織ちゃんには伸びしろがある。やる気があって、これからも努力していくところを見せれば、充分に可能性はあります」


 これまでも何人も歌劇団の付属学校に生徒を入学させてきた先生の言葉は重みが違った。

 落ち込んでいた香織ちゃんも表情を引き締めて、私と千草ちゃんが踊っている間に、休憩せずに基礎レッスンを自主的にやっている。香織ちゃんも本気なのだとひしひしと伝わって来る。


 小さい頃から歌とダンスの教室に通い始めた私と千草ちゃんは、確かに有利かもしれないが、香織ちゃんも自分のよさをアピールできれば合格は夢ではない。

 励まして認めてくれる先生に導かれて、私と千草ちゃんと香織ちゃんは練習に励んだ。


 中学校では夏休みが終わってすぐに実力試験があって、その結果が返って来た。

 私は相変わらず学年で五番以内に入るくらいで、香織ちゃんは歌とダンスを頑張っていたので少し成績が落ちて十番以内に入るくらい。千草ちゃんは学年一位を保持していた。


「勉強の方が疎かになっちゃってた。もっと何でも頑張れるようにならないと」

「香織ちゃん、歌劇団のトップスターになった役者さんの中には、入学して初めての試験で下から二番目だったひともいるんだって」

「今は実技を頑張るときだもの。無理はしないで」


 私と千草ちゃんで慰めると、香織ちゃんは実力試験の結果を持って頷いていた。


 それを聞いていたのが学年でも私と競るくらいの成績の女の子だった。

 香織ちゃんの手から実力試験の結果の紙を奪い取って、順位を見る。


「東大より狭き門の歌劇団の専門学校に行く生徒の成績って、こんなもんなのね。私より悪いじゃない」

「何も知らないのに、言わないで!」


 今香織ちゃんは実技を磨いているときなのだ。実技がある程度完成しないと歌劇団の付属学校の入学試験には通らない。

 私が香織ちゃんの実力試験の結果の紙を奪い返そうと引っ張ると、女の子も手を放さず、紙が裂けてしまう。


「私のせいじゃない! あなたが引っ張ったからよ!」

「最初に奪ったのはあなたじゃない!」

「本当に野蛮ね。華麗な歌劇団にこんなひとが入れるはずがないわ」


 捨て台詞を吐いて去っていく女の子の背中に黒い影が見えた。

 黒い影は女の子に囁いている。


『本当は歌劇団の付属学校に行きたかったのに』

『どうして行かせてもらえないの? こんなに努力してきたのに』

『あんな子たちが入学試験を受けるだなんて』


 嫉妬する声が聞こえてきて、背筋が寒くなる。

 ぞっとした私は、香織ちゃんが話しかけているのに、すぐ反応できなかった。


「暁ちゃん、ありがとう。私、驚いて怒ることも取り返すこともできなかった」

「暁ちゃん?」


 私が答えないのに千草ちゃんが不思議そうな顔をしている。

 守護獣の子犬さんを呼ぼうとして、私は子犬さんが透けてよく見えなくなっていることに気付いた。千草ちゃんの鶏さんも、香織ちゃんの兎さんも、透けている。


「あ、ごめんね。香織ちゃん、実力試験の結果、破れちゃった」

「いいのよ。悪いのは奪った相手だし。セロテープでくっ付けて、事情を話したら、ママ、暁ちゃんに感謝すると思うわ」


 破れた実力試験の結果の紙を香織ちゃんに渡す手が震えている。

 私の様子に千草ちゃんはすぐに気付いてくれた。


「何か見えたの?」

「あの子の後ろに黒い影が……あの子も歌劇団の付属学校に行きたいみたい。それなのに、許してもらえないって、私たちのことを妬んでいる」


 震えながら言う私に、香織ちゃんが「そうだったのね」と納得した声を上げる。


「あの子、私たちとは違うダンス教室に通ってるって話を聞いたことがあるわ。受験で休まされているのが苦痛だって、他の子と話してた」

「行きたい進路に行けないから、私たちを妬む。そんなの間違ってるわ」


 香織ちゃんの情報に千草ちゃんが憤る。

 私はまだ震えが止まらなかった。


「暁ちゃん、具合が悪そうよ」

「どうしよう、千草ちゃん、香織ちゃん、私、守護獣さんが見えなくなってきてる」


 前までは子犬さんの『きゃんきゃん』と鳴く声も聞こえた気がしたのに、それもなくなっている。私の子犬さんも、千草ちゃんの鶏さんも、香織ちゃんの兎さんも、消えそうに薄く透けていた。


「暁ちゃん、見えなくなるときがいつか来るって言ってたけど、来てしまったのね」

「黒い影は見えるの?」

「黒い影は見えるし、変わらず声も聞こえるわ」


 守護獣さんたちが見えなくなるときには、黒い影も当然見えなくなるのだと私は思い込んでいた。

 それが黒い影は見えているのに、守護獣さんたちが消えそうになっている。

 消えるわけではないが、私には見えなくなるのだろう。


 怖くなって私が千草ちゃんに縋りつくと、千草ちゃんは私の背中を撫でてくれた。


「黒い影の件は、あの子に働きかけることによって、何とかなるかもしれないわ」

「私には黒い影は見えないけれど、守護獣さんだけ見えなくなって、黒い影は見えるのは怖いわよね」

「暁ちゃんと一緒に解決策を考えるわ」

「私も」


 千草ちゃんと香織ちゃんは心強いことを言ってくれる。

 それでも私はひとの心がすぐに変わるとは思っていないので不安だった。


「私たちだけじゃ無理かもしれない」


 弱気になる私に、千草ちゃんと香織ちゃんが提案する。


「助けを求めるのよ」

「誰に?」

「私、心当たりがある」


 千草ちゃんの言葉に、香織ちゃんが声を上げた。


「歌とダンスの教室の先輩。歌劇団の付属学校に行きたかったけれど、試験を受けてみたら違ったって言ってたんでしょう?」


 実際に一度試験を受けてみた年上の生徒さんに話を聞くというのは有効かもしれない。

 香織ちゃんの提案に、私は乗ってみることにした。


 歌とダンスの教室で私は年上の生徒さんに話してみた。


「歌劇団の付属学校の試験が受けたいって思っているけれど、反対されている子がいるんです。その子と話をしてみてくれませんか?」

「挫折した私が言うのもなんだけど、一年間高校に通いながら練習を続けて、どうしても行きたいなら、次の年に受けるっていう方法もあるものね」

「その話をして欲しいんです」

「分かったわ。私でよければ」


 年上の生徒さんは快く了承してくれた。


 家に帰ってから、私はタロットクロスを広げてタロットカードを混ぜていた。

 タロットカードに触れながら混ぜているのだが、何かがおかしい。


 タロットカードを捲っても、声が聞こえてこないのだ。


 捲ったカードはペンタクルの八の正位置。

 意味は、修行。

 目の前のことに集中して取り組むという意味がある。


 ここでいつもなら子犬さんや鶏さんや兎さんの声が聞こえるのだが、今日は何も聞こえない。


「修行……私たちだけで頑張れってこと?」


 もう一枚捲ると、ペンタクルの十の正位置が出る。

 意味は、継承。

 受け継いだものを活かして成功するという意味がある。


 しかし、私はスタンダードなタロットカードの絵柄を思い浮かべていた。

 スタンダードなタロットカードではペンタクルの十は、子どもから老人までが描かれている。

 それが、私には家族に感じられたのだ。


「パパ、ママ、お願い。話をしてくれない」


 リビングに戻って、旭くんを寝かせて一息ついていたパパとママに私は飛び付いて行った。パパとママは、真剣に話を聞く姿勢になっている。


「歌劇団の付属学校に行きたくても、入学試験を受けさせてもらえない子がいるの」

「その子の人生はその子のものだから、受けなかったら一生後悔するでしょうね」

「そうなのよ。その子のご両親に話をしてみてくれない?」


 ママは私が小さい頃から私を歌劇団に入れることを考えていた。私にとってそれは自分の夢になったが、逆に、両親によって夢を断たれようとしている子がいるのだ。


「厳しい世界だから、行かせたくない親心も分かるな」

「パパは反対?」

「一度しかない人生だから、暁ちゃんには後悔してほしくないと思ってる」


 パパは私が厳しい道に行くと分かっていても、私の意志を尊重してくれる。


「分かったわ、暁ちゃんの納得できるように話ができるか分からないけれど」

「暁ちゃんの頼みなら」


 ママもパパも私のお願いを聞いてくれた。

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