第35話 うさぎの耳

 それからの日々は、いつも通りの平穏な日常……のはずが、二日後、またみちるが滝川木工店へやってきた。今日は一旦家に帰ってから来たようで、ちゃんと着替えて来ていた。

 先に帰って来ていた陽人が玄関を開けると、勢いよく飛び込んできたみちるは、

「陽人さん、お兄ちゃん帰るまで待っていていい?」

「大丈夫だよ」

 答えるより早く、台所の隣の和室へ行くと、窓際に座り込んで手の中の物を見つめ続けている。

 陽人からの連絡を受けて早めに切り上げて帰ってきた滝川は、暗くなってきた和室に、ポツンと座り込んでいるみちるを見て、陽人に先に夕飯をすませてくれるように頼んだ。


「どうした? みちる」

「お兄ちゃん!」

 涙目のみちるを見て、滝川は静かにみちるの横に腰を下ろす。

「これ直せる?」

 差し出したのはうさぎの形をした鉛筆立てと砕けた小さな木片たち。

 卵を半分にしたような丸っこい形の端に、うさぎの耳と目が取り付けてあり、背中の部分には鉛筆を立てて収納できるような穴が開いている。木製の手作り感あふれる物だった。だが、手の上のうさぎは片耳しかない。


「ここまで粉々だと直すのは難しいな。新しい耳を作るならできると思うけど」

「やっぱりそうだよね……」

「可愛い鉛筆立てだな。誰かからのプレゼントか?」

「うん、小学生の時の鈴音すずねちゃんからの誕生日プレゼント。鈴音ちゃんのお母さんがお揃いって言って買ってくれたんだよ」

「鈴音ちゃん?」

「四年生の途中で転校してきて、五年生も一緒のクラスだったんだけど、六年生でまた転校しちゃったの。鈴音ちゃんちは転勤が多かったから」

「そうだったんだ」


「お兄ちゃん、私ね、四年生の時、仲間はずれにされてたんだ……」

 うさぎの鉛筆立てを指で優しくなぞりながら、みちるがぽつりと言った。

「仲間外れ!」

 初めて聞く話に、滝川は驚いて声をあげた。

「そうなの。四年生で新しいクラスになって、最初の頃はお友達とそれなりに仲良くやれていたんだ。でもね、途中から無視されるようになったの」

「無視! それは酷いな」

「最初は私もよくわからなくて、なんか話しづらいなーとか、私が声かけたのに気づかなかったのかなって思っていたんだけど、だんだんわざとやっているんだなって思って」

「学校の先生には相談したのか?」

「まあね。でもね、すっごい小さな無視の仕方なの。先生なんか見ていても、気づかないようなやり方……例えば、私が話しかけても反応してくれないとか、もう一人の子とばかり話していて目を合わせてくれないとかね。私がもう一人の子と話そうとすると、わざと間に入ってきてその子と話し出すとか。周りから見たらさ、別に三人で普通にしゃべっているだけにしか見えないんだよ。だからみんな気づかないの。気づくのは、私だけ。辛いと思うのも私だけ。誰かに話しても自意識過剰って思われるだけ……」


「そんな無視の仕方があるのか!」

 ショックを受けた滝川は、みちるの頭を優しく撫でることしかできなかった。

「三人で一緒にいるのに、二人ばっかり話していて……私一人ぼっちだったんだ。三人でいてもすっごく寂しいの」

 当時の気持ちが蘇ってきて、みちるの目に涙が溢れた。

「そんなときにね、鈴音ちゃんが転校して来たんだ。嬉しかった……」

 みちるは涙をぬぐいながら続ける。

「鈴音ちゃんは転校生だけど、すぐ人気者になっちゃって、私また一人になっちゃうのかなって心配だったんだけど、いつも私のところに来てくれたんだ。自由にお弁当食べる日とか、グループ組む時とか……すごく、嬉しかった」

「そうか……良かったな」

 滝川はみちるの瞳を覗き込んで、優しく頷いた。

「だから、五年生の時は楽しかったよ。鈴音ちゃんのお母さんに、鈴音ちゃんと一緒にお買い物にも連れて行ってもらって、そこで、お揃いで買ってもらった鉛筆立てなの。でも、鈴音ちゃん転校しちゃったから、六年生はまた一人だったんだ。一度無視される経験したらさ、なんかトラウマみたいになっちゃって、うまく喋れなくなっちゃって」


「気づいてやれなくて……悪かったな」

 後悔の念に突き動かされて、滝川が謝る。


 俺は自分の悲しみにいっぱいいっぱいで、みちるのこと、ちゃんと見ていてあげられなかったな。ダメな兄だ。


「ううん、違うの。私が気づかれないようにしていたんだよ。なんかね、私は大丈夫って見せていたかったんだよね。大丈夫って思ってないと居られなかっただけかもしれないけど」

「お前が中学受験するって言ったのは、それが理由だったのか?」

「まあね、あのまま同じ仲間と中学に進みたいって気になれなかったんだ」

「父さんと母さんは勉強やる気になったって単純に喜んでいたけど、そんな理由があったんだな。みちる、よく頑張ったな」

「うん。でも、そのお陰で由奈ゆなちゃんと加恋かれんちゃんに出会えたから、結果オーライだけどね」

「そっか。でもそれは、みちるが頑張ったからだよ」

「うん。由奈ちゃんと加恋ちゃんはね、ちゃんと周りの人の事を考えられる人なんだよ。だから、私二人のこと尊敬しているんだ」

「そうか。良かったな」

 滝川はもう一度優しく頷いた。


「私ね、一つだけ決めていることがあるんだ。人と話すときは、必ず周りの人全員の目を順番に見て話すことにしているんだ。あなたをちゃんと忘れてないよって、合図だと思うから」

「みちる、お前偉いな」

「別に……自分がやられて嫌だったからね。せめて自分はやらないようにしようかなって」

「辛い思いをしたからこそ気づける優しさってものがあるよな」

「そうだよね」

「無駄なことは何もないんだよな」

「……でも、辛い思いなんてしない方がずっといいよ」

「そりゃ、本音はみんなそうだな」

 滝川が思わずクスリと笑った。つられてみちるもふふっと笑う。

 滝川はみちるの頭を、今度はガシガシと撫でた。

「お兄ちゃん、髪がくしゃくしゃになっちゃうよー」

 みちるは涙の残る目を三日月型に変えて笑いながら、滝川の手から逃れようと頭を左右に動かした。


 滝川はふと、みちるの手元のうさぎを指差して尋ねた。

「鈴音ちゃんだっけ? この鉛筆立ての子とは、その後どうしているんだ?」

「鈴音ちゃんとは中学に入ったくらいまでは、頻繁に手紙のやり取りしていたんだけど、だんだん忙しくなって、疎遠になっちゃって、今では年賀状のやり取りくらいになっちゃった。今年の年賀状は、鈴音ちゃんのおじいさんの喪中で、喪中はがきだったし……。どんなに仲良くしていても、距離が離れちゃうと心も離れていっちゃうのかな。繋がっていくのって、難しいね」

「みちるはどうしたいんだい?」

「うん?」

「鈴音ちゃんと、これからどうしたいと思っているんだ?」

「そうだね……もう一度話したいかな」

「そう思っているから、このうさぎの鉛筆立て、直して欲しいんだろう?」

「そうかもね。でも、今更お手紙書くのも勇気いるね」

「でも、やってみなきゃ始まらないよ」

「そうだよね。LineとかTwitterとかやってないかな? 検索したら出てくるかも」


「俺はそう言うの全然やってないからよくわからないけど……手紙を書いた方がいいと思うな。始めの一歩は、手間暇かけたほうがいい」

「え? なんで?」

「手間をかけると、本当の気持ちが出てくる。もし、みちるに本当に繋がりたい気持ちがあるなら、手間を惜しまずできるだろうし、気持ちが弱ければ途中で面倒くさくなってやめてしまうだろう。自分の気持ちを確かめることができるし、何より手書きの手紙は温かいから俺は好きだな」

 滝川は陽の手紙を想いながら言葉を紡ぐ。

「気持ちが弱くなくても、手間暇かけているうちに気持ちが萎えちゃうかもしれないよ。だって……手紙出しても返事こなかったら、余計へこんじゃうもん。怖いもん」

「出しても返事こなかったら、また来いよ。慰めてやる」

「お兄ちゃん……」

 またまた涙が膨れ上がってきた目で、滝川を見上げて頷いた。

「頑張ってみようかな」

「鉛筆立て、直しておくよ」

「うん。お兄ちゃん、お願い」

 

 みちるはうさぎの鉛筆立てと木片を滝川に預けると、少し気が晴れた様子で帰って行った。

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