第55話 【聖女弾劾裁判】事実の認定

「被害者バルバリタ・フルースタは晩餐会にて、何者かによりワイングラスに毒を盛られた。幸い命は取り留めたが、その場の状況及び取り調べの結果、毒を盛った可能性が高く、最も疑わしき人物が被告人メルテルである」


 リベルト伯が手短に事件のあらましを説明した。そしてバルバリタの方を向いて問いかける。


「バルバリタよ。晩餐会の会場で、そなたはメルテルを名指しし、毒を入れたのは彼女である主旨の発言をしていたな? 聴取でも同じことを言っているが、それは真実か?」

「はい。正確に言えば、毒を入れることができたのは彼女だけであり、わたくしを殺そうとする目的を持つのも彼女しかおりません」


 バルバリタはそう答えた。


「もう一度、どういう状況だったのかを説明してくれ」

「あの晩餐会で、わたくしはメルテルさんのところへと挨拶に行きました。そこでメルテルさんやそちらのお三方とも言葉を交わし、新しいグラスを取り、五人で乾杯をしたのです」

「それは真か?」


 俺たちに向かってリベルト伯が訊く。メルテル殿をはじめ、俺たちは各々に頷き、「真実である」と答えた。


「談笑している時でした。わたくしの注意がそれた瞬間に、メルテルさんがわたくしのグラスに毒を入れたと思われるのです……。ふと気づいたら、彼女は驚くほどに近い距離で、わたくしのグラスを手で覆うような仕草をしていました。恐らく、その時に……」

「毒を入れたと?」

「はい。何をしているのかなとは思いましたが、メルテルさんは『グラスにゴミがついていたから』と。それで、わたくしはお礼を言い、その後は特に気にすることなく……。けれど、よく考えるとあの時に……」

「被告人、どうだ?」


 リベルト伯の問いかけに、メルテル殿は首を横に振った。


「事実ではありません。そんなことは言っていませんし、わたしは毒なんて入れていません。そもそもグラスに近づいてゴミを取るようなこともした覚えはありません」

「聴取での主張通り、と言うわけだな?」

「はい」

「被告人席の証人たちはどうだ?」

「私たちも同じです。その場にいたので見ていましたが、そのような事実はありませんでした」


 ルージュの言葉に俺とリリィも頷いた。


「まずここで、事実に関する見解が食い違っているわけだ。ワインに毒を盛ったのが一体誰なのかが、はっきりとしていない」

「異議あり」


 ケントが手を挙げる。


「裁判官、意見がある。いいか?」

「自由騎士ケントよ、発言を認める」


 ケントが軽く頭を下げる。


「状況証拠から、嘘をついているのはメルテルであり、そばにいたその三人が見ていないと言うのならば、その三人も同罪だと考える。つまり、そこの四人がグルだと言うわけだ」


 ケントは自信たっぷりにそう言った。陪審員は若干戸惑った様子で、互いの顔を見合わせる。


 一人の陪審員が口を開く。


「事前に取り調べ内容をまとめた調書を読んだ。調書の内容が事実ならば君の言う通りなのだろう」

「自由騎士のユージーンが、被告人から毒の入った小瓶を取り上げたらしいが、それは事実かね?」

「ああ、その通りだ」


 別の陪審員に問われて、ユージーンが頷く。


「バルバリタ様が毒を盛られて苦しんでいた時、彼女がメルテルを指差しただろ? 彼女が毒を入れたみたいなことを言っていた。俺はその時、たまたまメルテルの少し後方にいた。そこで見えたんだ」


 そう言うと、メルテル殿に指を突き付ける。


「この被告人が右手の内側に何かを握りこむのをな。まるで何かを隠すような仕草だった。きらりと光るものが見えて、それで俺はピンと来て取り上げたんだ。そこで握っていたのが毒の入った小瓶だったってわけだ」


 メルテル殿が手を挙げる。


「被告人」

「事実ではありません。わたしはそんな小瓶を持っていた覚えはありませんし、そんな小瓶、そもそも知りません」


 その発言を聞いて、ずっと調書に目を通していた陪審員が顔を上げた。


「う~ん……。被告人側の証人諸君も、それに対して同意見なんだね?」

「無論。拙者たちはずっとメルテル殿と共にいた。小瓶など手にしていなかったし、それをバルバリタのグラスに入れる素振りさえ見ていない」


 俺はそう答えた。


 むしろ、こちらが毒を盛られる可能性を考えていたくらいだ。だから、メルテル殿の周辺を取り囲み、ひたすら警戒していた。

 当初俺たちはバルバリタの方が晩餐会でメルテル殿を亡き者にしようとしていると考えていた。毒殺は十分に考えられる警戒すべき手段のひとつだった。


「ここでも、真っ向から対立するか……」

「何が疑問なんだ。答え出てんだろ、バーカ」


 ため息交じりに陪審員がそう言うと、ケントが首を捻りながら早口でそう言った。


「これは、現行犯だ。被告人は言い逃れができないように思うが? 裁判官と陪審員、どう思うんだよ?」


 ケントはそう言うと、リベルト伯たち五人を真顔で見やる。


「ここにいる傍聴人たちにも納得のいく説明をしてみろよ? なぜ毒を盛られて死にかけた被害者のバルバリタ様を疑うのかを。被害者が毒を盛ったのはメルテルだと言っているんだ。そして、そのメルテルが毒入りの小瓶を所持していた。これだけで、もう犯行は立証されていると思うんだけどね?」


 ケントの言葉にリベルト伯たちは一瞬沈黙した。その隙に、近衛騎士も言葉を差し挟む。強い口調で言った。


「裁判官、陪審員よ! そして傍聴席の諸君! 我々はバルバリタ様の近衛騎士として取り調べにも参加した。メルテルは人を殺そうとしておきながら、一切反省する様子はなく、すべてを否定しているのだ! 何を聞いてもやっていないの一点張り。今のようにな。これは極刑に値する!」

「静粛に!」


 リベルト伯が木槌を叩いて近衛騎士を黙らせる。


「口を慎みたまえ」


 近衛騎士はむすっとして黙った。


「あの晩餐会には我が館のメイドや執事たちも給仕として出入りしている。その多くの者たちにも取り調べをしたが、誰一人、被告人が毒を入れた瞬間を見た者はいなかった」


 リベルト伯がそう報告するとロキアンナが手を挙げた。


「それってさ。つまりは、その四人が結託して、周囲から見えないようにしてたんじゃない? 身体で壁とか作ってさ」

「四人が共犯なら可能だよね? 全員で取り囲んでメルテルが毒を入れる瞬間を誰にも見せないようにすること」


 レイラもそう言って頷く。


「この三人は関係ありません」


 メルテル殿がそう返した。


 その言葉にレイラが目を細める。


「じゃあなんで、お前らずーっとベッタリだったわけ? おかしいくらいに四人ずっと一緒だったじゃん?」

「それは……!」


 メルテル殿は言い淀んだ。俺たちも返す言葉を躊躇う。


 俺たちはバルバリタの魔の手からメルテル殿を守ろうとしていた。だが、それを言い出すと、メルテル殿の王都での婚約破棄の一件に話が行きついてしまう。それにはまだ、触れられぬ。


「…………」

「どうしたんだよ、オラ! 清楚ぶってねぇで何とか言ってみろ!」


 レイラが俯くメルテル殿を見て咆える。


「自由騎士レイラよ」と書記をしていたデルツィオが静かに割って入った。

「アァ?」

「これは巷の口喧嘩ではない。真実を明らかにする裁きの庭だ。言葉遣いに気を付けたまえ。百人近い傍聴者たちの目があること、すべては書き留められ記録されることを忘れるな」

「どーも、さーせーん」


 レイラが上を向いて長いため息を吐く。


「リベルト伯。発言をよいか」

「自由騎士クロード、構わないよ」


 俺はユージーンを見た。


「拙者たちとしては、メルテル殿が小瓶など持っていなかったことから、ユージーンの方を疑っているのだ。あの時、ユージーンはメルテル殿の右腕を捻り上げて乱暴に引き摺り倒した。その際に、確かに手から何かを奪うような仕草をした。だが、元からこの男が手の内に隠していたとしたら……?」


 その言葉で、みんながユージーンを見る。ユージーンは両手を顔の横に上げて手をひらひらさせ、おどけて見せた。


「言っとくが、俺は嘘なんか吐いちゃいないぜ~?」

「誓って嘘ではないのだな?」


 リベルト伯が念を押す。


「……ああ」

「クロードとやら」


 陪審員が俺に問いかける。


「つまり君はユージーンが最初から毒の小瓶を所持していたと言いたいのだね?」

「然様にござる」

「つまるところ、君は今回の一件がどうだと言いたいの?」

「被害者の自作自演。被害者側こそが結託し、バルバリタが自ら毒を飲んだ」


 そう言うと、陪審員たちは少し驚いた様子で互いの顔を見やる。


「話しにならない」


 ケントが笑う。バルバリタ側の席から苦笑が漏れる。バルバリタを見やると、悲し気に顔を伏せていた。


「裁判官、陪審員。そして傍聴席の人々よ。今の発言はあんまりではないか?」


 近衛騎士ダンテカルロが胸に手を置いて訴えた。


「我が主バルバリタ様は死ぬところだったのだ。それをこのような神聖な裁きの庭で、よくもそのような暴言を……」

「被害者であるバルバリタ様は心身ともに疲弊しておられる。そんな乙女の心をさらに傷つけるようなことを……」

「我が主を侮辱するような言葉は慎んでもらいたい」


 残る二人の騎士も苦痛の表情でそう言った。


「クロードとか言ったな?」と陪審員が再び俺に問う。

「うむ」

「今の発言に確証はあるのか? 事実足りえると我々に示せる証拠などがあるか?」

「ござらん」


 また笑いや呆れの声が漏れる。


「う~ん……。そうであれば、彼が自分で小瓶を持っており、それを被告人から奪ったようにと言うことを証明することは難しいな」

「そもそもを考えて欲しいのだが……」


 ケントが再び口を挟む。


「取り調べでも言ったが、俺たち四人は晩餐会の日に初めてバルバリタ様と会った。それを証明してくれる人もいたよな?」


 リベルト伯が黙って頷いた。


「逆に理由を説明できるのか、アンタたちは? なぜ初対面の俺たちがバルバリタ様に毒を盛らなければいけないのか? そしてそもそも、なぜバルバリタ様は自分で毒を飲まないといけないのか? 何の得がある? 何が目的なの?」

「もう、答え出てんだろ……」


 ユージーンがぼそりと付け加えるように言った。


「皆様、あまりメルテルさんたちを責めないで……」


 ずっと黙っていたバルバリタが涙目で自らの仲間を眺めやる。


「わたくしはどうにか生きていますし、元はと言えば、わたくしの早とちりからメルテルさんを追い詰めてしまったのがいけないのです。わたくしがメルテルさんを追い詰めたばかりに、彼女はこのような無謀なことを……」


 沈黙の空気が流れた。


 まずい……。


「さ、裁判官。陪審員の皆さん……違います。わたしではありません」

「どうですか、みなさん! この被告人を見てください!」


 メルテル殿の必死の訴えは、ダンテカルロの言葉で打ち消された。


「今もこのように、人を殺そうとして一切反省せず、被告人は未だに言い逃れをしようとしているのです!」

「まだそうとは決まっておらぬ!」

「そうだよ」

「メルテルさんも、そして私たちも無実を訴えます」


 俺たちはそう反論した。


「見苦しいぞ! 罪人め!!」

「そうだ! さっさと自分のやった罪を吐いちまえよ!」

「王都での所業を明らかにされて、それでバルバリタ様を亡き者にしようとしたのだろう! この悪女めが!」

「静粛に!」

「共に静粛に!」


 陪審員たちが止めに入った。四人の陪審員がリベルト伯に向き直る。


「状況からすると、調書の通り、被告人メルテルが毒を盛った犯人として事実の認定をするよりほかはないと思いますが……、リベルト様、いかがでしょうか?」


 陪審員の一人が、代表してそう訊いた。


「……一人、重要な証言者がいる」


 そう言って、ちらと俺を見た。


 もう少し時を稼ぎたかったが、致し方あるまい。


「事前にクロードらより、その者を召喚したいと申し出があった」


 リベルト伯の言葉に、バルバリタの目元がぴくりと動いた。ケントたちも一瞬沈黙する。


「事実の認定をする前に、その者を召喚したい。証人を召喚せよ!」


 騎士たちによって扉が開かれる。その奥から姿を見せたのは、アルマー殿だった。

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