第6話 祖母の想い

 そこからの一週間ほど。陽人は滝川の言葉を実感することとなった。 

 法的な手続きは陽人に様々な可能性を広げてくれた。


 まずは賃貸契約書にサインをして、役所へ住民票を出しに行った。

 秋本社長のアドバイスで、ハローワークへ雇用保険の申請も済ませる。

 住民票を出すことで、就職活動も進めやすくなるし、雇用保険の申請をしておけば、仕事がすぐに決まらなくても給付金でしばらくは生活できる。

 社会制度を知ることは大切なんだと改めて思ったのだった。

 倒産して放り出されたとはいえ、雇用保険に加入させてくれたレストランに、少しだけ感謝の気持ちが沸いた。

 

 就職活動をしながら、時間のある時は滝川の仕事場の雑草抜きをする。そんな『滝川木工店』での生活に慣れ始めた頃、「遅くなってすまなかった」と言いながら、滝川が陽人のオルゴールを持って来た。

 滝川が夜の睡眠を削って、オルゴールの修理をしてくれていたのを知っていたので、陽人は感謝の気持ちでいっぱいになる。

「滝川さん、忙しいところありがとうございました」

 心を込めて礼を言うと、「まあ、見てくれ」と言って差し出された。


 生まれ変わったオルゴールを見て、陽人の心が震えた。


 そうか! ばあちゃんが見たオルゴールはこんな感じだったんだ。 

 まるでタイムスリップしたような不思議な錯覚を覚える。


 美しい彫刻は滑らかな曲線を描き、傷や欠けは跡形もなくなっている。

 磨き上げられた木肌には細かな木目が復活し、艶やかな光沢を放っていた。


「このオルゴール、こんなに綺麗な物だったんですね!」

 陽人が始めてオルゴールを見た時は、もうすでに煤けて汚くなっていた。だから母親の『家宝』と言う言葉に素直に頷くことはできなかった。こんな物のどこにそんな価値があるのか、全然わからない。ついこの間まではそう思っていた。


「中も見てくれ」

 促されて蓋を開けると、宝石入れの仕切りは美しいビロードの生地に張り替えられて高級感が増していた。いや、正確には、買った時の状態に戻ったと言う方が正しいのだろう。

 余分なことはせず、もともとこのオルゴールが持つ美しさを、忠実に再現する作業。滝川がどれだけ神経を集中させて一つ一つ磨き上げたのかを物語っていた。


『陽人のおばあちゃんね、初めてこのオルゴールを見た時すっごく綺麗だなって思って、どうしても欲しくなってしまったんだって』

 母親自身も、早くに母親を亡くしていた。このオルゴールを見つめる母の目は懐かしそうでもあり、寂しそうでもあり愛おし気でもあり。このオルゴールは母にとって祖母の代わりなんだなと、子ども心に感じ取ったのだった。


 ずっと空っぽのままの宝石箱。

 祖母はなけなしのお金をはたいて買ったけれど、結局中に入れる宝石を買う余裕は無かった。母さんも苦労ばかりで一つも持っていなかったな。


 けれど……こんなに美しいオルゴールだったら、確かにこれだけで家宝だ!


 流れ出た『星に願いを』のメロディー。相変わらずプツッと途切れる音がある。


「音の方は専門で無いから、まだ直せて無いんだ。今度誰か探してやるよ」

 滝川が申し訳なさそうに弁明する。

 そんな滝川に、陽人は満面の笑みで答えた。

「いえ、音はそのままでいいです。音まで新しくなっちゃったら、母さんたちの生きてきた年月が消えちゃう気がするし」


 オルゴールを優しく撫でながら続ける。

「これが、ばあちゃんが衝動買いしたオルゴールなんですね。絶対母さんも好きだったはず。こんなに美しかったなんて、今まで知りませんでした。滝川さん、ありがとうございます。でも、音は年月を感じさせる壊れかけた音。この組み合わせが最高だなって思うんです。時がたったから、この音がある。それでいいです」

「お前、凄い事思いつくな」

 滝川はちょっと意外そうな顔をして、それから嬉しそうにふわりと笑った。


 あれ、笑顔を初めて見た!


 それは包み込むような笑みだった。

 釣られたように、陽人も笑う。

 こちらは太陽のような明るい笑顔。

 


 古い物を慈しみ生かす心は、今と昔を繋いでくれる。

 

 時には古の人々の見た風景を感じつつ、時には作った人の思いを感じつつ、手の中の品を使う。

 本当の豊かさって、こういう事を言うのかも知れない。


 祖母と母の思いに気づかせてくれた滝川に感謝しつつ、陽人はもう一度オルゴールのねじを巻いた。

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