第52話 【メルテル視点】星月夜に祈る

 修道院からマザー・ローザとお姉様が到着し、バルバリタの治療がおこなわれた。お二人の解毒の術によって、バルバリタは一命を取り留めた。


 わたしはバルバリタを毒殺しようとした罪で、地下牢へと一時幽閉されることになった。そこで、裁判の日まで待つことになる。


 リベルト様と館の騎士に案内されて、地下牢へと向かう。リベルト様は押し黙り、終始無言だ。監視のためか、背後からダンテカルロも同行していた。


 階段を降りると湿った石造りの通路が闇の中に伸びていた。左側に鉄格子の部屋がいくつもある。


 騎士が牢の鍵を開けた。


「頭を打たないように気を付けてください」

「はい」


 牢の扉の前に立つ。思いのほか、心臓がバクバクしている。覚悟はしていたけれど、扉をくぐるのに勇気がいった。


 ゆっくりと牢の中に入る。


「メルテル様、本当に申し訳ない」


 牢の柵の向こうから、リベルト様は泣きそうな顔をこちらに向けた。


「そんな顔、なされないでください。あの場面で拒否しては、リベルト様のお立場も危うくなります。そんなことは望みません」

「気を遣わせてしまいましたね」

「いえ。それに、ケントさんの言うことも最もですから」

「貴方という人は……」

「おい!」


 リベルト様の肩を引っ張り、ダンテカルロが口を挟んだ。


「なぜ枷をせんのだ?」

「枷だと!?」


 リベルト様が語気を荒げる。


「囚人が逃げられぬように枷をするのは当然のことであろう? 早く手枷と足枷を嵌めよ」

「そなた、ダンテカルロと言ったな……!」


 低い声でリベルト様がそう言った。黒みがかった茶髪が逆立ち、その瞳の淵がわずかに緑色を帯びた。


 いけない……!


「リベルト様っ」


 リベルト様が怒りに任せて何かをする前に、わたしはそれを止めた。リベルト様を見て頷く。


「必要とあらば従います。このような時に、枷をされるのが当たり前ならば、そうしてください」

「メルテル様……」

「……おい、何をしている? 早く枷を持ってこい!」


 ダンテカルロは館の騎士に向かってそう言った。


 騎士が彼を睨む。黙って暗がりに消えると、重たそうな鎖が垂れ下がる枷を手に戻って来た。


「足枷だけで構わない」

「分かりました」

「何を言うか。手枷もせよ」

「その必要はない」


 階段の上から声が降って来た。


「これはこれは、デルツィオ騎士長」


 デルツィオ様が腕に大きなバスケットを抱えて姿を見せた。


「必要ないとはどういうことですかな?」

「何か勘違いをされていないか、ダンテカルロ殿?」

「なんだと?」


 デルツィオ様が冷静に問い返すと、ダンテカルロは彼に詰め寄った。


「もとより、枷をするか否かは我らが領主リベルト様が決めることだ」

「なに?」

「ここはシエンナ。王都ではない。お前の目の前にいるお方は、ボールド・シエンナの古き王家の血筋アスター家の当主だ。だからこそ今も、辺境伯として、この地とその民を治めている」


 デルツィオ様がそう言って逆にダンテカルロに迫る。


「囚人の扱いでいちいち文句を言われる筋合いはない」


 後ろから騎士も詰め寄った。


 分が悪いと見たのか、ダンテカルロが舌打ちをする。青白い横顔をこちらに向けると、眉を怒らせてわたしを睨んだ。


「調子に乗るなよ? 我らも見張りに来るからな」

「構いませんよ。わたしは逃げません」

「ふん! 取り調べは俺たち近衛騎士も行う。ゆっくりと締め上げてやるから覚悟しろ!」


 脅すように言うと、階段を駆け上がろうとする。デルツィオ様が素早く言葉を返した。


「その際は、俺たちシエンナ騎士団も立ち会わせてもらおう」

「なに!?」

「何か問題でも?」

「……っ! こちらは被害者だぞ!」


 憎々し気にダンテカルロがそう言うと、デルツィオ様が彼に顔を近づけた。


「確かに。だが、被害者であることを免罪符に何をしても許されるとでもお思いか?」

「なんだと!?」

「ただ疑わしいと言うだけで、まだ彼女が罪人だと決まったわけではない。もし、彼女が無実ならば、俺たちがやっていることは罪なき聖女を侮辱する行為だ。どちらにせよ、乙女への謂れのなき愚弄も暴力じみた取り調べも、シエンナ騎士団は許さない。残りの二人にもそう伝えるがいい」


 そう言われて、ダンテカルロはもう一度舌打ちして階段を駆け上がっていった。


 彼が去った後、三人は牢の中へと入った。騎士が枷を手にわたしの前に跪く。


「すみません、メルテル様。足を」

「はい……」


 わたしの足首に鉄の枷が嵌められる。冷たくて重い。もう一方の枷は牢の鉄格子に嵌められた。二つの枷を、太い鎖が繋いでいる。


「メルテル様、裁判では必ず無実を証明してみせますからね」


 リベルト様の言葉にわたしは首を横に振る。


「いえ、あまり気になさらないでください。裁判は公平を望みます」

「地下牢は冷えますから。寒くないように、これを……」


 デルツィオ様がバスケットから毛布や毛皮のローブなどを取り出した。それを受け取り、わたしは膝を曲げて頭を下げた。


「お気遣いいただきありがとうございます、デルツィオ様。これだけあれば、十分です」

「誠意をもって対応してくれ」とリベルト様が騎士に向かって言った。

「はっ!」

「それから、バルバリタの近衛騎士が監視に来る際は特に用心せよ。何をしでかすか分からないからな」

「分かっています」


 それを聞いて、とても心強く思った。


 リベルト様がこちらを向き直る。


「メルテル様、独り牢の中で心細く感じるかもしれませんが、気をしっかりと持ってくださいね」

「はい……」


 ガチャンッ!!


 金属が擦れる鈍く大きな音がして、牢に鍵が掛けられた。


 素っ気ない小さな石の部屋。地下のはずだけど、青白い月明かりが伸びていた。見上げると、高い位置に小さな窓が開いている。


 窓を見上げているとデルツィオ様が言った。


「ここは地下一階なのです。壁の向こうは外になっているんですよ。ちょうど、館の北、森との境にあたります」

「そうなのですね」

「ええ……。身体が温まる食べ物を、今用意していますから」

「ありがとう」


 頭を下げ、三人は地下牢から出て行った。


 ローブを着て毛布にくるまる。壁を背に石の床に、わたしは腰を降ろした。小窓には鉄格子が嵌まっていて、格子に裂かれた月の光が足元に伸びて、床を青白く照らしている。


「静か……」


 黙って座っていると、心が落ち着く。


 心がこんなに穏やかなのは久しぶりだ。思えば色々とあったから……。取り調べや裁判が始まったらまた騒がしくなるだろうな。もう、こんな時間は取れないのかもしれない。


 そう思い、小窓から伸びる月明かりの下に出た。


 冷たい金属の音が響く。足を繋ぐ鎖が、黒い蛇のように青白い床を這う。


 わたしは月光に向かって、胸の前で手を組み目をつむった。


 フロスペクト様、アクトレイ様、そしてティア様……。


 光の神々に祈りを捧げる。


 ティア様……。もう少しで、わたしもティア様の許に行けるかもしれません。その時はどうか、わたしを受け入れてください……。


 死ぬのは怖い。けれど、クロード様が言っていたのだ。ティア様の光は優しくて温かだったって。死ぬとしても、ティア様の光に包まれるのならば、その恐怖は和らぐ。


 けれど罪人になったわたしは、受け入れられるだろうか?


 きっとバルバリタの狙いは裁判でわたしを有罪にすることだろう。罪人となれば、当然わたしは聖職者にはなれない。エレオノーラ様の元にはもう戻れないし、聖女になることも永遠に叶わないだろう。


 わたしにとって聖女への道を断たれることは死ぬよりも辛く、身を引き裂かれるように苦しいことだった。


 けれど、今のままではどちらも避けようがない。バルバリタの恐ろしさは身を以て知った。そして、バルバリタの魔の手は、わたしだけでなく、わたしに関わる人たちにも伸びる可能性がある。


 バルバリタが本当に王都で噂を広めているのならば、わたしは国家の反逆者……。わたしが罪人として殺された後、真実は闇に葬られる。


 わたしを助けようとした人たちも国家反逆罪の濡れ衣を着せられかねない。そうなれば、アスター家は代々治めていたシエンナの地を追われ、この地の人々もどうなるか分からない。


 わたしのために、そんな目に遭わせるわけにはいかない。


 たまたま、シエンナに滞在していたルージュさんやリリィさんも、そしてクロード様も同じ。もう、これ以上巻き込みたくない。


 特にクロード様はティア様がこの世界のために遣わされた御方。あの日、わたしに出会わなければ、もうとっくに世界を救うために旅立たれていてもおかしくはない。きっとこの先も、エルーテ・ロンドのために必要な御方のはずだ。ここで、わたしのために留めおくことも、危険に晒すことはしたくない。


 ガサガサ……。


 葉擦れの音がして、足音が近づいてきた。


 わたしは顔を上げた。壁の向こうから気配がする。


「メルテル殿、いるか?」


 壁越しに声が聞こえた。


「クロード様!」

「あっ、ここか」

「どうして、ここへ……」

「うむ。リベルト伯とデルツィオが計らってくれてな。外から回って来たのだ」


 ……言わないと。


「寒くはないか?」

「ええ、毛布などをお借りしています」

「そうか。リベルト伯たちも自分の不甲斐なさを嘆いておったよ」

「あの方々のせいではありませんよ」

「うむ……」


 少し黙ると、クロード様が続けた。


「拙者も……守れなくてすまない」

「いえ。あの、ルージュさんやリリィさんたちは、今はどうされていますか?」

「晩餐会が解散となった後もしばらくは館に留まっていたが、今は皆、ギルドへと戻った」

「そうですか」


 クロード様が長く深いため息を漏らす。


「今日は雲一つない美しい星月夜だな。とても明るい。そこからも見えるか?」

「小さな窓が開いていて、そこからわずかに」

「ん? ああ、あれか」

「…………」

「メルテル殿? どうかしたか?」

「いえ……」


 決意が鈍る前にここで……、断ち切らないと。


「クロード様」

「ん?」

「もう、わたしとは関わらないでください」


 意を決して、わたしはそう告げた。

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