第28話 生まれ変わった机
今日は茜に、陽の机が生まれ変わった姿をお披露目することになっていた。
「どうかな?」
茜と良平を作業場へ招き入れた滝川は、そう言って一対の椅子を指差した。
無垢材でできた椅子はシンプルで、体のラインに寄り添うような柔らかいフォルムをしている。おそらく、ダイニングテーブルに丁度良い高さと大きさ。
「試しに座ってみてくれないか」
よくよく見ると、椅子は、それぞれ微妙に大きさが違っていて、一つは女性用、もう一つは男性用に見えた。
「いいの?」
茜がそう言いながら、ゆっくりと腰を下ろす。
「なんか、柔らかい。冷たくないし、すっとなじむ感じ。座り心地がいいよ!」
促されて良平も、男性用の椅子へ腰掛けた。
「本当だ! 木なのに柔らかい座り心地だ」
「陽の机は、もともとナラの木で作られていたんだ。どんぐりの木だな。木目の表情が豊かなんだよ」
滝川は椅子の各部分を指しながら説明した。
「流石に陽の机だけでは木材が足りないから、脚の部分は新しい木を使っているけど、座面と背もたれの部分は、陽の机を使っているんだ。座面は太もものカーブに合わせて窪みをつけて、背面は背中に寄り添うように丸みをつけたから、すっぽり包まれるような感じになるはず。無垢材はもともと柔らかくて暖かいしな」
「凄い! 葵、やるじゃん!」
茜は興奮したように言った。
「これなら、おばさんもおじさんも毎日使えるよ」
「茜、悪いな。お前の分がなくて。もう一つ作れるほどの木材は無かったんだ」
「ううん、いいの。もともとおばさんとおじさんに持っていってもらいたくて、頼んだんだから。これなら、きっと徳島へ持っていけるよ! でね、ここに座ってご飯食べたり、おしゃべりしたりしたら、陽ちゃんと一緒に居る気分になれるよ。陽ちゃんもスッゴく嬉しいはず」
「お前のなぞなぞの答えになっているかな?」
「想像以上! 葵のくせに、やるじゃん!」
滝川の顔がほっとしたように和らいだ。
「俺を誰だと思っていやがる。俺は木工のプロだからな」
「それを言ったら、あんたを見込んで頼んだ、この茜様の目に狂いが無かったってことでしょ。凄いのは、わ・た・し!」
ドヤ顔の茜の横で、椅子に座ったままの良平がぼそっと呟いた。
「俺たちもこんな夫婦椅子欲しいな……」
滝川は思わずフリーズする。
俺たちって、夫婦椅子って、良平の奴真顔でのろけやがって。
茜は急に改まったような顔になると、立ち上がって深く頭を下げた。
「葵、ありがとう! 無茶なお願い聞いてくれて。陽ちゃんの机をこんなに素敵な椅子にしてくれて」
「茜……」
滝川は思わず、茜の肩を叩いて、顔を上げさせた。
「お礼を言わないといけないのは、俺の方だよ。茜、ありがとな」
滝川も深く頭を下げた。
「……それから、こないだは、怒鳴って悪かったな。お前が陽の机を持ってきてくれたお陰で、陽のこと、向き合えたぜ」
茜の目から涙が零れ落ちた。
「良かった……」
「悪い、良平。また、茜を泣かせちまった」
良平は立ち上がって茜の肩を支えると、滝川に大丈夫というように目配せした。
きっとあの椅子は、陽の両親の
―――互いに思いやって支え合っていれば、りっぱな家族―——
善三じいさんの言葉がこだまする。
あの椅子は、
良平と茜が椅子を持って帰った後、滝川は作業場で、そのまま物思いにふけっていた。
陽が死んだ後も、色々な別れがあったなと思い返す。
滝川にとってもう一つの悲しい別れは、善三じいさんの死だった。
その日はじいさんが珍しく上機嫌で酒を飲んでいた。そして、葵に向かって、
「お前の腕は、神様からの授かりもんだ! いい腕をしている。これからも、精進を怠るなよ」
と言ってくれた。今まで一度だって、そんな風に褒められたことは無かったので、葵は心の底から嬉しかった。
ようやく、少し認められたのかなとほっとしたのだった。
けれど、二か月後、じいさんに膵臓がんが見つかった。
陽の時は、何もしてやれなかったと言う後悔の念にさいなまれたが、じいさんの時はちょっと違っていた。それはじいさんと過ごした日々と、託された大工の仕事があったからだ。じいさんは死の間際まで、滝川に惜しみなく技術を伝えた。
これからも精進しろ!
その言葉に答えるのが、じいさんへの恩返しだ。そう思って、葵は今日まで黙々と仕事をこなしてきたのだった。
じいさんへの思いは、そうやって、ちゃんと前を向けたのにな……。
陽のことになると、俺はいつもダメだな。
善三じいさんの通夜の晩遅く、滝川の実の父親である
いったい何を言いに来たのか?
身構える母親の秀子を背に廻して、滝川が二人の間に入った。
あの時は、大きくて恐ろしかった父親が、今では自分よりずっと小さいことに気づく。そして、二十年ぶりに見た父親の顔は、思ったほど自分に似ていなかった。
あんなに恐れた父親似の顔。
でも、今目の前にいる父親の顔は刻まれた皺のせいだけでなく、自分とは似ていないと思えた。
自分の前に立ちはだかった息子を見上げて、都築は一瞬複雑な表情を見せた。その中に、父親らしい愛情の念が混じるのを感じて、滝川は肩の力を抜いた。
「葵……だな。大きく……立派になったな」
都築は俯くと、そのまま深く頭を下げた。
「二人に一言謝りたくて……恥を忍んできた。……すまなかった」
離婚後の都築のことを、善三じいさんが密かに面倒をみていたということは、その時初めて知った。アルコール依存症の改善のために、施設に入院させたのも善三じいさんだった。
葵の受けた傷の深さを聞かされて、会いにくるのは控えていたのだが、善三の死を知り、今日だけは、せめて秀子と葵に謝りたかったと、そして善三じいさんに線香を手向けたいと思って来たのだと語った。
その時、秀子が言った。
「私も、あなたに謝りたかったんです。あなたの苦しみを分かってあげられなくて、壊れるまで、放っておいてしまって……支えてあげることすらできなくて、ごめんなさい。そのせいで、葵をこんなに苦しめてごめんなさい」
善三じいさんの棺に深々と頭を下げた都築は、連絡先も告げずに帰っていった。
「二人とも体に気をつけてくれ」と言い残して。
「連絡先、聞かなくても良かったの?」
母親の秀子が、気づかわし気に葵の横顔を見た。
「別に。俺の父さんは、柴田の父さん一人だよ。だから、他の父さんはいらない。あの人は……本人が幸せでいてくれたら、それだけで十分だよ」
あれほど恐れ憎んだおやじも、新たに支えてくれる人と出会って、立ち直ってくれた。その報告は、滝川にとって何よりも嬉しいことだった。
自分も、何があっても立ち直れるんだという安心感をもたらしてくれたから。
酷い思い出しかないが、最後に一つだけおやじらしいことをしてくれたなと思った。
「母さん、もういい加減肩の荷を降ろしてくれよ」
滝川は並んで見送る母親の秀子に優しく言った。
「あの時、俺を守ってくれたのは、母さんだぜ。全身で守ってくれたじゃないか。今まで、ちゃんと礼を言ってなかったけど……ありがとう」
秀子の目から涙が溢れる。
「葵……」
今度は滝川が、母の肩を抱きしめた。
そうか……陽がいなくなって十年。
俺は陽以外の人にもたくさん助けられて生きてきたんだ。
陽の笑顔が無くても、俺を救ってくれたものがいっぱいあったんだな。
茜にも良平にも、家族にも。そのほかのたくさんの人たちにも。
そして、今回は陽人に助けられた―――
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