第52話 太陽へ感謝を捧げるヒンメリ
それから数日後、『ヒンメリ』について、滝川も一緒に
ヒンメリは多面体で作られる飾りである。恵令奈が持って来たヒンメリの棒がかなりの数あったので、組み替えることで好きな形に作り変えることもできた。
折角の機会なので、恵令奈にデザインを考えてもらって、滝川が一から組み立て直すことになったのだ。
前々から滝川は北欧の家具に興味があったようで、恵令奈にも色々尋ねていた。
日本と同じように、木を大切に生かしたモノづくりが息づいているので、触発されることが多いらしい。
何回か打ち合わせをするうちに、滝川もすっかり
若松幸次は穏やかな文学青年と言う雰囲気。
英文学好きが高じて英語の先生になったらしく、授業でも『ハリーポッター』や『シャーロックホームズ』シリーズの一文を用いて生徒に興味を持ってもらう工夫をしているとか。
のんびりとした雰囲気なので、きっと生徒たちも話かけやすいだろうなと想像できた。
滝川木工店の作業場は、いつの間にかおしゃべりの場となっていた。
そして、作業場から続く庭も……。
陽人がコツコツと暇に任せて手入れしている庭に、新しいベンチが加わったのも、ついこの間のことだ。
九月の初めに、ヒンメリは無事完成した。
ベーシックな八面体を用いた作りながら、飾りが幾重にも重なり合った美しいヒンメリは、
完成品を見た誰もが、思わずほぉーっとため息をついた。
「ヒンメリが回転するごとに幸せが降り注ぐんですよ」
恵令奈は感激を抑えきれない様子で二人に語り掛けた。
怜音に降り注ぐ『幸せの光』を想像して、その場にいる誰もが、温かな気持ちになった。
自分の道を探しながら、力強く生きていく怜音を、これからずっと見守ってくれるだろう。
「滝川さん、牧瀬さん、本当にありがとうございました」
恵令奈と幸次は深々と頭を下げた。そしてお代を渡そうとして滝川に断られる。
「直したところは細い棒一つだし、作るのが面白かったんで、お礼なんて受け取れません」
滝川は真剣な顔でそう言った。
「でも、それでは申し訳ないです」
若松夫婦が躊躇する中、陽人が助け船を出す。
「滝川さんは木を触っているのが生きがいみたいな人ですから、大丈夫ですよ。これからも生きがい提供してあげてください」
「陽人、お前俺を何だと思っているんだ!」
「天才大工! 木工オタク!」
「こいつ!」
滝川が陽人の首根っこを押さえて、頭ぐりぐりの刑に処している。
若松夫婦は思わず笑いだして、
「では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」
またまた深く頭を下げた。
横で怜音がキャッキャと笑っている。
大人が頭を下げ合っている様子が、シーソーの動きに似ていて面白いのかも知れない。
帰る間際に、恵令奈が思い出したように言った。
「お二人ともお気づきでしたか? ヒンメリは太陽への感謝の祈りを込めながら作る物って事」
滝川と陽人の目に光が増す。
「フィンランドは冬が長くて太陽の光が貴重なんです。長い冬を乗り越えなければならない人々が、太陽と豊穣のシンボルの麦藁で、太陽を思い、感謝の気持ちを捧げながら作ったのが『ヒンメリ』。希望の象徴でもあったんです。だから冬至にそれを飾って、「太陽が生まれる日」としてお祝いしたのが始まりなんですよ」
「太陽への感謝の祈りか……」
恵令奈家族が帰った後、感慨深そうに滝川が呟いた。
「俺もヒンメリ欲しくなっちゃいました。滝川さん、一緒に一つずつ作りませんか?」
陽人が無邪気にそう言うと、
「俺の場合は、ヒンメリ三ついるな」
「え? なんでですか? 三つなんて多すぎますよ。そんなに必要ないです」
「いや、あるんだなこれが」
滝川がドヤ顔で言う。
「まず自然の太陽だろう。陽だろう、陽人だろう。ほら、三つ」
「陽さんも俺も太陽じゃないし」
「陽の文字が入っているだろうが」
「ぷぷっ」
「なんだよ」
「いえ。ありがとうございます」
わざと言わされたことに滝川が気づく日は……おそらくやって来ないだろう。
明日はいよいよ引き渡しの日。
静かに完成した姿を見せたくて、滝川は陽人を誘った。
これが見納めだ。
夫婦二人の夢の家は、明日からは多くの人を楽しませる純和風喫茶店に生まれ変わるのだ。
家の前に車を停めて、降り立つ。
あの時のように、二人して家を見上げた。
交わされた会話が脳裏に蘇る。
『お前この家どう思う?』
『愛されていたんだなーって思いました。この家を建てた人も、この家に住んでいた人も、すごく大切にしていたんだろうなって』
「陽人。あの時のお前の言葉、凄く嬉しかったんだ」
滝川が言葉を紡ぐ。
「見ず知らずのお前が、この家は愛されていたと言ってくれた。お前の感性もすげえなと思ったし、じいさんが作ったこの家もすげえなと思った」
陽人は愛おしそうに家を見つめる滝川の横顔を見た。
「今度は、俺の手で、じいさんの家のような愛される家を建てたいと思う」
「俺も見たいです。楽しみです」
滝川はふっと陽人を振り返ると、眩しそうにした。
「頑張れじゃなくて、楽しみか……やっぱりお前は欲しい時に欲しい言葉をくれるよな。ありがとう」
一緒に夢を見てくれる奴がいる……こんなに嬉しいことは無いな。
滝川が嬉しそうに笑う。
「滝川さんだって、俺の背中をいつも支えてくれていますよ。滝川さんの手は、大きくて温かい。だから俺も前を向けました」
その言葉に、滝川がふっと顔を赤らめた。
「おお、そうか。なら良かった」
陽人がまた嬉しい言葉をくれたよ―——
滝川はポケットに右手を突っ込むと、しっかりと懐中時計を握りしめた。
じいちゃん! 俺はじいちゃんみたいにカッコよくなりたかったんだ。
少しは……じいちゃんに近づけたかな?
善三じいさんが、穏やかに笑ってくれたような気がする。
陽! 俺はもう大丈夫だから。
だからもう、心配するなよ!
陽がニッコリして滝川の手を握り返したぬくもりを感じた。
満足そうに笑う滝川を見て、陽人も嬉しくなった。
……のだが、ふと、滝川が右ポケットに手を突っ込んでいるのを見つけて、ちょっといたずらしたくなってしまった。
「滝川さん、写真いりますか?」
おもむろに陽人が言い出す。
「何の写真だ?」
「『クラヴィス・アイランド』の写真」
「別に、茜に焼き増しして貰ったぜ」
「いや、それとは違う写真です」
「?」
「滝川さんの笑顔の写真集!」
「陽人! お前……」
陽人が身を翻して家の中へ逃げ込もうとした時、滝川がぼそりと言った。
「それ、全部くれ」
そっぽを向きながら、でも一生懸命平静を装いながら。
陽人は嬉しそうに笑うと、
「はい。じゃあ、今送りますね」
早速スマホの操作を始めた。
「え! 今、ここで!」
流石に平静を保てなくなった滝川が、おろおろと慌てだしたが、滝川の左ポケットからピロンピロンとLineの着信音が響く。
「あ、ありがとな。後で見る」
そう言って、そそくさと家の中へ消えていってしまった。
全く陽人のヤツ。俺の写真より自分の写真を増やせよ。と言うか、男の写真撮っててどうするんだ! 彼女くらい作れよ!
心の中で悪態をつきながら、でも陽人の心遣いに感謝する。
現像して、こっそり陽のアルバムに貼ろう。
窓を開けると、涼しい海風が駆け抜けた。
ゆっくり息を吸いながら、眩しい海を見つめる。
追いついた陽人が黙って横に並んだ。
秋の空は抜けるように高く青く、太陽の光に照らされて輝く海と水平線で溶け合っている。
太陽と青空は今日も一緒だ。
(了)
【作者より】
長い物語にお付き合いいただきまして、ありがとうございました!
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