第53話 【メルテル視点】好き、です

「ルージュさんとリリィさんにも、お伝え願えますか? これ以上のお力添えは不要だと……」

「急にどうしたのだ」

「バルバリタの狙いはわたしです。あまり深くわたしに関わると、クロード様たちにも危険が及びます」


 そう言うと、壁の向こうからわずかに笑い声が聞こえた。


「弱気になっておるのか? 飯でも食え。元気が出るぞ」

「そうではありません。わたしが罪人となれば、次はクロード様たちが狙われかねません。国家反逆の罪さえ着せられるかもしれないのです。わたしを助けようとした人たちにも被害が及び、下手をしたら死罪になるでしょう。そんなことは望みません」


 クロード様は、黙して何も言わなかった。


「……それに、クロード様はこの世界にとって大切な方です。ティア様が命を懸けて転生させた。そのお役目を一番に考えてください」

「確かにな。だが、それは今は二の次だ。この前も言っただろう? 今はメルテル殿を守ることだけ考える。決して、そなたを殺させないと」

「分かってくださいよ」


 少し棘のある言い方になってしまった。


「お願いです。誰も巻き込みたくないんです」

「巻き込まれたなどとは、拙者たちは誰も思っていない」

「ですから……!」

「メルテル殿……?」

「……死なせたくないんです。これまで何度も命を救ってくれたあなたを」


 心から慕っているあなたには、大切なあなたには、生きていてほしいから……。


「これからも、生きてくださいね。元気でいてくださいね」

「…………」

「外は冷えるでしょう? わたしは大丈夫ですから、もう帰ってください。バルバリタの手の者に見つかったら、またよからぬことに利用されかねません」

「……そうだな」


 布の擦れ合う音が聞こえてきた。あの袴と呼ばれる独特の服の音だ。クロード様が歩く時、いつも聞こえる耳慣れた音なんだ。


 行って、しまわれた。けど、これでよかったんだ……。


 …………。


 シュルル……ッ。


 カチャ、カチャ……。


「!」


 壁の向こうで、また音がした。紐が解かれるような音と、小さな金属の音。


 すぐに、わたしにはある光景が浮かんだ。


 腰から刀を引き抜いて、鞘に結ばれた長い紐を丁寧に巻き付けるクロード様の様子が……。流れるような、美しい所作なんだ。


 ド……ッ!


 壁に鈍い音が伝わる。どうやら、壁に背をもたれて腰を降ろしたようだった。


 まだ、クロード様がいる。


 ……嬉しい。


 たった今まで、断ち切ろうとしていたのに。いてくれて、嬉しいと思ってしまった。


「メルテル殿、拙者は長いこと、死人として生きてきた。ここへ来る前から……」

「死人……?」

「人は誰しも、生きる方に理由をつけたがる。生きる方が好きだからな。だから死を前にして迷い、怖気づき二の足を踏む。だがそれでは、戦場いくさばにおいても平時においても、時を逃し事を仕損じることがある。何より、侍が遅れを取るわけにはいかない。だからこそ、毎日……死んでおくのだ。今日で自分は死ぬのだとな」


 クロード様は、一瞬黙って続けた。


「朝に死に夕に死ぬ。侍として『今日がその日だ』と心身を仕込んでおけば、世の中のほとんどのことは取るに足らぬことよ」

「ずっと、そうやって生きてこられたのですか……?」

「うむ」


 そう言うと、なぜかクロード様は笑った。


「そうして実際に、馬にぶつかって死んだ。なんともあっけなく、間の抜けた死に方でここへ来たわけだ。本当に死人となったわけだな」


 クロード様の話を聞いて、わたしは思い出していた。


 古代龍を前にしたクロード様のあの笑顔を。そして、あの日の朝の、どこか遠く深い場所を見つめる眼差しや彼の纏っているオーラを。


 あの時、クロード様が見つめていた、普段は人が見ようとはしない深淵の底にあったのは……死。


 身震いするような彼の表情、その瞳の奥でクロード様が一体何を見つめていたのか、一体何と向き合っていたのかを、わたしは初めて知った。


「クロード様」

「ん?」

「この世界では長く生きてくださいね? わたしはあなたに……」


 わたしは、自分のある想いに気がついた。


 いつからか、気づいてはいたけれど……。


 わたしにはこの人に言いたいことが、伝えたい想いがある。……けれど、それはきっと口にしないほうが良いことなんだ。だって、わたしは死ぬかもしれないから。この想いを伝えてしまったら、クロード様の重荷になるだろう。


 でも、伝えたい……。


「クロード様……」

「うむ?」

「わたしは……その」

「どうした?」

「…………」

「メルテル殿?」


 やっぱりだめ。この方は、これから先、まだまだ生きるんだ。こっちの世界で。生きて欲しい。その中で……きっと愛する人とも巡り逢うかもしれない。


 だったら、わたしは何も言わずに死んだ方が、いいんだ……。


「メルテル殿……」

「はい……」

「何を躊躇ためろうておるのかは知らぬが、死人に気を遣う必要などない。言いたいことがあるなら、言ってくれて構わないよ」

「……!!」


 そう言われて、身体が勝手に動いていた。


 何かを考えてのことではなかった。立ち上がって、壁に駆け寄る。


 ジャララ……!!


 ガシャン──!!


「あ」


 伸び切った鎖が、わたしの足を引っ張る。彼へと伸ばした手の指先が壁にかすかに触れた。


「メルテル殿!?」


 わたしは大きな音を立てて床に倒れ込んだ。クロード様の戸惑う声が聞こえる。


「……好き、です」


 うつ伏せのまま、息を吐くようにわたしは言った。恐らく聞こえないと知りながら。


「あなたが好き……!」


 言葉にしたと同時に、涙が止まらなくなった。


「……何があった? メルテル殿、大丈夫か?」

「平気、です」


 答えはなくていいんだ。ただこの想いを伝えたかった。


「クロード様……。わたしはクロード様のように強くはなれないです。やっぱり死ぬのは怖いです」

「……それが自然だろう。こんな生き方は、メルテル殿には似合わんよ」

「クロード様。もう一度……あなたのそばに行きたいです。もう一度、あなたの顔が見たいです。また一緒に薬草を摘んだり、おしゃべりしたり、笑い合いたいです……。もっと一緒にいたい……! この壁の向こうに行きたい……!」

「行けるさ」


 はっきりとクロード様はそう言った。


「これは負け戦ではない。死花を咲かせようなどと、少なくとも俺たちの誰も思ってはいないから」


 トン……!


 壁の向こうから力強い音がする。クロード様が手を置かれたように思われた。這いつくばったまま、わたしも腕を伸ばして指の先を壁に付ける。


 感じるはずはないけれど、でも、彼の温もりが感じられた気がした。


「メルテル殿。じきにデルツィオが温かい食べ物を持って来てくれるはずだ。しっかりと飯を食い、ちゃんと眠って備えよ」

「はい」

「すべてが終わったら、光の下でまた一緒に笑おう。さっきそなたが言ったことは全部叶うぞ」

「ありがとう。クロード様」


 絶対にここから出よう。そして、もう一度、クロード様の前に立とう。その時には、横に並んで歩くんだ。一緒に、手を繋いで……。

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