第8話 杉浦おばあさん

杉浦花江すぎうらはなえ

 名札を確認しつつ扉を引き開けると、銀髪の女性が振り向いてぱーっと顔を輝かせた。

「あら、あなた、おかえりなさい!」

 嬉しそうに滝川を招き入れる。

 

 小花模様の部屋着に飴色の眼鏡。上品さと可愛らしさを纏った女性が杉浦おばあさんだった。


「ただいま」

 滝川は当たり前のように、ごく自然にそう答えた。

 その演技力に陽人は舌を巻く。

 滝川さん、おじいさんになりきっていて凄いな。

 いくら合わせると言っても、なかなかこんな風にはいかない。うまく合わせられず、ギクシャクしてしまう人の方が多いはずだ。


 しかも、いつもは強面の滝川が目元に柔らかな光を湛えて声をかける様からは、滝川がこのおばあさんの事をどれだけ大切に思っているのかが推し量れた。


「あなた、家の改築の方はいかがですか? また、色々凝りまくっているのでしょう? あなたそういうの好きだから」

 杉浦おばあさんは、ふふふっと可愛らしく笑う。

「楽しみだけれど、待ちくたびれてしまいましたよ。早く見せてくださいな」

「まだもう少しかかるかな」

 滝川はそう言って陽人のためにパイプ椅子を広げると、自分もベッドの横の丸椅子に腰を下ろした。


「あら、そちらの方は?」

 杉浦おばあさんは今初めて気づいたかのように、陽人を指さして聞いてくる。

「ああ、こいつは俺の友達の……」

 そう言いかけたところで、嬉しそうな声をあげた。

「ああ、思い出しました。あなたがお家の工事をお願いしている、お友達の大工の……確か滝川善三たきがわぜんぞうさんね! この度はお世話になっています」


 陽人は、なぜか滝川の祖父の善三と間違われたらしい。

 杉浦おばあさんは、軽く手をつくようなしぐさをして、頭を下げて挨拶した。

 滝川が目で、合わせてやってくれ! という合図を送ってきているので、陽人は慌てて頭を下げる。

「い、いえ、こちらこそ」

「私は今こんなで、足が弱っているから、お茶を差し上げることができなくて、すみませんね」

 残念そうにそう言えば、滝川がすかさずフォローの言葉を入れた。

「大丈夫だよ。今そこで、二人でお茶飲んできたから」


 陽人への関心を自分へ向けるように、滝川が話を始めた。家の改築の様子やとりとめのない日常の話。幸せそうに聞いていた杉浦おばあさんも、待ちきれないように話し始める。

 いつの間にか、杉浦おばあさんばかりが話していて、滝川はうんうんと相槌を打つ担当に変っていた。それはまるで、夫婦の休息の一時を切り取ったよう。 

 気持ち良い陽だまりの中、仲良く縁側に座って話している姿。

 

 陽人は軽い衝撃を受けていた。

 なんで、滝川さんはこの人にできるんだろう。

 自分のおばあさんのように思っているからなのかな?


「こいつの腕は天才だから、安心していいよ」

 滝川に肩を叩かれて、ふっと現実に引き戻された。

「でも、本当に早く帰って見たいんです。ねえ、あなた、途中でもいいから見せてくださいな」

 杉浦おばあさんは、真剣な表情でそうお願いしてきた。

「うーん……」

「車いすでだったら行けるでしょう。ほんの少しでいいですから、ね!」

 滝川があれっという顔をする。今までこんな風にお願いすることなどなかったからだ。


「職員さんに外出許可がいつ出るか確認してみるか」

「ありがとう! やっぱりあなたはそう言ってくれると思っていたわ」

 杉浦おばあさんは、嬉しそうにそう言うと満足したのか横になり、ふーっと大きく息を吐いて目をつぶった。


「お家の改築が終わったら、またこの写真を飾りましょうね」

 そう呟いて、ベッドの横の写真立てに顔を向けた後、再び目を閉じるとそのまま寝入ったようだった。

 写真立てには、若き日の夫婦の記念写真が飾られていた。

 写真屋さんで撮影してもらったらしく、杉浦おばあさんは前の椅子に腰かけて、おじいさんが後ろで立っている構図。

 何の記念日の写真かはわからないが、少し緊張しながらも穏やかな表情をしている。


 杉浦おばあさんの穏やかな寝息を聞きながら、滝川と陽人は静かに部屋を後にした。

 おばあさんが言っていた外出について、事務所の職員に相談すると、来週の水曜日なら大丈夫かもしれないと言うことになったので、決まったら最終連絡をもらえるように頼んで車に戻った。


「陽人、ありがとな。話を合わせてくれて」

 滝川はそう言いながらエンジンキーを回す。

「いえ、一緒に行きたいって言ったの、俺ですから。お役に立てたなら良かったです」

「杉浦のばあさん、嬉しかったと思うぜ。じいさんのにも会えたんだからな」

 

 陽人は思わず不思議に思っていたことを口にした。

「杉浦おばあちゃん、家の改築をしているってことは覚えているんですね。でも、おじいさんが亡くなったことは覚えていないんだなと」

「覚えていないと言うよりは、認めたくないんだろうな。じいさんが死んじまったことを」

 遠くを見るような目になる。一瞬、その瞳に悲し気な色がさしたと、なぜか陽人はそう思った。


「認めたくないから、じいさんは生きているって思って生活していたんだろうな。だから今もその記憶だけは消えないんだよ。じいさんと過ごした日々と、じいさんの事だけはね」

 滝川はそのまま遠くを見続けていたが、思い出したように陽人を振り返る。

「それだけ仲のいい夫婦だったってことだろうな」

 そう言って、車を発進させた。

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