第3話 滝川の仕事

「お前まだやっていたのか!」

 驚きを込めた言葉を掛けられて振り向くと、すぐ後ろに滝川の姿があった。もう十二時半を過ぎていたらしい。


「ほうー」

 半分ほど綺麗になった庭を見て感嘆の声を漏らす。

「お前、真面目で丁寧だな」


 こいつの仕事ぶり、悪くないな。


 滝川はそう心の中でつぶやいた。陽人は一つ一つ丁寧に根っこまで引き抜いていたし、レンガなどの崩れたところは、耕して並べ直して、ちゃんと庭として作り上げてもいる。

「今日中には終わると思うから」

「もう今日はこれで終わりでいいから」

「でも……」

「また、明日やってくれ」

「明日?」

「いいだろう。別にお前暇なんだから」

「あ、はい」


 明日があるのか。まだ居てもいいって意味なのかな?


 陽人は立ち上がると土を払った。


「弁当を買ってきたから昼にするぞ」

「ありがとうございます」

 

 コンビニ弁当を豪快に掻きこみながら滝川がポツリと言う。

「陽人。お前、午後はちょっと付き合え」

「え? はい」

 今度は一体なんだろうと思いながらも、陽人は断るタイミングを失った。


 

 白い軽トラの助手席に乗り込めばそのまま小高い丘の上へと連れて行かれた。曲がりくねった道の先。住宅がだんだんまばらになってきた頂上に近い辺りに、一軒の純和風な民家が建っていた。

 改築中のような建物は、既にところどころ綺麗に修繕されていたが、家の周りは雑草が生い茂っている。駐車場スペースに車を停めて二人で降り立つなり、滝川が陽人に尋ねてきた。


「お前、この家どう思う?」

「えーっと」


 急にどうって言われてもわかんないよな。


 陽人はそう思いながらも、家とその周りの雰囲気をよく観察してみる。

 木と瓦を使った家で入り口が引き戸になっていて、いかにも和風な建物と言う造り。一階平屋建てで、それなりに広い家のようだ。今はぼうぼうに草が生えているが、多分人が住んでいた時は手入れされた庭だったに違いない。高台だから窓からの景色も良さそうだ。


「いいなーって思います」

 どういったらいいのか言葉が思いつかずに、陽人は感覚だけでそう答えていた。

 その言葉に、滝川は「そうか」とだけ言った。そしてそれ以上何も言わないので、二人でしばらく無言で建物を見上げている格好になった。


 何か理由も説明しないといけないのかな?

 これは、待っているんだろうな。

 えっと、俺はどうしていいって思ったんだろう?


 答えの続きを待っているのかと思って、陽人は慌てて考えを続けた。


 俺はじいちゃんばあちゃんがいなかったから田舎の家って無かったし、こんな雰囲気にきっと憧れているからだろうな。


 最初にそう思いついたが、何か違う気がする。結局まとまり切らないまま、今度も流れ出るままの言葉を口にした。

「愛されていたんだろうなって思いました。この家を建てた人も、この家に住んでいた人も、すごく大切にしていたんだろうなって」

「やっぱり分かるか!」

 わずかな変化ではあったが、滝川の声が喜びの色を帯びた様に感じられる。

 陽人はほっと胸を撫でおろした。


 家の鍵を開けると、陽人を中へと案内してくれた。

 部屋の中に太陽が満ちていて温かい。窓からは、キラキラと輝く海が良く見えた。


「眺めがいいですね!」

「この家は、俺のじいさんが親友夫婦のために作った家なんだ」

「え! そうだったんですか」


 ああ、だからさっき、滝川さんが嬉しそうだったんだ。


 陽人は改めて家の中を見回した。部屋にも木材がふんだんに使われていて、年月を経ることでしか出せない、深みのある色になっている。


「素材を一つ一つ選んで磨いて組み合わせて、親友夫婦の希望に添うように間取りをとって、丁寧に丁寧に作った家なんだ」

 そう言いながら、滝川は慈しむように古い柱を撫でた。


「親友夫婦もこの家をとても大切にしていて、のんびり海を見ながら暮らす二人の時間を楽しみにしていたらしい。でも、ご主人が定年直後に癌で亡くなってしまって。それでも奥さんが一人で頑張って守ってきたんだが、流石に高齢になってしまったからな」

「お子さんはいなかったんですか?」

「いなかったんだ」

「だからこの家を売りに出したんですね」

「まあな。でも取り壊すことだけは避けたいと言って、俺の知り合いの社長に泣きながら頼みにきたのさ」

「凄い。やっぱりこの家をすごく大切に思っていたんですね。きっと思い出もいっぱい詰まっているんだろうな」

 

 陽人の言葉に振り向いた滝川が、眩しそうに目を細めた。


「買い手がついたんですか?」

「ああ。古民家再生プロジェクトとしてホームページで宣伝したら、運がいいことに買い手がついたんだ。陽人、お前東京の『ブーランジェリー・ラピス』ってパン屋知ってるか?」

「名前くらいは」

「そこの社長が、ここを喫茶店にするって言って買い上げたのさ」

「良かったですね。でも、純日本風家屋と洋風なパンの組み合わせ?」

「そうさ、面白いだろう」

「なんか、あんまり想像がつかなくて……でも、確かラピスのパンで人気になったパンの中に、抹茶に合うパンってのがあったと思う」

「今度はみそ汁に合うパンを作るって息巻いてるぜ。兵藤のおっさんは、やっぱおもしれえな」


 兵藤さんと言うのはブーランジェリー・ラピスのオーナーの事なのだと思った。


「俺はな、古い物が好きなんだ。古い物を直して磨いて、そこに新しい命を吹き込んで、大切に使い続けていくこと。それってすげえカッコいいと思うんだ」

 滝川の視線が真正面から陽人を捉えた。陽人も黙って頷く。


「この柱のことなんて呼ぶか知ってるか?」

「?」

 徐に尋ねられて、慌てて柱に視線を移した。

 部屋の中央にあるむき出しの柱は、木目が鮮やかで存在感があった。何度も何度も触れられたように、艶やかな光を放っている。


「大黒柱って言うんだよ。家を建てる時、これだけは外せない重要な柱さ。この木がこの家を支えてバランスを保っているんだ」

「へえ。この木が無いと家が崩れちゃうかもしれないんですね。頑張っているんだ」

 陽人は労いの気持ちを込めて、思わず柱をすりすりと撫でた。滝川の口角がわずかに上がる。


「そうだな。この木はもう何十年も生き続けているんだぜ。樹木として生きていた時だけじゃ無くて、切られてこうして家の柱になってからも息をしてちゃんと生きているんだ。でもこの先のことは、俺たちの手にかかっているということさ。もういらないと壊してしまえば、ゴミになってしまうけれど、この家を喫茶店に作り変えれば、まだまだ現役でいられる。捨てずに生かすことを考えるのって、いいよな」


 思いがけず饒舌に語る滝川の口調は柔らかく穏やかで、愛おし気に柱を見上げる様は、まるで少年のようだなと陽人は思った。

 やっぱり、純粋でかっこいい人だ。

 そんな陽人の視線を感じて、急にバツが悪くなったように顔を背けた滝川。


「陽人、悪いな。俺はこれから仕事をする。お前はそこいらで適当に時間をつぶしていてくれ」 

 ここで時間つぶすって、何をすればいいんだろう? 

 呆然とした陽人を置いて、滝川は作業場スペースへ行くと、黙って木材を削り始めた。窓際にかなり広めのスペースが作られていて、そこにカンナやのこぎり、加工中の木材などが置かれている。

 

 木を削る音を聞いたのは初めてだった。

 思ったより繊細で、均一で滑らかな響き。

 しんとした空間に心地よくリズミカルに広がっていく。


 陽人は興味深そうに、滝川の傍へ行って眺め始めた。滝川の指先は意外と細いことに驚く。これだから繊細な作業に向いているのだろう。

「滝川さんは大工さんだったんですね」

「ああ」

「おじいさんから教えてもらったんですか?」

「まあな」

 滝川は、またぶっきらぼうな口調に戻っていたが、陽人はもう怖いとかとっつきにくいとか気にすることは無かった。


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