第22話 滝川の過去 ― 太陽 ―
その日も、言いようのない暗闇に押し潰されそうになって、
あまりにも適当に歩き過ぎて気づいてさえいなかった。
「あれ? あおくん、こんなところでどうしたの?」
急に呼びかけられてびっくりして振り向くと、陽がニコニコと手を振っている。
「こんなところで何しているの?」
「別に……散歩だよ」
「へー、散歩していたんだ」
「そう言うお前は何しているんだよ」
「私、この近くに住んでるし、今はピアノの帰りだよ」
そう言って、習い事のバッグを上にあげた。
「ピアノ続けているんだ。偉いな」
思わず言ってしまって『しまった!』と思う。危うくこいつのペースに巻き込まれるところだったぜ! くるりと背を向けて走り去ろうとした。
ところがハシッとTシャツの裾を掴まれて身動きできなくなった。
「ちょっと、待ってよ!」
「なんだよ!」
「せっかく会えたんだし、おしゃべりしてこうよ」
「するかよ!」
「いいじゃん」
陽はそう言うと、母親へ遅くなる旨の電話を入れてしまった。
なに、勝手に決めてんだよ!
葵はポケットに手を突っ込んだまま、それでも一応逃げずに立っていた。
「お母さんに連絡したから、大丈夫だよ。少しおしゃべりしよう」
「お前、暗くなると危ないから早く帰れよ」
「あおくんが家まで送ってくれたら平気だよ。あおくん強いから安心」
「な、なんで俺がお前を送らなきゃいけねえんだよ。それに、俺は全然強くない!」
父親の事が頭を過ぎった。
俺は強くなんかない!
けれど、結局、
ブランコなんて、何年ぶりだろう。
大きくなった体を縮めて座る。座面はゆらゆら動くし、長くなった足が邪魔で腹が圧迫される。落ち着かなかった。
そんな葵の気持ちには頓着無く、頭上から降ってくる陽の明るい声。
「あおくん、私が聞いてあげるから、言ってみてよ。なんでそんな顔しているの?」
その言葉と同時に両の人差し指が伸びてきて、いきなり葵の額をすーっと撫でた。
思わずブランコから転げ落ちそうなほど驚いた葵だったが、必死の思いで踏みとどまる。
「いきなり何すんだよ! 触るなよ!」
「だって、眉間にすっごい皺よってて、伸ばしたくなったんだもん」
陽はケロリとした顔で続けた。
「あおくんの顔、すっごく悲しそうで、すっごく苦しそうだから、私が悩みを聞いてあげるって言ってるんだよ。三人寄れば文殊の知恵って言葉があるじゃん。一人より二人だよ。だから、言ってみて!」
真っすぐな瞳が葵の視線を捉えた。
お前に話して解決するようなことじゃねえよ!
そう思いながらも、見つめられて思わずドキドキしてしまう。
まあ、話してやってもいいか……という気分にさせるから、陽は不思議な奴だなと思った。
こいつ無防備にちょろちょろついてくるからな。俺は危ない人間だってことを今のうちに言って、追っ払っておいた方が安全だな。
葵はそう思い直して話すことにした。
「俺は短気で喧嘩っ早いからさ、きっといつか誰かをぶん殴って、大怪我させてしまうと思うんだ。そんな危ない人間だからお前もこれからは纏わりつくな」
「悩みって、それ?」
そんな単純な話じゃねえけどよ。
と思いながらも、めんどくさくなって、「ああ」と頷いた。
「他人に怪我させたくないんだったら、喧嘩しなきゃいいじゃん」
「だから、喧嘩しようと思ってなくても、思わず手が出ちゃうって話をしてんだよ。俺は臆病で弱い人間だからさ」
陽の目が急に尊敬のまなざしに変わったのを見て、葵はびっくりしてポカンと口を開けた。
「あおくんって、すっごい深いこと考えているんだねー」
「おい! 真面目に話しているんだぞ!」
「真面目だよ。大真面目に言ってるよ!」
陽の目は確かに真剣だった。
「でもね、私知ってるよ。あおくんが怒る時って、いつも陽のことを守るためだよね」
「はあ? そんなことあるか!」
「あるよ! 本当だよ! 私の筆箱取った子から取り返してくれたりさ」
うわ! お前それいつの事だよ!
しかも喧嘩の規模がめちゃくちゃ小さい。
あまりの恥ずかしさに、自分が赤面していると感じる葵。
「他にもあるよ。運動会で負けたのは私が転んだせいだってみんなに言われて泣いてたら、怒ってくれたしさ」
のほほんとした陽の言葉に、一気に肩の力が抜けた。
そうだった……俺はこいつの、このちょっとピンぼけな答えに弱いんだ。
襲ってきた脱力感に、微かな安堵が芽生えた。
「いや……そりゃ、たまたまそう言う時もあったかもだけど」
「何かを守るためだったら喧嘩してもいいんじやない?」
「それはそう思うけど、そんな時ばかりじゃなくて、どっちかって言うと、むしゃくしゃしてあたり散らす喧嘩の方が多いんだよ」
「ふーん、そうなんだ。でもさ、なんであおくんは、自分が人を傷つけるかもってそんなに心配しているの?」
「それは……」
今まで誰にも話したことは無かった。話してはいけないと思っていた。
それでも今―——吐き出したい気持ちが勝ってしまった。
葵は勇気を振り絞るようにして答える。
「俺の実の父親は母親に暴力振るっていたんだ。だから俺もその血を引いてるから、危ない人間なんだよ」
「えー! なんでそうなるの?」
「なんでって、俺はおやじとお袋のDNAを引き継いでいるから、暴力的な遺伝子も引き継いでいるって話だよ」
「DNAって、あのらせん状のぐるぐるだよね」
「お前なー」
相変わらずのほほんとしている陽のおかげで、罪悪感を持たずに済んだ。
陽は隣のブランコに腰を下ろすと、少し考えるように間を空けた。
だが、直ぐにいい事を思いついたようで「えへん!」とわざとらしい咳ばらいをした。葵に向き直ると嬉しそうな顔で考えを披露してくる。
「私はね、暴力の遺伝子なんて無いと思うの。でももしあるとしたら、それは人類全員が平等に持っていると思うんだ。だって、みんな自分を守りたいじゃん」
「自分を守るための暴力?」
「そう、それはね、自己防衛本能って奴よ!」
ドヤ顔で言われて、葵はそれ以上何も言えなくなった。
「それに、遺伝って隔世遺伝とかいろいろなパターンがあるから、そんな単純な引き継ぎの仕方してないと思うよ。あおくんが考えているみたいに単純だったら、人類アッと言う間に滅んでたと思うよ」
なんか急に進化論のような話にすり替わっているな……と思いつつも、葵はさっきまでのどうしようもない恐怖の気持ちが薄らいでいくのを感じていた。
「だから、あおくんの引き継いだ遺伝子パターンは、あおくんだけのスペシャルバージョンなの」
陽は葵の目を真っ直ぐに見つめると、念を押すように言う。
「だから、あおくんはあおくんだよ! お父さんとは違うんだよ! 忘れないでね!」
俺は俺……おやじのコピーでは無いんだ。
「だから、心配しないで大丈夫だよ!」
とびきり明るい太陽のような笑顔だった。
陽と話した後も、恐怖が消えたわけでは無い。
けれど、あの時飲み込まれそうになった、どうしようもない暗闇は薄まった。
自分の弱さをさらけ出してもなお、変わらず照らしてくれる太陽が、暗闇を追いやってくれたから。
あの時、陽は葵にとって特別な存在になった。
そして、いつも無意識に、あの太陽のような笑顔を探していた。
あの笑顔があれば、俺は大丈夫だ。
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