第64話 【聖女弾劾裁判】サムライ、バルバリタとケントら五人を瞬殺してしまう【一部ケント視点】

◆◆◆


 槍賀そうが蔵人くろうどが鞘に納められた剣を片手に、五人の前に立つ。


 その身を冷やりとした空気が包むのをバルバリタ・フルースタは感じた。


 なんだ、これは……?


 身体の芯からぞくぞくと震えが走る。気づいた時には、触れたことのない異様なものに呑み込まれていた。


 空気が重く身体の自由が利かない。


 サムライがバルバリタを見ながら、剣をゆっくりと引き抜いていく。


 その瞬間、この震えが死への恐怖なのだと彼女は悟る。サムライの全身より流れ出す殺気の激流は、彼女が思い描く少し先の未来を──自分の鞭に打たれて、血飛沫を上げながら舞い狂うメルテルの像を、完全に勝利しその興奮に震える自身の像を、一瞬にして掻き消した。


 サムライの無表情にも見える引き締まった顔のその瞳の奥には、圧縮された激烈な怒りがあり、さらにその深淵には、氷よりも冷たく、研ぎ澄まされた殺意が自分を狙っていた。


 殺そうとしている……!!


 自分が置かれた現状を理解すると同時に、震えは激しくなり、全身から冷や汗が噴き出す。立っているのがやっとだった。


 バルバリタは時間が止まったかのように、剣が引き抜かれていく様をただ黙って見ていた。死が近づく瞬間を。


 刃が顔を覗くほどに、死が近づいていく。


 そして……音もなく、剣は鞘から引き抜かれた。


 メルテルと言う獲物を追い詰める興奮。人々を巻き込み意のままに操る愉悦。そしてこの手でメルテルを嬲りに嬲って弄び、最後は殺す快感。


 それらはガラスのように脆く砕け散った。


 ざっ……!


「!?!?!?!?」


 いつの間に移動をしたと言うのか? 気づけばサムライは、バルバリタのすぐ目の前に立っていた。


 人を殺す瞬間の人の顔を、バルバリタは初めて目にした。じっとこちらを見つめている。上下の歯がガチガチと音を立てる。


 怖い……! けれど、目を逸らせない。目を閉じることさえ恐怖で出来ない……!


 首筋が冷たい。呼吸が荒くなる。


 そして……。


 斬…………!!


 ず、ずず……、ごと……っ。


 自分の首が斬り落とされて、石畳に転がった。身体が膝を着く。首だけになった身体から赤黒い血が噴き出し、転がる自分の顔に降り注ぐ。


 ……!!!!


 血塗られて視界が赤く染まる向こうで、サムライがバルバリタを睥睨していた。


 死への恐怖に呑み込まれながら、バルバリタの意識はこと切れた──。


 ……?


 …………??


 ………………!?!?


「ふはぅ……!? はぅ……!? ふはぅ……!?」


 気づけば、バルバリタは肩で息をしていた。顔から脂汗がだらだらと滴る。


 目の前には先ほどと同じ位置に、鞘に納まった剣を片手にこちらを見ているサムライが立っていた。


 い、今のは……?? 首!? 繋がってる?? 死んでない?? 斬られてない?? 死んでない!?!?


 半狂乱状態だった。


 彼女が見たものは、サムライの絶対的な殺意。これから来る絶対の──死。


 そして、それはバルバリタだけでなくケント、ユージーン、ロキアンナ、レイラも同じであった。五人が同時に見た、錯覚と呼ぶにはあまりに生々しい白昼夢は、ほんの一瞬の出来事であった。


 しかし、その殺意は裁きの庭全体を覆い、その場にいるすべての者を圧殺するかのように空気を圧していた。誰一人として、微動だに出来ない。


「へっ、へへっ……! やっぱあの時は、本気じゃなかったか。そうだよなぁ……」


 小さくグランゴだけが立ち尽くしたままにそう言った。


 それは当然のことである。


 グランゴたちに棒切れ一本で向かい合っていた時と違い、今回は確実に、槍賀蔵人は目の前の五人を斬り、殺すつもりでいる。


 ではなく、殺すのだ。


◆◆◆


「槍賀、蔵人ぉぉぉぉぉ!!!!」


 殺す! 殺す!! 殺す!!!!


 ずっと思い描いてきた。あの日からだ。


 中央広場でこの男は俺を侮辱した。この俺を……、大衆の面前で辱めた……!!


 あの日から、ずっと片時も忘れたことはなかったぜ、蔵人!? いつだって、妄想していた。俺がアイツを嬲り殺す瞬間を!!


 剣技で切り刻んで殺した。【魔術】でのた打ち回らせて殺した。【スキル】で嬲り倒して殺した。

 何度も、何度も、何度もだ! すぐに楽になるなんて許さねぇ。こと切れそうになったら、何度もポーションで回復させてまた殺す!!

 泣きながら悶絶させて、許しを請わせる。絶望の淵に追いやって……殺す!!


 そして、俺はそれをただの妄想では終わらせない。今日、それを実現させる……!!


 アイツの力の源であり脅威なのは、あの刀だけ。


 注意深く観察していたが、用心深いアイツが刀を手放す瞬間はあまりなかった。


 だからこそ、武器を持ち込めないこの法廷は、俺たちが絶対的優位の場。仮にその辺の騎士の武器で応戦しようとも、【スキル】【魔術】を持たないアイツには勝ち目はない。ステータス強化もされていない貧弱な身体ではな……。


 アリ地獄の中心まで、もう落ちちまったんだよ、お前は。蔵人!! お前が助かる見込みは、皆無っ!!


 メルテルの目の前で、殺してやる。メルテルにこの男の無様な姿を、泣き喚く惨めな姿を嫌と言うほどに見せつけてやる!!


 一歩、また一歩近づいてきやがる。何も知らないで……。


 来い! 殺してやる!! この無能! 無能!! この偽物が!! 浪人! ただの無職のゴミ屑が!!


◇◇◇


「はぁ……!! はぁ……!! はぁ……っ!!!!」


 な、なんだよ、今のは……!?!? し、死んで、ない……!?!?!?


 急に目の前に来て首を斬り落とされたと思ったのに、蔵人は先ほどと同じ場所に立ったままだった。


「どうした? もう間合いだぞ?」


 蔵人が俺たちに向かってそう言った。怪訝そうに片方の眉をわずかに上げている。


 一歩、蔵人が足を踏み出す。


 首筋が一層冷たくなる。膝の震えが止まらなくなった。


 お前を殺すのはこの俺だ! お前を殺すのはこの俺だ!


 蔵人が、剣の柄を握る。ゆっくりと鞘から引き抜いていく。


 ガチガチガチガチガチガチ…………!!


 顎が振動し、歯の震えが止まらなくなった。


 殺すのはこの俺だ! 殺すのはこの俺だ!


 音もなく、剣が鞘から引き抜かれた。


 死ぬのは嫌だ!! 死ぬのは嫌だ!!


 がくがくがくがく……。


 死にたくない!! 死にたくない!!


 膝が崩れ、気が遠のく。


◆◆◆


 やつらに近づき、剣を引き抜く。少々扱い慣れぬが、まあ良い。


 ただ相手を見据え、上段に構えた。


「?」


 五人が、一人また一人、がくがくと膝を震わせ始めて──。


 どさ……!


 どさ……!


 どさ……!


 どさ……!


 どさ……!


 その場で崩れ落ちた。


「────!!!!」


 それを目の当たりにし、俺は殺意よりも一気に怒りが膨れ上がった。


 目の前のケントを見下ろし上段に高く構える。石畳ごと斬る勢いで一閃──斬り降ろす。


 ッシュブ────ッッ!!!!


 風を切る音は、地に伏したケントの首筋で止まった。


「これだけの事をしておきながら……」


 怒りで全身が震える。


「メルテル殿の身と心をここまで弄び、追い詰め傷つけておきながら……、人を散々コケにし、侮り、挙句に卑劣な手で殺そうとしておきながら……っ!!」


 剣を強く握りしめる。


「自らが死する覚悟は持たず、この程度の殺気に当てられて膝を屈するだと……!?!?!?」


 これでは、斬れぬではないか……っっ!!!!


「どれほど身勝手なのだ、貴様らはぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!!」


 身体をくの字に折って、絶叫していた。それは気合などではなく、ただ、でたらめに怒りを爆発させただけであった。


 ……。


 …………。


「っはぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 呼吸が荒い。


 大きく息を吸っていると、鼻に異臭が漂ってきた。


 ケントの股に黒いシミが広がっていく。見ると、バルバリタの白いドレスも黄色く濡れていた。五人の倒れる石畳に黒い染みが出来ていた。


 それを見て、もはや何の感情も湧かなくなった。


 糞尿の臭いがあたりに漂う。


 鞘に剣を納める。


「リベルト伯……」


 身体を起こして顔を向けると、向こうも凍り付いた表情でこちらを見ていた。


「見ての通り、こやつらは果し合いにも敗れた。そもそもが、裁きの言い渡しを止めるための幼子の戯言たわごとのようなもの」


 糞尿を漏らし、気を飲まれて地に伏した者を斬る気にはなれぬ。


「リベルト伯、さっさと判決とやらを下し、この茶番を終わらせてくれ」

「あ、ああ……」


 その後、騎士たちが五人を抱えて運び出した。ダンテカルロたち近衛騎士たちもシエンナ騎士たちに簡単に捕縛され、共に退廷する。

 汚れた石畳には水が掛けられ、きれいに洗い流された。


 原告バルバリタとその証人たちがいなくなった法廷に平穏が戻るまで、しばしの時を要した。


 誰もいなくなった席を前に、俺たちは自分らの証人席へと座った。メルテル殿も被告人席に腰を降ろす。


 リベルト伯とデルツィオ、陪審員たちも所定の場所へと座った。


 終いにしよう。

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