第12話 【光の中の聖女】メルテル、姫神ティアへの想い

 離れの建物には客人用の部屋がいくつかあり、今日はその一室を使わせてもらえる。中は窓が一つだけの小さな部屋だった。ベッドが壁の隅に置かれ、あとは丸い机と椅子があるだけだ。


 だが、う~ん……。


 部屋の前で躊躇していると、それに気づいたメルテル殿が訊いてくる。


「どうされました?」

「いや……。ここでも草履は脱げんとね?」

「はい」

「訊きたいのだが、家の中で草履を脱ぐことは、こっちではしないとね?」

「靴を脱ぐ習慣は、わたしの知る限りでは、こちらの世界ではないと思いますよ」

「はぁ……、そうか」


 思わず嘆息する。寝食をする場所も草履なのは、いささか不快だが、慣れるしかあるまい。


「クロード様、こちらを」


 そう言って渡されたのは衣服だった。どうやら寝間着らしい。


「先ほどお借りしました。夜はそれを着てください。今着ている服では寝苦しいでしょうから」

「かたじけない」


 俺は黙って彼女の横顔を見つめた。メルテル殿は、先ほどからこちらを見ようとしない。


「夕食もじきに持って来てくださるようです」

「分かった」

「では、わたしはこれで……」

「うむ」


 目を伏せたまま、メルテル殿は部屋を出て行こうとする。俺は呼び止めた。


「メルテル殿」

「なんでしょう?」

「すまなかった。姫神ティアのこと、もっと早く伝えていればよかったが……」

「いえ」

「メルテル殿……」


 もう一度呼びかけると、メルテル殿はすっと顔を上げてこちらを見た。俺は訊いた。


「そなたも、俺が憎いか?」

「……はい」


 少しの間があって、メルテル殿は明瞭に答えた。俺は笑って頷いた。


「正直だな」

「姫神ティア様は、春の陽ざし。大地に宿る光の精霊たちの姉のような存在でした。わたしも、心より信仰していましたから。そして、いつかティア様の声を聞けるようになりたいと……」

「そうか」

「クロード様」

「ん?」

「今日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました。それでは……」


 そう言い残し、部屋から出て行った。


 嫌われても仕方ないか……。だが、彼女のためにも隠し通すよりはよかったであろう。


 修道院では皆が家族のように暮らしているそうだ。メルテル殿もここでしばらく生活できるようになった。ローザ殿も修道女たちも、みんな歓迎していた。取りあえず、身を落ち着けることができるだろう。


「今日一日、縁あって共にいたが、メルテル殿とはここで別れだろうな」


◇◇◇


 鳥の声で目が覚める。袴に着替え、ベッドに腰を下ろしていた。


 肌の感覚からすると、今の季節は春のようだ。


 声がしたような気がして我に返る。扉を開けてメルテル殿が覗いていた。戸惑った様子でこっちを見ている。


「すみません。何度かノックしたのですが、お返事がなくて……。入ってもよろしいですか?」

「いや、こちらこそすまない。気が付かなかった」

「よく眠れましたか?」

「うむ、昨日は色々なことがあったから疲れていたらしい。そなたは?」

「ええ、わたしも久しぶりにお布団で寝ることができました」

「そうか」


 メルテル殿が少し背伸びをして窓の木戸を開ける。朝の陽が差し込むと、急に部屋が明るくなった。

 彼女の黄色い服を光が照らす。それは昨日までの旅の衣装とも、全身を覆っていたマントとも別のものだった。


「その服は修道女たちのものと同じだな」

「はい。昨日、マザー・ローザより頂いたものです」

「よかったな。ここなら身も休まろう」

「はい」

「そなたには色々と世話になった。都にいる父上母上、兄妹たちが無事なことを祈っている」


 そう言うと、メルテル殿は小さく口を開き、戸惑ったように声を漏らした。


「ありがとう。達者で」

「あの、待ってください!」


 急にそう言うと、メルテル殿は胸に手を置いた。


「昨日のこと、わたし、あまりにショックだったので……」

「うむ、いいんだ」

「ですが、クロード様の転生は、ほかならぬ姫神ティア様がこの世界のために決断なされたことです。ならば、わたしたちはそれを受け入れるだけです。

 それに、憎悪の感情など光の聖女にはあってはならぬもの。それをクロード様にぶつけてしまうなんて……」


 メルテル殿がまっすぐにこちらを見る。


 春の光を浴びて、メルテル殿の髪は美しい金色に輝き、紫色の瞳はどこまでも澄んでいた。


 その神々しい姿に、思わず息が止まる。


「この気持ちを手放すまで時間はかかりますが、クロード様が気になさることではありません。わたしの心の問題ですから」


 メルテル殿は光の中で俺を見て笑った。


「やはり、似ているな……」


 メルテルの顔を見つめながら、自然と言葉が零れる。


「誰に、ですか?」

「あぁ、いや……。ティアに」


 そう言うとメルテル殿は、急に目を丸くし頬を染めた。普段のしとやかで可憐な少女の姿に戻る。


「からかわないでくださいよ」

「からかってはいない」

「ですが、姿は見ていないと言われたではないですか」

「うむ。姿を見なかったからこそ、そう思うのかもしれん。声の柔らかさやぬくみが似ていると感じたのだ」


 部屋を出る前に、メルテル殿は言った。


「今日は領主様のお館へまいられるのですよね?」

「そのつもりだ。昨日の用紙を持って行かねばならぬらしい」

「では食事の後、共にまいりましょう。わたしも領主さまにご挨拶したいので」

「そうか」


 彼女とのえにしはもう少し続くらしい。そう知って、俺はどこか心がくすぐったかった。


◇◇◇


 ギルドへ寄り、アルマーから転生者登録用紙を受け取ると、メルテル殿と二人で領主の館へと向かう。町の南側には山が横たわり、館はその斜面に立っていた。三角屋根がいくつもある古いが立派な建物だ。


「…………」


 館の門の前で、俺は背後を見やった。


 昨日と同じ気配。途中からつけていたな……。


「クロード様、どうしました?」

「いや」


 建物の中に入ると、メイドなる女人に案内された。メイドとは、おそらく女中であろうか?

 暗い廊下を進むと、だんだん空気が冷えてくる。


「リベルト様、お客様をお連れしました」


 突き当りの大きな扉を叩いて、メイドがそう言った。


「リベルト様?」


 扉を開ける。メイドと一緒になって俺たちも中を覗いた。


「あ~寒っ、全然暖まらないねぇ……」


 しゃがみ込んで、男が火に薪をくべていた。修道院にもあった暖炉と言うものだ。男は寒そうに手をこすりながら、何やらぶつぶつ言っていた。


「にしても先人たちは、なんでまた北側に執務室作っちゃったかね……、太陽の光も差し込まないってのに。……しかし、もう春だってのに、今年はなんでこうも寒いかねぇ」

「リベルト様!」


 メイドの声に、男が驚いたようにこちらを向いた。


「あの、御客人ですが」

「ああ、こりゃ失礼!」


 そう言って立ち上がるとこちらへ歩んでくる。


「ええっと、ご用件は?」


 そう問われたので、俺とメルテル殿は思わず互いの顔を見合った。


「あ、ええっと。拙者、昨日こちらへ来た槍賀蔵人と申す。転生者の登録をしたくてまいった」

「ごきげんよう、リベルト伯。わたしはステラベル家次女、メルテル・ステラベルと申します。同じく昨日この町へまいりましたのでご挨拶を」

「あ~、ちょっとゴメンね!」


 リベルトと言う男が話を遮った。


「別の部屋で話そうよ、ここ寒いからさ。後は私がやるから、君はもう仕事に戻っていいよ」


 メイドにそう言うと、寒そうに腕を抱きながら小走りに俺たちの間をすり抜けていった。


「どうしたの? 早く行こう。ここに長くいたら凍えちゃうよ?」

「は、はい」

「うむ」


 領主とは藩主みたいなものだろうが、このリベルトと言う領主、アルマー殿の言ったとおり気さくな男のようだ。


 戸惑いつつも、俺たちは領主リベルトについて行った。

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