第17話 あらゆる気づき
12月24日。
水曜日。
午後3時。
終業式を終えた有働は、内木と共に、約束より30分遅れて権堂の母の焼き肉店「辰前」へやって来た。
貸しきり状態の店内で、権堂、権堂組、誉田、春日、久住らがすでに肉を焼いていた。
「おお!来たか。野郎ばかりのクリスマスパーティーもたまにはいいだろ」
笑いながら手招きしたのは権堂だった。
煙で目をやられてるのか涙を拭きながら、有働と内木を席に案内する。
「おう。遅いぞお前らぁ」
春日、久住の声。
その言葉に「すいません。生徒会の仕事で遅くなりました」と頭をかきながらも有働と内木は、皆に挨拶をしながら着席をする。
昨日、遠柴に大きなテロが起きるかもしれないと聞いた。
有働はずっと震えが止まらなかった。
それでも、権堂に誘われた席に何とか顔を出した。
強引に勧められ、権堂が皿に分けてくれた焼き肉を口に運ぶ。味がしなかった。
「明日から冬休み。どっか遊びに行く予定あんのか」
誉田が、坊主頭を撫でながら箸を止めて聞いてきた。
「なぁに言ってんだ、誉田。俺と有働は冬休み中も補習だ。なぁ」
権堂は有働の隣に着席し、肩を叩く。
「有働のおかげで、どうやら卒業できそうだ」
権堂の目は潤んでいる。
どうやら煙のせいだけではないらしい。
「お前、東大目指すらしいな」
その言葉に、有働は曖昧に頷いた。
元々、成績トップ10入りを目指してはいたし、家計がラクではない公務員の息子としては、進学しないか、進学するなら国立を目指そうという漠然とした思いがあった。
ならば最高峰を目指そう。
東大に合格したら、莉那にちょっとは「すごい」と言ってもらえるかな。そんな気持ちも少しはあった。
(そうだ。吉岡から返事は来てるかな)
談笑を始めた権堂や誉田を尻目に、有働はスマホを確認する。
(今日は変なものを見せてごめん。あれは勝手に送られてきたんだよ。マナミちゃんってのも、アイドルの名前でスーサイド5エンジェルズのMANAMIで調べてもらえば分かる。お願いだから話を聞いてくれないか)
2日前、12月22日の夜、意を決して打ったメール。
確認してもやはり、莉那からの返事はなかった。
今日の終業式でも、避けられて、話しかけることすらできなかった。誤解されたままなのだ。当然と言えば当然か。
溜息が出る。
世界中に聞こえるほどの溜息だったかもしれない。
だが、有働の沈んだ表情に気づいたのは、斜め向かいに座らされた内木だけだった。
「な、な、なんか元気ないね。有働くん」
「ああ」
有働は曖昧に返事をした。
決して内木の優しさ、気遣いを疎ましく感じたわけではない。
元気がない理由を話したら、ますます落ち込みそうだったので何も語らなかったのだ。
「うわぁ、東京で火事だってよ。一家全員死亡とか」
誉田のアホのような声。
「焼き肉しながら火事のニュースはいやだな、おい。消そうぜ」
権堂のその判断は、常識的だった。
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時計の針は、午後5時を回っていた。
父母には先に言ってあるので問題はなかったが、有働は早く帰宅して考えたいことが山ほどあった。
昨日、健康ランドで聞かされた遠柴からの言葉。
(おそらく、大規模なテロないし殺戮が起きる)
(私たちが悪人から回収したそれらの銃には、3桁のシリアルナンバーが刻まれていた。最高で999丁、出回っているかもしれない)
(この銃でキライな人を殺してください。私たちも数ヶ月以内にこの国を変えるためにヒキガネをひきます、という声明文だけが、密造銃に同封されていたようだ)
(1000人…いやそれ以上の人間の命が奪われても不思議ではない)
有働の頭の中で何度も何度も、繰り返された。
(中途半端に関わってしまえば、傍観者から、1000人の命を救えなかった人間、という立場に摩り替わってしまう。君はその重圧に耐えられるかね)
何度も何度も、繰り返され、有働を悩ませていた。
遠柴による情報。
それは、すでに世間で出回ってるもの、そうでないものも含め、断片的なものばかりだった。
まず、一つ目は声明文。
「この銃でキライな人を殺してください。私たちも数ヶ月以内にこの国を変えるためにヒキガネをひきます」
報道もされている事だが、ポスト投函された密造銃には、声明文が入っていた。
世間を騒がせるには充分だった。今年に入ってから、隣国との領土問題について、及び腰の総理と、それを糾弾する議員の国会答弁などがニュースを賑わせている。右翼か、愛国者によるものか―。国内で革命気取りの大規模なテロが起きると連日、騒がれていた。
そして、二つ目は密造銃に刻印された製造番号(シリアルナンバー)の件。
これについては、報道はされているものの、警察側と、実際に犯人たちから密造銃を奪った遠柴にしか分からない詳細も含まれていた。
遠柴によると、製造番号(シリアルナンバー)は、00からはじまる3桁が刻印されているというのだ。
世間でも「製造番号(シリアルナンバー)のがふられているからには複数出回っている」という報道がされていたものの、3桁だという事実は伏せられている。
実際に、遠柴が犯罪者たちから奪った密造銃の中には「096」や「925」といったものも含まれており、額面どおりに受け止めるならば、最高で999丁。つまり、1000丁近い密造銃が出回っているということになる。
だが、有働はこう思った。
「製造番号(シリアルナンバー)なんてものは、正規ルートの銃が、いつどこで誰に渡ったのか知るためのものであって、密造銃にわざわざ、そんなものを刻印するだろうか」
わざとらしすぎる。有働は思った。
それに1000丁近くで回ってるならば、もっと沢山、警察に回収されてるはずだろ、とも思う。
「大量に密造銃が出回っているというアピールじゃないのか」
だとすれば、なぜそのようなアピールをしなければならないのか。
やはり、テロリストによる恐怖の扇動なのだろうか。
分からない。
考えるほどに、分からなかった。
それに、わざとらしさがあるとは言え、銃が1000丁近く密造されたかもしれない事実を完全否定するには弱かった。
「わざとらしさで何かを誘導している。それによってリターンが望めるからだ」
そこまで考えてみたものの、それが何かは分からなかった。
「何か…何かを見落としてる気がする」
有働の思考は宙を漂うばかりだった。
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「プレゼント交換会はじめるぞ」
権堂の野太い声で、有働は思考の渦から帰還した。
今日はクリスマス・イブ。
男同士の集まりではあるが、各自プレゼント1つ持参し、それらを一箇所に集め、番号を振り当てる。
くじ引きで当たった番号のプレゼントを持って帰れるというものだった。
大ハズレとされたのは、カネのない春日や久住が持ってきた「駄菓子の詰め合わせ500円相当」で、微妙だがオークションで価値が出そうという事でアツい視線を集めていたのは内木が持参した「美少女フィギュアセット」だった。
有働は「商品券1万円分」を、箱詰めにして提出した。
各々がくじ引きをする。
30数名全員にプレゼントが行き渡った。
「駄菓子の詰め合わせ500円相当」を掴まされた権堂組の面々が、春日と久住にヘッドロックをかけて悶絶させる。
有働は16番のプレゼントを引き、開封した。
「お前が当てたんか。うちの母方の親戚の会社が、特殊繊維工場やってるんだ」
誉田がそれを見て話しかけてきた。
中身は肉厚のチョッキだった。重かった。
有働は苦笑いを浮かべる。
「なんですか、これ。筋肉増強スーツとかですか?いかついですね」
「これは特殊防弾チョッキだ。アラミド繊維をさらに改良したもので、通常の防弾チョッキと違い、骨にヒビが入らない。つまり着弾してもダメージがゼロ。あの事件以来、めちゃ売れて、株価も上昇だって言ってたぜ」
誇らしげな誉田。
「株価が上昇…密造銃が出回ってからですか」
有働の思考に何かがよぎる。
「おうよ。ここだけの話、儲かりすぎて犯人に感謝してるとまで言ってたぜ。その発言を聞かされたとき、親戚として恥ずかしくなったがな」
誉田はそう言うと、自らが引き当てた、内木の「美少女フィギュアセット」を見つめていた。こういった人形の何がいいのか分からん、と言いたげにずっと凝視していた。
「そういうセンもあるか」
有働の思考が固まった。
「すいません。ちょっと失礼します」
店の外に出てスマホを操作し、遠柴にかけた。
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「なるほど…私とした事が…テロという響きにばかり囚われていた。経営者としての視点を向ければ分かることなのに、我ながら情けない。以前、悪人たちを裁いてたときもK県警からの情報の横流しが主で、私自身にそこまで推理力はないんだ」
通話口の遠柴は言った。
「どうにか調べられそうですか」
「事件以来、株価で大儲けした人間をあらゆる手を使って洗ってみよう。密造銃製造の犯人が分かれば、出回った銃がどれだけあるか知らないが、回収の目処も立つだろう」
「うまくいくといいですね」
「また連絡するよ、有働くん」
株価を狙った犯行。可能性の一つに過ぎなかった。あとは遠柴の連絡を待つしかなかった。
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同日。
午後10時すぎ。
「あらゆるツテを使って該当する人物を調べた結果…。密造銃を造った犯人が分かったぞ。君の読みどおりだったよ」
その口調は淡々としていた。
有働の思い付きから5時間足らずで犯人をつきとめた。
遠柴は何事も迅速だった。
通話中に、ゴゴゴゴ…という音が聞こえるが、どこにいるのだろうか、と有働は気になった。
「株価狙いでしたか」
部屋で読みかけの文庫に栞を入れて、有働はデスクチェアに座り、遠柴の言葉を待つ。
「密造グループは3人だった。うち2人、日下部(くさかべ)くんと益子(ますこ)くんは、丁重にもてなして、いま私が事情を聞いてるところだが…あとの1人、銃を造った主犯の満園(みつぞの)という青年は…」
遠柴が言いよどむ。
「どうしたんですか」
「ニュースでもやっているが、今日の昼頃、一家もろとも火事で焼け死んでいる。そこには満園の恋人だった女性も含まれていたそうだ。私の知り合いの警察(ツテ)によると、8人の死因は火事ではなく、外傷性ショック死によるもので、そのうちの5人は心臓を撃たれていた。つまり犯人は何らかの目的を達成したあと、彼らを殺し、火を放ったようだ」
有働は、権堂の店「辰前」で流れていた火事のニュースを思い出した。
「話の筋からして、単なる強盗とは思えませんね」
強盗の入った先がたまたま密造銃の犯人の家。
そんな偶然は考えられなかった。
「私もそう思う。密造グループ2人の話によれば、3桁のシリアルナンバーを入れて数百丁出回っているように見せかけるという周到さはあれど、実際に密造した銃は10丁で、小学生に渡った1丁以外は、前科者にばら撒いたようだ。報道通り、警察はそのうち5丁を5人の犯罪者から押収している。…そして、他の3丁はK県内の悪人に渡ったもので、彼らを裁いたついでに私が回収したものだ」
日下部や益子を意識してか、後半部分の言葉は小声になっていた。
「あと1丁。密造銃を配られた者が残ってる、と。怪しいですね」
「だろ?銃を配るリストというのを作った日下部という青年の話によると、どうやら死んだ密造主犯の青年、満園の思いつきで、1丁だけリストに載っていない者のポストに投函されたそうだ。そいつは満園の中学時代の同級生で、過去に両親を刺そうとして刃物をふりまわして警察にやっかいになったこともあり、そいつに配れば事件を起こすだろうと期待したらしい」
「そんなやつに密造銃を…」
有働は奥歯を噛みしめる。悪人に犯罪をけしかけ利益を得ようとする姑息な連中にはらわたが煮えくり返った。
「満園は中学時代からガンマニアだったらしい。犯人は中学時代の記憶を辿り、自分に銃を与えた出所が満園であると確信して、彼の家に押し入った。家族を脅し銃を追加で造らせ、無事に造り終えたところで、全員を殺してから証拠隠滅で放火。そんなところだろう」
「テロを装い、ばら撒いた銃が原因で…本物の脅威がうまれた」
「ああ。まさにウソから出たマコト。まさにそんなところだろう。3桁の銃を製造するのは難しいとしても、数丁追加で造らせ、弾丸も用意すれば…そしてそれ以外の凶器も用意すれば…実際にテロが可能だ。そして…」
「たくさんの人間が殺される」
有働は寒気を堪えた。
「私がもっと早くに気づいていれば。満園たちにたどり着いていれば…。私の経験則から言うと、こういったグループは、目的を見つけた以上、居場所を転々としてその日が来るまで潜伏する。見つけ出すのは一苦労だ」
「今、できること…満園が配った相手というのを特定してもらえますか」
「ああ…だが慎重にやらねばならん。何かをしようとしているのは明白だ。計画が台無しになったと分かれば何をするか分からない」
「気づかれないように情報を集めるしかなさそうですね」
「地下に潜られたら一番やっかいなタイプだ」
と、そこまで遠柴が言いかけたところで、エミの声が聞こえてきた。遠柴の声が遠くなる。
「ん。なんだ、エミ」
エミと何か会話を交わしているらしい。
「すまない、有働くん。エミが電話かわってほしいそうだ」
やがて、遠柴の野太い声に代わり、甘ったるい声が聞こえてきた。
「有働くん、声を聞きたかったよう。今ね、パパと密造の犯人の4人で…溶鉱炉の上で一緒に焼き肉してるよう。めっちゃ熱くて脂ぎっとぎと。メイクもとれちゃったよ」
「おいおい、丁重にもてなしてるってそういう事かよ」
何だよ、オイと有働は頭を抱えた。てっきりどこかの喫茶店かカラオケBOXで、密造グループ犯人たちから話を聞いてるのだろうと勝手に想像をしていたからだ。
溶鉱炉の上で焼き肉…想像がつかないが、先ほどのゴゴゴ…という音は鉄が融解する音なのだろう。
「あ、でもね!ちゃんとアノ約束守ってるよ。今回の焼き肉だって同意の上だし、犯罪じゃないよん。2人ともちゃんと洗いざらい白状したら、ちゃんとお家に帰すから」
エミは歌うように言う。「同意」という名目の度が過ぎた脅迫、強要はこの父娘にとって犯罪行為ではないらしい。
「ああ」
通話しながら曖昧に頷くしかなかった。殺人だけはしてくれるな、そう思いながら頷いた。
「有働くんとこの学校も今日が終業式だったでしょ?明日はクリスマスだし、エミとデートして」
エミが甘えたように言う。
「なに言ってるんだよ」
「12時くらいに往訪駅の東口で待ってて」
エミが言う。キスの音が聞こえた。
「おい、待てよ」
無音。
通話は一方的に切られた。
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12月25日。
木曜日。
12時。
「有働くん…う、有働くん…助けて」
往訪駅の東口で待つ有働の耳元にエミの声。
エミは頭から血を流し、崩壊した右の顔からは眼球を露出していた。
ポタポタと血が地面に垂れる。
「おい!大丈夫か!」
有働は叫んだ。
「特殊メイクだよ~ん、びっくりした?」
エミは舌を出した。
「なんだよ」
メイク部分のマスクをペリっとはがす。ゼリー状の眼球がポヨンと弾んで落ちた。
「お父さんのアニメ会社の系列で、こういう特殊メイクのスタジオもやってるんだよう。年末でも番組特番で仕事してるみたいでさっき遊びにいったついでにメイクしてもらっちゃった」
エミは血糊を拭きながら笑う。
「どうでもいいけどよ、ハロウィンじゃないんだぞ。変装はやめろ」
「えへへ。でも、ビックリしたでしょ。特殊メイクすれば老人になったり、性転換したり、太ったりもできるんだよ」
「お前まさか、会うたびにそれやって、おどかすつもりじゃないよな」
何も答えず、エミは有働の右腕に腕をからめてきた。
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とりあえず昼食を、と商店街を歩いた。冬休みに入ったせいもあって、自分たちと同じくらいのカップルもちらほらいた。
「密造グループの2人は殺さなかったか」
歩きながら、有働は恐る恐る訊いた。
「ちゃんと家まで送りとどけたよう。でもあの2人に自首するつもりはないっぽいよ。解放されたあとは平然としてたし」
エミは、左手で有働の右腕を掴み、右手でニットワンピースに数滴ついた血糊を拭きながら答えた。色はピンク。何度も拭き続けたせいもあって、汚れは目立たなくなっていた。エミは満足そうに笑う。
「警察がいつ気づくかは知らんが、2人ともいつかは逮捕されるだろう。株で得た金が犯罪収益として取り上げられるかどうかは知らんが」
有働は、奥歯を噛みしめた。
警察にその2人を突き出してやりたかったが、情報の出所に遠柴が絡んでいることもあり、警察が自力で辿り着くのを待つしかなかった。
「満園家を惨殺した放火グループも逮捕されればいいが」と有働は誰にともなく呟いた。
(目的を見つけた以上、居場所を転々としてその日が来るまで潜伏する。見つけ出すのは一苦労だ)
(計画が台無しになったと分かれば何をするか分からない)
遠柴の言葉が蘇った。
警察も放火グループを追っているだろう。だが、法規的組織として、容疑が固まり、裏取り(ウラ)を充分に取るまで逮捕はできない。有働が警察に匿名で情報を流すなどして中途半端なことをしても、居場所を転々としているであろう放火グループをいたずらに刺激してしまう可能性があった。
「何か目的がある以上、その日まで大人しくしてるはずだ」
「そいつらを追うんでしょ?」
有働は、もう何も言わなかった。
答えは決まっている。
警察がすんなり逮捕してくれるならそれが1番だった。
だが、いつまでも殺人者たちが野放しにされる状況ならば、有働も遠柴の力を借りつつ、それなりに動かざるを得ない。
「一般人は警察と違って、令状なしでも動けるからな」
有働は自嘲気味に笑った。
視界の端で何かが蠢く…。
歩みを止めれば不破勇太が囁く。
(有働くん…君に何ができるんだい)
不破勇太を黙らせなければならない。
警察が辿り着かない以上は、犯人グループの動向を追って、制圧する。
やるしかなかった。
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「エミはどこでもいいよ、有働くんが決めて」
エミと腕を組んだまま、どの店に入ろうかと考えながら歩いていると、向かい側から若い男女が歩いてくるのが見えた。
談笑している。こちらには気づいていない。
女の方は、見覚えある顔だった。
「吉岡…」
莉那は見知らぬ同年代の男子と一緒に談笑していた。心臓が早鐘を打つ。
「あれ。有働くんが好きな子だ。あの男の子、彼氏かな」
エミがきょとんとした声で言う。
「静かに」
双方の距離は、30メートルといったところだろう。
「なんで黙らせたいの」
エミの声色に不機嫌なものが宿る。
「しっ」
有働はエミを引き寄せ、雑居ビルと雑居ビルの狭い隙間に隠れた。別に隠れる理由など無いにも関わらず、混乱した頭で、そうしていた。
(あの男は誰だ)
嫉妬と言うより恐怖に近かった。この世界で、一番見たくないものを見てしまった恐怖だった。
背中で狭いビルの外壁に、ライダースが擦れる音。高い牛革だったんだぞ。恨み言が脳裏によぎる。だが、莉那と鉢合わせになりたくはなかった。
ロングブーツを履いたエミは、有働の目線と等しい。
「彼氏じゃないのに、エミに命令しないでよ」
瞬間。
エミの柔らかい唇が、有働の口を塞いだ。
沈黙。
何が起きたのか分からない状況下で、言葉を発そうと半開きだった有働の歯と歯の隙間に、エミの柔らかい舌先と、異物の感触。
ぐいぐいと舌で押し上げられ、その異物は完全に有働の口の中に入った。
甘かった。とても甘かった。
人工的なメロンの香り―。それは先ほどまでエミの口の中で踊っていたもの。半分に砕かれたキャンディーが、微量の唾液とともに口移しされていた。
「今度からはこうやって口を塞いでね」
湿った音と共に、唾液に濡れた唇が言った。
言いたい事は山ほどあった。だが、状況がそうはさせてくれなかった。砕かれたキャンディーのザラザラした表面が舌に突き刺さる。
「あれ、まだ通り過ぎないね」
エミは後ろを向いた状態のため、莉那たちの状況を把握できていなかった。
「止まった」
誰にともなく有働は言った。心臓も止まりそうだった。
莉那と男子は歩みを止め、有働らが身を潜めている建物と建物の3軒前にある雑貨屋の店先で、奇妙な形をしたマグカップを手に取っていた。
「もう半歩、身体を隠せないか」
有働とエミの半身は建物から出ていたことに気づく。動こうとしないエミを抱き寄せ、強引に身を隠した。
「キャンディ返して」
「なんだって」
「早く返してよう。食べたいよ。手でつまんで返すのはダメ」
有働はエミの言わんとすることが分かり、溜息をこらえ、薄く開かれたエミの唇に自らの唇を重ねた。舌の先端を遣い、エミの中へと、溶けて小さくなったキャンディーの破片を押し出す。
再びの沈黙。
口移しが終わっても2人は離れなかった。
エミは舌触りを楽しむかのように、有働を離さなかった。
有働もエミを拒絶することなく、舌の腹でエミの舌をなぞる。
時が止まった。
柔らかいエミのすべてが有働のすべてを占有している。頬にあたるエミの長い睫毛。
はじめてのキス。
悲しく不恰好だった。エミの後ろには汚れたビルの外壁が広がっていた。
建物の隙間に挟まったまま、向こうの建物の雑貨屋では莉那と、見知らぬ男子がはしゃぐ声が聞こえてくる。
(あの男、誰なんだよいったい)
唇を塞がれたまま、黒いものが心で渦巻く。
やがて、湿った音を立ててエミの唇が離れていった。
二人の混じり合った唾液の雫が、音を立てて地面へと落下した。
「ありがと。美味しくなってる。ふふふ」
落胆する有働を前にエミは、はしゃいでいた。
「お前…ほかにいないのか。男」
莉那にすらそういう男子がいるのだ。エミにいないわけがない。ほかにいないのか。当然の質問だった。
「有働くん以外の男の子の連絡先ぜんぶ消しちゃったもん」
子供のように鼻にシワを寄せて笑う少女。有働の心に渦巻く黒いものが飲み込まれる。
「あのな」
「愛してるの」
エミは言った。
しばらくして、おそるおそる建物から顔を出してみたが、莉那と男子の姿はどこかへ消えていた。
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入ったパスタ屋。
以前、内木に教えてもらった店だった。
有働はエミと奥のテーブル席へ案内された。
カウンターに座る見慣れた丸い背中。
「う、有働くん」
声をかける前に、内木から声をかけてきた。
「よう内木。買い物か」
有働は先ほどのようにエミを隠すような事はしない。
その横で、エミが内木に興味を示す。
「お、お、往訪駅のアニメトピアで、ク、クリスマスキャンペーンやってたからさ」
内木の口の周りはペペロンチーノの脂で光っている。
「はじめまして」
エミは席を立って内木に近づく。
「もしかして…エミりんのモデルの…エミちゃん?」
内木の視線はエミの右耳の向こうを見ていた。
女性の目を見て話せないのだ。
「何でわかったの?あとね~、エミは有働くんの彼女候補だよん」
エミは右手人差し指を立て頬にくっつけるポーズで言った。
内木は「彼女候補」という言葉の真偽を確かめようと有働の方を見たが、すぐに視線をエミの右耳へ戻す。
「エ、エミちゃんの写真。ネ、ネットで出回ってる写真…み、見たことあるから。ごめんなさい」
内木は気まずそうに言う。
有名アニメキャラのモデルにとって、プライバシーなどあったものではない。
「謝らないでいいよ。有働くんから聞いたよ。リカが好きなんでしょ?」
「う、うん。」
「リカのモデルになった本人を紹介してあげよっか?」
「え、ええ…ど、どうしよう」
内木はどう答えていいものかと視線を泳がせる。
「内木、紹介してもらえよ」
有働が後押しした。
「う、うん」
内木の頬が紅潮する。
「Wデートしたいな」
エミは笑った。
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午後6時。
刈間市の鈴音にある高級住宅街。
「オヤジさんは帰り遅いのか」
有働は寂しそうなエミを見た。
「お仕事なんだってさ」
エミは、歩きながらニットワンピースを伸ばし、昼間についた血糊のシミを意味もなく見ていた。
「一人で家にいるの寂しい」
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「ONSAI」と表札プレートのあるコンクリート打放しの大きな建物の前にいた。
二つの丈高い棟の間には「魔法ガール★マジックえみりん」の魔法陣が刻印された大きな銀色の球体が嵌め込まれていて、その中央窓枠から、作中キャラが窓から手を振っている印刷が施されていた。
これを目当てに近所の子供だけでなく、全国からアニメファンがやってきて写真を撮っていくらしいが、数年前に起きた悲惨な事件をきっかけに、建物の周囲には30台ほどの監視カメラが設置されており、動くものを検知するたび、カメラが機械音を立てながらこちらを覗いていた。
「有働くん、お家に入れたいけど、交際してない男子は入れちゃいけないんだって。ごめんね」
エミにしては、やけに消極的な言葉だった。
エミの言葉に隠された真意。「彼氏になってくれるなら入っていいよう」が聞こえてきたが、有働は気づかないふりをした。
「ほら。これやるよ」
どの道、有働は部屋に入るつもりはなかったものの、表面上すまなそうに謝るエミの肩を叩いて包み紙を渡す。
「なにこれ」
エミはぽかんとした顔で受け取った。
無人のカメラが2人の成り行きを見守る。
「クリスマスプレゼントだよ」
「あ、そうかありがとう!そうだエミも渡すのあった」
子供のように言ったあと、エミが鞄をまさぐった。
エミの動きに合わせて、カメラが音を立てている。
「あのさ…。正直、お前の事は、まだ何も分からないし、選べるものもなかったからさ。たぶん…服やアクセサリーとか、そういうのはすべて持ってるだろ?」
有働はエミに言う。
「なに入ってるの。見ていい?」
とりあえず、自分の鞄をまさぐるのを止めたエミは、有働の渡した包み紙を開けた。
「お前のオヤジさん世代の映画のDVDと、曲がたくさん入ったCDだ」
中身のネタバレとともに、有働が言葉を添えた。
「え。なんで、また」
エミがきょとんとしてそれらのタイトルを眺める。
「オヤジさん、お前に合わせてばかりなんじゃないか。健康ランドへいく車の中でも、10代が聞くような曲ばかりかかってたし。まぁ、それがオヤジさんなりの娘との距離を縮める方法なんだろうけどさ」
「…うん」
落胆というよりは、エミは何かを考え込むようにしてそれらを眺めていた。
カメラの動きが止まる。
静寂。
「これ観たり聴いたりしてみろよ。オヤジさんとの時間を大事にしろ」
有働は言った。こういったものが、父娘(おやこ)の健全な時間を取り戻せるキッカケになればと思ったのだ。
「有働くん…」
エミは言葉を詰まらせた。無言。何かの催促か、有働は頭を掻き毟る。
「またキャンディー口移しキスか」
有働は言った。批難の色はなかった。
「メロン味」
少女は笑う。
「すまなかったな。あんな場所で」
本音だった。
有働自身なぜかは分からないが、被害者であるにも関わらず、汚れたビルの隙間でエミと唇を重ね合わせてしまったことに罪悪感をもっていた。
「どんな場所だったら良かったの」
目を合わせようとしない。エミはもじもじと視線を泳がせ、鞄から包み紙を取り出し、差し出してきた。
「なんか急に恥ずかしくなった。キスはまた今度ね。じゃあこれは、エミからのプレゼント。おやすみ」
じゃあね、と門を開けてエミが家へ入っていく。やがて2階の灯りがつくと窓が開き、手を振ってきた。駆け足だったのだろう息切れをしてるようだった。
(大胆だったり、恥ずかしいって言ったり、何なんだよお前は)有働は言葉を飲みこんだ。
曲がり角に有働が消えるまで、エミはずっと手を振っていた。
有働も最後にもう一度、そっけなく右手を振った。
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午後7時。
ハートのリボン装飾を丁寧にはずしてから、ビリビリと乱暴に包み紙を開ける。エミからのプレゼントは数冊の書籍、DVDだった。
「実録!彼女とのエッチ」「童貞脱却メソッド」「女の悦ばせ方108」などというタイトルばかりだった。
「方向性は違えど、似たような感覚でチョイスか。親に見つかるとやっかいだから隠さないとな」
有働は一人呟いた。
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午後7時半。
夕食を啄ばみながらニュースを見る父に、有働は訊ねた。
「父さん。もしこの先、日本で大規模なテロなり占領事件が起きると分かったら警察はどう動くかな」
父の目は息子を見なかった。ニュースで報道される遠い国での内戦の報道を追っていた。
「ああ。犯行声明分でも送られれば…その建物を警戒し、駅や道路を封鎖するだろうな」
言いながら一瞬だけ、父の顔が警察官のそれになる。職務に全うであり、そこに個人的動機の一切がない、生業(なりわい)としての法規的正義。
「犯行前のテロリストを捕縛したりはしないの?」
有働は子供らしい口調で父に問う。
「警察の仕事はまずテロ事件を未然に防ぐ事だ。警戒すれば抑止になる。犯人逮捕は裏取りができてからだ」
父は言った。それが常識だとばかりにテレビを直視しながら当然のように、言った。
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午後9時すぎ。
夕食と風呂を終えると、遠柴からの着信があった。
かけ直す。
「満園が密造銃を投函した中学時代の同級生の名が分かった。犬尾勘太(いぬおかんた)という男だ。彼の自宅を洗ったがここ数日、帰宅していないようだった。また…彼の所属する半グレグループのメンバーたちも、ここ数日姿を消しているらしい」
エミと有働が一緒にいる間も、この男はずっと動き回っていたのだろう。何か書類をめくるような音が端で聞こえてきた。
「彼らはどこで何をするつもりなんでしょうか」
有働の率直な気持ち、疑問だった。
「それなんだが…この半グレグループのリーダー格の青年…冬貝(ふゆかい)というらしいが。なにやら恋愛問題を起こしていたようだ」
「恋愛問題?」
「周囲の証言によると、彼はとあるアイドルと中学時代を含め数年間、交際していたそうだが…今年の秋に破局して、いつか殺してやると怒鳴り散らし、錯乱状態に陥っていたらしい」
「興味深い証言ですね」
アイドルとの恋愛。
傍から聞けば羨ましい限りだが、一般人と芸能人の恋愛は破綻しやすいというのは想像がついた。
果たして、このやっかいな冬貝という男が、そのアイドルにどれだけのめりこんでいるのか。
殺したいほど愛してるぜ、なんて台詞が現実のものとなれば、それほど恐ろしいものはなかった。
「考えてみてくれ。アイドル1人だけを狙うなら、わざわざ銃を追加で造らせるだろうかね?それに、なぜ今すぐ殺さない?そのアイドルのグループは、今から6日後の31日に東京の中野でカウントダウンコンサートを行うらしい。嫌な予感がするな」
31日。中野。アイドルグループ。
有働の中の何かが反応した。
だが、それが何か気づく前に有働は言葉を吐き出す。
「見えてきましたね。そこでメンバーと観客を殺す…」
直感。
確信。
31日。中野。アイドルグループ。
数秒遅れて、有働の背筋を寒いものが走る。
そして、何ヶ月か前に内木が言ってたある噂を思い出した。
(MANAMIちゃん、か、か、可愛いよね。でも、孤児院育ちで、ちゅ、中学時代に、も、ものすごい不良と、つ、付き合ってたって噂があるよ?)
やっと繋がる。
不安の所在。
(何てことだ。そのグループって…)
「アイドルグループの名前はスーサイド5エンジェルズというらしい。ちなみにこのグループのMANAMIという娘と、冬貝、犬尾、満園の4人は同じ中学出身だそうだ」
「くそ…」
有働は声を震わせながら言う。
「益子の証言だと、満園が自宅に所持していた3Dプリンターの数は2台。銃が1丁できるまで24時間ほどかかるらしい。2台をフル稼働すれば2丁つくれるとして、満園が益子らと別れた時間から計算すると、冬貝たちが押入って、放火するまでの時間が約48時間。つまり最高でも造られた銃は4丁。単純に考えて、ポスト投函の分も含め、半グレ5人が1丁ずつ所持していると考えていい」
「対策を考えます」
スーサイド5エンジェルズの年末のカウントダウンコンサート。自分もチケットをすでに取ってあり、もともと行く予定だった。
何の因果か。通話を切ってからも冷や汗が止まらなかった。
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深夜0時。
有働は部屋で天井を眺めていた。
エミの父、遠柴の言葉が蘇る。
(放火したグループは、目的を見つけた以上、居場所を転々としてその日が来るまで潜伏する。見つけ出すのは一苦労だ)
(計画が台無しになったと分かれば何をするか分からない)
(地下に潜られたら一番やっかいなタイプだ)
(31日に東京の中野でカウントダウンコンサートを行うらしい)
そして、警察官である父の言葉。
(警察の仕事はまずテロ事件を未然に防ぐ事だ。警戒すれば抑止になる。犯人逮捕は裏取りができてからだ)
「警察が裏取りに間に合わず、冬貝やその仲間を逮捕できなければ…」
有働は呟く。
そして、再び、遠柴の言葉を反芻する。
(計画が台無しになったと分かれば何をするか分からない)
(地下に潜られたら一番やっかいなタイプだ)
結論―。
いたずらに、冬貝たちを追い詰めてはならない。
奴らもコンサート会場で事件を起こす何かしらの計画がある以上、その日までトラブルを避けて身を潜めているはずだ。
「警察がどこまで辿り着いてるのかは知らないが、間に合わなかった場合、コンサート会場でケリをつけるしかないのか」
有働の覚悟。
部屋の片隅では、不破勇太が嗤っていた。
(アイドルとそのファン2000人の命…君に全員を救えるわけなんかないよ)
有働はそれに気づかないふりをして、体を横たえた。
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