第45話 懐かしい場所

 次の日、三人がかりで持ってきた本棚は、なかなか立派な物だった。

 両親の了解はちゃんと取ってあるからと、悟が頭を下げる。

「お代はいらねえよ」

 滝川が当然とばかりに言った。

「茜には俺も世話になりっぱなしだからな。これくらいは当たり前だ」

「え、でも葵さん、夫婦椅子作ってくれているって良平兄さんが」

 樹が驚いて声をあげる。


「それは良平への礼。茜の分はこれにさせてもらう。ただ、代わりにお前ら労力を提供してくれないか」

「「え?」」

「一緒に作ろうぜ。その方が茜も喜ぶだろう」

「そうできたら嬉しいです。でも、俺たち足手まといになりませんか?」

 年上らしく悟が気遣いを見せる。

「んなわけあるか。大丈夫だよ。素人でもできるところだけ頼むから。肝心なところは俺がやる。作ったはいいけど、一日で壊れたら洒落にならないからな」

 口では容赦ない言葉を放ちつつも、滝川の顔が緩む。


「でも、一緒にやったら楽しいと思う」 

「「ありがとうございます! よろしくお願いします!」」

 弟二人がもう一度揃って頭を下げた。



 陽人はふと、両親の墓参りに行こうと思い立った。

 倒産から既に三ヶ月。目まぐるしく変わった環境の変化の中ですっかり忘れていたが、間もなく母親の命日だった。ちゃんとお参りして、色々報告したい。

「滝川さん、今日は両親のお墓参りに行ってきます。ちょっと時間がかかるから、帰りは夜遅くになっちゃうかもしれないんですけれど」

「おお、そうか。行ってくるといい。すまないな。今改築工事が佳境で、一緒に行ってやれなくて」

「え、一緒になんていいですよ」

「でも、ほら、報告とか色々」

 まるで保護者のような顔になっている滝川に、またもや感謝の念がこみ上げる。

「ありがとうございます。大丈夫ですよ。ちゃんと俺、滝川さんのことも報告してきますから。いい人ですって」

 照れくさそうに目を逸らした滝川、無言で右手をあげると軽トラに乗り込んだ。



 久しぶりに乗る電車。倒産して寮を追い出されて、行く当てもなく絶望しながら乗っていた、あの日以来。こんなに穏やかな気持ちで乗れる日が来るなんて、思ってもみなかったなと思う。

 流れる景色が夏の日差しの中でキラキラと輝いて見える。

 あの時は床しか見ていなかったなと思い出した。人は気分によって、見える物がこんなにも違ってくるんだな。


 両親のお骨は、永代供養付きの納骨堂に収められている。

 陽人が母親と死別するまで住んでいた、東京郊外の古いアパートから、徒歩で行かれるくらいの距離のお寺。小さい頃から、母と何回も訪れていた。

 母親が亡くなってからは一人でだったが。

 ロッカー形式の納骨堂。

 お花や線香は共同の参拝スペースがあるので、そこで済ませてきた。

 後は語りたいだけ骨壺と語り合うだけ。


 一年ぶりだなと手を合わす。この一年、色々あったけれど、こんなに落ち着いた気持ちで手を合わせたのは、初めてだなと思った。

 滝川のこと、新しく出会ったたくさんの人々のこと。

 語りたいことはたくさんあって、でもそのどれもが幸せな出来事ばかり。

 やっと、両親を安心させることができたなと思う。

 

 俺、今スッゴク幸せだよ―――

 


 夏の日差しは厳しかったが、なんとなく思いついて、母親と住んでいたアパートを覗いてから帰ろうと思い立った。駅とは違う方向へと足を向ける。


 懐かしい道ばかりだった。小、中、高と通った道。

 よく買い物に行ったお店。近くを小さな川が流れていて、鯉が泳いでいるのが見えていたっけ。

 感傷に浸りながら歩いていると、思い描いていた古いアパートは影も形も無かった。

 代わりに小洒落た新築のアパートに変っていた。


 もう無いんだな―――

 古い物が新しく変わっていくこと。分ってはいても、やはり寂しかった。

 母親と過ごしたあの部屋は、もうこの世のどこにも残っていないんだなと思うと、たまらない気持ちになる。狭くても、古くても、汚くても、陽人にとっては最高の場所だったのだ。


 滝川が残そうとしているのは、物体だけでは無いのだと。

 そこに宿った思いを残すことなのだと。陽人は今、初めて実感を伴ってわかった気がしていた。


「もしかして……牧瀬君?」

 

 その時、おずおずとした女性の声が背中から聞こえてきた。

 驚いて振り向くと、肩まで伸びた髪をサラリと揺らした女性が、眼鏡の奥からこちらを見つめていた。


「えっと……」

「ああ、人違いじゃなかった。良かった。高槻日菜子たかつきひなこです。小学校からずっと同じ学校だった」

「ああ」

 

 そこにいたのは、確かに高校まで一緒だった女の子だった。近所に住んでいたのは知っていたけれど、おとなしい子で、ほとんど喋った事がなかった。よく自分の事を覚えていてくれたなと驚いた。


「あの、元気ですか? その、卒業後、どこに行ったのかなって心配だったから」

「ありがとう。そんなふうに思ってくれてたなんて嬉しいよ。今ちょっと東京には居なくて」

「そうだったんだ。この間同窓会があって、でも牧瀬君の住所がわからないって聞いて」

「へえ、そんなのあったんだ」

「それで、あの······私、謝らないといけないと思って」


 え? 一体なんだろう?






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