第65話 【聖女弾劾裁判】聖女の涙

 カン!! カン!!


「これよりフルースタ家伯爵令嬢バルバリタの殺害未遂事件裁判の判決を言い渡す!」


 静まり返った法廷に、裁判官の声だけが響いた。


「報告された物的証拠並びに事前の聴取と法廷での証言により、今回の事件は原告であり毒殺未遂の被害者でもあるバルバリタ本人が自らの意志で服毒し、原告側証人のユージーンが、隠し持っていた毒入りの小瓶を被告人メルテルから奪い取ったように偽装したものとする。

 これによって、バルバリタは自らの近衛騎士三名と、シエンナの自由騎士ギルドに駐留するケント、ユージーン、ロキアンナ、レイラの計七名と共謀し、被告人メルテル・ステラベルを陥れようとしたものとする!」


 そこで言葉を区切り、リベルト伯は顔を上げた。


「これらのことから、当事件は被告人メルテルを陥れるために原告側が仕組んだ冤罪事件であると断定する!」


 聴衆席を見渡し、最後にメルテル殿を見やる。


「よって、陪審員との協議の上、五名全員一致により被告人メルテル・ステラベルは無罪とする!!」


 リベルト伯が高らかにそう宣言した。


 メルテル殿の肩からすっと力が抜ける。安堵したように息を漏らした。


 証人席の皆も互いに笑顔で頷き合う。ルージュとリリィ、アルマー殿とベラ殿がメルテル殿の座る被告人席に集まって健闘を称えた。


 メルテル殿も立ち上がる。皆に向かって頭を下げた。


「本当にありがとうございました。皆さんのお陰です……」


 傍聴席のキノコ大好きフェッフェ婆やローザ殿も見やって、もう一度深く頭を下げる。


「フェーッフェッフェッフェ!」


 嬉しそうにフェッフェ婆が笑う。その近くでローザ殿も涙ぐんでいた。


「メルテル嬢」

「ヴァン爺……」


 ヴァンフリードに声をかけられて、メルテル殿がヴァンを見上げる。横には笑顔のリュゼッペもいる。相変わらず台車の上で尻を突き出してはいるが。


「ヴァン爺、リュゼッペさん。本当にありがとうございました。王都や聖都まで短期間での往復はとても大変だったと思います」

「いえいえ、僕らはそんなに」

「そうです。メルテル嬢のためとあらば、これしき朝飯前ですぞ。あ、そうじゃった! お嬢様にこれを……」


 そう言うと、ヴァンがメルテル殿に何かを手渡した。筒状に丸められた上質な白紙だ。鮮やかな青色の紐で結んである。あの紐は、確かリボンと呼ばれるものだ。


 メルテル殿が黙って受け取る。


「貴方の一番下の妹、リーチェ嬢から預かったのです。お姉さまにこれを、と……」


 メルテル殿がリボンを紐解く。広げて、それを目にして、メルテル殿の顔から一瞬、すっと表情が消えた。


「あぁ……、これはすごくいい絵ですね」


 後ろから覗き込むリュゼッペがぽつりと言った。


 ジャランッ……!!


 枷の鎖を揺らして、メルテル殿が突然、座り込んでしまった。肩が震え出す。


「ァ……! ッヴ! ウア!! ヒグ……!!」


 顔が真っ赤に染まっていく。紫色の瞳が揺れ、大粒の涙が零れ始めた。


「エ゛グ! ア゛ァッ!! アッ、ウウッ!!」


 言葉にならない嗚咽を漏らしながら、メルテル殿が泣きはじめる。手からひらりと、その紙が落ちた。


「……!!!!」


 それを見て、俺も目頭が熱くなる。


 稚児の手による絵だった。こちらの世界に存在する染料を固めた画材で描かれている。色とりどりに六人の人物が描かれていた。


 恐らく家族の絵──父と母、兄と二人の姉と自分を描いているのであろう。一番中央にひときわ大きく描かれて、笑顔を見せているのが、きっとメルテル殿だ。

 幼子のつたない手による絵であるが、何とも言えぬあたたかみがある。


「ヴ……ッ!! アアッ!! ヒ、グ……ッ!! ア! エグ!! ウッ、ウウッ……!!」


 枷を嵌められたままに、手のあちこちで涙を拭っている。その度に、鎖がガチャガチャと音を立てて揺れた。


「メルちゃん……!!」

「メルテルさん……!!」


 リリィとルージュもボロボロと泣き出した。


「よしよし! よく頑張った! よく一人でずっと頑張ったよ、この子は……!」


 アルマー殿も泣きながらメルテル殿を抱きしめて頭を撫でた。


 それを見ながら、グランゴも涙を堪えるように口を結んでどこか遠くを見ていた。陪審員ら四人も、互いを見やってホッとしたように頷き合っている。


「おい、もういいだろう!? ぼーっとしてないで、誰か早くこれを外してやっとくれよ!」


 周囲の騎士に向かって、ベラ殿も泣きながら訴えた。


「すっ、すぐに……!」


 一人の騎士が、奥へと引っ込んでいく。


 メルテル殿の嗚咽と鎖の音だけが法廷に響き渡る。


「……」


「……」


「……」


 傍聴席の人々は静まり切っているが、今までにない、ざわりざわりとした揺らぎがあった。


 ザ……ッ!


「やれやれ、今日は疲れたな……」


 見ると、リベルト伯が自分が座っていた席前の机に立っていた。ため息を吐いて、一段下へ降りると、今立っていた机に腰掛ける。


「傍聴人の諸君も、ご苦労だったね……」


 そう言うと、黙って顔を上げた。


「けれど、ここまで傍聴席が満席になることは初めてじゃないかな……。君たちの多くが、今日何を見たくてやって来たのかは、町の噂話から私もなんとなく察してはいる」


 リベルト伯は顔を傍聴席に向けると静かに訊いた。


「それで……見たいものは見れたかな?」


 空気がざわりと揺らぐ。


 リベルト伯が傍聴席を見渡していく。


「気のせいではなければ、今、傍聴席に座る多くの者の顔に、後悔や罪悪感、後ろめたさが見て取れるのは気のせいか? あるいは、俺自身が今まさにそういう思いだからかな……?」


 ゆっくりと傍聴人たちを見ながら顔を巡らせるが、ほとんどの者は顔を伏せたり目を逸らした。


「目を逸らさずに見るのだ。一人の乙女に自分たちが一体何をしてきたのか、これではっきりと分かっただろ? シエンナの民よ」


 そこまで言うと、リベルト伯自身も鎖を揺らしながら泣き続けるメルテル殿を見つめる。


 小さくため息を吐いた。


「まぁ……。その噂の広がりを防げなかったのは、俺の至らなさだけどね。ヴァンフリードに王都に赴いてもらっていたのは、シエンナに広がった噂を無くすためでもあったのだ。

 いくら口で『あの噂は嘘である』と言っても、証拠がなければ、それはまた噂に噂を上塗りするだけのこと……。だからこそ、真偽をはっきりさせた上で動きたかった。結果は、皆の知っての通りだけどね」


 傍聴人たちを見て肩を竦めて笑う。


「小さな田舎町だからね。ちょっとした噂はすぐに広がるし、娯楽の少ない辺境の地だ。面白い噂話に花を咲かせること自体に文句を言うことはするまい。それも娯楽のひとつだろうからね……」


 そこまで言うと、リベルト伯はまた段上に立ち上がった。


「だが、諸君の承知の通り、噂はバルバリタと王都の公爵によってばら撒かれた嘘であり、まったくのでたらめであったと明らかとなった」


 傍聴席に座る人々を見やる。


「最後に傍聴席に座るシエンナの市民よ! 君たちは今日この裁判で真実を耳にし、何が真なのかを目の当たりにした証人である! 各々の家に帰ったら、この事実をしっかりと伝えてくれ!

 そして今日以降、メルテル様に関して事実とは異なる噂を流したり、邪な考えをする者がいれば、そなたらが止めるのだ! 当然、明日からは俺たちも黙って見過ごすことはしない。だができれば、市民どうしで噂を止めて欲しいものだ。それを以って、噂に踊らされ一人の乙女を傷つけて来た、そなたたちへの懲罰とする」


 そう言うと、腰をかがめて、机の上に乗る木槌を手に取った。


「最後にシエンナの民よ。領主として願わくば、諸君にはもう少し、聡明であって欲しいと望むよ……」


 傍聴席の人々を見やって笑うと一礼した。中庭の俺たちも見つめると一回、頷いた。


「それでは、以上を以って当裁判のすべてを終了する……」


 カン……! カン……!


 ゆっくりと二回、リベルト伯が木槌を打ちつけた。


 こうして、メルテル殿の、俺たちの長い戦いの一日が終わった。

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