第43話 【メルテル視点】変わらない人たち

 雨の中をひたすらに走った。目的地なんてない。ただ息の続く限り走って、足を取られて転んだ。水溜りの中に横倒しになる。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 もう頭の中がぐちゃぐちゃで、何をどうすればいいのかも分からない。


 起き上がると少し離れた場所から、女性たちがこちらを見ていた。目が合うと逃げるように姿を消した。


 人の目が、怖い。


 花祭り以来、町の人たちの視線が変わっていった。男性からは全身をまさぐるような、女性からは悪意や嫌悪の視線を感じる。消えることなく、それらは日増し大きくなっていった。


 ふらふらとした足取りで、気づけば西の門の前まで来ていた。この門を通ってこの町へ来た日が、ずいぶん昔のことのように思える。


 元々は、バルバリタやその追っ手らしき者から逃れて、どうにか辿り着いた場所だった。


 まさかここまで追って来るなんて……。


 このまま町を出ようかな。もう、わたしにはどこにも行くところなんてないけれど。このままどこかに……。


 ふらふらと町の外へと伸びる道を歩いていく。


「おや? あんたは聖女様じゃないかね?」


 背中に声をかけられて振り返った。


「お婆様……」


 シエンナに来た日にもお会いした、あのお婆様だった。


「やっぱりそうだ。こんな雨の日に雨除けのマントも着ずにどこへ行くんだい? フェッフェッフェ!」


 いつもと変わらない笑顔を見ると、自然と涙が溢れ出した。わたしはその場に座り込んでしまった。


 お婆様が何も言わずに、自分が羽織っていたストールでわたしを包んでくれる。


「こんなに濡れて……。風邪をひいてしまうよ? フェッフェ」

「お婆様……。わたし……っ!」


 泣き崩れてしまったわたしを、お婆様はしばらく抱いて頭を撫でていてくれた。その後、身体を温めた方がいいと言われて、お婆様のお家にお邪魔することになった。


 暖炉の前でパチパチと火の粉が散る。濡れた身体を温めながら黙ってそれを眺めていた。


「さあ、これを食べて元気をお出し。おばあちゃんの特性キノコスープだよ」

「ありがとうございます。お婆様……」


 湯気が立つスープをゆっくりと口に運ぶ。一口飲み込んだ。心まで温まるような優しい味だった。


「美味しいです」

「そりゃ良かった! それを食べればすぐに気分が明るくなるよ? そのうち愉快になって笑い出す。それはワライダケのスープだからね」

「ええっ!?」


 わたしの驚きように、お婆様の方が愉快そうに笑い出した。


「フェーッフェッフェッフェッ! 冗談じゃよ。それはフユノワスレモノとも呼ばれるこの季節によく採れるマッシュルームじゃよ。スープにすると身体が温まって落ち着くんだよ」


 確かに一口飲むごとに身体がぽかぽかしてきて、心が落ち着いてきた。


◇◇◇


「ご馳走様でした、お婆様。何だか元気になりました」

「いいさね。おや、雨も止んだみたいだ」

「本当ですね」


 お婆様につられて窓を見上げる。まだ外は暗いけれど雨は上がったようだ。一緒に外に出る。


「その内また、春の陽ざしが戻るだろうさ。こうやって雨を挟んで、ゆっくりと夏に向かっていくからね」

「そうなんですか」


 空を見上げる。灰色の雲の切れ間が黄色く発光しているようだった。


「町の噂なら気にすることはないさ。それに、あんたの味方は意外と多いと思うけれどねぇ」

「そうでしょうか……」

「ああ、そうさ。冷静に周囲を見渡すといいよ? どちらにしても、おばあちゃんは聖女様の味方だからね? フェーッフェッフェッフェッ!」

「すごく勇気が出る言葉です、お婆様……」

「またいつでもおいで」

「はい、ありがとうございます」


 頭を下げてお婆様の家を後にする。雲の切れ間から陽が差し込む。


 まだ何も解決はしていないけれど、少しだけ気分が晴れた。


「あっ、いたよ!」

「メルテルさん!」


 通りに出ると、向こうから誰かが手を振って駆けて来る。ルージュさんとリリィさんだった。


「ルージュさん。リリィさん」

「ああ、メルテルさん!」


 駆け寄るなり抱きしめられる。ルージュさんは髪も服も濡れていた。見るとリリィさんもずぶ濡れだった。


「よかったぁ、無事で」

「もしかして、お二人ともずっとわたしを……?」

「ええ、あんなことがあったから心配で、ずっと探していたんです」

「ごめんね、メルちゃん。あのケントの馬鹿っ! メルちゃんを泣かせやがって!」


 今までと全く変わらない二人の様子に心がじんとする。


「帰ろっか」

「ええ、修道院までお送りしますよ」

「ありがとう。でも、わたしは大丈夫です。それよりも、お二人ともずぶ濡れですから、ずっとこのままでは風邪をひいてしまいますよ」

「平気、平気。このくらい!」

「ええ。帰ったらすぐにお風呂に入りますから」

「ありがとうございます」


 しっかりしないと。どうにかして王都の家族の安否が確かめられないものだろうか? それさえ分かれば、もっと動けるのだけれど。


◆◆◆


「はぁ……」


 店に帰るなりため息を吐いた娘を見て、薬屋のベラは眉を寄せた。


「なんだい、客前でため息なんか吐いて。商売人は笑顔と度胸が大切だよ!」

「だって母さん。ここのところ、どの集まりに行ってもメルテル様の悪口ばかりで嫌になるんだもの……」

「ハッ!! どいつもこいつも、いつまで言ってんだかね!」


 それを聞いて、ベラは吐き捨てるように言った。


「聞く耳なんて持たなくていいんだよ、言わせておけばいいのさ! 古代龍からシエンナを救ってくれた恩人だってのに、なんの証拠もなしにあんな女の言葉を真に受けるなんてさ! 私ゃ、嫌いだね! あのバルバリタとか言う女はっ!!」


 それは娘にではなく、どちらかと言えば今薬屋に来ている客たちに言い放ったように思えた。客にとっては、いいとばっちりである。


「まったく恩知らずな連中ばかりで嫌になるね!!」


 ドンッ!!


 ベラは怒りに任せて、薬の小瓶をカウンターに置いた。


「ホラ、グランゴ! これが塗り薬だよ!」

「……ああ」


 ベラから薬を受け取ると、ここのところ仲間とつるむ気にもなれないグランゴは、その足で町の酒場を訪れた。


 黙って飲んでいると、隅に固まっている男たちの会話が聞こえてくる。ここのところ男たちの間で噂になっているメルテルの話題を一人が切り出した。


「そう言う目で見ると、やっぱりあの聖女様はイイ身体してるんだよなぁ」

「また、その話か。好きだねぇ、お前も……」

「言っとくが俺は違うぜ、お前たちと一緒にしないでくれ! ……だって俺は、前からいい女だと思っていたからな!」

「なんだよ、そりゃ!」


 全員が盛大に笑った。


「俺は特にあの娘の腰つきが好きだなぁ。修道女の服は、身体のラインはそんなに見えないけどよ、それがいいんだよ」

「罰当たりだなぁ、ははは!」

「で、時ぃどき、座ったりしゃがんだりした時に分かるあの娘のお尻のライン、大きいくてきれいな形なんだよ。それに太ももも案外肉付きがよくって俺好みなんだ。……ま、胸は小さいけどな」

「馬鹿だな、胸はあれくらいが丁度いいのさ。丁度、こう、手の平に収まる感じでさ」


 それを聞いていた一人がジョッキを飲み干して深いため息を漏らす。


「あ~あ、どうにかならねぇかな? 金とか払えば、やらせてくれるんだろか?」

「無理無理っ! 王侯貴族やお偉い聖職者を相手にしてたんだろ? いわゆる高級娼婦ってやつさ。俺たちなんか誰も相手にしてくれねぇよ」

「けどよ、この町にそんな奴らいないだろ? ちょっとくらい金を積めばなんとかなるんじゃないか?」

「ははは、じゃあ今度、冒険者ギルドに行って来いよ? あの娘がいる時に」

「な、なんて言えばいいの?」

「そりゃあお前、アソコが腫れてるから摩ってほしいとか言って、ボロンと──」


 ビチャビチャビチャ……!


「冷てぇっ!」


 急に頭からビールをかけられて、男が悲鳴を漏らす。


 ドガッ!


「痛っ! ……!?」


 次はジョッキで頭を小突かれた男が振り返る。グランゴが男たちを睨んでいた。


「グランゴじゃないか。何しやがんだよ?」

「どいつもこいつも下らねぇ」

「??」

「なんだ、酔ってんのか?」

「酔っちゃいねぇよ。まったく酔えねぇよなぁ、うるさくてよ!」


 一人の胸ぐらを掴んで椅子から持ち上げる。


 ドガッ!


 殴り飛ばす。


「お、おい、何やってんだよ!?」


 騒ぎが起きて、酒場の目がグランゴたちに集まる。


「いってぇ!! グランゴ、てめぇ急に何の真似だよ!?」

「どいつもこいつもよぉ、本当に馬鹿な面だな! そんなんだから、馬鹿みたいな噂、真に受けるんだ……!」

「はぁ? なにを……ぐはっ!?」


 グランゴは一人で男たちに殴りかかっていった。


 酒場は騒然となった。最初、面白がっていた連中もグランゴのあまりの暴れように静かになる。


「おい! 誰かゴロツキを止めてくれ! 店で死人が出るなんてまっぴらだ!!」


 マスターの一言で、最後は全員でグランゴを止める羽目となった。


◆◆◆

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