第4話 形見の品
フワフワな木くずが増えていくのを見ているのは面白かった。
まるで羽みたいに綺麗だなと一つ拾い上げた。ふわっと手元から香りが押し寄せてくる。
「うわ、いい匂いがする」
「これは檜だからな。こんないい木を使わせてくれて、兵藤のおっさんには感謝だな」
滝川の指は魔法のようにくるくると動き、木材を自在に加工していく。
流れるような動作に見えて、実は何度も繰り返している修正の積み上げなのだということに気づいて驚嘆する。
まるで木と語り合うように、何度も触れて、眺めて、僅かな歪みにも全神経を配りながら進めていく様子を見て、陽人は『匠』と言う言葉を思い出した。
しばらくは面白そうに眺め続けていた陽人だったが、時間はまだまだ長いことに気づく。だから庭の草むしりをすることにした。
実は午前中にやってみて結構面白かったので、ここでもやってみようと思い立ったのだ。海を横目に見ながらの作業は、とても贅沢な気分を味わえた。
こんなふうにのんびりとした気持ちはいつぶりだろうか。
昨日まではただ前へ前へと駆け続けていた。転ばないように、転んでも直ぐに立ち上がれるように。でも今は、転んだ姿勢のままにゴロリと向きを変えてみたような感覚だ。動きを止めたからこそ感じられるものが、こんなにたくさんあったなんて。
空の青さも、太陽の温かさもずっと忘れていたな。
そっと
四月の夕方はまだまだ冷える。肌に冷気を感じたところで、滝川に声を掛けられた。
「そろそろ帰るぞ」
雑草が減った庭を見て一言。
「ありがとな」
風呂に入って夕飯を食べ終わったところで、滝川が静かに切り出した。
「どうせ部屋が余っているから、お前に部屋を貸してやる」
「え、いいんですか」
「でも、タダは無しだ。タダで住むなんて男が廃るだろ。賃貸料、食費、光熱費込みで月三万円でどうだ?」
「それじゃ安すぎでは」
突然の申し出よりも、出会ったばかりの滝川がこんなにも自分を信頼してくれたことに陽人は驚いた。それと同時に、自分の中に密かに芽生えていた願望にも。
俺も滝川さんとここで一緒に暮らしたいと思ったんだ。
「んじゃ、お前の再就職が決まったら、食費と光熱費を利用分もらうことにするってのでどうだ。でも、口約束はだめだから、ちゃんと契約書ってやつを結ぶぞ」
「契約書!」
「ああ、めんどーだとか、縛られるようで嫌だとか思うかも知れないけどな、法律に基づいた手続きって言うのは大切なんだぞ。いざと言う時、お前を守ってくれる盾になるからな。だから知り合いの不動産会社の社長に頼んで契約書を作ってもらうから、ちゃんとサインしろよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
嬉しくて泣きそうになりながら、頭を畳に押し当てた。
「俺も憧れの大家になれるから、いいってことよ」
滝川から聞いた初めてのジョークらしき言葉に、陽人は一瞬絶句し、その後声をあげて笑った。
久しぶりの、心からの笑顔だった。
今日はいいことがたくさんあった一日だったと振り返りながら、陽人はバッグの中の古いオルゴールの事を思い出した。
母の形見のオルゴール。
木製の箱の周りには、流れるような曲線で花や葉の模様が彫られている。
塗装も剥げてところどころ角も欠けてしまい、今は見る影も無く古びて汚くなっていたが、どうしても捨てることが出来なかった。このオルゴールは、母が祖母から貰ったもので、わが家の家宝と笑いながら言っていた品だったから。
滝川さんの言っていた古い物を大切にするって、こういうことを言うのかな。
陽人はねじを巻いて蓋を開けた。
ディズニーの『星に願いを』のメロディーが流れ始める。粒が転がるような音色は、星の瞬きに似ていると思った。音が二、三か所飛んでしまうのは、欠けてしまったところがあるからに違いない。
ねじを巻きなおして、もう一度繰り返した。
欠けた音があっても、オルゴールの音色は美しく心に沁みこむようだった。
「陽人、ちょっといいか?」
襖の向こうから声がした。慌ててオルゴールの蓋を閉める。
「うるさかったですか?」
「いや、オルゴールの音色なんて珍しいなと思ってさ」
襖を開けて入って来た滝川が、陽人の手元を見て目を細める。
「年季が入った品だな」
「ええ、俺の母の形見で、祖母から受け継いだ物らしいです」
「へー。見てもいいか?」
「どうぞ」
受け取ったオルゴールの模様を優しくなでながら、ぐるりと一周させる。それから静かに蓋を開ければ、箱は待ちかねたように残りのフレーズを奏で出した。
中は宝石箱になっていて、指輪を差し込めるような仕切りもついている。
「彫刻が綺麗だな」
「でも結構汚れてしまっていて」
「母親の形見じゃ、これからも大事にしないとだな。俺に預けてみる気は無いか? 少し綺麗にしてやるよ」
滝川ならきっとそう言うだろうと、陽人は心のどこかで予想していた。
「でも滝川さん忙しいからいいですよ。その言葉だけで十分です」
「別に忙しくない。でも、大切な物を人に預けるのは勇気がいるだろうからな」
残念そうな響きに、陽人は笑いそうになった。木に触れることが大好きな人なんだな。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
思い切って前言撤回すれば、滝川が無言で頷いた。
三度目のネジは滝川が巻いた。詮索心とは程遠い距離感で、ぽつりと呟く。
「お前、両親とも亡くなっているって言ってたな」
陽人に説明を求めているのでは無いことは伝わってきた。だが、陽人のほうが語りたい気持ちになっていた。誰かに聞いてもらいたいと思ったのは初めてかもしれない。
「父親は俺が三歳の時に事故で死んだらしいです。写真はあるけど、記憶には残って無くて……。母親は高校三年の時です。働きづめだったから、発見が遅くなってしまってアッと言う間でした」
「そうか。大変だったな」
優しい響きが先を促してくれる。
「卒業までの数か月は児童施設に入って、その後は住み込みで働けるところを探してなんとかここまでやってきました」
「真っすぐに生きてきたんだな」
長い指が伸びて来て、陽人の頭をすっぽりと覆った。ガシガシと撫でる指先から伝わってくるのは温かい労わりの心。
「滝川さんの家族は?」
照れくさくなってつい口にした問いを、早急過ぎたと後悔する。その気遣いをくみ取ったようにさらりと滝川が答えた。
「二人とも生きてるよ。それぞれ別の家族がいるけどな」
悲し気に歪んだ陽人の顔を見て、ぎくりとした滝川が慌てて付け加えてきた。
「悪い。言葉が足りなかった。今は関係良好だからそんな顔するなよ」
安心させるように更に言葉を重ねる。
「俺には爺さんもいたし、お前と違って高三の時に暴れてたしな」
照れくさそうにそう言うとそそくさと立ち上がった。
「これ、預かってくな。今日は疲れただろ。早く寝ろよ」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
オルゴールを大切そうに抱えた滝川の背に向かって、陽人が呼び止めた。
「滝川さん!」
「ん?」
でも、上手く言葉にならなくてたった一言だけ伝える。
「ありがとうございました」
「おう」
右手をあげると襖の向こうへと消えていった。
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