第50話 世間は狭い

 それから三日後の事、陽人はいつもの駅前のスーパーでは無くて、反対方向にある店に買い出しに出かけていた。

 今日は陽人が夕食当番。メニューは酢豚に挑戦してみようと、豚バラ肉を買って来たのだった。と言っても、作ったことは無かったので、スマホの料理レシピを見ながら作る予定。


 いつもとは違う風景を、物珍し気に見回しながら歩いていると、ブランコや滑り台のある公園が目に入った。おお、こんなところに公園があったんだ……と思いながら通り過ぎようとして、公園から出てきたベビーカーを押している女性を見てびっくりする。

 あの時の人だ!


 相手の女性も、『あっ!』と言う顔をしてニッコリした。透き通った瞳に驚きと喜びが浮かぶ。

「先日は、ありがとうございました。助かりました」

 また丁寧にお礼を言いながら頭を下げた。

「いえ、お気遣い無くです。こんなところでまたお会いするなんて、びっくりしました。近くに住んでいらっしゃるんですか?」

「はい。すぐ近くです。あなたもですか?」

「はい。直ぐ近くなんですよ」

 

 二人はそのまま並んで歩き始めた。

 ご近所さんだったのだと思うと不思議なご縁を感じて、陽人は思い切って名乗ることにした。

「俺、牧瀬陽人まきせはるとって言います。この近くの『滝川木工店』と言うところに住んでいるんです」

「ああ、あそこ」

 女性も知っている場所のようだ。

「私は若松恵令奈わかまつえれなです。『滝川木工店』なら知っています。その角を曲がって五百メートルくらい歩いたところのアパートに住んでいるので」

「そうだったんですか! めちゃくちゃ近いじゃないですか」

 顔を見合わせて、思わずにっこりしあった。


 若松恵令奈わかまつえれなと名乗った女性は、中学の英語教師のご主人の仕事の関係で、この町に住み始めてまだ一年半とのこと。知らない町での子育てで、四苦八苦しているのだと笑いながら言った。


 ああ、だから色々気を使うことが多かったんだろうな。


 陽人はそう思うと、自分の事も話したくなった。


「俺はこの町に来たばかりで、まだ半年もたっていないんです」

「あら、じゃあ、私の方がこの町に関してはちょっとだけ先輩ですね」

 恵令奈は嬉しそうにそう言うと、

「この子は、若松怜音わかまつれおんです。四か月の男の子です」

 とベビーカーの赤ちゃんの手をにぎにぎしながら、代行自己紹介をした。

「お! じゃあ、怜音君と一緒だな」

 陽人も楽しそうにそう言うと、視線を合わせて挨拶する。

「怜音君、これからよろしくね」

 怜音も嬉しそうに、にぱぁと笑った。


 恵令奈はしみじみとした表情で、陽人に言う。

「牧瀬さん、本当に優しい方ですね。この町に来てから、まだお知り合いが少なくて、子育てしていると色々不安なことも多かったので、こんなふうにお話できてとても嬉しいです。でも牧瀬さん、まだお子さんいるわけでもないのにね。こんなに話しやすいなんて、なぜかしら?」

「いや、確かに結婚していませんけど。ついでに言うと求職中ですけど」

 陽人は笑いながら、

「でも、話しやすいと言っていただけで、光栄です。ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げた。


 そうこうしているうちに、『滝川木工店』へ到着。

 恵令奈親子は角を曲がって歩いて行った。


 その日の酢豚は、初めてにしては美味しくできたと思いながら食卓に並べると、滝川の箸の進み具合も快調だった。

「陽人、腕上げたな」

「へへへ。やればできるんですよ。俺だって」

「美味しかった。ごちそうさん」


 一緒に食器を洗いながら、恵令奈親子との出会いを話した。

「ふーん、この近くに住んでいる人だったんだ。世間は狭いな」

 滝川も感慨深げにそう言った。


 

 次の日の昼頃、陽人は一人考え込んでいた。滝川はいつも通り丘の家に行っている。


 将来の仕事……どうしよう……。

 いつまでも滝川さんに甘えているわけにもいかないしな。


 そこへ、思いもかけぬ来客があった。

 恵令奈親子だ。階段のある滝川木工店を考慮してか、今日は怜音を抱っこして訪れた。

 恵令奈は遠慮がちに、でも、思いつめたような顔で、陽人に願い出る。

「あの……こちら、木工店ですよね。木工品の修理もやっていますか?」

「ああ、滝川さんは大工さんだけど、凄く器用だから修理も上手ですよ。でも、修理できるかどうかは、見てみないとわからないと思うけど」


「これなんですけど……」

恵令奈が差し出した紙袋の中身は、細い木の棒がいくつも組み合わさった木工品。糸に繋がっていて、ぶら下げて使う物ではないかと予想できた。


「これは、フィンランドの伝統的なモビールで、『ヒンメリ』と呼ばれているんです。本来は麦藁で作られているんですけど、これは祖母が特別に作ってもらったもので、木でできているんです。私の宝物なんですけど、引っ越しの時に一本だけ割れてしまって」

「そうだったんですね。俺では直してあげられないけれど、これ、お預かりして滝川さんに見せてもいいですか?」

 恵令奈は嬉しそうに瞳を輝かせると、お願いしますと頭を下げた。


「あの……立ち入ったこと聞いてもいいですか?」

 陽人が遠慮がちに言うと、恵令奈はにこやかに「どうぞ」と促した。


「おばあさんがフィンランドの方と言うことは、恵令奈さんのご両親のどちらかが、フィンランドの方なんですね」

「はい。母がフィンランド人です」

「そうだったんですか。フィンランドって北欧ですよね。行ったことないけれど、自然がいっぱいで綺麗なところのイメージがありますね。いいなぁ」

「ええ、きれいな国ですよ。森と湖とオーロラと」

「オーロラ! 見たい。スッゴク見たい!」

「寒いですけどね。綺麗です」

 恵令奈はふふふっと笑うと、陽人の無邪気な様子に瞳をキラリとさせた。

「サンタさんもいますよ」

「え? サンタクロース?」

「はい」

「知らなかった!」

「ふふふ。牧瀬さん、本当に純粋ですね」

 陽人は慌てて顔を引き締めた。


「フィンランドは一年の大半が冬で、太陽の出ない日もあるんです。反対に、夏は太陽の沈まない日もある。でも、そんな自然を受け入れて、一緒に楽しみながら生きていく生き方は、上手だと思います」

 恵令奈は嬉しそうにフィンランドの魅力を語った。

「政府の支援が厚いから、子育てもしやすいんですよ」

「へえ。例えばどんな支援があるんですか?」

「フィンランド政府から、出産を控えたお母さんたちに、洋服とかおむつ、おもちゃ、マットレスなどを詰めた丈夫な段ボール箱が送られるんです。その箱は小さな赤ちゃんのベッドにもなるんですよ。それから、一年近くお給料に匹敵するような手当を受けながら家で子育てに専念できるし、父親の育休も給与保障されていますね。他にはベビーカーに子供を乗せている親は、公共の交通機関を無料で利用できることとか」

 陽人は驚きながら聞いていた。そんなに支援してもらえたら助かる人がいっぱいいるだろう。少子高齢化と言っている日本でも、参考になることばかりのように思われた。

「でも、税金は高いですけどね」

 恵令奈はそう言って片目をつぶって見せた。

「そっか。それだけの支援は税金で賄われているわけだから。全部が全部いい事ばかりじゃないのか」

「税金を払う人と支援を受ける人が同じなら、納得できると思いますけどね。子育てしない人もいますからね。どれがベストと言うことは無いかもしれませんけど」


 陽人は「なるほど」とつぶやくと考え始めた。

「凄く、勉強になりました。ありがとうございます。初めて知ることばかりで面白いです。フィンランドって素敵な国ですね。また色々教えてください」

 恵令奈はまたふふふっと笑った。

「牧瀬さんって、スポンジみたい」

「え? スポンジ?」

「ごめんなさい。変な事言ってしまって。でも、牧瀬さんって、なんでも吸収していく素直さと謙虚さを持っている方だなと思って」

 陽人がドギマギしていると、

「だから牧瀬さんは、偏見を持たずに私とも自然にお話してくださるんだなって思いました」

 恵令奈は真剣な顔になって続けた。

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