第20話 【メルテル視点】纏氷龍イスドレイク出現【古代龍】

 楽しいティータイムの時間は一瞬にして惨状となった。


 ほんの今まで、春の陽気の下で楽しくおしゃべりをしていた。そのはずだったのに、急に空は灰色の雲に覆われ、冷たい風が吹き荒れはじめた。


 そして、わたしたちの前に、ひょうと共に伝説が舞い降りた。


 この季節に、それは極北の地──魔大陸の山脈へと帰って行くと言う。


 光沢のある鱗に覆われた漆黒の龍……。古代龍と呼ばれしその龍たちは、遥か天空にて群れを成して渡り、その渡りより大気を掻きまわし、季節を巡らせているとも伝えられる。


 氷をまといし古代龍──纏氷龍てんひょうりゅうイスドレイク。


「な、なんで古代龍がこんなところに……?」


 あまりに突然のことに、わたしはただ固まってイスドレイクが丘に降り立つのを見ているしかなかった。


 ずずん、ずずん、ずずん……っ!


 大きな翼を折りたたむと、鋭い鉤爪のある四つ足でゆっくりと歩いてくる。わたしたちは息を潜めて、古代龍がどこかへ去ることを祈った。


「……!」


 気づかれた……!


 龍がその長い首をもたげる。大きな顔をこちらへと向けた。青黒い瞳に、わたしは射すくめられた。


「ギャルルルルルルルッ!!!!」


 空気を引き裂く鋭い咆哮に、皆、耳を塞ぐ。


「みっ、みんな! 森の中に隠れよう!」


 リリィさんが真っ先にそう叫ぶ。わたしたちは丘を上がり、林に逃げ込もうとした。


 イスドレイクが後ろ足で立ち上がり、その巨大な翼を広げる。太陽がその陰に隠れた。翼を羽ばたかせる。


 ただ一回の羽ばたきで、爆風が巻き起こる。


「わーっ!!」

「きゃーっ!!」


 悲鳴を上げ、皆その風に煽られてなぎ倒された。木々もざわざわと音を立てる。


 頬が、痛い……。


 空気がキラキラと煌めいていた。空気中の水分が凍るダイヤモンドダスト──一瞬でその場の空気は真冬と化し、草花は白く凍てついた。


「お姉様、大丈夫ですか!」


 わたしは家族として共に過ごす修道女──姉のような二人に駆け寄った。二人ともブルブルと震えている。


「ど、どうしてこんな南の地に、で、伝説の龍が……」

「あの古代龍は天空か、生き物を寄せ付けぬ山の頂にいるはず……。なぜ、こんな場所に……?」


 震えながらそう言った。


「コォォォォォ!!」


 龍が鼻の孔を拡げて、また何かやろうとしている。


「いけない! ブレス攻撃が来ます!」


 ルージュさんが両手を前に突き出した。


「皆さん動かないで!! 【フレイムシールド】!!」


 ルージュさんの【火属性魔術】によって、炎の盾が五人の前に展開された。暖かいオレンジ色の盾だった。


 ヒュゴォォォォォォ────!!


 イスドレイクがこちらに向かって息を吹きかけてきた。それは吹き荒れるブリザードとなってわたしたちを襲う。


「ううっ!」


 ルージュさんが苦悶の表情を浮かべる。


 後で知ることになるのだが、それは【フロストボイス】と呼ばれるイスドレイクの、単なる威嚇行動だった。多くの生き物は、この威嚇だけで氷漬けにされると言う。


 パリンッ! パリリリリンッ!!


 一瞬で【フレイムシールド】は剥がされてしまった。


 息が白い。わたしは肩を寄せて凍えた。魂まで凍り付きそうだった。寒さと恐怖にわたしたちは囚われていた。


 どうにか氷漬けは免れたが、打つ手はない。


 イスドレイクがゆっくりと前足を地面に着けた。


「ああ……」


 その迫力に、ルージュさんが力なく背中から倒れ込む。


「ルージュ!」


 リリィさんが駆け寄って、ルージュさんに肩を貸す。


 わたしたちのことを取るに足らない存在だと認識したのか、イスドレイクは興味がなさそうに、首を高く伸ばして顔を巡らせた。

 その眼はある一点で止まる。森の奥に何かを見つけたようだった。


 この方角は、まさか……!


「シエンナに行く気!?」


 リリィさんもそのことに気がつく。


 イスドレイクは、もうわたしたちのことは無視してのしのしと歩き出していた。


「ど、どうしようメルテル……。あんな巨大な龍が町に来たら」


 わたしにすがりついてお姉様がそう言った。


 わたしは、何も答えられなかった。古代龍は一匹だけで一夜にして都市を崩壊させる力を持つ。そんな龍がシエンナに舞い降りたら……。ひとたまりもないだろう。数分で町は壊滅する。


 想像しただけで心が縮こまる。


「くっ……! あたしが何とか!」

「何を考えているの! 敵う相手ではないわ!」


 立ち上がるリリィさんを、ルージュさんが止める。


「勝とうなんて思ってないよ! 町に行かないように別の方向に注意を向けるだけ!」


 その言葉に、ルージュさんも立ち上がった。


「無理しなくていいんだよ」

「二人の方が成功率は上がります。それに、私の【火属性魔術】は低級ですが、それでも役に立つでしょうし」

「お二人とも危険です! 別の方法を考えましょう!」


 わたしは思わず叫んだ。


 転生者の二人は、わたしたちよりもずっと強いはずだ……。けれど、古代龍相手にたった二人で挑むのは無謀だ。


 わたしは知っている。龍を討伐するには複数のパーティーが旅団を組んだり、王国の騎士団でも数十人、時には百人近い規模で討伐するのだ。それがまして伝説の龍……、古代龍ならばなおさらのこと……。


「ありがと、メルちゃん! でも平気だよ! 無理はしないから!」

「修道女様たちは今のうちにお逃げください!」

「お二人とも……」


 リリィさんとルージュさんはそれぞれ武器を手に、進み行くイスドレイクの前に回り込んだ。


「?」


 イスドレイクが二人に気づき歩みを止める。一瞬動きを止め、次にゆっくりと首を降った。


「来るよ!」

「ええ!」


 リリィさんとルージュさんも身構えて距離を取ろうとする。けれど、イスドレイクは一歩前に出ながら、その首を大きくしならせた。


「「!?」」

「ああっ!!」


 見ていたわたしたちは思わず叫んだ。


 ドン────!!


 とてもゆっくりとした動きだった。相手にとってそれは攻撃ではなく、目の前の邪魔なものを横に除けただけの行動だった。


 けれど完全には躱しきれず、リリィさんとルージュさんの身体がわたしたちの横、丘の斜面へと叩きつけられた。


「お二方!」


 怯えたようにお姉様が叫ぶ。


「ギャルルル!!」


 邪魔をしようとした二人をイスドレイクが睨んだ。


「うぅ……!」

「くっ……!」


 衝撃で、二人は立ち上がることすらできない。


「リリィさん! ルージュさん!」


 わたしは二人に駆け寄ると、イスドレイクに向かって手を伸ばした。


「ひっ、【光の盾】……」


 声も腕も震えていた。とても小さくて頼りない青白い盾が手の前に出現する。


 【光の盾】は主に、不死や死霊に対して絶対的な力を持つ。けれど、物理的なダメージを軽減する力はほとんどない。それに、わたしの【光の盾】はまだまだ未熟だった。


 ……今やっていることは無駄な抵抗。それはわかってる。けれど、逃げたくても、もう身体が動かない。


「ギャルルル!!」


 抵抗の意思を感じ取ったのか、イスドレイクが鋭い牙が並ぶ大きな口を開けた。


 怖い……。


 ……その時だった。地に雷鳴が轟いた。


 ドーンと空気が激しく振動する。イスドレイクの咆哮ともそれは違っていた。大地さえも震えているように感じられたが、一番震えたのは胸だった。

 波動が伝わって、身体の内側に衝撃を受けた。でもそれは不安や不快なものではなくて、寧ろわたしはその波動に勇気づけられたような気持ちだった。


 イスドレイクが、雷鳴の主を見やる。わたしたちも同じようにその方向を見た。


 丘の上には、あの方が立っていた。


「クロード様……」

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