第51話 背中を支える手
「私は日本人の父とフィンランド人の母を持つハーフですけど、日本で生まれて、国籍も日本人です。パスポートも日本のパスポートです。でも、黒髪黒目は持っていない。自分では日本人と思っているけれど、どうしても生粋の日本人にはなれないんです」
恵令奈はちょっと寂し気な表情になって続けた。
それは、陽人に語りながらも、自分自身を一つずつ確かめ積み上げていくような感じだった。
「日本の学校に行って、お友達にも恵まれていたと思います。みんな仲良くしてくれました。この髪も、この瞳も、綺麗って言ってくれて。でも、一緒にいると私だけ見た目が違うんです。それはやっぱり目立つし、気になるんですよ。どうしてみんなと違うんだろうって」
陽人は黙って耳を傾けた。
「見た目のコンプレックスって、思った以上に心に影を落とすんです。自分ではどうしようも無い事だし、友達は優しかったから、気にしないように接してくれていたのに……」
目を伏せて、一呼吸おいて、また話し始める。
「じゃあ、フィンランドに行ったら目立たないだろうと思って、祖母の家に行きました。見た目は目立たなくなって、ああ、凄く自由だと思ったんです。街を歩いていても誰も振り向かないし。フィンランドでフィンランド語を話せば、別に上手だとか不思議だとか言われることも無いし」
「けれど、日本の生活習慣や自然に慣れている私にとって、フィンランドはやっぱり外国だったんです。なんか……どこにも属せないような……宙ぶらりんな感覚になってしまって……辛かった」
「逃げ帰るように日本に帰って、ずっと心に穴が開いたまま過ごしていました。でも、主人に出会って、二つの国を繋ぐ橋のような人だねって言ってもらって、凄く嬉しかったんです。無理やり一つに決める必要は無いって。橋の真ん中が私の属する場所なんだって」
「素敵なご主人ですね。お会いしたいなぁ」
陽人の素直な言葉に、恵令奈は零れんばかりの笑顔を見せて頷いた。
「是非、今度会ってください。私の大切な人です」
恵令奈は抱っこ紐の中で笑う怜音に顔を向けて、ばぁと声を掛けた。
あやすように体を揺らしながら、言葉を続ける。
「誰かに認めてもらえるってとても嬉しいですよね。私は主人に認めてもらえて、とても心が穏やかになったんです。でも、それだけではまだ足りないような気がして。やっぱり私自身がちゃんと自分のことを認められるようになりたい。そのために、日本とフィンランド、大好きな二つの国の架け橋になれているって、胸をはって言えるようになれたらいいなって。自分にできることは何か。どうしたら上手くできるのか。これから一生懸命探し続けていきたいって思っているんです」
恵令奈はそう言うと、晴れやかな笑顔を陽人に向けた。
「すみません。勝手にべらべら話てしまって。でも、牧瀬さんに聞いてもらって、牧瀬さんに宣言して、なんかすっきりしました。牧瀬さんが自然にフィンランドに興味を持って、色々聞いてくださったので、ついつい嬉しくなっちゃったんです。私の話でフィンランドを好きになってくれる人がいるんだって、ちょっと自信が持てました。ありがとうございます」
「そんな。本当に興味沸いたし、面白かったし、行ってみたくなりました」
陽人は照れ臭そうに、でも心からの言葉を贈った。
滝川の返事を伝えるために連絡先を交換すると、恵令奈は何度も頭を下げながら帰って行った。
その日夕食を取りながら、陽人は滝川に恵令奈の話をした。
そして、恵令奈から預かった木工品を見せた。
「これは、モビールだよな」
滝川が手に取って眺めながら尋ねる。
「フィンランドの『ヒンメリ』って言う、モビールだそうです。幾何学的な形のモビールで、『幸せを願う光のモビール』って言われているらしいですよ」
陽人はスマホで調べた情報を滝川にも見せた。
「なるほど……赤ちゃんのために飾りたいんだろうな」
滝川はそう言いながら、ヒンメリの仕組みを確認している。
「直せそうですか?」
「まあ、なんとかやってみるよ」
「ありがとうございます!」
自分の事のように喜ぶ陽人を見て、滝川の表情も和んだ。
そして、静かな声で語りかけた。
「陽人、お前はいつも誰かのために動ける奴だよな」
「え、そんなこと無いですよ。俺、何の取り柄も無いし」
「いや、他人のために強くなれるし、優しくなれる奴だよ」
あまりにも真っ直ぐに褒められて、陽人は照れたように額を掻く。
滝川は続けた。
「溢れるボランティア精神は、茜と似ているんだけど、ちょっと違うんだよな。茜はエネルギッシュで、本人の意思に関係無く相手の手を掴んで、無理やり良い方向へ引っ張って行く感じだな。でも、陽人は控えめだけど良く相手のことを見ていて、欲しいなと思うところで、そっと手を差し出して繋ぎとめてくれる。そんな優しさだな」
「えー。そんな嬉しいこと言ってくれるんですか」
「後、なんかこいつになら話してもいいかって思わせる、安心感みたいなのがあるな。誠実さが滲みでているし。お前は今まで苦労した分、人の苦労もわかるんだろうな。だから、話しても大丈夫って、この人なら分かってもらえるって思える」
いつになく饒舌に語ってくれる滝川を、陽人は感謝の眼差しで見つめた。
「だから、お前のその持ち味を生かせるような仕事が見つかるといいな」
その言葉に、弾かれたような表情になる陽人。
そして嬉しそうに頷くと決意したように話し始めた。
「滝川さん、今までずっと見守ってくれてありがとうございます。俺、そんな滝川さんに甘えて、ゆっくり考える時間をもらえました」
曇りの無い目で真っ直ぐに滝川を見ると、深く頭を下げる。
「俺、両親と死に別れて一人になって大変だったけど、でも今までもいろいろな人に支えられてきたなって思い出したんです。高校の時は、近所の役所に勤めていた方が、ものすごく親身になって相談に乗ってくれて。手続きとか教えてくれて。それで今日まで生き延びてくることができました」
陽人はそっと息を吸うと言葉を乗せた。
「俺、町役場に勤めたいです。みんなの生活に寄り添う仕事をやってみたい。住みよい町にしたいし、俺みたいに困っている人の相談に乗りたいし、少しでも助けたいです」
「なるほどな。陽人らしくていいんじゃないかな」
滝川が穏やかに頷いた。
「秋本さんも喜ぶぞ。町に相談しに行きやすくなるってな」
「でも、十月の試験まで、ちょっと勉強して準備しないといけないですね。受かるかはわからないし……就職決まっても四月までは待たないといけないかもしれないし……滝川さん、まだまだ無職ですけど、よろしくお願いします!」
「ははは、別に構わないさ。家賃は入れてくれているしな。大家としては何の問題もないぜ。でも、陽人なら大丈夫。絶対合格できるよ」
滝川はそう言って、陽人の頭をガシガシ撫でた。
「はい! がんばります」
でも、陽人は知っていた。陽人が毎月支払っている家賃、滝川は手を付けずに陽人預金として残してくれていることを。
茜の引っ張り上げる手。
陽人の差し伸べる手。
じゃあ、滝川の手はどんな手だろう……。
陽人は心の中で考える。
滝川さんは……俺にとって滝川さんは―——
そっと背中を支えてくれる大きくて温かい手。
落ちないように、倒れないように気遣いながらも、黙って見守って、支えてくれる手だな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます