第15話 運命の出会い

 城ケ崎海岸―——

 そこは古の大地がむき出しになった荒々しさと、海と空が映し出す鮮やかな色彩に溢れた場所だった。


 それほど長くはないが、抉られた入江の空を繋ぐように架けられた吊り橋を渡って岩場を進む。先は断崖絶壁。海の風が時折強く吹き付けてくるが、茜は気にする様子も無くどんどん進んで行く。滝川と良平は仕事の話などをしながらゆっくりと歩いていた。

 

 陽人は茜の事が気になって追いかけていった。

「茜さん、そんなに先端まで行って大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。落ちたりしないから」

 笑っている茜の場所へ、恐る恐る近づいていき、横に腰を下ろす。

 そして伝えたかった言葉を口にした。

「今日は誘ってくれて、ありがとうございました」

「どう? 楽しめているかな?」

「はい、凄く楽しいです。でもせっかくのデートなのに、お邪魔じゃなかったんですか?」

「ううん、むしろ逆よ。陽人君のお陰で助かったの」

「え?」


 不思議そうな陽人に茜が笑いながら答える。

「葵ってさ、本当にどこにも出かけないでしょ」


 確かに、と思った。少し前に野次馬根性で休日の滝川に密着しようと思ったら、老人ホームへ連れて行かれた。娯楽やデートを楽しんでいる様子は、これっぽっちも無い。

 滝川の性格を考えると……不思議では無いかもしれないが、それでもよくよく考えればおかしい。

「私たちともね、距離をとろうとするから。まあ、デートの邪魔しないようにとか、気を使っていることは分かっているんだけどね、引きすぎなんだよね。だから、陽人君のお陰で、ようやく引っ張りだせたって訳なの。感謝してるよ」


 茜がいかに滝川のことを気にかけているかが伝わってきて、陽人の心が温かくなる。

「もちろん、陽人君と、もっと仲良くなりたかったのも本当だよ。あの偏屈葵と一緒に住んでいたら疲れるでしょ。悩みがあったらいつでもこの茜お姉さんに相談してね」

「いえ、滝川さん、凄くいい人です。本当に出会えて良かったなって思っています」

 

 茜はまじまじと陽人を見つめて、一人納得したように呟いた。

「やっぱり、陽人君って、しびれを切らしたようちゃんが、葵のところに送り込んだ天使だね」

「え! 天使って? 拾ってもらったの俺の方なんですけど」

 慌てて否定する。

「あの夜、滝川さんと出会えなかったら、俺は今頃道端で死んでいたかもしれません。見ず知らずの奴を家に住まわせてくれる人なんていませんよ」

「でも、あいつが自分から一緒に住もうと言い出したんでしょ。やっぱり奇跡が起こったんだよ」

「滝川さん、怖そうに見えるけど、実はスッゴく優しい人だから、きっと俺のこと放って置けなくなったんだと思います」

 茜がまた嬉しそうに笑う。

「それだけじゃないと思うな。陽人君の持っているの力のお陰だよ」

 戸惑う陽人を見つめながら続けた。


「葵ってさ、リアルを生きてないの。もちろん、他人が困っていれば手を貸してくれるし、優しいんだけど、いっつも一歩引いて、ガラスの向こうから世の中見ているみたいな生き方しているんだよね。相手に踏み込む隙を与えないし、自分も踏み込まない。その上、楽しむのを止めちゃっているし」

 真剣な陽人の視線を受け止めてから断言した。

「まあ、理由は分っているんだけどね」


「あの、さっき言っていたようさんって方は誰ですか? もしかして、滝川さんの彼女ですか?」

「そうだね……陽ちゃんは葵の彼女だったんだ」

「彼女だった?」

「うん、もう陽ちゃんには、会えないんだ」

「……」

「陽ちゃんは、もうずっと前に死んじゃったの。だから、葵の時間はずっとそこから止まっているの。私は、陽ちゃんに頼まれたから……葵の事、頼むねって言われたから、ほっておけなくてね。だから、時々ちょっかい出しに行ってるのよ」


 それを聞いて納得した。茜が時々顔を出しては、わざと滝川に乱暴な口調であれこれ言うのは、このためだったのだと思った。

「陽人君、聞いてくれるかな」

 滝川と良平がまだ追いついてこないのを確認すると、茜は滝川とようの事を話し始めた。


「私たち三人が出会ったのは、小学校一年生の時なんだ。あいつは滝川葵たきがわあおいで、陽ちゃんは竹内陽たけうちようだから、出席番号が並んでいて、入学してすぐ前後して座っていたの。で、二人とも名前のことでよくからかわれていたんだよね。葵は女の子の名前みたいってからかわれていたし、陽ちゃんは廊下用とかトイレ用とかの、ようと一緒とか言われてね」

 普段の明るい茜とは別人のように、静かに語り続ける。


「でね、ある日、やっぱりうるさい男子が陽ちゃんのことからかっていて、陽ちゃん泣きそうな顔していたの。そうしたら葵がさ、『お前のようは、太陽のようだ! だから、太陽みたいに明るく笑っていりゃあいいんだよ』って。

 陽ちゃんそれを聞いて凄く嬉しそうな顔になってね。それで次に陽ちゃんが、『じゃあ、あおい君のあおいは、青いお空の事だね』って言って。

 そしたらあの意地っ張りの葵が、『そうだな』って素直に言ってさ。

 って、なんか運命みたいだよね。横で聞いていた私はしびれたよ。

 あの日から、陽ちゃんにとって葵は、『正義の味方』になって、葵にとって陽ちゃんは『癒し』になったんだと思う」

 茜はその時の事を思い出したように、胸にそっと手を当てた。


「二人はね、それから本当に仲良かったんだ。私は、そんな二人を見ているのが大好きで……」

 茜の瞳がふっと悲し気に変わる。

「葵の家庭は色々あったから、荒れた時期もあったんだけど、陽ちゃんはいつも味方で、葵も陽ちゃんのことだけは、何がなんでも守るって感じで……二人はずっと一緒にいるもんだと思ってた。でも、陽ちゃんは病気になって、あっと言う間に死んじゃった」


 『死』という言葉に、陽人は息を呑んだ。

 滝川が時々見せる寂し気な目……あれは陽さんを見つめていたんだ。


「葵が高校やめちゃったのって、多分陽ちゃんが死んだからだと思う。陽ちゃんがいない学校に行きたくなかったんだろうね」

 沈んでいる陽人に気づいて、茜は慌てて話を切り上げた。

「でもまあ、葵はおじいさんのお陰で、今は大工として頑張っているからね。でもさ、小学校一年生で、よくあいつ、ようは太陽の陽だなんて知っていたよね。やっぱ頭いいのかな? いや、きっと単なる語呂合わせだったに違いない」

 一人でぶつぶつと突っ込みを入れると、

「でもさ、本当はあいつの『葵』は、葵の花でしょ。『青い空』じゃないんだよね。陽ちゃんの方こそ語呂合わせで、後から笑っちゃったんだけどさ。でもね、葵の花は、『あうひ』が転じて付いた名前って説があるんだよね。太陽に向かって真っすぐに咲く花って意味なの。それを知った時は……鳥肌もんだったな。と、。ね、なんかロマンチックでしょ」

 陽人はおおーっという顔をして、茜の言葉に頷いた。


 本当だ! 茜さんの言うとおりだ。


「陽人君にも入ってるよね、ようの文字。きっと、陽人君と葵の出会いも、運命だったんだよ!」

 その言葉で初めて気づく。

 そっか……だったら、俺も滝川さんの役に立てたらいいな。

 ようやくここに居る意味を見つけ出せたと、少しほっとしたのだった。


「陽人君、世話の焼ける奴だけど、葵のことよろしくね」

 茜はそう言って立ち上がると、やっと追いついてきた滝川と良平に、早く早くと手招きした。

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