第61話 【聖女弾劾裁判】とある公爵家の男
「遅いから心配していたぞ、ヴァン」
「すまない。念には念を入れて、聖都まで出向いていたのだ。しかし……」
ヴァンがぐるり、裁きの場を見渡す。
「驚いたぞ。まさかこのような事態になっていようとはな……」
そう言うと、目を怒らせてバルバリタを睨む。
ヴァンフリードが王都へと出立したのは、花祭りのパレードの翌日だった。その時には、晩餐会が開催されることも、そこで事件が起こることも、その後の裁判も、俺たちの誰も予想だにしていなかった。
「メルテル殿、ご家族が無事で安堵したであろう。良かったな」
「はい……」
メルテル殿が涙目のまま顔を上げる。
「これで、もうそなたを縛るものは何もない。もうすぐだ。だから、泣くのはもう少し後にしよう」
「はい……!」
メルテル殿が立ち上がる。まっすぐバルバリタを見る。
「わたしがシエンナへ来た理由をずっと言えなかったのには訳があります。それは、ここにいるバルバリタ・フルースタに王都に住まう兄と妹たちを殺すと脅されたからです」
それを聞いて、今までとは違う戸惑いが傍聴席に広がる。訳を知らないアルマー殿やベラ殿も驚いた様子だった。
「王都では、実際に二度ほど命を狙われました。その時、わたしを襲った男の人の目の輝きや背格好は、貴方とそっくりでしたよ……、ダンテカルロさん」
「なっ……!?」
「いえ、証拠もないのに、疑ってはいけませんよね……」
メルテル殿はそう言うと、リベルト伯に顔を向けた。
「どうぞ。詳しくお話しください。メルテル様」とリベルト伯が頷く。
「事の発端は、とある公爵様のお屋敷での晩餐会でした。その晩餐会で、わたしはある方に婚約破棄を突き付けられました……」
こうしてメルテル殿はずっと言えなかったあの晩のことを皆の前で話した。
「わたしは戸惑いました。なぜなら、婚約の申し込みはその方からあったからです。わたしはまだ聖女になりたてで、見習いとして修業をしている身です。そのお申し出は立場ある公爵様の地位を傷つけないように礼儀を尽くしてお断りしたつもりでした。
けれど、なぜかわたしの方から婚約を申し込んだことになっていたのです。そして皆さんもご存知の通りの耳を覆いたくなる言葉を投げかけられました。そこへ現れたのがバルバリタさんです。公爵様は彼女とその場で婚約を宣言しました。皆さんがすでに知るわたしに対する噂はその晩餐会から出たものです……」
バルバリタを見る。
「その後、バルバリタさんから王都や聖都に戻ったり妙な動きをすると、兄や妹たちの命はないと脅され、帰るべき場所も無くしたわたしは、命からがらこの地まで逃げてまいりました」
リベルト伯に向き直って続ける。
「これがわたしがシエンナへと逃れてきた理由です。もう一度言います。わたしはバルバリタさんが言っているような行為は、誰とも決して行ってはおりません」
「よくできた作り話っすね」とケントが茶々を入れた。
「作り話じゃありません、真実です!」
「バルバリタ、どうなのだ?」
リベルト伯が問う。
「何のことでしょうか? まったく記憶がございませんね。それに、こちらには請願書があるのです。わたくしが脅したなどという証拠がどこにあるんでしょうか?」
おどけるようにそう言うと、バルバリタは暗い藍色の瞳をメルテル殿に向けた。
「請願書? 請願書とは何だ?」
事情を知らないヴァンが首を捻った。
「メルテル様を糾弾し、聖女を辞めさせる弾劾裁判を求める請願書だそうだ。エレオノーラ様はじめ多くの聖職者がサインをしているとか」
デルツィオがそう言うと、ヴァンは怪訝そうに長い髭を撫でた。
「
「なっ!? エレオノーラ様に謁見しただと!?」
近衛騎士たちが仰け反って驚く。
こちらのことはよく分からないが、大聖女とはそれほどの人物のようだ。
「実際に王都や聖都へ出向いたヴァンフリードの話を聞くのが先だったな。報告を頼む」
「ハッ、リベルト様!」
ヴァンフリードが証言台に立つ。
「今、メルテル様がご自身の口で言った通りです。花祭りでバルバリタが言った噂が出回っていたのは事実です。けれど、それはとある晩餐会での些細な噂に過ぎず、それは聖都でも同じでした」
ぎろりとバルバリタを見やる。
「詰まるところ、バルバリタが言っていた噂の数々──メルテル様が修道士や貴族を誘惑したり、まして身体を使って王族や大聖女に近づき国を転覆させようとしたなどの事実は一切認められなかった」
「誰が信じられるか!」
ダンテカルロが叫ぶ。
「証拠はあるのかよ!? こっちには請願書があるんだ!」
「そうだ。お前のは所詮はただのお話。証拠能力はない!」
ユージーンたちも加勢する。ケントが馬鹿にしたように笑った。
「フン! そもそも、お前のような辺境の男爵風情が公爵や大聖女に謁見できるわけがないだろう!」
「
デルツィオがそう言っても、ケントたちは食い下がる。
「それがどうした!」
「証拠出せっつんだよ、証拠を!」
「煩いぞ、小童どもっっ!!!!」
「「!?!?」」
叱りつけるように言葉を放ち、ヴァンがケントたちを黙らせる。
「証拠も何もなく戻って来たとでも思うのか?」
馬の荷から何かを取り出す。
「エレオノーラ様からメルテル様に宛てた書簡を受け取っておる。エレオノーラ様の直筆じゃ。そして、日々研鑽に励んでいた聖女の友人らからもな」
それはいくつもの手紙だった。どれも赤い蝋(?)のようなもので封がされ、その蝋に刻印が押されていた。
「大聖女様の封蝋や聖女たちも各々の家紋の封蝋をしている。これが本物の証じゃ」
「蝋の印だけで手紙が本物なんてわからない。そんなもんいくらでも捏造もできるからな!」
「ああ! 印鑑と同じだ。勝手に押すことだってできるだろうがよ!」
「まだ言うか! ならばこれを見るがよい!!」
次に、大きな麻の袋から取り出したのは美しく輝く衣服だった。
その輝きは傍聴席の人々をも驚かせた。あまりの美しさからか、あちこちからため息が漏れる。
「これはメルテル様のために特別に作られた聖女の正装──聖衣服。メルテル様が着ればぴったり合うはずじゃ」
ヴァンがメルテル殿を見やる。メルテル殿は黙ってその服を見つめていた。
「メルテル様、エレオノーラ様からの伝言です。これを着て、元気な姿で聖都ティナリスへ戻って来て欲しいと。そして、その暁には、典礼を行い正式にメルテル様を聖女として認めると」
「エレオノーラ様が……」
メルテル殿が小さく呟く。ヴァンが微笑みながら頷いた。
「どういうことだ……?」
「じゃあ、あの請願書ってなんなんだよ……」
「まるっきり逆じゃないか」
傍聴席がざわつく。
「だーかーらー! そんな服が何の証拠になるっての!」
「いくらでも作れるじゃん!」
ロキアンナとレイラがそう言った。
「なんじゃと!? 貴様らっ、いい加減にせよ!!」
「あの~、それなら僕が……」
後方から、なんだか間の抜けた声が届く。
ゴロゴロゴロゴロ……!
「ど~も~。変な態勢ですみません、みなさん」
こやつも、戻って来てくれたのか……。
現れた若者を見て、俺の心は緩んだ。
姿を見せたのは騎士が曳く台車にうつ伏せで尻を天に突き出した、まるで土下座のような恰好をした若者だった。
若者を見て、メルテル殿も目を丸くした。
「貴方は、リュゼッペさん!?」
「あ、メルテルさん、お久しぶりです。その節は、モデルになっていただいてありがとうございました! まさかステラベル家のご令嬢とは知らずに失礼しました」
「い、いえ。けれど、どうなされたのですか? そしてその格好は……」
「お尻がね、もうズル剥けなんですよ。皮が……。ずっとここまでほぼ休みなく、ヴァンフリードさんと馬で駆けて来たので」
「早馬に慣れておらぬようじゃな」
ヴァンが笑う。
「僕は旅する画家です。旅をすると言っても、ゆっくり馬車で世界を回るんですよ。早馬になんて乗りませんから……」
──このリュゼッペもバルバリタの大芝居を見ていた一人であった。
この若者は花祭りの少し前にシエンナを訪れていた。花祭りを題材に絵を描くためにシエンナに留まっていたのだ。
レミ殿やメルテル殿をモデルに絵を描いていて、俺も面識があった。
パレード翌日、王都へ向けて出発するヴァンフリードの横にはリュゼッペもいたのだ。
西門を出たところで、俺はデルツィオと共に二人を見送った。
「バルバリタの狙いが何なのかは分からぬ。だが、良からぬ企みのために、あの大芝居を打ったはずだ。王都での一件も絡めると、メルテル殿の命を
「確かに、ありえますね」
腕を組んでデルツィオも頷く。そしてヴァンフリードを見やった。
「留守は私がしっかりと守りますから」
二人はリベルト伯とも話し、表向きヴァンは騎士長を退いたことになっていた。
デルツィオの言葉に、ヴァンが首を横に振った。
「うむ。だが、儂が戻っても騎士長は今後、そなたが務めるのだ、デルツィオよ」
「えっ?」
「リベルト様に隠居の話をしたが、あれは建前ではなく真のことだ」
馬の鞍に荷物を置きながらそう言った。
「ヴァン様!?」
「もう、そなたに後を任せてもよいころだと思っていたからな。よい機会だと思うておる。この王都への旅を、シエンナ騎士としての最後の務めとする」
黙って二人の話しを聞いていると、ヴァンに問いかけられる。
「どうしたのだ、クロードよ」
「いや、そなたには苦労を掛けてしまうな。俺が妙なお願いをしたばかりに……」
王都へ出向いてメルテル殿の噂の真偽やご家族の無事を確かめることを頼み出たのだ。ヴァンフリードはかつてメルテル殿の屋敷に奉公し、メルテル殿のご家族とも旧知の仲。であれば、適任はヴァンしかいなかった。
ヴァンフリードの肉体はまだ衰えておらず、
「お主に言われずとも、こうしていたさ……」
そう言うと、ヴァンの顔からすっと笑顔が消えた。
「ソーガ。あの時はお主を止めたが、本当は儂も同じ気持ちだったのだ。可愛いメルテル嬢をあのような場で辱めたあの女を、絶対に許しはしない……!!」
「あまり気張りすぎるなよ」
「分かっておる。では、行って来る」
「うむ。リュゼッペも、よろしく頼むぞ」
画家の若者を見て俺は笑った。
「分かってます。晩餐会の件、僕の父に訊いてみますよ。何か分かるかもしれない」
「助かる。しかし、そなたが協力を申し出てくれるとは思わなかったぞ」
「いえ、モデルになってくれたメルテルさんのためです。僕は剣や槍はからっきしですけど、騎士道は持ち合わせているつもりですから」
「はは……! そうか」
「それでは!」
「行ってまいる!」
「お気をつけて!」
「よろしく頼む!」
最低限の荷物だけを乗せて、ヴァンフリードとリュゼッペはマントを翻しながら馬を走らせていった。
こうして、二人には秘密裏に王都へと向かってもらっていたのだった──。
「申し遅れました。ぼくの名前はリュゼッペ・デル・サンク。デル・サンク公爵家の三男なんです、こう見えて」
申し訳なさそうにリュゼッペが頭を掻く。
「…………っ!?!?!?」
「な、なんだと……!?」
「デル・サンク……!?」
「王族ともつながりのある、あのっっ!?」
バルバリタたちが思いもよらず驚嘆した。
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