第50話 伯爵令嬢殺害未遂
バルバリタとの密会から、メルテル殿が戻って来た。
「何もされなかったか?」
「大丈夫です。リベルト様もおいででしたから」
表情を引き締めたままメルテル殿は頷いた。
「で、では、行こうか?」
デルツィオに教えられたとおりに右肘を出す。その肘にメルテル殿が左手を置いた。
「……!」
置かれた手は微かに震え、掴む力が強かった。
相当怖かったのだろう。ここは、恥など捨てて……。
メルテル殿の手に左手を重ねる。薄絹の手袋越しにも、冷え切っているのが分かった。
メルテル殿が目を丸くしてこっちを見上げた。
「大丈夫。拙者たちがついている」
「はい……」
袖を掴むようにメルテル殿が手を丸めた。そんな手を温めるように包み込む。
そして始まった晩餐会。俺はリリィとルージュと共にメルテル殿のそばを離れなかった。
ほかの参加者との挨拶はそこそこに、気は常にメルテル殿と、そしてバルバリタへと向けていた。
バルバリタに仕えている三人の騎士どもにも注意を払っていたが、三人は部屋の隅に黙って立っているだけだ。
途中でバルバリタがメルテル殿へと近寄って来た。
一気に俺たちに緊張が走る。だが特に何事もなく、話をしただけだった。バルバリタが酒を用意させて、最後に皆で乾杯する。
「乾杯しましょう、メルテルさん」
「ええ……」
「わたくしたちの変わらぬ友情に」
「…………」
あまりの空々しさに薄気味悪さが増す。バルバリタは、何か仕掛けてくることもなく、次はレッキオたちのところへと行ってしまった。
話をしながら感じ取ったのだが、恐らく向こうも、我らがメルテル殿の味方であることは勘づいているだろう。
この世界のことだから、【スキル】や【魔術】などの妙な術を使ってくるかもと警戒していたが、何事も起きない。
解せない。平穏すぎる……。
そう思っていた時に、騒ぎが起きた。
「バルバリタ様っ!?」
「どうされました、バルバリタ様っ!!」
「一体何がっ!? 誰かっ、誰かお手をっ!!」
「!?」
すぐにメルテル殿の身の安全を確認する。特に問題ない。それを確かめてから、俺は人の間を縫うように騒ぎの中心へと向かった。
「な……っ!?」
バルバリタが床に座り込み、苦し気に吐いていた。
……どうなっておる!?!?
涙で頬を濡らしながら、バルバリタがゆっくりと腕を前へ伸ばす。指差したその先に、メルテル殿が立っていた。
「か、彼女が……、メルテルが。わ、わたくしの、ワインに……!」
「!?!?」
次いで、メルテル殿の方からも鋭い声が上がった。
「おい! 今この女が何かを手に隠したぞっ!!」
ユージーンだ。メルテル殿の右腕を捩じり上げる。メルテル殿は混乱した様子で、何が起きているのか分かっていないようだった。
「手に持っている物はなんだ!? 隠しても無駄だっ、出すんだ、メルテルッ!!!!」
ユージーンがメルテル殿の手の平から何かを奪い取るような仕草をして見せ、そして腕を乱暴に引っ張った。
引き摺られるようにして、メルテル殿の身体が振られる。メルテル殿は小さな悲鳴を上げて、床に両手をついて転んだ。
「メルテルさん!」
「ちょっと、乱暴しないでよ!」
ルージュとリリィが駆け寄って抱き起す。
「こっ、これは……!! この女が、メルテルがこんな物を隠していたぞーーっ!!」
ユージーンが指に摘まんで高らかと上げたのは、小さなガラスの瓶だった。
「オイ、それ何か入ってないか!?」
そばにいたケントが駆け寄る。
「ああ。透明な、液体みたいなのが入っている」
「貸してみろ。俺が【鑑定眼】で調べてみる」
ユージーンから小瓶を受け取る。
「俺は自由騎士のケント!! 俺には【鑑定眼】のスキルがある! 今から、このメルテルが隠し持っていた小瓶を調べる!!」
そう宣言し、ケントが小瓶を食い入るように見つめる。周囲の人々が彼らとメルテル殿たちを取り囲んで広く輪が出来ていた。
人々の関心はケントへと向けられている。
「【鑑定眼】!! ……っ!?!? 毒だっ!!」
ケントがもう一度、小瓶を高らかと掲げた。
「これは、毒薬だっ!!!!」
謀られた!!!!
俺は騎士たちに抱きかかえられているバルバリタを見た。
この女……っ!! これが、晩餐会での奴の計画だ……!!
「何かの間違いです、わたし……っ! そんなもの知りません! わたしの物ではありません!」
「嘘をつくな! 確かにお前が手の中に隠し持っていたじゃないかっ!!」
ユージーンがメルテル殿を睨みつける。メルテル殿は何度も首を横に振った。
「本当です! わたしは知りません!」
「メルテル……! げほっ! げほげほっ!!」
咳き込みながら、バルバリタがメルテル殿の名を呼ぶ。
「どうして、メルテル? わたくしの大切な友よ……。先ほど、わたくしを許してくれると、そう言ってくれたはずなのに……。やっぱり、わたくしが許せなかったのですか?」
「違う……。これは違います……」
バルバリタの悲痛なまでの訴えに、メルテル殿は真っ青な顔をして首を横に振る。
バルバリタがまた苦し気に咳をし始めて、再び嘔吐する。周囲の人々はびっくりして身を引いた。
「誰か! 誰か早く何とかしてくれっ!!」
「どうにか解毒できないのかっ! 薬はないのかっ!? 【聖術】が使えるものは!? このままでは手遅れになるっ!!」
近衛騎士たちが叫ぶ。そのうち一人が、ケントを見て言った。
「そこのケントとやら、一体どういった毒なのだ!? 分かるか!?」
「すまない。そこまでは分からないんだ」
「メルテルッ!! 伯爵令嬢にどんな毒を飲ませたっ!? 白状しろっ!!」
ユージーンがメルテル殿の胸倉を掴み上げた。
「やめてよ!」
「そうです。彼女が犯人と決まったわけではありません!」
リリィとルージュが必死にメルテル殿を庇うが、その声は近衛騎士の怒号にかき消される。
「そんなことは後でいいっ!! 今はバルバリタ様のことが優先だっ!!」
「いい訳ないよ! うやむやにしないで! なんでメルちゃんを犯人と決めつけるのさっ!」
「決めつけるも何も、その女が毒薬を隠し持っていたのだろう!?」
「けれどっ!」
やり取りを無視して、ユージーンが騎士たちに向かって声をかける。
「おーい!! 城の騎士たち! こいつがバルバリタ伯爵令嬢を殺そうとした犯人だ! 早く拘束しろ!!」
「いい加減にするのだっ!!!!」
会場全体に声が響いた。その声で、場が静まる。
声のした方を見る。リベルト伯が怖い顔をして立っている。
「皆、静粛にするのだっ!! ここは我が館! 晩餐会の責任者はこの私だ! ここでのことは私が責任を負う!!」
そして、素早くデルツィオとメイド長のパメリアなる老女を呼んだ。
「デルツィオ! すぐに修道院に兵を走らせ修道女を呼びに行くのだっ!! 解毒の術に長けた者を呼べ!! パメリア! バルバリタ様を安静な部屋に! 早く湯を沸かし手当の準備をっ!!」
「はっ!!」
「すぐにっ!!」
駆けつけた二人が短く言葉を返す。
パメリアがバルバリタの肩に毛布のようなものを掛けた。
「さ、バルバリタ様こちらへ!! 歩けますか?」
数人のメイドも手伝う。執事たちも慌ただしく部屋を出入りしはじめた。
メイドたちに肩を抱かれ、とぼとぼとバルバリタが歩く。
「あ、あの……」
それを見ていたメルテル殿が弱々しく声を発した。怯えるような足取りで、数歩前に出る。
何を言う気なのだ。やめろ。もうよい、メルテル殿……。
「今から修道院へ行っていては……、間に合わないかもしれません……。わ、わたしで、良ければ……、解毒を……」
メルテル殿……!! すまない……っ!!
歯が粉々になるほど強く、俺は上下の歯を噛みしめた。
自分の不甲斐なさに拳を握りしめる。だが、ここで心を乱しては余計にメルテル殿の立場を危うくする。
「メルちゃん……いいよ」
「メルテルさん……」
リリィとルージュも泣きそうになっている。
「……」
この場で【聖術】が使えるのは恐らくメルテル殿だけなのだろう。パメリアは状況を判断しかねて、思わずリベルト伯を見やった。
リベルト伯が何か言おうとしたが、その前にバルバリタが引き攣った悲鳴を響かせる。
「い、いやぁ!! やめてっ、近寄らないでっ!! つ、次は本当に殺されます!! メルテルに殺されてしまうっ!! し、死にたくはありません!!」
頭を抱えて、ガタガタと震えはじめる。メイドたちが慌てて抱きかかえた。
「バルバリタ様!」
「しっかり!」
「バルバリタ様、お気を確かに!」
パメリアがもう一度バルバリタを抱き起す。
「その女を近寄らせるな!!」
「今度は本当に殺す気だ!!」
近衛騎士二人がメルテル殿に指を突き付けて叫んだ。
「早く連れて行ってくれ!!」
リベルト伯の一言で、パメリアたちに抱えられてバルバリタは退出していった。一人の近衛騎士を残し、残る二人の騎士もバルバリタを両脇で守るように出て行く。
晩餐会の会場は、未だ異様な狂騒の空気に満たされ、人々の関心は、バルバリタからメルテル殿たちへと移っていった……。
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