滝川木工店 〜想い出が生まれ変わる場所〜 改稿版
涼月
Episode 1 祖母が見たオルゴール
第1話 夜の片隅での出会い
寒い。でも、もう動けない。
飲み屋街の路地裏はゴミ袋が積み重なっていて、悪臭がそこはかとなく漂っていたが、その分人通りもほとんどないので、見つかる心配もないように思えた。猫のように身を潜める。
ここで寝ていても、誰の邪魔にもならないはず。
二日前に寮を追い出された。働いていたレストランが倒産して、寮も閉鎖されることになったからだ。全財産はこのバッグ一つに納まってしまうほど心もとない。
なぜ、こんなことになったのか。
ようやく仕事にも慣れて少し余裕がでてきたところだったのに。
両親は既に亡くなっていたので、天涯孤独の身の上。
高校を卒業した後、住み込みで働けるところを探してなんとか自活できていた。それなのに、こんなにあっけなく倒産してしまうなんて。生涯設計が台無しだ。
誰に、何に、この怒りをぶつければよいかもわからず、疲れ切った陽人はそのまま眠りに落ちてしまった。
「おい、お前! こんなところで寝ていたら風邪ひくぞ」
上から声が降ってきた。
あれ? 誰か何か言っている。
重たい瞼をこじ開けて、声の主を見上げた。
歳の頃は二十代後半くらいか。長身で細身だが、洋服下のシックスパックが想像できるくらい、鍛えられた体の持ち主のようだ。切れ長で鋭い眼光が陽人を真上から睨んでいた。
やばい! ヤクザか?
なけなしの全財産を抱え直そうと慌てて起き上がったが、手元は空を切った。
「俺のバッグ! お前が取ったのか!」
咄嗟のことに動転し、最後の勇気を振り絞ってそう叫ぶ。
「あん? 頭のところよく見ろ!」
男は低い声でそう言うと、陽人が寝転んでいた頭の辺りを指さした。
ああ、良かった。あった。
いつの間にか全財産を枕にして寝ていたようだ。ちょっとだけ余裕が出て、無意識の防衛行動としては上出来だと思った。
でも、見ず知らずの人をいきなり疑ってしまって悪かったなと思い至って、根がお人よしの陽人は急にしゅんとなった。
「あの、すみません……」
消え入りそうな声でそう言うと、バッグを抱えて子犬のようにちんまりと座り直す。
「お前、酔っ払っているのか? 自分の家分かるか? 一人で帰れるか?」
男の方は気にするふうでもなく、ぶっきらぼうな声で続けた。
「別に、酔ってなんかいません。ただ、帰るところが無いからここにいるんです」
半ばやけになってそう答えれば、呆れたような声で諭された。
「帰るところが無いって、家出でもしたのか? 学生のうちはやめとけやめとけ」
「違います! 俺はもう成人しているし、親ももう死んでいるから家出なんかしていません!」
「……それはすまなかったな」
強面の男は、案外素直に謝った。
「じゃあ、なんでこんなところに寝てたんだ?」
「それは……勤めていたところが倒産して、寮を追い出されたから、行くところが無くて」
「そうだったんだ……お前も色々大変だったんだな」
男はそう言うと、しばらく黙って陽人を見下ろしていたが、急に「くっそ!」と低い声をあげた。陽人はびっくりして飛び上がった。
「全く! 俺はどうしてお前に声かけちまったのかな。このままお前を放って置いて、野垂れ死にされたら夢見が悪いからな。一日だけだぞ。一日だけ俺んちで寝かせてやる」
陽人の首根っこを捕まえて立ち上がらせると、ついてくるように目で合図してきた。
こんな怖そうな人のところについて行ったら、実はヤクザの事務所とかヤバイところだったらどうしよう。
無下に断るのも不味いが、男との体格差を考えるとうまく逃げおおせる気もしない。しかたなくとぼとぼとついていった。
飲み屋街を抜けると、アーケードの閉まった商店街に出た。
人通りはまばらだけれど、明るいから大丈夫と、陽人は自分に言い聞かせながら歩いていく。
アーケード街を抜けて住宅街が始まったその一角に、男の家はあった。
一階はガレージのシャッターが閉まっていて、『滝川木工店』と書かれた古い看板が掛かっている。二階の住居には、横の鉄の階段から登って入るようになっていた。
「ここだ。入れよ」
男は鍵を開けると電気をつけて陽人を招き入れた。
ヤクザの事務所……な訳無いな。
陽人はほっとして、おずおずと中に入った。
年季の入った家だったが、良く手入れされた清潔な部屋だった。だが人の気配は無い。
「俺一人だから、遠慮することは無いぜ。こっちへ来いよ」
男は台所の隣の和室に陽人を通すと、押し入れから古い布団を取り出した。
「長く使って無いから綺麗かわかんねえけど、とりあえずこの布団使ってくれ。あ、トイレと洗面所は廊下の突き当りにあるから」
「あ、ありがとうございます!」
思わず泣きそうになって、慌てて瞬きをする。
寒空の下、野宿する覚悟でいたのに、こんな温かい布団で眠ることが出来るなんて。怖い人なんて思って、警戒して悪かったなあと素直に思った。
「おう。とりあえずもう寝ろよ」
男の言葉はたったそれだけ。さっさと出て行ってしまった。
緊張の糸がぷっつり切れる。陽人は布団にそのまま倒れ込むと、深い眠りに落ちていった。
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