第4話 聖女メルテルの追放~婚約破棄され淫乱聖女のレッテルを貼られ辺境へ

◆◆◆


「聖女メルテル! この淫乱な女め! お前との婚約などこちらから願い下げだ!」


 大勢の前で男がそう宣言する。男の目線の先にはメルテルと呼ばれる聖女が立っていた。指を突き付けられた少女は、困惑の表情を浮かべていた。

 なぜなら、メルテルの目の前にいる男こそ、彼女に婚約を申し込んだ本人だったからだ。


 十二歳から聖女になるべく修行に励み、十五歳になってやっと、光の大聖女エレオノーラに師事したばかりであった。

 だから男からの婚約の申し込みを、メルテルは断っていたのだ。


 けれど伯爵家のメルテルと違い、彼は公爵家の人間。身分の低いメルテルから婚約の申し出を断ったと知れたら、相手の地位を傷つけることになる。だから内密に、敬意を払いつつも丁寧にお断りしたはずだった。


 それが、どういう訳かメルテルが婚約を申し込んだことになっている。


 彼の急な宣言に、何事かと周囲の人々がざわつく。


 ここは王都の、ある公爵の屋敷。今宵はここで、大きな晩餐会が開かれていて、メルテルも聖都から招かれて出席していたのだ。


 紳士淑女たちは思い思いに話に花を咲かせて盛り上がっていたのだが、彼の一言で場は静まり、多くの人々が彼と、そしてメルテルへと注目した。


「お前がこの私に婚約を申し込んだ際、私は危うくそれを受けようと考えた。聖女として生きる慎み深いお前ならば、よき伴侶になってくれるだろうと……。なのに!」


 人々に訴えかけるように男は苦しそうに顔をしかめた。


「なのに、お前は私の心を傷つけた……。悲しいよ」

「一体どうしたって言うのです? メルテル嬢は大聖女エレオノーラ様の下で立派に修行に励まれているはずですよ。それを淫乱だなんて……」


 戸惑いぎみに誰かがそう訊いた。


「私もそう思っていたよ。でもそうではなかった。聴いてくれ! この女はエレオノーラ様のそばに近づくために、多くの修道士や高貴な人々をたぶらかし、その身体を使って堕落させた淫乱聖女なのだ!!」


 男が高らかにそう言うと、人々が口々に驚きの声を上げ、その波が広がっていく。


「そんな……! 何かの間違いです。わたしは」


 思いもよらない男の言葉に、メルテルはそう訴えた。だが、すぐに男が言葉をかぶせて来る。


「黙れっ! 淫乱聖女メルテルよ! 大聖女様に取り入るため、いったい何人の男に股を開いたのだ! 言ってみろ!!」

「!!」


 あまりにも悪辣な言葉だった。メルテルが周りを見渡すと、人々はひそひそと話をしながら、眉をひそめて彼女を見ていた。


「私は危うく騙されるところだった。けれど、それを知らせてくれた女性ヒトがいるのだ」


 彼はそう言うと、人々の後ろに大きく手を振った。


「私を窮地から救ってくれた麗しき女性。フルースタ家の伯爵令嬢バルバリタ、その人だ!」


 ババン!!


 両開きの扉が勢いよく開かれる。


 そこには、純白の美しいドレスに身を包んだ女性が立っていた。左右に立派な騎士を従えて、うやうやしく一礼すると、柔らかな笑みを湛えてゆっくりと歩いてくる。


 自然と人々が道を開けた。


 男が女性の手を取る。彼女はドレスの裾を広げて挨拶をした。


「バルバリタ……。どうして貴方が?」


 青ざめた顔でメルテルはそう言った。


 バルバリタ・フルースタ。ステラベル家と同じ伯爵家の令嬢で、メルテルとは幼き頃より仲の良かった友である。


 バルバリタは、男に手を取られたままに悲しげな瞳をメルテルに向けた。


「メルテル……。本当はわたくしも、こんなことをしたくはなかったのです。けれど、光輪の大聖女様は、国王と並ぶこの国の支柱です。多くの国民が光の三神を信仰し【聖術】はこの世界の祝福そのもの。エレオノーラ様はその頂点にいるお方。そのお方の名声が、貴方によって汚されることを黙って見過ごすことはできませんでした」

「待って、バルバリタ。誤解です。わたしは」

「わたしくも苦しかった……! 許してください、メルテル!」


 言葉をかぶせ、涙目でバルバリタは訴える。


「待ってください、これは……」


 尻すぼみなメルテルの声は人々にかき消される。


「なんと慎み深い!」

「許しなど乞う必要はありませんよ、バルバリタ様!」

「悪いのはその女だ! このアバズレめ、もう大聖女様に近づくな!」

「けれど、本当に良かったわ。バルバリタ様がいなければ、大聖女様だけでなく、この国の評判も傷つけられるところよ」


 人々が口々にそう言った。今や観衆となった人々の異様な熱が三人を包み込む。


「そして、彼もまた王を支える公爵家の一人……」


 バルバリタは潤んだ瞳で男を見つめ、その手で彼の頬に触れた。


「まさか公爵家にまでその触手を伸ばし、麗しき君をたぶらかそうとしたなんて」

「バルバリタよ、すまない。一時はこんな女に心を動かされた私を許してくれるのかい?」

「もちろんですわ。お慕い申し上げます」


 男がバルバリタの前に跪き、その手にうやうやしくキスをした。観衆がそれを見て、甘い溜息を漏らす。


 バルバリタは、悲しげな眼を再びメルテルに向けた。


「メルテル、貴方はどうしてそうなってしまったのですか? もうわたくしの知る友ではないのですか? わたくしは悲しい……」

「ち、違う……。違う……」


 そう訴える声は震え、口元から零れ落ちるだけだった。怯えたような顔で観衆を見渡し、メルテルは涙を流しはじめた。


「涙を装っても無駄だ! お前は国を乱そうとした淫乱聖女だ! この悪女め! 証拠も揃っているのだからな!!」


 男が言い放った。


「私は、今日ここで、公爵家に取り入ろうとした淫乱聖女の婚約申し込みを破棄し、バルバリタ・フルースタと婚約することを宣言する!!」


 それはまるで、宮廷文学でよく見る一場面だった。悪役の令嬢や姫が、最後の最後にすべての悪行を白日の下にさらされて破滅するクライマックスそのままである。


 身を縮こまらせていたメルテルが、その場から逃げ出す。


「追え! 逃がすな!」


 男が叫ぶ。晩餐会の会場の外で、少女はすぐに屋敷の騎士たちに捕らえられた。


「乱暴をしてはなりませんよ」


 組み伏せられたままメルテルが見上げると、バルバリタがゆっくりと歩いてきていた。先ほどとは違って、勝ち誇ったような笑みを湛えている。


「バルバリタ……」


 怯えた目でバルバリタを見上げる。


 騎士たちがメルテルから手を放す。しんと静まり返った中庭の回廊。バルバリタは騎士を控えさせると、メルテルの耳元に口を寄せた。


「早くお逃げなさい。遠くへ。辺境の地へ」

「えっ?」

「刺客でも向けられたら大変よ。王都にも聖都にも、もう戻ったらダメ」

「なにを、言っているの?」


 バルバリタはメルテルの顔を見て、冷たく笑っていた。それを目にし、メルテルも表情を凍りつかせる。


「探りを入れようとしたり変な動きをしてもダメ、全部見てるからね? そんなことしたら、アンタのお優しいお兄様やかわいい妹たちが、ある日のティータイムに、紅茶やクッキーを食べた後、そのまま永遠の眠りに落ちるかもしれなくてよ?」

「……!」

「ホラ! 早く逃げて、ホラ! 豚みたいに転げまわって、どこまでも逃げるのよ!」


 こうしてメルテルは、王都を逃れ、聖都にも戻れずに、命からがら辺境の地まで逃げ延びたのだった。


◆◆◆


「なんと浅ましいことか」


 話を聞き、はらわたが煮えくり返る。そこまで壮絶な身の上だったとは想像もしていなかった。


「よいのです。兄や妹たちが無事ならばそれで」


 メルテル殿が笑ってこちらを見る。無理をして笑っているように見えてつらい。


「何度か危ない目にも遭いましたが、今日もこうしてクロード様に助けていただいて……、どうにか無事に着くことができそうです」

「都に残す兄妹きょうだいや父上母上のことが心配であろう……」

「ええ。シエンナに着いたら、手紙を送って安否を確かめたいです」

「何もないとよいな」

「はい」


 メルテル殿が立ち止まる。前方を指さした。


「あ、門が見えてきましたよ。もうすぐです」


 そう言って前を歩きだす。


「行きましょう、クロード様」


 俺は少し早足になったメルテル殿のあとを追った。

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