第57話 木の香る家で(葵side)

 陽を抱えたまま、俺は真っ直ぐに緑の中を進む。


 どこへ向かっているのかは、わかっている。


 いや、わかっていないけれど体が導いてくれた。



 葉陰から陽の光が差し込む先に、周りに溶け込むように佇む小さな木の家が現れた。


 そうだ。これだ!


 俺が、心の中で思い描いていた家。

 陽と一緒に過ごすために、作りたかった家。


 きっとこれが、出来上がった姿なのだろう。


 

 扉を開けて中に入れば、慣れ親しんだ気持ちになる。

 木材一本一本と対話しながら建てた自慢の家を、陽は気に入ってくれるだろうか?


 その様子を見れば、尋ねるまでも無いな。


 きょろきょろキラキラと瞳を輝かせた陽は、最後に俺の目に戻ってきた。


「あおくん、スッゴく素敵! 陽、気に入っちゃった! 建てるの大変だったでしょう。ありがとう」


「おお、良かったよ」


 照れくさくてついっと視線を外せば、陽の指が俺の両頬に添えられた。

 動きを封じられてしまえば、否が応でもその瞳に吸い寄せられてしまう。


「あおくん」

「ん?」


 次の瞬間、俺の唇は柔らかくて甘やかな感触に包まれた。


 ああ……最高の栄誉だ。 



 静かに床に降ろすと、陽は即座に靴を脱ぎ捨てた。

 

 素足になって、木目をそうっとなぞるように歩いていく。


「あおくん、すべすべで気持ちいい!」

 

 弾けるように笑った。


「そんなの当然だろう」

「うふふ。あおくんの腕前、最高!」


 ウェディングドレスではしゃぐ奴がいるかと思いながらも、そんな陽から目が離せない。


 笑った顔。怒った顔。

 泣いた顔。嬉しそうな顔。

 びっくりした顔。焦った顔。

 いたずらっ子な顔。

 どんな陽も、俺は好きだ。


 ずっと見ていたくなる。


 でも、今日は―――もっと別の顔も見たくてしかたがない。


 後ろから陽を抱きしめた。


「陽」

「うん」

「俺は今まで、お前に甘えてばかりだった」

「えー、そんな事ないよ」

 

 振り返ろうとする陽を抑え込む。


 面と向かって言うのは、やっぱりハードルが高すぎる。


 火照る心を抱えながら、陽の耳元に囁いた。


「俺の気持ちを捧げたい。いいか?」


 あの頃の俺は、まだまだガキで。

 いつも陽からもらってばかりだった。


 でも、今なら……俺もお前にちゃんと伝えられるはず。


 コクリと頷いた陽。


 震える指で、ウェディングドレスのファスナーを掴めば、陽の華奢な背がぴくりと波打った。


 一気に下ろして左右に割る。


 純白の羽を奪うような背徳感。


 でも、これでいい。


 お前の羽根はもういらないはず。

 ここから飛び立つ必要は無いんだから。


 これからは、ずっと俺の側に居てくれるんだから。


 薄衣一つになった陽を再び抱き上げる。


 お前はやっぱり細いな。


 思いっきり抱きしめたら、折れてしまいそうだから。


 大切にベッドの上に下ろした。


 俺の宝物。


 上から見下ろせば、いつもは真っ直ぐに見つめてくる瞳が、恥ずかしげに横に逸れた。


 そんな陽が愛おしくてたまらなくなる。


「俺を見て」


 だからつい、意地悪な命令を投げつけてしまう。


 ちょっと頬を膨らませてから、陽が覚悟を決めたようにこちらに向き直った。


「あおくんの意地悪」

「そうか。意地悪か」


 可愛い毒を吐く口を塞いだ。


 応えるように陽の唇が吸い付いてくる。

 それは甘くて、柔らかくて、優しくて。


 俺達は何度も、何度も。


 唇を重ね、舌を絡め、愛を伝えあった。



 スルリと薄衣も剥ぐ。


 己を隠そうと咄嗟に動いた陽の手を布団に縫い付けて、白い首筋にキスを落とした。

 ヒクリと波打つ艶肌へ、そのまま唇を這わせていく。

 

 甘い香りに包まれながらゆっくりと。


 浮き立つ鎖骨。柔らかな胸元。ふくらみの先へ。

 

 蕾を口に含んで舌で転がせば、幼く見える陽の顔が、一気に大人の女の表情かおになった。

 甘やかな吐息が漏れて、桃色に染まった目元が色気を放ち始める。


 ああ、ゾクゾクする!


 こんな顔もできるんだな。


 貪欲に求めずにはいられない。

 欲望のままに責めずにはいられない。


 もっと―――

 もっと見せてくれ。

 初めてのお前を!


 指先で、舌先で、陽を感じながら、視線を、耳を研ぎ澄ます。


 お前の全てを俺の魂に焼き付けたいんだ。

 そして、俺の全てをお前にも刻み込んでやる。


 肉体が消えても、覚えていられるくらい。


 強く、深く―――


 彼女の中へ分け入れば、陽がツイっと涙を流した。


「痛いか?」


 心配になって尋ねれば、今度は花のような笑顔に変わる。


「ううん。嬉しいの。ずっごく幸せ」  


 俺は指先で陽の涙をそっと拭った。


 バカ野郎。


 そんな事言われたら、俺の理性が吹っ飛ぶだろうが。


 華奢な体を抱き上げる。

 一ミリのスキマも残さず、ピタリと体を密着させた。


 滑らかな陽の肌が、俺の一部になるように。

 

 お前の胸の高まりが、俺の体も打ち鳴らすように。


 胸元の陽が呟いた。


「あおくんに抱きしめられると安心する。力強くて、優しくて」


 すいっと小指を差し出して来た。


「これからは、ずっと一緒だね」


 細い指先を絡め合い、永遠の契を交わせば、陽の瞳からまた涙が溢れ落ちた。


「本当はずっとこうしたかったの。陽は我儘だから、本当はあおくんを独り占めしたかったんだよ。だから今、凄く嬉しい」


「陽、俺もお前を独り占めしたかった」


「一緒で良かった」


「覚悟をしておけよ」 


「え!」


 驚きで瞳を見開いた陽。


 そこからキスの雨を降らしていく。


「俺の執着心は半端ないってことだよ」


 俺の唇を全身で受け止めながら、陽が納得したように笑った。


「そうだね。あおくんの一途な情熱は善三おじいちゃんのお墨付きだもんね」


 天国で二人は会った事があるのかな。


 ふと、そんな事を思った。



 己の遺伝子を与えること。


 あの頃の俺にはとてつもなく恐ろしいことだった。

 父親から受け継いだ負の遺産を遺したいなんて思えるはずもなく。


 でも、そんな俺に、陽は言った。


 俺の遺伝子は唯一無二だと。


 あの言葉が、俺を救ってくれたんだ。


 だからもう、怖くない。


 俺はお前に俺の全てを捧げる。



 二人の汗が溶け合うほど、激しく互いを重ね合う。


 言葉は喘ぎに変り、影は一つとなり。


 登り詰めた快感の先に見えてきたのは、穏やかな平安の境地。


 そうか……


 ここが、俺達の居場所なんだな。



 今更になって、木の香りに気づいた。


「私達の家」


 ふいに陽が言った。


「私はずっとここにいるよ」


「ああ」


「幸せ」


「俺もだ」


 ふわりと微笑んだ陽が愛おし過ぎて、俺はまた彼女を抱き寄せた。


 一時も離したくない。


 互いの肌を預け合って、しばし余韻に浸る。

 ぽつりぽつりと語り合えば、穏やかな時が流れて、無防備な幸福感に包まれた。


 だが、一気に燃え上がったモノを昇華しきることは簡単では無い。

 くすぶる想いを持て余す俺の頬を陽の指先がなぞってくる。


「笑って」


 不意打ちの言葉に、照れが蘇った。


「もっと見たいの。陽の大好きなあおくんの笑顔」


「……」


 ふふふっと笑った陽。


 今度はつつーっと俺の胸を人差し指で撫ぜた。


 先程バレたばかりの俺の弱点。


 くすぐったいし、落ち着かなくなる。翻弄されて余裕を失う。


 馬鹿だな。そんなことしたら、余計に笑えるわけないだろうが。


 悪戯な指先を掴んで再び押し倒した。


「手加減できないぞ」


 不敵な笑みで見下ろしたはずが、陽は満面の笑みを浮かべていた。


「素敵。あおくんのそんな顔も好き」


 ああ、もう!

 こいつはやっぱりポンコツだ。


 無自覚に煽ってくるからたまらない。


 やっぱり、今も俺はお前の手の平の上で踊っているのかもしれない。


 でも、それでいい。

 

 最高の幸せだから……



 それからも俺達は、何度も何度も。


 互いを語り合い、与えあった。



 暁の光が、夜と昼とを分かつまで―――



「あおくん、愛してる」


 それが、陽の最後の言葉だった。


 俺の耳に優しい音を遺して……



 俺の体に溶け込むように、彼女の肉体は再び消えてしまった。





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