第35話 【メルテル視点】握り返して
ここ数日、シエンナはオニキスの少女の話題で持ち切りだった。
オニキスの少女フィユは女神エンリドケとの悲恋で有名な神話上の美少女だ。神話には多くの女神や乙女たちが登場するけれど、物語性とも
フィユの生まれ変わりが現れたと町は一時騒然となったけれど、それはヨーム王国から遺跡調査にやって来たレミと言う転生者だった。
あの切ない物語はわたしも好きだけれど、どのくらい似ているのだろうか? 本物なんて見たことないんだけれど……。
って、思っていたけれどレミさんの姿を見て、わたしも胸がどきりとした。本当に神話の世界から抜け出したような美しさだった。
歳はわたしと同じ、くらいだろうか?
そして、そんな彼女の隣にはクロード様がいた。レミさんの手伝いをしているようだった。
遺跡の調査を終えた後も、レミさんは色んな人たちから食事やお茶会に招かれていて忙しそうだった。レミさんも時間が許す限り招待を受けていたようだ。
そんなレミさんの後ろに、クロード様は常に付いて回っていた。
この前も二人並んでサンドイッチを食べていたっけ……。あの時、なにを喋っていたのだろう?
そんなことを思いながらチラチラとレミさんの横顔を見ていると、こっちを見て微笑まれた。顔が熱くなってわたしは目をそらした。
実は今、見晴らしのよい丘に座っている。隣にはレミさんも座っていて小さな子どもたちが周りで遊んでいた。
先ほど、旅の画家さんにモデルを頼まれたのだ。名前はリュゼッペさん──王都で開催される王立美術コンクールに出展する画題を求めてシエンナに来られたとか……。
『王都の画家さんにモデルをお願いされるなんて光栄なことじゃない。描いてもらいなさいよ』
断ろうかと思っていたら、お姉様にもそう勧められて……。
『お願いしますっ! 貴方を見てインスピレーションが湧いたんですっ!』
と、あまりの情熱に負けて、わたしはお受けすることにした。
『よかった~。貴方とレミさんがモデルなら入選間違いなしです。お二人を見た時に、雷に打たれたような衝撃を受けました! こんなことは初めてです!』
ただ最後にそう付け加えられて驚いたのだけれど……。
複雑だ。レミさんと同じ絵の中に納まると思うと緊張するし、なんだか気後れしてしまう……。わたしなんかで本当にいいのだろうか? 不安でしかない……。
わたしの不安をよそに、リュゼッペさんは興奮しながら木炭ペンでスケッチブックにデッサンを描きまくっている。
「あぁっ、イイッ!! いいですよっ!! 春の陽光が降り注ぎし可憐にして絶世の美少女と清純さと慈愛に満ちた聖女との共演っっ!! そしてその後ろにはポニーテールのスカートを穿いたオッサン。オッサンッ!? オッサンッッ!?!?」
わたしたちの後ろを二度見三度見し、突然リュゼッペさんは叫んだ。思わずわたしたちも彼の視線の先を見やる。クロード様が腕組みしたまま突っ立っていた。
「オッサンてめぇ、何やってんですかっ!? 邪魔ですっ邪魔っ!!」
「……むっ? 拙者か?」
「そうですよっ、僕の画角に入らないでください! しっしっ!」
クロード様が渋い顔をしてわたしたちから離れた。リュゼッペさんの後ろに回り込んでくるりとこちらを向く。
「ハハハ! 堅苦しいまでの用心棒だね」とレミさんが笑う。
「用心棒、ですか?」
「うん。彼にボディーガードを頼んでいてね。常に一歩引いて全体を見ることで、いざという時に守れるようにしてくれてるんだね。自分が前を歩いていたら、いざという時に守れないでしょ?」
「あ、なるほど」
だからクロード様はわたしと歩く時、いつも少し後ろを歩いていたんだ……。
モデルの仕事が終わり、レミさんが飛びつくようにクロード様と腕を組んだ。それを見てわたしはドキリとする。
クロード様は突然のことで戸惑っている様子だった。
「少しだけ遠回りして、一緒にお散歩しながら帰らない?」
「か、構わないが……。どうしたのだ? 今日はなんだか変ですぞ?」
「明日で、君ともお別れじゃない。君との時間、あんまり取れなかったからさ……」
「そうですか。分かり申した」
仲が良いんだな……。
あれ? なんなんだろう、このモヤモヤする気持ち……。
クロード様とお話ししたかったけれど話しそびれてしまった。
◇◇◇
レミさんが帰る日──。
中央広場にはレミさんを見送るために町中の人たちが集まっていた。
「最後は、こっち式の挨拶でお別れしませんか?」
レミさんから手を差し伸べられて、クロード様は困惑したような表情をされている。
「手を取って」
レミさんの様子は今までになく柔らかくて可憐で、見ているわたしも思わずドキドキした。クロード様が緊張した表情でレミさんの手を取る。
「そう。次はお辞儀しながら、手に口づけするんだよ?」
自分よりもずっと年下の少女にリードされながら、とてもぎこちなくクロード様がお辞儀をする。
その様子にわたしはクスリと笑ってしまっていた。
周囲からは羨望や悔しがる声も聞こえたけれど、多くの人たちは二人の様子をどこか微笑ましく見守っていた。
◇◇◇
「メルテル殿!」
帰るところで声をかけられた。クロード様が走ってこっちへくる。
「クロード様……」
「よかった……! ここの所なかなか会えなかったから」
大きく息を吐くとこちらを見て笑う。
「なんでしょう?」
わたしの声はなんだか変だった。
「うむ、ずっと訊きたいことがあったのだ。王都からは手紙の返事はきたのか?」
「いえ、まだ」
「そうか……?」
様子がおかしいことに気づいて、クロード様が不思議そうにこちらを見ている。しっかりとした大人の眼差し……。
幼稚な自分にため息が漏れる。
はぁ、小っちゃな子が拗ねてるみたい……。何やってるんだろう?
「ごめんなさい。けれど、内容が内容ですから、誰に見られるか分からない伝書鳩で、とはいきませんから……。返事が届くのにもう少しかかるかと思います」
「うむ、そうであったか」
小さくそう言うと、クロード様は思案気に空を見上げた。
「どうかされましたか?」
「いや、拙者は花祭りがすみ次第、シエンナを出立する予定だ。王への謁見をすませに王都へ向かう」
急に別れを告げられたようで、わたしはなぜか、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「……それで、考えていたのだが王都に行ったついでに拙者がご家族の安否を確認してもよいかもなと思うておったのだ」
「えっ?」
「見ず知らずの転生者と会ってもらえるのか分らぬし、王都は広いと聞くからよそ者の拙者がどれほど動けるかも分からんが、何か
「…………」
「どうした?」
「い、いえ。何でもないんです! ありがとうございます」
なんだか涙が出そうになって、ごまかす様にブンブンと頭を振った。
「うむ。取りあえず出立する前にはメルテル殿にも挨拶に寄る故、それまで考えておいてくだされ」
そう言うとクロード様は笑った。
この方は普段は何を考えているのか分からない時も多い。無表情と言うか無愛想に見える表情も多いのだけれど、急にとぼけたことを言ったりどこか抜けてたり、それでみんなが明るくなる。
そして本当は色々なことを考えてくれてる。
「クロード様」
「ん?」
「お優しいですね」
「そうか?」
「ええ」
やっぱりそうだ……。わたしはクロード様のことを心から慕っている。
◇◇◇
空に手を伸ばした。夕日に手が染まる。それを見てお姉様が首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
先ほどの別れのことを思い出していた。クロード様はいつものように、律儀に腰を折ってお辞儀をした。
手の指をピンと伸ばして腰につけ、背は一枚板のようにして頭を下げる、かっちりとした所作。
ほかの転生者の挨拶の仕方とも違っている。おそらくずっと過去から転生されているから、あれが昔のニホンという国の普通なのかもしれない。
この前もさっきも、思わずわたしは右手を伸ばそうとしてすぐに止めた。
距離を感じてちょっとだけ悲しいような気がすることもある。
今日のレミさんみたいに、わたしもやってみようかな?
あれを見ていてレミさんが羨ましいなって思った。
いつかわたしが手を伸ばせたら、握り返してほしいな……。
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