第44話 雨中のサムライ

◆◆◆


「まだやってるよ……」

「ここのところ気合が入っているが、今日は特に激しいな」


 雨の中、落雷のような気合と共に、サムライはひたすらに木刀を振っていた。


「そろそろ止めたほうがいいですかね、デルツィオ様」

「いや、あのまま最後までやらせておけ」


 若い騎士にそう伝えると、デルツィオも吹きさらしの窓から中庭のサムライを見やった。


 何本もの寝かせた丸太に、ひたすら木剣を打ち続ける。木剣といっても、雑木の皮を剥いだだけの丸太に等しい。通常の剣よりも長くそして重かった。


 サムライがシエンナにもたらしたこのトレーニングを最初、騎士の多くが一分と持たなかった。何しろ、一撃を全力で叩き込み続けるのだ。サムライはこれを「地力じりきを練る」と言っていたのだが、確かに少しずつ、騎士たちの頑強さと一撃の重みは増していた。


 サムライもこの鍛錬法を主にして、己の肉体を作って来たらしい。


 ピシッ!! パンッ!!


 苛烈な打撃に耐えかねて木剣が折れて吹き飛んだ。同時に糸が切れたようにサムライも倒れ込む。


「やれやれ、終わったか」


 それを見て、デルツィオは困ったようにため息を漏らすのだった。


◆◆◆


 木刀が折れて木片が弾け飛んだ。同時に足元が滑り、俺自身も天を仰ぐように倒れた。大の字になって天から降る雨に打たれる。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 ただただ呼吸を繰り返す間に、ここ数日で起こった出来事をじっくりと見定める。


 はじまりは花祭り三日目のパレードだった──。


「あ、クロード様だ! お~い!」

「きゃー、クロード様! こっちにも手を振って!」


 そんな声援に応えながら、俺は呑気に馬車の上から手を振っていた。


 その時、急に馬車が大きく揺れて止まる。


「おっと!? なんだ?」


 リベルト伯が驚いた声を漏らし前方を見やった。


 前の馬車の様子がおかしい。その異変に気付いた時には、あの女に連れられてメルテル殿が馬車の屋根に上げられていた。


 そして始まったあの女の大芝居……。


 メルテル殿は友との再会を喜んでいる風にはとても見えず、先ほどのあの女子おなごの顔にただならぬ気配を感じていた俺はリベルト伯に問うた。


「あの者の名は何と申す?」

「彼女かい? バルバリタ──」


 そこまで聞いて、手すりに足を掛けて飛び降りた。


 あの女がバルバリタ……!! 何故ここに!? 一体何を企んでおる!?


 飛び降りてきた俺に沿道の人々が驚いて道を開ける。


「失礼!」とだけ言って、前の方へ駆ける。一応、左手は鯉口に掛けていた。


「すまぬ、前を通してくれ!」


 人々を掻き分けて前の馬車へ急ぐ。


「わたくしの友、メルテル・ステラベルです! 嘆かわしいことに彼女は今や、王都のみならず聖都でも国を揺るがしかけた淫乱な聖女として名が広がっているのです!!」


 広場に響かせるようにバルバリタがそう言い放った。


 平然と嘘を……っ!!


「ぐっ!」


 メルテル殿の乗る馬車まであと一歩のところで、何者かに首のあたりを掴まれた。振り返ると、馬上から腕を伸ばし、ヴァンフリードが俺の衣の襟を引っ張っていた。


「やめろ、ソーガ! 何をする気じゃ!」

「斬りはせん! 止める!」

「今はこらえろ!」

「何故だっ!!」


 そうこうしているうちにも、バルバリタはメルテル殿についてのデタラメを、まるで自分は心配しているかのように吹聴し続けた。


 衆目を集め、聴衆を煽る。婚約破棄の場でもなされたであろう、あの女のやり口。それによって目の前でメルテル殿が貶められていく。


 それを見て腸が煮えくり返る。


「頼む! ここは堪えてくれ! 今は場を乱すべきではない! ここであの女を止めたらメルテル嬢の立場がどうなるのか考えてくれ!」

「……!!」


 バルバリタは歌舞伎役者かの如く、舞台狭しと暴れまわっていた。まさに独壇場。


 今この場で、力尽くでバルバリタを抑え込むことはすなわち、バルバリタの言葉が真実だと思われかねない行い。メルテル殿に後ろめたいことがあるから止められたのだと。


 俺たちは結局、バルバリタの芝居がかった大立ち回りを黙って見ているよりほかなかった。


 程なくしてメルテル殿は馬車から降ろされ、何事もなかったようにパレードは進んだ。


 パレード直後、バルバリタとお付きの騎士どもが建物の奥へと消えるのを俺は目で追っていた。


「やれやれ、クロード。ちょっと私は先に行くよ」


 困った顔で頭を掻きながら、リベルト伯は足早にバルバリタたちを追っていった。こちらはヴァンとそしてデルツィオにも声をかける。


 ヴァンフリードはメルテル殿を幼い頃から知っている。助けになってくれるであろう。それにデルツィオも信頼に足る男だ。


 人気のないところに二人を呼び出し、メルテル殿の事情を──初めて会った日に聞いた王都での婚約破棄のあらましを伝えた。


 二人とも随分と驚いていたな。


 やはりメルテル殿自身も誰にも相談できていなかったようだ。致し方ないことよ。家族を人質に取られている身の上で、見知らぬ地へ来て身の振り方もわからぬ状態では、容易たやすく動けるはずもない。だからこそ俺も、たとえ親切心だとしても身勝手に他人に話すわけにもいかなかったが……無念! もっと早く動くべきだった。


 まさかあの女が、例のバルバリタだったとはな。そしてこの地まで追って来ようとは。


 ──気づけば雨は止んでいた。まだ灰色の雲がかかっているものの、徐々に明るくなってきている。


「気は晴れたか? クロード」と、デルツィオが覗き込んできた。

「いいや、まったく。歯がゆい思いは消えん」


 自分事であれば、一刀に斬り伏せて、自らもその場で腹を切ればそれで終い。特に考える必要もないのだが、此度こたびはそう言うわけにはいかん。


 身体を起こす。


「随分と力んでいたな。手が血だらけだぞ」

「いつぶりかな。こんなに手の皮が剥けるのは……」


 デルツィオが手を差し伸べる。一瞬躊躇したが、遠慮なく彼の手を握り返した。


 俺を引っ張り上げると、誰もいないのを確かめるように目を動かした。


「修道院より相談があった件、今日にでも」と声を低めて言った。

「うむ」

「今の彼女の様子を見ていると、とても心が苦しいことだがな」

「……致し方ない」


 そう言うと、デルツィオは不満げに俺を見やった。


「冷たい言い方だな。クロードよ、一番近くにいるお前がしっかりと支えてやらねば駄目だぞ? と言うか、そう言うこともしているんだろうな?」

「そう言うこととは?」

「今、メルテル様は孤立され、不安の中にいるはずだ。町の噂は目に余る。傷ついた乙女の心を癒すのも騎士の大切な役目だぞ」


 そう言われて、顔をしかめた。


「そう言うのは、よくわからんのだ。ここのところ、距離を置いているが」

「おいおい……」


 デルツィオが非難するような目をこちらに向ける。


 バルバリタのせいでメルテル殿についてあらぬ噂が広まっているのは当然知っている。

 しかし、こっちはこっちで厄介なものだ。人ではなく、多くの人々が作り出した空気が敵であるからな。顔のないマボロシを相手にするようなもの。

 そして内容が内容だけに、男の俺が下手に庇うと、余計にこじれるのは目に見えている。俺自身も、ここでは目立つ存在になってしまった。

 そんな俺が庇えば、男たちからは余計に好奇の目で見られ、女たちの敵視めいた感情も強まろう。よい方向へと転がるどころか、人々を余計に刺激してメルテル殿の立場はいっそう悪くなる。


 だからこそ静観するより仕方なく、メルテル殿とはここのところ距離を置いていたのだが……。


 今のこの状況──この町でのメルテル殿の孤立。まさにこれが、バルバリタの狙いだったに違いない。


「今の彼女には心の拠り所も必要だ。肩を抱いて優しい言葉のひとつでもかけてやれ」

「なっ!? 拙者とメルテル殿はそのような関係ではない。そんなことをしたら慰めになるどころか戸惑われる」

「そうなのかい? ま、どっちにしても寄り添ってやってくれよ。それがメルテル様を守ることにもなる。……言っとくが、単にそばにいろって話じゃなくて、心の話だぜ?」

「う、うむ」


 う~む。どうすればよいのか。


 バルバリタの目的は、前回の婚約破棄のことを鑑みるとメルテル殿の命と見て間違いない。

 そのためにメルテル殿を孤立させたのなら、メルテル殿を決して独りにさせてはならない。


 ヴァンと共に攻めの一手は打ってあるが、しかしその間、どうにか凌がねばならないな。

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