第24話 滝川の過去 ― 笑顔のリミット ―

「じいちゃん、ありがとう」

 善三じいさんの家に戻った日、葵は畳に額をつけた。

「なんか、家の中が急に明るくなったな。一人で飯食うのはつまらんから、いいな」

 じいさんはそう言って、葵にも早く食べるようにと促した。


 じいさんの家に戻ったことは、心の重荷を下ろした気分になれた。

 ようやく深く息を吸えるような、そんな安心感を感じた。


 柴田の家族とは週末に一緒に食事をするから、関係が途切れたわけでもない。じいさんにとっても、週末の食事会が楽しみな時間になったので、結果としては家族の絆が強くなったようだった。

 

 一応大工になると宣言した手前、早く修行を始めてもらおうと、律儀な葵はじいさんの作業場にちょくちょく顔を出していた。

「まずは高校受験を頑張れ!」

 だが、その度に追い出された。

 もともと頭の回転も速く、気持ちが落ち着いて勉強に集中できたこともあって、県立の進学校へ合格することができた。ようあかねも一緒だった。

 葵は内心ほっとした。これで、毎日学校で陽に会える……。



 高校に進学してからは、新しいメンバーも加わった。それが、今の茜の彼氏、大山良平おおやまりょうへいだ。

 良平とはサッカー部で知り合ったのだが、冷静沈着で物静かな話し方をする良平とは、なぜか最初から馬が合った。一見正反対に見える二人だったが、心の奥の方で通じ合えるものを感じた。

 良平はすぐに陽や茜とも仲良くなって、毎日部活帰りに四人で一緒に帰っていた。

 お店に寄ったり、公園でしゃべったり、時には七夕祭りや花火大会、今思い出せば、それなりに青春らしいことをして楽しかったと思う。


 その蛍観賞も、いつも通り世話焼きの茜が言い出した。

 毎年、五月の末から六月初めくらいに、町の公園で蛍観賞ができた。夕方四人で待ち合わせて、目的の公園へと向かうことになった。

 公園内は遊歩道が整備されていたので歩きやすかったが、蛍観賞のため、電灯は無い。が落ちると足元は暗くなる。

 そそっかしいようが転ばないようにと思って、葵は思わず陽の手を取った。

 後ろの茜と良平の手前、ちょっと照れ臭いけれど、派手にズッコケられるよりはいいはず……一生懸命自分に言い聞かせていたのだが、陽の方は何も考えていないようで、嬉しそうにニコニコしている。

 会話らしい会話をしないまま、二人で寄り添うように歩いた。

 

 ふと気づいて後ろを振り向くと、良平と茜の姿が消えている。

「あれ? 良平たちは?」

 葵は『しまった、はぐれた!』という気持ちだったが、陽は『なるほど~』という顔をしている。

「茜ちゃんたち、もしかしたらもしかするかもしれないよ~」

「?」

 言っている意味が全然わからずに陽の顔を見つめると、ワクワク弾んだ声が返ってきた。

「もしかしたら、良平君と茜ちゃん、ラブラブかもしれないよ!」

「え? 良平が茜を? まさか!」

「えー、気づいて無かったの? やっぱり、あおくんはだなぁ」

 クスクスと笑いながら続ける。


「良平君、絶対茜ちゃんのこと好きだよ。良平君、いつもすっごくとろけるような優しい目をして、茜ちゃんのこと見てるんだから」

「とろけるような優しい目だぁ!」


 サッカー部の連中がドッキリを仕掛けても崩れなかった、鉄壁の冷静スマイルだぞ! それのどこをどう見たら、とろけるような優しい目って表現がでてくるんだ? 全く陽の頭の中は、どうかしている!


「茜ちゃんには幸せになって欲しいから、良平君なら、陽も許してあげるんだ」

「お前の許しなんかいらないだろ」

「いるの! 私は茜ちゃんの大親友だから。大切なんだからね」

「そっか」

 そう答えたけれど、あの台風の目のように周りを巻き込んで騒がしい茜と、物静かな良平の組み合わせが想像できなかった。

 あの冷静キャラの良平が、そんな飛んで火にいる夏の虫みたいなことするのかな? と思ったが、良平への信頼をそのまま口にする。

「良平なら、茜を泣かすことはないから安心しろよ」

「うん、そうだね」

 陽はふふふっと嬉しそうに微笑んだ。


 こんな小さい公園に、これほどの人が集まるとは想像していなかったので驚いた。公園の奥の方の、山際に近い遊歩道の柵にもたれて、蛍が来るのを待っていたのだが、後ろを通る人波が引っ切り無しに続いて、時々ぶつかられたり押されたりする。

 葵はなんとなく心配になって、陽の後ろへ廻って、陽をかばうような形で立った。背の高い葵の丁度顎くらいの高さの陽は、すっぽり収まるような形でちょうどいいなと思っていると、陽が振り向いて礼を言ってきた。

「ありがとう!」

「なんだよ。いきなり」

「だって、陽のこと守ってくれてる」

「別に当たり前のことだろ。俺の方が体デカいんだからさ」

「あおくんにとっては当たり前でも、陽にとっては嬉しいことなんだよ。だから、ありがとうって、ちゃんと言いたいんだ」

 葵はちょっと照れ臭くなって、「おおっ」とだけ答えた。


「消しゴム探している時に、スッって貸してくれたりさ、転ばないように手を繋いでくれたりさ、疲れたなーって座っていると横に一緒に座ってくれたりさ、一つ一つは小さなことでも、すっごく嬉しいんだ。でね、それが積もり積もると幸せなの。あおくんは、いっぱい私を幸せにしてくれているんだよ。だから、ありがとう!」

「な、なんだよ……今日は褒め殺しの日かよ」

 葵は顔が火照るのを感じて、横を向いた。

「あおくんは? あおくんは陽に言ってくれることないの?」

「え!」

 突然返されて、あたふたする。

「そ、そんなの照れ臭くて言えるかよ!」

 陽はぷくぅーと頬を膨らませると、

「今、ちゃんと口に出さなきゃだめだよって話をしていたんじゃん。陽にお礼言いたくなるようなことは、何にも無いの?」

「いや……そんなことは無いんだけど……」

「無いわけじゃないんだね! 良かったー」

 機嫌を直して前を向いた。


 無いどころか……俺はお前のお陰で生きているよ。


 葵は陽の頭をガシガシっと撫でようとして、すんでのところで力を緩めて、ポンポンと優しく叩いた。

「いつも、笑ってくれてありがとな」

 ちょっとかがんで耳元につぶやくように言うと、陽は振り返って、パーっと輝くような笑顔を見せた。


 その時、二人の目の前で、黄緑色の光がぽーっ、ぽーっと瞬いた。

「あ! 光ってる!」

 その数は一つ、また一つと増えて行き、ふわりふわりと飛び始めた。

「綺麗だねー」

「ああ」

 幻想的で厳かな雰囲気がただよう。


「蛍はさ、なんでってことを選んだのかな?」

「?」

「光って、ここにいるよって伝えているんだよね。僕はここに居るよー、私はここよーって。今ここにいる蛍たちは、みーんな、僕を見つけて! 私を見つけて! って言ってるんだよ」

「そう……なるんだろうな」

「蛍って、こんなふうに光りながら飛べるのは、一週間くらいなんでしょ」

「まあ、もう少し長いかもだけど、そんなもんだろうな」

「こんなふうに光るのは、恋人見つけるためなんだよね?」

「まあ、そういう説があるな」

「せっかく好きな人と出会えても、一週間で死んじゃったら悲しいよね」

「うーん、でも虫に愛の概念ってあるのかな?」

「もう! あおくん、雰囲気台無し~」

「あ、まあ、そうだな……」

 陽は怒りながらも、声は笑っている。


「虫の一週間は、人間の百年かも知れないぜ。体感年数が違えば、別にいいんじゃないか」

 挽回するように葵が言うと、

「そっか! なら良かったー」

 陽は案外素直に頷いて、その後は二人で、ただただ光の舞を見つめていた。


「短いってわかっているから、一生懸命光っているんだろうな」

「そうだね。だからこんなに綺麗なんだね」

 陽はこっそり葵の顔を見上げながら、心の中でつぶやいた。


 たくさんの命の光に照らされて、あおくんと一緒にいられるなんて、すっごく幸せだなぁ。

 この時間が永遠に続けばいいのに!


 陽が自分の命のリミットに気づくのは、その半年後の事であった。

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