第18話 まなみ

 スーサイド5エンジェルズ「MANAMI」こと、多治比愛実(たじひまなみ)の、4才の時の記憶―。


 オモチャに囲まれた、狭い部屋。

 窓の外では、回転遊具やブランコが風に揺れていた。

 愛実はポツンと床に座り込んで、周囲を見回す。


 動物のような騒ぎ声。

 そこは、自分の部屋ではない。


 自分と同じくらいの子から、かなり大きな年齢の子が、部屋には詰め込まれていた。


 ここは、彼らの家なのだろう。

 愛実は思った。

 不安に胸が押しつぶされそうだった。


「おとうさん、おかあさん、まなぶ、どこ」


 愛実は泣きそうになった。


 子供たちに無残に遊ばれて、放り投げられたクマのぬいぐるみが目に入った。

 腹からは、綿が飛び出していた。


「クマさん、痛くない?」


 愛実は、ぬいぐるみを拾い上げ抱きかかえた。


 周囲の子供たちは、新しいオモチャを取り合っている。

 髪の毛を引っ張り合いながら、ケンカしてる子供たちもいた。

 本を読んでる大きな年齢の子は、それをうるさそうに顔を歪めていた。


 部屋のドアを開ける音。


 数人の見知らぬ大人たちに混じって、父母がいた。

 母はまだ生まれたばかりの弟「学(まなぶ)」を抱きかかえていた。


「おとうさん、おかあさん」


 愛実は母に駆け寄る。

 お腹をケガしたクマのぬいぐるみを、放り投げる事はできなかった。


「おかあさん、このクマさん連れていっていい?お腹、ケガしてるよ」


「愛実…」


 母は、泣きながら愛実を抱きしめ、いつまでも離さなかった。

 父は「さっさと行くぞ」と母を怒鳴っていた。


「おかあさん…なんで泣いてる…の」


「愛実、今日からここが…あなたのお家になるのよ。たまにお母さん来るからね。いい子にしてるのよ」


 母は泣いていた。

 不安に押しつぶされて、泣きじゃくる愛実。

 母は、愛実に駆け寄る事はなかった。

 ただ、ただ、立ち尽くしていた。


 あの時、母がなぜ愛実を再び抱きしめられなかったのか…。

 それが分かったのは10年以上が経過してからだった。


 その日から、児童養護施設「花園の里」が愛実の家となった。


-------------------------


「クマさんケガしてるね。じゃあ、一緒に手当てしてあげようね」


 職員の橋本朋子(はしもとともこ)先生が、クマのぬいぐるみの裂け目を縫い始めた。


「そこにある糸をとってね」


 父母と引き離され、泣くしかできなかった愛実は、クマのぬいぐるみを救うという義務感だけで、橋本先生の傍に立っていた。


 今、思えば、橋本先生は若くて綺麗な先生だった。

 母と同じくらいの年齢だった。


 クマの手当てが完了すると、愛実は感情を抑えきれず泣き出した。

 他の子たちはもう別室で眠りに就いてる頃だった。


「まなみちゃん、泣きたい時は、たくさん泣いていいんだよ」


 愛実は泣いた。


 いつも、大人たちは「泣くな」と愛実に言った。


 それは、愛実がワガママを言ったり、解決方法がきちんとあるから、泣くんじゃないと言う意味だった。


 目の前の大人―、橋本先生は「泣いていいんだよ」と言った。

 父母、弟の学と離れた、初めての夜。


 それは、あなたは悪くない、解決方法なんてない…だから、泣いていいんだよ、という意味なのだと、幼心に漠然と感じていた。


(もう…おとうさん、おかあさんのところへは帰れないんだ。まなぶに、いつかおねえちゃんって呼んでもらいたかったのに)


 理由は分からなかった。

 だが、もう自分はあの家には帰れないんだ、と愛実は理解した。


 涙が止まらない。

 涙を止める術は昨日までの日常に戻る事だった。

 夢なら覚めて。


 翌日、愛実が目を覚ましたのは、大勢の子供たちと同じ部屋のベッドの上だった。

 傍らにはクマのぬいぐるみが寄り添っていた。


-------------------------


(たまにお母さん来るからね。いい子にしてるのよ)


 2年が過ぎても、母の約束が果たされる事はなかった。


 小学1年生の時だった。

 社会の時間に「わたしのお父さん、お母さん」という課題が出た。


「来週の月曜日までに、提出してください」


 愛実は、朋子先生のことを書くつもりだった。

 担任の先生も、皆がいないところで、そうしなさいと言ってくれた。


 いつも愛実たちに優しくしてくれる朋子先生。

 ひとりで泣いている時、そっと傍にいてくれた朋子先生。

 朋子先生は、今の愛実にとって、かけがえのない家族だった。


 子供たちがはしゃぐ声がうるさい自習室。

 課題内容が書かれたプリントに目を通す。

 そこには「わたしのお父さん、お母さん」と書かれていた。


「お父さんも…お母さんも…世界にたった一人しかいないのに」


 追憶の父母。


 いつも仕事ばかりで家にいなかった父。

 たまに遊んでくれた時は、たくさん可愛がってくれた。


 優しい母。

 泣き虫な愛実に「強くなるのよ」と教えてくれた。


 父母の顔…なぜか影に隠れている。

 思い出せなかった。


「お父さん…お母さん…」


 朋子先生の事は、大好きだった。

 それでも、愛実の「お母さん」ではなかった。

 作文用紙が涙で濡れる。


 一文字も書けないまま月曜になった。


 後ろの席から課題の作文が重ねられていく。

 愛実は提出できないまま、前の席に回した。


 あちらこちらで、意地悪な女子のひそひそ話。

 自分のことを言っているのは分かっていた。

 担任の先生は、愛実に何と声をかければいいか分からないようだった。


 同じく作文の提出をしなかった男子が担任の先生に怒られていた。

 その男子は冬貝久臣(ふゆかいひさおみ)と言った。


「お父さん、お母さんいない人はどうすればいいんですか。そんな課題やるのはおかしいよ」


 冬貝少年は、椅子の下で足をパタパタさせながら、大人びた口調で言った。


 愛実は、冬貝少年の方を見た。

 目が合った。


「冬貝くんは、わたしのことを、かばってくれたんだ」


 それは、一方的な片思い。

 愛実の、冬貝少年への初恋の瞬間だった。


-------------------------


 愛実は公立中学にあがった。

 児童養護施設「花園の里」の中でも小さい子を面倒見る立場になっていた。


 初恋の相手、冬貝も、愛実と同じクラスだった。

 だが、同じ教室で、一緒に授業を受けた記憶は、あまりなかった。


 冬貝は、中学1年の2学期から素行不良になっていった。


「あいつ、童貞じゃないらしいぜ」


 思春期の男子たちが、冬貝に畏怖の念をあらわす。

 女子たちのほとんどが、冬貝を避けていた。


「隣町の中学のやつらを鉄パイプでボコボコにしたらしい」


 たまに出席したと思えば、冬貝はあちらこちらを怪我していた。

 教師たちも腫れ物を触るように接していた。


-------------------------


 中学2年になった春。


 放課後、クラス委員の仕事で黒板の掃除をしていた愛実に冬貝が話しかけてきた。


「帰り、気をつけた方がいいぞ」


 冬貝は上履きの踵を踏み潰し、パカパカさせながら、教室のドアの前に立っていた。


「なんで?」


 愛実は、クセっ毛の強い、色の浅黒い、目つきの鋭い少年を見た。

 頬が熱くなる。

 初恋の男子と直接話す、初めての瞬間だった。


「隣町の中学のやつらがお前を、狙っている」


 狙っている、の意味が分からなかった。


「狙うって?」


 冬貝は、おどけた表情をした。


「ガキじゃないんだから、分かるだろ」


 決まり悪そうにして冬貝は教室を出て行った。


-------------------------


 数週間後。

 文字通り、愛実は狙われた。襲われた。


 学校の帰り道、路地裏で同じ年くらいの少年、数名に囲まれたのだ。

 近くには、大型ミニバン車。


 サイドガラスから誰かが見てる。


「怖い男の人だ」


 愛実は逃げようとした。

 だが、少年たちに捕まった。


「やめて」


 涙が出た。

 怖い、たすけて…そう思ったときだった。


「おい、離せ、こらぁ」


 恫喝、地面を引きずる金属音。

 そこにいたのは、金属バットを掲げた冬貝と、その仲間の不良少年たちだった。


「くそ!おい、みんな。逃げるぞ!」


 そう言うと、少年たちは去っていった。

 大型ミニバン車も去っていった。


「ありがとう」


 愛実は涙で濡れた目で、冬貝を見た。


「怪我はないか。だから言ったろ、気をつけろって。お前は女なんだからよ」


 冬貝は言った。

 危機感のなかった愛実を、暴漢から守ってくれたのだ。


 冬貝の仲間たちは、いつの間にか消えていた。

 路地裏で、2人きりになっていた。


-------------------------


「俺が、お前のことを好きだって、あいつらにバレたんだ」


 あいつら、とは敵対する少年グループのことらしい。

 帰り道で、冬貝が照れくさそうに言った。


「私のこと…好きなの?」


 愛実はそう言って俯く。

 初恋の人と、恋が成就した瞬間だった。


「お前のことは、俺が守るよ」


「ありがとう…」


 2人は無言になった。

 もうすぐ「花園の里」がみえてくる。


「あのさ、お前、俺の彼女にならない?」


 冬貝の言葉。


「彼女?」


 何て返して言いか分からず、愛実は黙り込んだ。


「俺の彼女ってことにしとけばさ、あいつらも他のやつらも、ビビって手出しできないから」


 冬貝は言った。


 愛実は頷いた。


「連絡先交換しようぜ」


 冬貝は中学生なのに、携帯電話を持っていた。


「私…携帯電話もってないから」


 愛実は俯いた。

 普通の家庭の子供だったら良かったのに。

 悔しくて唇を噛んだ。


「じゃあさ、いつか携帯持つようになったら、ここに連絡くれよ」


 真奈美は、冬貝の連絡先が書かれた紙切れを渡された。


-------------------------


 同じクラスの犬尾勘太(いぬおかんた)が、自宅で両親を刺したというニュースが教室を賑わせた。


「あいつ、イカレてたし、いつか人殺しになるような感じだったよな」


 生徒たちは言った。

 刺された両親は命に別状はないようだったが、犬尾はその日から学校に来なくなった。


「お前、犬尾の写真、マスコミに流したろ」


 ある日、冬貝は、同じクラスの満園浩丈の胸倉を掴んでいた。


「そんなこと、してないよ」


 満園は怯えていた。


「じゃあ、なんで運動会で、たまたまお前と写ってる写真が流れてんだよ」


 冬貝が噛み付く。


「こいつ、新しいモデルガンが欲しくて写真売ったんじゃね?」


 冬貝の腰ぎんちゃくが言った。


「もう、やめなよ」


 愛実は割って入った。

 冬貝は舌打ちして、どこかへ消えた。


「あ、ありがとう」


 満園が礼を言ってきた。


「うん。いいの」


 冬貝くんは、私の彼氏だもの。

 デートしたことは、まだなかったけど、あの日そういうことになったんだもの。


 愛実は、冬貝に満園を殴らせたくなかった。

 できることなら、他の生徒のように毎日、真面目に学校に来て欲しかった。

 しかし、冬貝と日々、意思の疎通をできるような連絡手段はなかった。


「バイトできる年齢だったらなぁ」


 愛実は思った。

 「花園の里」ではバイトができる年齢の子供には、携帯電話が支給される。


「愛実ねえちゃん。これ応募したら?」


 いつか、小学校高学年のおませな子が言ってきた。

 アイドル募集の記事。


「愛実ならぜったい芸能人になれるって。普通に可愛いってレベルじゃない。1ヶ月に1人お目にかかれるかどうかってくらいのレベルだもん」


 クラスメイトのお世辞。


「まぁ、ダメ元か」


 特に容姿に自信があったわけではない。

 ただ、携帯電話を手に入れたかった。

 動機は単純だった。


 朋子先生に話したら「あら、いいじゃない。私も昔、アイドルになりたかったのよ」と目を細めた。


 芸能事務所からの連絡に「花園の里」の皆が歓喜したのは、書類を送付してから2週間後のことだった。


-------------------------


「うちの事務所はねぇ、他と違うことやりたいのよ。地下アイドルってやつ」


 「花園の里」と同じ渋谷区にある芸能事務所の一室で、愛実と朋子先生は、女社長と面談した。


「エロは一切やらない。でも、お笑い要素はほしいわ」


 女社長は数枚のイメージ写真を卓上に並べた。

 ゾンビのような仮装をした少女たちがポーズを決めているものだった。


「まだ正式には決まってないけど…スーサイドエンジェルズ…もしくは5人にちなんで、スーサイド5エンジェルズ。そんな感じでやろうと思ってるの」


 厚化粧の女社長は笑った。

 年齢で言えば、愛実の母や朋子先生と同じくらいだろうか。


「私には、アイドルをずっと目指していた一人娘がいたの。小学生の時から毎日、毎日レッスンに励んでたわ。でも去年…娘に難病が見つかったの」


 女社長の目に光るものがあった。


「今年になって、亡くなる時はあっけなかった。母親である私にも悲しむ時間が与えられないほどにね」


 女社長は、愛実を見た。


「私は銀座のお店をたたんで、先々月、この事務所を構えた。娘が果たせなかった夢を…娘と同じくらいの子たちと叶えるためにね」


 愛実は俯く。

 携帯電話欲しさに、応募した浅はかさを恥じた。


「今から5年。私と一緒に頑張ってみない?ぜったいにメジャーの舞台まで連れて行ってあげるわ。コネなら銀座時代からのがあるの。あとはあなたたちの頑張り次第よ」


 女社長の柔らかい手のひらが、愛実の両手を包み込む。

 愛実は頷くしかできなかった。


-------------------------


「おいおい、MANAMIだぜ」


 街を歩くと、たまにそんな声が聞こえてきた。


 大手アイドルグループに所属してるわけではないから、と愛実は大きなサングラスをかけたり、マスクをするようなことをしなかったためだ。


 だが、少数ながらもファンが存在するため、愛実を1人で歩かせるわけにもいかず、マネージャー代わりに送り迎えは朋子先生がしてくれた。


「MANAMIちゃん、また明日~」


 歌と踊りのレッスン後、事務所の地下駐車場でスーサイド5エンジェルズの5人はそれぞれの車に乗り込む。他のメンバーたちの送り迎えはその子の母親だった。


「私のお母さん、今ごろ何してるのかな」


 何気ない一言だった。

 父母や弟のことを思わなかった日は一度もなかった。もし有名になれたら再会できるかな、そう思うこともあった。


 運転席で、朋子先生の顔色が変わるのが見えた。


(何かまずいこと言ったかな)


 愛実は思った。


-------------------------


 中学校には毎日、ちゃんと通った。

 学校が終われば朋子先生の車で、レッスンに直接、向かう日々だった。


 中学3年の春。

 放課後、いつものように学校近くの駐車場まで行こうとすると、校門前でクラスメイトの女子、数名に囲まれた。


「あんたさ、最近調子にのってんじゃない?」


 意地の悪そうな顔の女生徒が言う。


「そんなことないよ」


 愛実は言った。


「あんたさ、冬貝くんと付き合ってるんだって?」


 愛実は答えに困った。

 事務所的に恋愛禁止だったのもあるが、冬貝とは「付き合っている」ものの、一度もデートすらしたことがなかったからだ。


 手に入れた携帯で毎日、連絡は取っていた。しかし、レッスンに忙しい愛実はデートする時間が取れなかった。


 愛実の冬貝への恋心は変わっていなかった。

 だが「花園の里」の同世代の子に相談したところ「それって、ただのメル友じゃん」と指摘されてから、自分が果たして冬貝の彼女と呼べる状態なのかどうか、自信がなくなっていたのだ。


「答えないんだ?」


 女生徒は笑った。


「って言うか、気づいた?」


 女生徒は笑う。


「気づいた?」


 愛実は、そう返した。


「中2のとき、あんた襲われたところ、冬貝くんに助けられたでしょ?あれ、演技だよ。うちの兄貴たちが協力したの」


 愛実はその言葉を疑った。


「冬貝くんは、ただの偽善者だよ」


 女生徒は笑った。


「おい、何話してる」


 背後から冬貝の声がした。


「冬貝くん…いたんだ」


 女生徒たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。


「おい、愛実」


 背後から追いかけてくる冬貝の声を無視して、愛実は駐車場へ向かった。


(なにも聞いてない。何も聞こえてない)


 朋子先生の待つ車に乗り込み、ドアを閉める。


(私は、何も聞かなかった)


 頬が濡れる。


「どうしたの?愛実ちゃん」


 心の傷は、朋子先生にも打ち明けられなかった。


-------------------------


「なぁ…悪かったよ」


 冬貝にメールでしつこく誘われ、何とか1時間だけ、喫茶店で話す機会をつくった。


「なぁ、それだけ好きだったんだよ」


 冬貝の言葉。

 冬貝はすべてを認めた。


 愛実は、あの真相を「聞かなかった」ことにできなくなってしまった。


(お父さん、お母さんいない人はどうすればいいんですか。そんな課題やるのはおかしいよ)


 目の前にいる男子に、あの日の少年の面影は無かった。

 いや、あの言葉すら、冬貝にとってはただの気まぐれ、特に愛実を思っての言葉ではなかったのかもしれない。


「ずっと好きだったんだ」


 冬貝の言葉。


「お前のことを何も知らない…寂しいんだ」


 冬貝の言葉。


「私も…好きだった」


 愛実が冬貝に告げた最後の言葉。


「俺たち、別れてないからな。これからもメールは送り続けるからな」


 冬貝の言葉。


 愛実は席を立って、喫茶店の伝票と一緒に2千円をレジに置いて、その場を去った。


 もう、冬貝の声が追いかけてくることはなかった。


-------------------------


 いやな噂を耳にした。


 あの日、冬貝の真実を告げたクラスメイトの女生徒グループが、学校へ来なくなった。


「あいつら皆、拉致られて、何時間も輪姦(まわ)されたらしいぜ」


「外面があるから、親は警察には届けてないらしい」


「なんか、その動画を冬貝が持ってるらしくてよ…欲しがる男子にはくれるらしい」


「隣のクラスの奴、それで何発もヌいたらしいぜ」


(なにも聞いてない。何も聞こえてない)


 胸がざわめく。


(私は、何も聞かなかった)


 愛実は耳を塞いだ。


-------------------------


 中学を卒業しても、冬貝からのメールは止まなかった。


 愛実は恐怖を感じ始めるようになった。

 メールには返事するようにした。


 だが、一度も会うことはしなかった。

 わずか短い距離でも、送迎は朋子先生にお願いした。


 高校は芸能活動に寛容な学校だったので「スーサイド5エンジェルズ」での活動は精力的に行えた。


 シングル、ミニアルバムの売り上げも好調だった。

 歌詞の内容に問題があるような気もしていたが、それを面白がってくれるファンたちのために、死体メイクをして、笑顔で歌い続けた。


-------------------------


 高校を卒業した。

 愛実は「花園の里」の職員として施設に残った。

 芽の出ないアイドルの自活は難しいという理由もあるが、本音は、朋子先生やみんなと離れたくなかったからだった。


 半年後。

 それは初夏だった。


 愛実ら5人を集め、女社長は重大発表をした。


「来年1月1日にメジャーデビューよ。大晦日カウントダウンコンサートも決定してるわ」


 女社長の目じりには、いつしか小さな皺が増えていた。

 少女たちは大人になっていた。


 メンバーは抱き合って、泣いた。

 5年の努力が実った瞬間だった。

 小さなライブハウスで、一緒に歌ってくれたファンたちの顔が思い浮かんだ。


 メジャーデビューの報告を聞かされ、朋子先生と2人で駐車場で泣いた。

 愛実は、誰よりも先に、朋子先生に報告ができたことを嬉しく思った。


-------------------------


 それは、10月だった。


 その日のレッスンを終え、朋子先生と一緒に帰宅した愛実は「花園の里」施設長に、応接間にいくように促された。


 60過ぎの施設長は、寡黙な男だった。

 説明の一切は、朋子先生や他の職員の役割だった。


 施設長が頷く。

 朋子先生も頷いた。


「さっき、車の中で言うべきだったんだけど…言うタイミングがなくて。あなたの弟さんが来てるの」


 朋子先生は、愛実の両肩に手を置き、そう言った。


-------------------------


 応接室を開ける。

 そこにはブレザー姿の少年がいた。


「姉ちゃん」


 最後に見たとき、乳飲み子だった弟は高校1年生になっていた。


「学(まなぶ)」


 記憶の向こうの弟、学とは一致しなかった。

 だが、愛実には、目の前の少年が自分の弟である事を瞬時に理解できた。


 毎日、鏡で見ている顔。

 学は、愛実自身に、すごくよく似ていたからだった。


 姉弟(きょうだい)は抱き合った。

 離れ離れになっていた15年間、家族の時間を埋めるように、お互いに泣いた。


-------------------------


 姉弟(きょうだい)はその日、深夜まで語り合った。

 次の日が日曜という事もあり、学は「花園の里」に泊まっていった。


 学の引き取り先は、伯父夫妻だった。

 父の兄にあたる人物で、小さな鉄工所を経営しているらしい。


「うちが裕福だったら、姉ちゃんも迎えられたのに…って、オヤジが言っていたよ」


 オヤジ―。

 学はそう言った。

 弟は父の顔すら知らずに育った。弟にとっては、伯父が父親なのだ。


 胸が痛む。

 愛実は、学より「伯父」からの手紙を渡された。


 手紙の内容。


 まず、姉弟(きょうだい)を離れ離れにさせたことをすまない、という言葉ではじまっていた。

 そして、愛実、学の父母はもう、この世にはいない、と記されていた。

 愛実の父は、実業家だった。

 伯父夫妻をも巻き込んだ事業だったが、愛実が4歳の時に経営が破綻。

 父母は、億の負債を清算すべく、この世を去った。

 伯父がすべてを知ったのは、弟、つまり愛実の父の死後だったという。

 詳しい状況説明などは、いつか直接、自分たちを訪ねてきなさい、とあった。

 事実を告げるべきか悩んだが、兄の遺書に、愛実が高校を卒業した頃に事実を告げ、自分の代わりに詫びて欲しいとあったので、学をよこした。

 いつか、皆で墓参りに行こう、と手紙は結ばれていた。


「そこに書いてある内容。俺も知ってるから」


 学は言った。

 表情に悲壮感はなかった。

 遠い国のできごとを語っているようだった。


 愛実には、弟と違って父母との4年間の思い出があった。


「お父さん、お母さんの話…聞きたくなったら、いつでも言ってね」


 愛実は、たった一人の肉親、学の手を握り言った。


-------------------------


 メジャーデビューが迫った秋。


 冬貝からのメールは相変わらず続いていた。

 愛実は決断をした。


 冬貝との小学生時代の出会いに始まり、自分が冬貝を好きだったこと、でも、冬貝のウソに傷ついた事。


 そして、新しい人生を歩みたいと願っている事。


「冬貝くんも、がんばってね」


 愛実は、自らの稼いだお金で、新しくスマホを購入し、電話番号も変えた。


「これで、よかったんだ」


 少女時代の自分と決別した瞬間だった。


-------------------------


 中学時代の仲の良かった同級生の女子、何人かには新しい連絡先を教えていた。もちろん、誰にも教えないで、と口止めは忘れていない。


「そういえば、同じクラスだった満園くん。一家全員火事で亡くなったらしいよ。警察は事件性を調べてるけど、まだ犯人は見つかってないんだって」


 ある友人から、そんな話を聞いた。

 遺体には暴力の痕跡や、銃創があったという。


「そういえば、満園くんってガンマニアだったよね。そういう筋に狙われたのかな」


 友人は言った。


「年内は難しくても、来年1月中には検挙してほしいわ」


 友人は地元、渋谷区の事件に本気で怯えていた。


 元、クラスメイトの満園の死には心が痛んだ。

 葬儀は親族のみ、とのことなので弔電を送った。


 愛実の中で何かがざわめく。

 でも、その正体は分からなかった。


「カウントダウンコンサートのリハーサルに専念しないと…」


 愛実は思った。

 会場には弟、学も来るのだから―。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る