第28話 一万年に一人の美少女、舞い降りてしまう

◆◆◆


 サムライが寝ている頃、シエンナを揺るがす大事件が勃発していた。


 騒動の始まりは、シエンナ近郊のとある村だった。魔狼の脅威も去り、麦畑で農作業をしていた農夫たちがその最初の目撃者となる──。


 その時、農夫の一人が空を仰いでいた。その日はうららかな春空が広がっていたそうだ。


 気持ちよく腰を伸ばしていると、空に点が見えた。奇妙に思っていると、その点が徐々に近づいてくるではないか……。


 他の者たちも気づき、空を見上げる。


 それは、人だった。徐々に地上に近づき、少し離れた場所に舞い降りた。砂色のマントに全身を包んでいて、帽子を目深にかぶっている。


 男か女かも分からないし、どう見ても不審人物……。農夫たちは皆、顔を見合わせて眉を寄せた。


 その時だった。春風が吹き、帽子が宙に舞った。


「なっ!?」

「はうっ!?」

「ひゃっ!?」


 時が止まったようだった……。


 と、農夫の一人は証言している。


 艶やかな漆黒の髪が春の風に流れていた。帽子の下には陽にきらめく純白の肌と、琥珀を思わせる黄褐色の瞳の少女の顔があった。

 あどけなさが残る可憐な顔立ちとこの世のものとは思えない雰囲気を醸し出していたそうだ。


 農夫たちの視線に気づき、少女が顔を向ける。


「あ……、お騒がせしました」


 少女に見つめられて、一人の農夫は腰を抜かし、もう一人は気を失う。


「し、失礼しま──す!」


 シャコココココ……!


 かろうじて正気を保った一人の農婦だけが、その少女がシエンナへと逃げるように走り去るのを目撃したと言う。


 後に農夫たちはこう語ったと言う。


「あんな美少女は見たことがないよ」

「ああ、まるでどこかにいると言う精霊人か神話に出て来る神に愛されし少女のような美しさだった」

「あんな少女は千年に一人、いや一万年に一人だろうね」と……。


◆◆◆


 夕方に目が覚める。


「……?」


 なんだか外が騒がしいな、何事だ?


 受付があるギルドのエントランスホールへ見に行く。建物入り口の玄関に当たる広間をエントランスホールと呼ぶそうだ。


 ホールの外には人だかりができ、吹き抜けから多くの人が中を覗いていた。


「こりゃなんの騒ぎね?」

「あっ! クロードさん!」

「ねぇ、クロード様も会われましたか!?」

「会った? 誰に?」

「フィユですよ。神話に出て来るオニキスの少女フィユにそっくりな美少女」

「ほう。いや、知らんね」


 そう言うと、人々が互いに顔を見合わせる。


「あれ? ギルドに入っていったと誰かが言ってたんだけどな」

「嘘なんじゃないか?」

「えぇ、わたしも一目見たかったのに」

「誰か、新しくここへ来たのか?」


 逆にこちらが訊く。


「ええ。目も醒めるような美少女がシエンナにやって来たそうですよ?」

「西門にいるフェッフェお婆ちゃんも、その美しさに危うく腰をイワしそうになったとか……」

「それで、彼女は冒険者ギルドに入っていったと……。町中で噂ですよ?」


 なるほど、それでこの騒ぎ。いつの時代、どこの世界でも物見高い人はいるものだな。


「ほーら! もう帰っておくれよ!」


 アルマー殿が呆れたように人々を眺めた。


「今日はもう営業終了だ!」

「アルマーさん、やっぱなんか隠してるだろ!」

「知らないよ。ほら、帰った帰った」


 アルマー殿に追い返され、人々はため息交じりに散り散りとなっていった。その後ろ姿を見やって、アルマー殿もため息を漏らす。


「ま、分からないでもないけどね。あたしも見た時は気を失いそうになったよ。美しいものを見て気絶しそうになるのは初めてのことさ」

「……? と言うと、やはり誰か来ておるのか?」

「ん? まだ会ってないのかい、彼女に」

「先ほどまで寝ていた故」


 そう言うと愉快そうに笑う。


「ハハハ! そうかい! でも追い返すのに役に立ったからよかったよ。実はね、レミって冒険者が今日から少しの間ここに滞在することになったのさ。隣国のヨーム王国から来たらしいよ」

「ほう。別の国からか」

「ああ。それがもう呆れ返るくらいの美しい娘だったんだ。ソーガさんも気ぃ失わないようにね。すでにあちこちで被害が出てるみたいで、レッキオも治癒所で寝てるよ」

「なんと……」


 それを聞いて思わず苦笑した。


「無理もないけどね。野次馬が言っていた通り、神話に出て来るオニキスの少女フィユとそっくりだからね。生き写しと言うか本当に神話から飛び出してきたような見た目なんだ」

「そのフィユとは誰なのだ?」

「女神エンリドケとオニキスの少女との悲恋。神話の中でも有名な、悲しい恋のお話だよ」

「ほう」

「フィユってのは神様によって創られたのさ。その神は少女を創るにあたって、その肌に純白の真珠を使い、その瞳に混じりけのない琥珀アンバーを、その唇に珊瑚を使ったそうだよ」

「ほ、ほう」

「そしてその長い髪には、上質なオニキスを使ったんだ。そうやって誕生した少女フィユは、老若男女問わずあらゆる生き物を虜にする美しさだったそうだよ。特にその髪は艶やかで美しかった。それでオニキスの少女と呼ばれているのさ」


 おにきす、あんばー……?? ちょっと何を言っているのか分らんが、まあよいか。


「兎も角、その娘に似た冒険者が来ていると言うことだな」

「ああ、レミって名前のね。シエンナには調査に来たって言ってたね」

「ほう」

「ソーガさんも、気を失わないように気をつけなよ」

「はは、承知した」


 そこまで言われると物見高い気持ちにもなるが、会えば分かろう。夕餉ゆうげの時にでも三日月亭で顔を合わせるかもしれんし、その時に挨拶するか……。


 夕餉のことを思ったら腹が鳴った。


 もう食いに行くか。いや、先に風呂にしよう。思えばこの二日、風呂もご無沙汰だからな……。


◇◇◇


「ふぅ……」


 バスチェアに腰掛けると、自然とため息が漏れた。

 

 この十日余り、リリィたちや町の人たちと話す中で色々と言葉も憶えた。浴場に置いてある椅子はバスチェアと言うそうだ。そしてビードロはガラスと呼ぶらしい。


 ボディーソープ用の青色のガラスケースに手を伸ばす。


 シュポ。ポシュ、ポシュ……。


「ん?」


 色ガラスの容器を覗く。


 空か?


「あ、それさっき使い切っちゃったから、横のを使ってよ」


 後ろから声がした。


「えっ? ぅわーーっ!! いてっ!?」


 絶叫すると、バスチェアからだるま落としのように落ちて、尻もちをついてしまった。慌てて桶で前を隠す。


 湯船に女子が浸っていた。


「い、今は男湯でござるぞ! いったい……なに、をっ!?!?」


 その姿を見て絶句する。


 何だ、この乙女は……!? 白く滑らかな肌、長いまつげに囲まれた濃く黄色い眼、そして平安の姫君を思わせる美しく長い黒髪……。

 なんと煌々きらきらしいことか……。


「お主もしや……、木花咲耶姫コノハナサクヤヒメの化身か??」


 本気でそう訊いたが、相手は「ぷっ」と噴き出して大笑いしはじめる。


「い、いやいや。ごめんね、驚かせちゃって。僕、レミって言います」

「レミ……、ああ、お主が」


 気を失うほどの美しさ……か。なるほど。ん……、僕?

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