第19話 皆さん自身で1人、誰を殺すか決めてください

 12月29日(月)

 午後1時―。

 刈間にあるファミリーレストラン「パリス」

 エミとの約束の時間まで10分あったが、有働は窓側の席に着いていた。

 大通りを眺める。エミの姿はまだなかった。


 有働のジャケット胸ポケットに、振動あり。


「あ」


 1週間待った莉那からのメール返信だった。


「この前はごめんなさい。何かの事情もあるんだよね。いろいろ話したいこともあるし、元旦に真知子と初詣に行くんだけど一緒に行かない?戸倉くんや内木くんも誘ってみてね」


 よし!有働は握りこぶしを固めて「了解」と返信した。


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 時間通りにエミはやって来た。

 紫色のダウンジャケットを着込み、真っ赤なミニスカートから形のいい脚が伸びている。

 店内の大学生たちの視線はエミの尻に釘付けになっていた。


「有働くん、時間より前に来てたの?はい、これが冬貝と犬尾の顔写真だよう。身体的特徴や、分かる範囲の情報もここに書かれてるよ」


 エミは着席するなり、ニコニコしながらダウンジャケットを脱ぐ。

 暑かっただろう。体温とともに甘い香りが有働の鼻腔をくすぐる。


「まだこの2人しか分からないか」


 有働は、汗ばんだ肩から鎖骨までガラ空きのカットソーをパタパタさせるエミの手を右手でつかみ、止めさせた。

 大学生たちの舌打ちが向こうで聞こえる。

 エミは笑った。すべてを理解していた。


「パパからも連絡行くと思うけど…冬貝と犬尾の他の仲間について、まだはっきり特定はできてないって。冬貝ってやつ、悪い意味で交友関係が広かったらしくて、他の3人のメンバーを探すのに時間がかかるみたい」


 エミは自分の右腕をつかんだ有働の手に、優しく左手を添えて答えた。


「どんなやつらか情報は多い方がいい。頭のおかしい奴らに対策を立てたところでうまくいくか、どうかは分からないが」


 有働は手をひっこめる。エミは名残惜しそうに有働の右手を見ていた。


「コンサート会場で誰も殺させず、5人全員を取り押さえられたらいいね」


「逮捕されたら全員、死刑か」


「う~ん。逮捕されたところで、死刑になるのは主犯の冬貝だけだと思う。あとの4人は腕のいい弁護士がつけば、裁判やら何やらで無期懲役ってとこじゃないのかな。満園家での一家皆殺しにしたって、誰がどの被害者を殺したかなんて立証しにくいしね。5人全員が死刑になるって保障はないよ」


 エミは残念そうに肩を落とす。日本の司法の甘さを嘆いていた。


「無期懲役…って言ったって、20年か、そこらで出てこれるんだよな」


 無期懲役と終身刑は違う。

 獣のような殺人鬼でも、刑務所で数十年間、何も問題を起こさなければ、再び、世に放たれる。


「そう、たった20年だよ…。満園家には小学校になる妹さんがいたんだって。その妹さんの遺体が一番ひどかったんだってさ。丸焦げになっても分かるくらい…性的暴行でめちゃくちゃにされてたって…」


 事実を告げたエミの言葉。


「もういい、言うな」


 有働は奥歯を噛みしめた。


 気づけば、エミは震えていた。

 大きな瞳から落涙していた。


「泣くなって」


 エミのテーブルの上、両手で握りこぶしをつくっていた。

 だが、指輪のはめられた小指と薬指は伸びたままだった。

 有働はその理由を知っている。


「分かったよ」


 有働はエミの両手に手のひらを重ねて言った。

 いつしか、エミを抱き寄せたいという感情に気づき、有働は自分と言う人間が分からなくなっていた。


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 同日。

 午後6時―。


 夕方のニュースが流れる。

 今日の午後17時ごろ、東京の新宿のキャバクラ店内にて爆破事件が起きたと報じられてた。

 犯人と思われる男は、赤いペイントがされた銃のようなものを振り回し、従業員に暴行を加えた後、爆破によって犯人のみが死亡。


「密造銃に、今度は爆弾ですか。日本はアフガンにされますね」


 コメンテーターとして招かれた、お笑いタレントの言葉。


「まだ爆発の原因は分かりませんが、こちらが犯人の写真です」


 ニュースキャスターは言った。


 矢田佐助(やださすけ)。20歳。

 公開されてるのは、運転免許の写真だろうか。エラの張った金髪の男だった。


「銃…」


 有働は遠柴に電話をかけた。

 遠柴はウラを取ってから明日には連絡すると、有働に言った。


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 12月30日(火)

 午後3時―。


 学校は冬休みに入っていたが、この日、権堂に年内最後の補習をするついでにと、権堂が帰った後、有働も補習を受けていた。


「今年の補修はこれで終わりだ。順調にいけば来年の春までに中学レベルから、高1の皆に追いついてるだろう」


 新渡戸教諭は、鼻水を啜りながら言った。


「こんな馬鹿でもトップ10位入りは目指せるでしょうか」


「ふん。今日はやけに弱気じゃないか。この一週間で分かったが、君は馬鹿ではない。学ぶ事を放棄してきただけだ。基礎を教えれば応用が利く。脳の質だけで言えば10番以内だとは思うがね」


 新渡戸教諭は皮肉のつもりで言ったのだろう。しかし言った後、少し後悔したような表情を見せた。


「ありがとうございます」


「君を認めたわけではない。勘違いするな」


 新渡戸教諭は視線を有働から逸らした。鼻水をティッシュで拭く。この男は慢性鼻炎と共に生きている。


「分かってます。それと、この前はすいませんでした」


 有働は深く頭を下げる。


「謝って許されると思うな。私がその気になれば君を訴える事もできた」


 新渡戸教諭は再び、有働に視線をやってから言った。


「すいません。僕は最低の人間です。失礼します」


 鞄に参考書を乱暴に詰め込むと、有働は教室を出ようとした。


「待て。有働」


 新渡戸教諭の鼻水は止まっていた。


「私は脅されて、週に5回も、君に付き合わされてるんだ。トップ10入りで満足なんかするな。東大を目指すという約束、きちんと果たしてもらうぞ。それと…」


「なんですか」


「君ほどでないにしろ…権堂は、思いのほか飲み込みが早かった。おそらく2月の卒業見極め試験で、6割以上はとれるだろう」


 新渡戸教諭は笑った。ぎこちない笑顔だった。だが、それは嘲笑や冷笑の類ではなかった。


「ありがとうございます」


 有働はもう一度頭を下げ、辞去した。


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 同日。

 午後5時―。


 自室から、遠柴からの着信にかけなおす。


「キャバクラ爆破事件を起こした銃を持った矢田という男だが…矢田を色々と洗ってみたら、ある半グレグループに属していたことが判明した。聞いて驚くな。そのグループは…例の犬尾勘太も属している冬貝グループだ」


 遠柴は満足げに言った。


「コンサートの日まで大人しく身を潜めているだろうと踏んでたんですが…。俺の考えは甘かった。犯人以外に死者が出なかったのが救いです。爆破の状況を詳しく調べられないでしょうか。それに…銃のカラーリングも気になりますね。満園の意向でその色になったのか…」


 有働は思案しながら言った。


「それでは、引き続き調べてみよう。カラーリング…それは満園にしか分からない、ある種の美意識だったのかもしれないが」


「満園と犬尾、冬貝、それと…アイドルのMANAMIは同じ中学に通っていたんですよね?」


「そのようだ。クラスが同じだった事もあるようだ」


「満園がMANAMIの所属するグループ…スーサイド5エンジェルズのファンだった可能性もある」


 有働は、誰にともなく呟いた。


「そういえば有働くん。エミ伝いに聞いたが…例のスタジオのスタッフには話を通しておいたよ。31日の朝8時には刈間市鈴音(こっち)まで来てくれという話だ。大丈夫かね」


「はい。感謝します」


 用意は整った。

 放火された満園の家族の、銃弾による遺体の状況。

 矢田という男が引き起こした、爆破事件。

 満園が、スーサイド5エンジェルズのファンだったとしたら…。


 断片的な情報。

 全ては賭けだった。可能性の話だった。だが、奴らには「この手段しかない」と確信をした。


(あとの4人は、裁判やら何やらで無期懲役ってとこじゃないのかな)


(妹さんの遺体が一番ひどかったんだってさ。丸焦げになっても分かるくらい…性的暴行でめちゃくちゃにされてたって)


 エミの言葉が繰り返される。

 手のひらに爪が食い込む。

 エミは泣いていた。

 満園の妹はエミのように泣きながら、絶望して死んでいったのだろう。


(あとの4人は、裁判やら何やらで無期懲役ってとこじゃないのかな)


(あとの4人は、裁判やら何やらで無期懲役ってとこじゃないのかな)


(あとの4人は、裁判やら何やらで無期懲役ってとこじゃないのかな)


 矢田は死んだ。

 残りは3人だった。


「手段は選ばない」


 有働の中に黒いものが渦巻く。


 やつらは殺人集団だ。

 やつらが選ぶならば破滅の道を用意しよう。俺は聖人ではない。ただの偽善者なのだから―。


 有働はそう思いつつ「スタジオ」に電話を入れた。


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 同日。

 午後7時―。


 焼き肉「辰前」


「本当にやるんだな。有働」


 テーブルを囲み、権堂がカルビを焼きながら言う。


「はい。警察に通報すればやつらは地下に潜り、殺戮を繰り返すでしょう。コンサート会場で決着をつけるしかありません」


 権堂の母が2人分、ウーロン茶を持ってきた。若くて可愛らしい女性だった。権堂に義理の父親ができる日もそう遠くはないだろう、と有働は思った。


「誉田のオジキの会社の防弾チョッキがあれば大丈夫だ」


 権堂が笑う。有働がクリスマスパーティーで当てた防弾チョッキのことを言っているのだ。


「そうですね。遠くから頭を撃たれない限りは」


 有働は右手人差し指を、右のこめかみに当てる仕草で言った。


「おいおい、冗談やめろよな」


 カルビの焦げる匂い。権堂は、焦げた方を自分の皿に、焦げてないほうを有働の皿にやりながら、苦笑いをする。


「でも、もし頭を撃たれても…粉砕した脳の部位によっては生還できる可能性もゼロではないらしいですよ」


 有働は右のこめかみから指を離さずに言った。


「わざと頭を撃たせる…お前だったらやりかねないな」


 権堂が焦げたカルビを頬張る。


「でしょうね…。自分でも自分が、よく分からなくなる時があります」


 有働は焦げていないカルビを「いただきます」と言って頬張った。


「勝算はあるのか」


 咀嚼しながらの権堂による問い。


「分かりません…。今回の敵は計算に頼らない連中なだけに、行動が読めません。突然、気まぐれに殺戮を始める危険性もあります…あらゆる意味で厄介です」


 有働の本音。


「俺も、誉田も…春日も久住もついてるからな。こうやって相談してくれたこと…すごく嬉しいぜ、マジでな。卒業前にお前と組んで大仕事できるんだからよ」


 権堂は有働の右肩を叩いて笑った。その粗野な風貌に似つかわしくない、白くて並びの綺麗な歯が見えた。


「いいえ。不破勇太のとき、権堂さんがかけてくれた言葉…嬉しかったです」


 有働は、食べごろに焼きあがったカルビを権堂の皿にやりながら言った。これも本音だった。


「今回は内木は来るのか」


「内木は年末、僕が紹介した女の子とデートらしいです。もちろんこの話はしてません。そんな話したら、あいつも来ちゃいますから」


「おアツい事だ。有働、何があっても、もう1人で背負い込むなよ」


「今回は、罪のない人間は1人も殺させません」


「その1人っての、お前自身も入ってるんだよな?」


 そう言った権堂の目に、真剣なものが宿る。

 有働は曖昧に頷いた。


「また今回も罪のない人間を目の前で、死なせてしまったら…」


 脳裏に、病室に現れた不破勇太の母親の亡霊がちらつく。

 不破勇太は罪人だった。だが、その母親には罪がなかった。あの日、自分の怠りで失わせてしまった命への悔恨は深く残っている。


 何度も何度も「しょうがないじゃないか」と言い訳をしても心が晴れる事はなかった。


「もっと生きたかった…もっと生きたかったのに…死にたくなんかなかったのに…生きたかった…いっぱい、まだやりたい事もあったのに」


 不破勇太の母親の呪詛に耐えながら、拳を爪が食い込むほどに握り締めた。

 有働の覚悟は決まった。


「お前は俺が守るからよ」


 権堂は肩を叩いた。有働は頷く。「もし、兄貴がいたら、こんな感じだったのかな」有働は漠然と思った。


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 12月31日(水)

 午前8時―。

 刈間市鈴音の某スタジオ。


「有働くん?待ってたよ。来て、来て」


 長髪でヒゲをたくわえた、色黒な男に手を引っ張られ、有働はスタジオ入りした。


「こういうの経験ないでしょ」


 男は言った。少し、言葉に女っぽさがあった。


「エミは、よく来るんですか」


 有働はチェアに座らされた。


「初デートの前はいつも。あら、やだ。エミちゃんには内緒よ」


 男は尻をクネクネさせながらスタッフを呼びに言った。


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 午後1時すぎ―。

 刈間市鈴音のゲームセンター。


 やっと5時間後に「スタジオ」から解放された有働は、内木とリカのデートの現場を遠くから見ていた。


 2人が興じてるのは「魔法ガール★マジックえみりん迷宮ミッション」というゲームだった。


 有働は、内木のすぐ隣を通った。

 幸せそうな内木。


 エミが紹介した「リカ」という可愛らしいこの少女は、エミと幼馴染で私立の鈴音女子高に通っていると言う。「クマさんみたいな人がタイプ」というリカに、内木を紹介したエミの判断は間違っていなかった。


 リカは内木にべったりとくっ付いていた。

 内木は照れながらも、リカの瞳をまっすぐ見て、このゲームの攻略法か何かを話していた。


 内木の肘が、有働に当たった。


「あ、す、す、すいません」


 一瞬、有働の方を見て謝ったが、内木は有働だと気づかずゲームに興じていた。


「じゃあな…。内木」


 有働は小さく呟いた。


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 同日。

 午後9時30分―。

 東京・中野。

 コンサート会場「中野ムーンパーク」前


「わぁ、有働くん!」


 エミが言う。

 有働に抱きつく。

 コンサート会場前で、一緒に写真撮りたい、と言ってきたが断った。


「何か変な気持ちだ」


 権堂が言った。それ以上は何も言わない。コメントに困っているのだ。

 春日、久住が頷く。


「皆でアイドルのコンサート鑑賞ってのは、卒業前にいい思い出だな」


 誉田は、にやつきながら有働の腹をつついた。この「つつき」には、いろんな意味が含まれているのは有働にも理解できた。


「誰あれ、有働の彼女か」


 権堂にコンサート会場まで連れられて来られた、旧・権堂組のメンバー数十名の中から声が漏れる。

 彼女ではないけれど、有働は特に否定はしなかった。


「ベストカップルでしょ~」


 エミは抱きついたまま離れない。

 その隣で、有働は変なポーズを取っておどけて見せた。

 普段の自分ならこんな事はやらない。


「酒でも飲んでるのか」


 そう声をかけてきた6人のチャットメンバーも、合流するなり、有働の姿を見てゲラゲラ笑った。

 りん子だけは有働の隣のエミを、嫉妬のこもった目で見ていた。


「そんな変かな、俺」


 有働は肩を落として言った。


「今日のコンサートはネットで生中継だし、恥ずかしい事したらネットに残るから気をつけようね」


 チャット仲間の"午前肥満児"が言う。

 皆が頷くが"盗撮ルパン"だけは女子の尻に夢中だった。


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 午後10時―。

 凍えるような月が夜空に煌々と浮かんでいた。吐く息が白い。

 2014年もあと2時間で終わりを迎える。


 スーサイド5エンジェルズ最初で最後のインディーズカウントダウンコンサート。

 来年になれば、彼女たちは2時間後にはメジャーアーティストとして別次元の存在になってしまう。


 開場時間となり、2000人近くが会場周辺をぐるりと取り囲んでいた。


 有働は、周囲を見渡す。

 この人ごみの中、写真で見た顔「冬貝」や「犬尾」がいるかもしれないと思ったのだ。


 だが、彼らを前もって見つけても、他の連中が逃げ出してしまったら、元も子もなかった。満園が世の中に流した10丁の密造銃の最後の1丁を誰が持っているのかも分からない状態では、ヘタに動くことも躊躇われた。


 会場の周囲に、警察はいない。

 やはり、冬貝らの目論見に気づいているのは有働だけだった。


(結局は2000人を危険に晒すのか)


「有働くん、席は皆、バラバラだけど…みんな有働くんの味方だよう」


 エミがコート越しに胸の膨らみを押し付ける。権堂、誉田、春日、久住、それに旧権堂組の面々が、エミの言葉に頷いた。


 チャットメンバーたちも、遅れて頷く。


「はい、皆さん。開場です。係員に従ってゆっくり進んでください」


 開場誘導アナウンスを、拡声器を持った青年が始める。

 そんな時だった。


「すいませ~ん。A列、ぼくです」


 ファンクラブ優先枠である、最前列の誘導が始まり、太ったオタク男が駆けて来て、有働とぶつかった。


 吹っ飛ばされた有働は、なかなか立ち上がれながった。


 ぶつかった相手である、太ったオタク男は、有働を見下ろすと「どんくさい、ジャマな奴だな」と言わんばかりに舌打ちした。


(謝りもしないで、性格の悪いデブだな)


 有働も、舌打ちをした。


「ちゃんと謝れよデブ」


 デブと言われたオタク男は眉間にシワを寄せて、最前列に並びながら、何か言いたそうに有働を見ていた。


「席は決まってるんだから、慌てなくていいのにね」


 りん子が言った。


 デブは汗をかきながら、赤いバンダナを締めなおし、タオルで顔を拭っていた。


(腹は立つが、こんなところでトラブル起こしてもしょうがないな)


 余裕がなくなってきた証拠だと、有働は自覚した。


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 開場から1時間後。


 午後11時―。

 カウントダウンライブはスタートした。

 1曲目は「勝ち逃げ霊柩車~あなたと逝きたい~」だった。


 人生はいつも「ひき逃げ救急車」

 悲しい過去は「やり逃げ高級車」

 あなたと未来は「勝ち逃げ霊柩車」

 Yeah...Yeah...Right now.


 そこには歌うMANAMIの姿があった。

 メンバー全員の姿があった。

 死体メイクを施した5人の天使たちを前に、熱狂する2000人のファンの声援があった。


(偽善者になるって決めた日も、この歌を聴いてたっけ)


 有働は思った。


(俺は…)


(俺は…偽善者に過ぎない…聖者にはなれないんだ)


 有働は、ここまでの偽善者としての3ヶ月間を反芻していた。


(有働くん…2000人が死ぬんだね)


(有働くん…2000人が死ぬんだね)


(有働くん…2000人が死ぬんだね)


 不破勇太の声が聞こえてきた。


「次、2曲目。色々あって販売中止になっちゃったけど…ネットとかで聴いた人もいると思います。贈ります。GUN GUN GUN]


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 La la la...

 銃声 忠誠 愛に狂って

 銃弾 中断 会いにくるって


 REAL GUN BLACK 銃身REALが

 私のこの胸に 着弾Herat


 FAKE GUN RED&WHITE FAKEが

 あなたに届かない 暴発Hate


 REAL GUN BLOOD 傷心REAL GIRL

 私のこの胸に CHECKDOWN Herat


 FAKE GUN 妬んだFATE FAKE GIRL

 あなたに届かない Bomb Heart to Herat


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 2曲目が終わった、その時だった。


「おい、てめぇら動くな!ここは今から俺らが占領する!」


 男の怒鳴り声が響き渡った。

 間髪いれず、4名の男たちがステージに上り、メンバーに銃を突きつける。


 観客の悲鳴。


「なに、あなたたち」



 メンバーのYUKIHOが叫ぶ。

 CHULIAとRANは、3曲目の出だしのポーズのまま固まっていた。

 MOEはステージ脇にいるであろう関係者に目で助けを求める。

 MANAMIだけは、数名の男たちを見て「なんで」というような顔をしていた。


 マネージャーや関係者が駆け寄る。

 男たちはたじろぐ事なく、銃口をメンバーに向けたまま動かない。


 男の1人が、黒い銃を天井に向かって発砲した。

 はじけ飛ぶ照明。

 男は、2度、3度、発砲した。

 間違いなくこの男がグループの主導権を握るリーダーだろう。

 写真で見たとおり、クセっ毛の強い、浅黒い肌をした青年だった。

 

(お前が、冬貝だな…)


 有働の心の声。

 焔のような怒りが脳を焦がし始める。


 リーダー冬貝は、他の3人に何かを言ったあと、頷き、メンバーのMOEからマイクを取り上げた。


「これから、ここは俺らが占領する。出入り口もすべて塞いだ」


 マイクから発せられる冬貝の声は、幼かった。だが有無を言わさない響きがある。


 有働は、コンサート会場にある出入り口10ヶ所すべてを見た。ドアの前には数人、金属バットを持った半グレたちが陣取っていた。


 有働は、一番近くにあるドアに目をやった。


 半グレが2人いた。そして、ドアの縦長い取っ手部分の左右が鎖のようなもので、ガチガチに繋がれ、分厚い南京錠で締められているのが見えた。


「いつの間に」


「全部のドアがあれじゃ、絶対に出られない」


 有働の心の声を、客席の別の誰かが代弁してくれた。


「おい、お前ら。出てきていいぞ」


 冬貝が言う。


 ぞろぞろと、あちらこちらの客席から、潜伏していた半グレたちが立ち上がる。

 人数にして30、40、いや…50人以上はいるだろう。


「どさくさに紛れて、席から立ったやつは、真っ先に殺す」


 冬貝は言った。

 仲間とそうでない者の見分けはついているのだ。


「やれ」


 冬貝に言われ、50人の半グレは、会場の方々に散った。

 まるで、前もって決められていたかのように彼らは、等間隔に位置に着いた。


「はじめろ」


 冬貝の言葉。


 半グレたちは各々、バッグから何かを取り出す。

 やがて、全身を覆うタイプの銀色のスーツを広げ、すばやく着込むと、赤い小型ポリタンクの蓋を開け、液体を会場中に撒き始めた。


「おい、そこのオッサン、動くな」


 男が銃を向ける。中央列の右側の中年男性が席を立とうとしたまま固まっていた。


「俺さ、射撃はあんま得意じゃねぇんだ。前もやっちまったんだが、頭を吹っ飛ばしたら脳みそ出てキモイだろ。ムダに撃たせるな」


 男に言われた中年男は席に座った。


 冬貝は間違いなく、あの銃で何人かを殺している。

 有働は思った。


 他の3人も銃を持っていた。

 赤いカラーリングに白いラインの奇抜な銃だった。


 他の3人の特徴。

 小柄でニット帽を被った青年。

 写真で見た顔、「犬尾」だった。

 そして、

 長髪で鼻に大きなイボのある青年。

 スキンヘッドで長身な青年。


 リーダーの冬貝、そして彼ら、死んだ矢田を含めて5人。

 満園一家を襲ったのは彼らに間違いない。

 満園の母を、姉たちを、妹を、恋人を陵辱し、祖父と父とともに、皆殺しにし、焼き捨てた。


 あのステージに立つ男たちこそ、人をオモチャのように殺害するケダモノたちに違いなかった。


「よし、いいぞ」


 冬貝の言葉とともに、異臭が漂う。


 ガソリンを撒き終えた50人はステージ手前に集結した。

 彼らが撒き散らしたのはガソリンだった。

 半グレたちが着込んでる銀色のスーツは、防火服だろう。

 扉を支配する連中も同様の格好になっていた。

 

「会場のスタッフどもは、荷物チェックの時、睨んだらビビりやがってよ。持ち込みは案外、簡単だったぜ」


 冬貝は、銃口を観客に向けて左右に振った。


「妙なマネをしたら火を放ち、客席を一瞬で丸焦げにするぞ」


 冬貝は嗤う。


 火が回っても、ステージにいる冬貝たちは舞台裏にある非常口から逃げられる。火を放つというのはハッタリではなさそうだった。


「今から、政府に10億円と逃走用の大型ヘリを要求する。すべてが用意できたら、ロビーに待機させてある俺の仲間たちに証拠を見せろ。確認でき次第、仲間から俺のプリペイド携帯に電話するように伝えてある。念には念を入れて俺ら全員スマホは捨てちまったんでな。この会場はネットで生中継だったよな?」


 冬貝は腕時計を確認したあと、キョロキョロとあたりを見回した。カメラを探しているのだ。


「20分経過してる。警察もここを観てるはずだ」


 冬貝は銃をワイヤーに吊るされた中継用のカメラに向けた。


「いいか。余計な作戦なんか立てず俺らの言うとおりにしろ。ダラダラされてもムカつくから、今から1時間ごとに1人、殺す」


 冬貝は言った。


「要求が呑まれない限り、必ず1人殺す」


 冬貝は銃口を客席に向けた。

 悲鳴。ざわめき。


「黙れ!ぶっ殺すぞ」


 静寂。


「ステージ前にいる奴らが足元のガソリンに火をつければ会場中に火がまわる。その事を忘れんなよ」


 斜面を流れていって前列の床までガソリンは充満している。

 実際、ガソリンは有働のいる席の真下まで染みていた。

 鎖で閉ざされた出入り口。

 ステージにはアイドルを人質に、銃を持った男たち。

 逃げ場はなかった。

 半グレの誰かが火をつければ間違いなく大火災が起き、2000人が焼き殺される。


(密室にガソリンと火…考えやがったな)


 有働は臍を噛んだ。


「じゃあ、さっそく見せしめに、今、このステージで1人目を殺す」


 冬貝は嗤った。

 冬貝は、ニット帽の青年、犬尾にマイクを渡した。

 冬貝が自分の次にマイクを渡す。それだけ信頼が厚いという証拠だった。


(犬尾…)


 そもそもの発端は、この犬尾だった。

 中学時代に両親を殺そうとした異常者。

 満園が、アドリブでポスト投函した相手。

 犬尾は冬貝に取り入りたくて、あれこれと画策したのではないか。


 犬尾は、満園が脅されながら追加でつくったであろう赤い銃を握っている。

 自分に元々、配られた黒い銃はリーダーの冬貝に献上したのだろう。


「今から1人、ステージの上で、ナイフで刺してから撃ち殺します」


 犬尾は言った。


「でも、僕らが誰を殺すかなんて決められません。なので皆さん自身で、列ごとに1人、誰を殺すか決めてもらいます」


 犬尾は嗤う。


「じゃあ、さっそく最前列のA列から始めましょう。殺人総選挙ゲームのはじまり、はじまりぃ」


(このケダモノめ…そんな風にして、満園一家も殺したのか)


 視界の端で何かが蠢く。

 その正体が何かは分かっている。


(誰も殺させない)


 そう思うものの、無軌道な冬貝たちの行動は読めなかった。

 有働は奥歯を噛みしめた。

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