第58話 【聖女弾劾裁判】法廷乗っ取り
「さて。では最後に、もう一度確認する」
リベルト伯がベラ殿を見る。
「毒が入っていたのはバルバリタが最後に手にしていたグラスのみだった。つまり、元はユージーンが手にしていたグラスからだけ。グラス番号12の元々バルバリタが持っていたグラスからは毒物は検出されなかった。それで間違いないな?」
「仰る通りでございます。領主様」
ベラ殿がスカートを摘まんで恭しく頭を下げる。そして退廷せずに、そのままこちら側の証人席へと腰を降ろした。
リベルト伯はバルバリタとユージーンを見ると、やや語気を強めて問うた。
「バルバリタ、そしてユージーンよ。どういうことなのか説明してもらおうか?」
二人とも何も答えない。
俺もバルバリタを見据えて訊く。
「今の状況からだと、ユージーンが自分のグラスに自ら毒を入れ、それをお主と交換したと言うことになる。つまり、お主は自らの意志で毒を飲んだと言うことだ。そして、毒の小瓶を隠し持っていたユージーンが、さもメルテル殿から小瓶を奪ったように見せかけて、濡れ衣を着せたということになるが、
「…………」
「ふわ~~~あぁっ。眠ーーっと!!」
急にケントが両手を天に突き上げて、背伸びしながら気だるそうに欠伸をした。
「冷静になってそもそもを考えてくれ。このメルテルがどういう女なのかを」
ケントは俺と目が合うと、鼻を鳴らして笑った。
「この淫乱女は国王と大聖女、この国の二大権力に取り入るために何をしてきたんだっけぇ?」
「取り消せ。それはただの噂で真実ではないとバルバリタ本人が言っていた。そうであろう?」
「…………」
「今の言葉を取り消せ、ケント」
ケントは俺の言葉には耳を貸さずに立ち上がった。聴衆に訴えるように、俺たちを囲む傍聴席を見渡す。
「そっちこそ、この件に関して被告人の聖女様はずーっとダンマリだよなぁ!? そもそも、この話の根っこはそこだろ! ここに集っている人々の関心もそこだと思うぜ? だからこそ、こんなに多くの聴衆が集まって、傍聴席は満席ときてる!」
ケントはそう言うと、メルテル殿を見ていやらしく笑った。
「バルバリタ様を殺害する理由が、この聖女様にあるからこういう事になってる。王都での噂が真っ赤な嘘、デタラメってんならハッキリと否定したらどうだ? 王都での噂が嘘だってんなら、自分の口で否定してみなよ? ねぇ聖女メルテル様ぁ!?」
「「異議あり!」」
ルージュとリリィがすかさず手を挙げた。
「裁判官、彼の言葉はこの裁判とはまったく関係がありません」
「そうだよ! もうメルテルさんの無実は証明されたも同然じゃない! 話をそらすなよ!」
「ケントよ。冷静になるべきなのはお前だ。何の脈略もないことを言い出すな」
俺たちの言葉にリベルト伯は頷いた。
「異議を認める。ケント、関係のない話を持ち出して場を乱すな」
そしてもう一度、バルバリタに向かって問う。
「バルバリタ、ユージーンよ。まずはそなたらの説明が先だ。私たちはまだ、納得のいく説明を聞けていないからな」
「やけに被告人の肩を持つじゃないか、えぇ?」
「なに?」
ダンテカルロの言葉に、リベルト伯が声を低める。
「自由騎士ケントの言った通り、ここに集まった多くの者は知りたいはずだ。王都での噂が本当なのかどうか。裁判と関係ないぃ? 大アリだ! 事の発端はそこなのだからな!」
ダンテカルロは立ち上がり、傍聴席を煽るように両手を広げた。
「この女は王家に取り入るため、公爵家へと近づき婚約まで結んだ。一方でアステル王国の人々の心の拠り所である光輪の大聖女様に近づくために、名だたる聖職者たちをその身体を使って堕落させた……! 淫乱にして国家転覆を企てた反逆者メルテル! この噂が真実でないと言うのならば、その口ではっきりと言えばよいだけのこと! どうなのだ、被告人メルテルよっ!!」
「…………!」
メルテル殿は口をつぐんだまま俯いた。
く……! メルテル殿を縛り付けているのは王都にいるお父上たちの命だ。それを握られているからこそ、バルバリタの所業やどうしてシエンナへ逃げて来たのかさえ、ずっと言えずにいる。
メルテル殿の家族の安否さえ確認できれば、メルテル殿も俺たちも気兼ねなく戦えるものを……!
リベルト伯が激しく木槌を打ちつける。ダンテカルロを睨んだ。
「座れ! ここは厳粛な裁きの庭である。人心を煽るような真似は慎むのだ」
ケントたちが互いに顔を近づけて何やら話をしている。近衛騎士たちとも小声でしゃべっていた。
そして、ダンテカルロとバルバリタが一瞬、目を見交わした。
なんだ? 何かまた企んでいるのか?
「ダンテカルロ、何をしている? 裁判官の言葉が聞こえなかったのか? 着席せよ」
デルツィオの言葉を無視し、ダンテカルロは笑いはじめた。
「なるほど……、やはりそう言うことだったのか……!!」
「!?」
ダンテカルロは再び聴衆に向かって大声で語りはじめる。
「シエンナの人々よ、聴け! メルテルがどれほどの淫乱な悪女なのかは知っての通りである!! そして……悲しいことに、そなたたちの領主リベルト・アスターや騎士長デルツィオも、すでにメルテルと関係しているのだ!!」
その言葉に傍聴席の人々も、陪審員たちも、俺たちも、そしてリベルト伯とデルツィオ自身も驚愕した。
こやつら……!!
大きなざわめきが波となって傍聴席に広がる。話し声が止まらない。
「聴けっ!! 聴くのだ、シエンナの民よっっ!! 分かるかっ!? そなたたち市民の知らぬところで、すでにお前たちの領主様は、ここにいる淫乱聖女メルテルの肉の味を知っていたのだっっ!!!!」
俺たちはダンテカルロの横暴を止めるべく、手を挙げて抗議した。
「根も葉もないことを言うでない!!」
「あんたら、いい加減にしなさいよ!!」
「不利になったからって、変なこと言い出すんじゃないよ!!」
「メルテルさんを侮辱するのはやめてください!」
「裁判官! 発言を訂正させてよ!」
だが、バルバリタ側も言葉を被せて来る。互いに相手の言葉を聞かず、言葉をぶつけ合った。
悪い流れだ。せっかく追い詰めているのに……。
カンカンカンカン!!!!
「静粛に!! 静粛に!!」
「双方、いったん静まるのだ!! 傍聴席も話をやめよ!!」
リベルト伯とデルツィオが割って入る。
木槌の乾いた音が響き続け、俺たちは稚拙な悪口の言い合いを止めた。
もはや厳粛な裁きの庭でもなんでもない。
だが、場が落ち着いたかと思ったら、またしてもダンテカルロが叫ぶ。リベルト伯とデルツィオに向かって指を突き立てた。
「リベルト! そしてデルツィオよ! 貴様ら二人にもはや人を捌く権利などない!! お前たちは王都から逃げ出した悪女を領地内に匿ったのだからな!! これはシエンナの善良な市民さえも王国への反逆罪に問われかねない行為である!! 当然、メルテルの味方をしているお前たちも同罪だっ!!」
言葉の最後に、奴は俺たちに鋭い視線を向けた。
その時だった。
「もう止めてください!!」
黙っていたメルテル殿が立ち上がって叫んでいた。
「貴方の言っていることは事実ではありません……。わたしはそのようなことはしていませんし、リベルト様やデルツィオ様は何も悪くありません。国王様にもエレオノーラ様にも、光の神々にも誓って、何よりも自らの聖女としての誇りに誓って、そのようなことはしていません」
「わたくしも信じていますよ。けれど……本当によいのね?」
とても小さな声が投げかけられる。
メルテル殿がびくりと震えた。
見ると、バルバリタが目を細めてメルテルを横目に薄ら笑いを浮かべていた。
その笑顔の意味を、メルテル殿は分かっているはずだ。
王都の家族がどうなってもよいのか? と言う、脅し……。
「本当に後悔しませんね? その言葉の意味を分かっていますね?」
「それは……っ!」
一瞬、俯くメルテル殿だったが、顔を上げると真っ直ぐにバルバリタを見つめた。
その眼の奥に覚悟めいたものを感じて、俺は焦った。
「メルテル殿、落ち着け」
「そうだよ。何も言わないほうがいいよ」
「王都のご家族が危うくなります」
俺たちは思わず小声でメルテル殿に呼びかけた。
だが、メルテル殿はバルバリタを見たままゆっくりと首を横に振った。静かに言う。
「構いません。わたしが黙っているばかりに、多くの人を巻き込み、このように事を大きくしてしまった。わたしも覚悟を決めました……」
メルテル殿の変化を感じ取って、リベルト伯とデルツィオの顔色も変わる。声をかけて止めようとするが、メルテル殿はバルバリタを見つめたまま話を続けた。
「わ、わたしは……たとえ、大切な家族が、お兄様や妹たちがどうなっても……、もうこれ以上、関係のない人たちが傷つけられるのを、黙って見過ごすことはできません」
……ここまで来れば致し方ないか。ずっと凌いできたが、どこかで決断しなければならなかっただろう。このままでは不利になる一方だ。ならば王都の親兄妹が無事であることを信じ、このあたりで攻勢に転じるべきだったのかもしれない。
会場がざわざわとしている。
メルテル殿が何を言っているのか分かっていない様子だ。そうだろうな。この場の多くが、メルテル殿が家族を人質に取られていることなど知りはしないのだから。
「わ、わたしは──」
「メルテル様……!」
「俺たちならば大丈夫です」
リベルト伯とデルツィオが慌てて声をかけたが、メルテル殿の言葉を止めたのはバルバリタ本人だった。
「いいでしょう!」
バルバリタも立ち上がる。
「こうなったらもう、明かすしかありませんね……」
「明かす? 明かすとは何のことだ?」
リベルト伯が怪訝そうにバルバリタを見やる。
「裁判官、隠していてすみません。今こそ真実を明かしましょう。わたくしバルバリタ・フルースタがここシエンナへと来た本当の目的を!」
その言葉で傍聴席がまた騒がしくなった。
真の目的だと!?
「裁判官、いえ領主リベルト様……。わたくしは以前、貴方に申しておりました。王都ではすでにメルテルを探し出し、裁判にかけるべく動いている、と」
何の話だ?
俺はリベルト伯を見やった。リベルト伯は険しい表情のまま黙っている。
「わたくしは大聖女エレオノーラ様をはじめ、多くの修道士様や聖女様たち光の神々に仕える聖職者たちからの請願書を手にここへとやって来たのです」
「請願書だと?」
「ええ、聖女メルテルを弾劾し、二度と聖女にはなれないようにして欲しい旨の請願書です」
そう言うと、悲しげな顔を作りその顔をリベルト伯へ向ける。
「本当は貴方から協力を得られると思っていました、リベルト様。……けれどすでに貴方も側近もメルテルの虜になっていた」
その言葉で、人々が一斉にリベルト伯とデルツィオを見た。
二人は驚きや怒り、呆れの入り混じった表情でバルバリタを見つめていた。
たっぷりと間を置いて人々を注目させる。そんな人々を仰ぎ見ながらバルバリタはこう言った。
「だからこそ、わたくしは自ら毒を飲んだのです!! この法廷の場を用意させるために!! この汚れた聖女メルテルの弾劾裁判の場をっ!!」
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