第36話 運のいい豚

◆◆◆


 シエンナ花祭りの初日──。


 店先の看板や入り口、窓、ベンチ……、いろんな場所に花が飾られて、町は彩に満ちていた。


 花祭りは五日間開催されるのだが、無事に初日を終えたその日の夕方、四頭立ての豪華な馬車がシエンナの西の門へと迫っていた。


 ドドドドド……!!


「ん? フェッフェッフェ。ようこそ、シエンナの町──」


 花を飾ったバスケットを手に、フェッフェお婆ちゃんがいつも通り、果敢に町の名前を言おうと馬車に近づく。だが馬車の勢いは止まらない。


「邪魔だっ、どけババアッ!! 死にたいのかっ!!」

「うぎゃーっ!!」


 ドドドドド……!!


 ごろごろごろごろ……!!


 哀れキノコ大好きフェッフェお婆ちゃんは、轢かれこそしなかったものの、収穫したキノコをまき散らしながら路地裏へと転がり消えていくのだった。


 領主のリカルドが所有する馬車よりも立派なその馬車は、そのまま彼の館へと突き進み、その門の前でようやく歩を緩めた。


 館の前庭ではリカルドをはじめ館の人々が、その馬車を出迎えるために待っていた。


 馬車が止まると、御者が素早く座席から飛び降りて、慣れた手つきでドアを開ける。美しいドレスを着た若い女性が手を差し伸べる騎士に支えられて馬車から降りて来る。


「お待ちしておりました。フルースタ伯爵家令嬢、バルバリタ様。ようこそシエンナへ」


 そう言うとリベルトは彼女の手を取り深々と頭を下げた。


「お招きいただき光栄ですわ。アスター辺境伯」


 バルバリタが笑顔で応じる。スカートの裾を持ち上げてお辞儀を返した。


「少しの間ですが、わたくしと近衛騎士の計四名、こちらでお世話になります」

「ええ。客室の用意もできていますから、そこをお使いください。シエンナに留まられている間は、うちのメイド長パメリアが貴方様の身の回りの世話をさせてていただきます」


 リベルトに身振りで紹介され、メイド姿の白髪の女性がゆっくりとお辞儀をした。


「メイド長のパメリアでございます。数日の間、侍女としてお仕えさせていただきます。遠慮なく、何なりとお申し付けくださいませ」

「お気遣い感謝いたします、アスター様。パメリアさんも、よろしくお願いしますね」


 そう言われて、パメリアはもう一度頭を下げた。


「それから、この老騎士が我がシエンナで騎士長を務めるヴァンフリードと申す男です」

「ヴァンフリード・マルテロと申します。お見知りおきを」


 表情を引き締めたままヴァンフリードが会釈した。


「貴方があの男爵騎士ヴァンフリード様ですか。父などからもお噂は兼ねがね。わたくしの騎士たちも交流できることを嬉しく思っていますよ」

「身に余る光栄にございます」


 ヴァンフリードがもう一度頭を下げた。バルバリタの両サイドの騎士と御者を務めていた男も、ヴァンフリードに向かって一礼する。


「さて、堅苦しい挨拶はここまでにしましょうか、バルバリタ様」


 やや表情を崩してリカルドが笑った。


「長旅でお疲れでしょうから、夕食までゆっくりとされてくださいね」

「はい、リカルド様。そうさせていただきますわ」

「今宵はとびきりのシエンナ料理でおもてなしさせていただきます」

「あら、それは楽しみです」


 肩を竦め、バルバリタも表情を緩めて微笑み返した。


 三人の騎士たちと共に、メイド長パメリアの案内でバルバリタたちは客室のある棟へと案内される。


 執事やメイドたちもバルバリタの荷物を手に後に続いた。


「後はわたくしと彼らで整えますから、これで結構ですわよ」

「かしこまりました」


 バルバリタの一言で執事もメイドたちも頭を下げる。パメリアと共に部屋から出て行った。


「ご用があれば何なりとお申し付けくださいませ。私はいつでも控えておりますから」

「ありがとう、パメリアさん」


 扉の前で一礼し、パメリアも出て行く。ゆっくりと扉は閉め切られた。


 それを見て、柔らかな笑顔を保っていたバルバリタから表情がすーっと消えた。大きな旅行バッグを開けると、一通の手紙を取り出す。


「メルテル……」


 窓辺に寄ると小さくそう言った。


「辺境に逃げろとは言ったけれど、本当に最南端まで逃げおおせるなんてね。運のいい豚だこと……」


 ガラス窓に映る顔が冷たく笑う。


「ダンテカルロ!」

「はっ!」


 御者を務めていた近衛騎士がバルバリタを前に素早く跪いた。


「ダンテ……。王都であの豚を暗殺しなさいって言ったわよね? 強姦か物取りに見せかけて……。それなのに、よくもヘマをしてくれたわね。今度しくじったら許さなくてよ?」

「御意っ!」


 首を垂れるダンテカルロを見て「ふふっ」とバルバリタが声を漏らす。二人の騎士たちは淡々と彼女の調度品を整えていた。


 バルバリタは指先で手紙を摘まんでひらひらと宙に泳がせた。


「……それにしても、こんな手紙よこすなんて、あいかわらず甘ちゃんだこと」


 窓のカーテンをシャッと閉め切る。


「けれどここから先にはもう町も村もないのよ、メルテル……? もう逃がさないから。この辺鄙な田舎町がアンタの死に場所になるの。泥まみれで殺してあげるわ。豚にはお似合いね」


 そう言うと、身体をくの字に折り曲げて愉快そうに笑うのだった。


◆◆◆

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