最終章
第42話 小喜田内市で大量虐殺
傷つけあった日々
夜の吐息と流れ出す
分かっていたわ、あなたの痛み
過去も秘密も二人だけの宝箱
それなのに…
いつから鍵を見失ったの
もしも本当の赤い糸を見つけ出したら
私以上に愛してあげて
傷つくことになれたふりしないで
愛することを失わないで
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スーサイド5Angelsの新曲「愛することを失わないで」でした。いやぁ名曲ですね。以前の彼女たちは抽象的な歌詞が印象的でしたが、ここにきてストレートな路線にシフトチェンジしたというべきでしょうか。
今年、全米デビューコンサートを控えた彼女たち。5人のメンバーは、首吊り、飛び降り、ガス、焼身、服毒、の自殺死体をモチーフにした、うっ血、損壊、腐乱、丸焦げ、白塗りメイクとボロボロの衣装を纏い、都内小規模ライブハウスでパフォーマンスを披露。
さらに、これ。私も当時、驚きましたよ。昨年末のコンサート会場占領事件にもめげず活動を続行。
怪我の功名、転んでもタダじゃ起きないというべきですか、事件の動画が世界中に流出。全世界が注目、驚異的なアクセス数を誇りホームページはサーバーダウン。
現在は日本国内だけに留まらず、アジア全域、ヨーロッパ各地で人気を獲得――、とのこと、いやぁ日本のアイドルが全世界に認められる時代が来ましたか。私たちの時代じゃ考えられないことですよね、ええ……ここ最近の殺伐とした世界情勢の中、こういうニュースが入るのは嬉しいことで……
曲紹介の途中ですが、ここで緊急ニュースです。
ここ一週間、中国の天安門広場にて大規模なデモが行われているニュースの続報です。大会議場内にて中央軍事委員会主席、周遠源氏に対し七大軍区幹部によるクーデターがおきた模様。梅島における中韓の秘密実験に対し世界各国からの抗議、米合衆国による国際緊急経済権限法適用に対する中国共産党内の内部分裂の可能性が高いとの声もあり――。
ここで追加情報です!中央軍事委員会主席、周遠源氏の死亡が確認されたとのこと――。
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8月15日(土)
深夜――。
「ここから小喜田内市――、殷画だぞ」
マイクロバスの運転席から、パープルが声を張り上げた。長身に紫色の短髪。風貌にそぐわぬ安全運転が災いして、仲間の何人かは船を漕いでいる。
「いよいよだ。銃の準備をしておけ」
マイクロバスの右最前列、窓側の席でポツポツと窓に付着した水滴を見つめながら、ピンクは欠伸をした。
高速を降りK県西部の国道を抜け、血管のように細い一般道を走行すること数十分。濃厚な緑に囲まれた狭い車道でつい数十分前に軽自動車とすれ違っただけで、町は眠りに就いている。
ピンクは再び欠伸をする。霧雨の闇の中、自然と町が折り合いをつけて混在する田舎町の隘路の振動が心地よく眠気を誘う。
なお、周遠源氏の死因は爆発によるものとされ――。
相変わらず垂れ流しのラジオは祖国の変革を興奮気味に伝えているが、ピンクにとっては他人事だった。チェルシースマイルの部下からの連絡で一足先にその事実を知っていたという事もあるが、現在自分たちはその落とし前をつけるべく行動している。今はその事だけに集中すればいい。
ピンクが身体中の関節を鳴らしながら座席で体勢を変えるたび、鋲を打った黒いライダースの軋む音がした。これを手に入れたのは四、五日ほど前だった。本革が身体に馴染むまで最低二ヶ月はかかる。ピンクはこれから始まる宴を前にライダースを脱ごうかどうか迷った。
車内の黒孩子(ヘイハイズ)たちのうち鼾をかいてる数名以外は、各々の銃や手榴弾をもてあそんでいる。使い方はB4コピー用紙に手書きで書かれていた。すべて中国語。ぜんぶ大久保の同胞が用意してくれたものだ。
「リスト通り回るぞ」ピンクは言った。
振り返れば、これから始まる殺戮ショーを前に緊張で震えるものも少なくなかった。ウナギやラーメン、ピザ、ハンバーガーと名乗る合流組の連中。ピンクは舌打ちをこらえ、スマホの画面を眺める。
「有働努」
有働についてはそれなりに調べてあった。
陰画高校における数々の問題を解決し、同校の学園祭における大量毒殺事件を未遂に終わらせ、スーサイド5Angelsコンサート会場占領事件……これについては犯人グループを自滅させた人質の青年が、変装した有働ではないかと言う憶測がネット上に残っていたが、間違いないだろう。そして今回、天安門クーデターの一件。
有働は渦中に自らの身を投じ、ことごとく事件を解決、人命救助をしてきた。
「お前の家族からだ」
ピンクはチェルシースマイルの部下から送られてきた賞金リストをめくった。正直、祖国の野望が潰えたことには不満はない。ただヒーロー気取りのクソ野郎に後悔を味わわせてやりたい。ピンクは口の端を歪める。有働が未成年者であるため情報のほとんどが削除されていたが、ネット上に辛うじて残された有働賛辞のコメントが、なにより気に食わなかった。
男女の快楽の末に日陰の存在として産まれ、売り飛ばされ、名前も与えられずモノのように扱われた自分。一方、ネットの片隅であるといえ、神のように崇められている有働。ぶっ殺したくて仕方がなかった。自分と対して年も変わらないくせに、と。やつを絶望させてやりたい。
「ゲームは楽しまなきゃな」
「高速からずっとついてくるタクシーがあるぞ」
合流した黒孩子(ヘイハイズ)チームの、ウナギと呼ばれる男が怯えたように言った。最後列の左側に座りしきりに窓の外を気にしている。
こんな奴らと合流などせず、自分たちだけで行動すればよかった、とピンクは溜息をつく。改めて思うことだが、こいつら全員、顔に覇気がなく殺戮ショーを楽しもうという気概が感じられない。リーダー格のコーラと呼ばれるメガネ長身の男は必死にポーカーフェイスを気取ってるものの、微かに足が震えていた。
「誰も追ってきちゃいない」
ピンクは諭すように言う。だが、グリーンやホワイト、ブラックなど、自分と同じグループの仲間たちも神経質に後ろを振り返り始めた。
「一度、停車させて様子を見よう」
誰かの言葉に同意するように、パープルはマイクロバスを左折させ適当な場所へと停車させた。ピンクは舌打ちをした。
「誰がいいと言った」
パープルはその言葉に対し、ミラーごしに怯えた目で答える。一度停車したマイクロバスはそろそろと再発進した。
ヘッドライトが柔らかい雨を照らし出す。ワイパーがせわしなく動いていた。
「やはりいるぞ、よく見ろ」
ウナギが叫ぶ。皆がその声に反応し、背後を見る。
舌打ちをしながら、ピンクも皆と同じように席から腰を浮かせて、背後を見た。
車間距離は二百メートル弱だろうか。マイクロバスの後方、リアガラス越しに、山を切り崩した、曲がりくねった道の向こうで二つのライトが近づいてくるのが確かに見えた。
「間違いなく誰かが尾行してる。だがプロとはいえない」
ウナギが言う。車内の空気が重く沈みこむ。秘密裏に作戦指示が出されたとはいえ、歌舞伎町にある中華料理屋のおやじなど密告者がいたとしてもおかしくはない。血の上でやつは同胞だが、半分日本人のようなものだからだ。
情報が漏れる危険性を考え殺しておけばよかった、とピンクは舌打ちをする。
「ピンクくん、誰が尾行してるの?吉岡莉那ちゃん、レープ、レープしにいきたいのに邪魔されちゃうよ」
オカッパ頭のゴールドが、低い知能なりに計画の頓挫を危惧する。そして食いかけの弁当と割り箸を持ったまま「レープ、レープ。中出し。動画撮影。クリトリスをカッターで切除」と叫び始めた。
「どうする」
メンバー間でも腕っ節が強く気の短いレッドは、知恵の遅れたゴールドを睨みつつリーダーであるピンクの指示を待っていた。
「迎え撃つ」
そう言ってピンクは安全装置を外しハンドガンを操作した。
パープルは再びマイクロバスを停車。ピンクはただ一人車を降り、タクシーの接近をひたすら待った。
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タクシーが接近するよりも早く、一台の自転車がやってきた。
おそらく雑木林のある手前の細道から、この大通りへと出てきたのだろう。その姿はさきほどまでなかったのだが、運悪く自転車はこちらへと向かってきた。
「ちょっとちょっと、君たち!停車するならこんなど真ん中はダメだよ」
注意喚起の意味か、ベルが鳴る。マイクロバスのテールランプに照らされた黒い人影は、日本の警察官だった。
「免許証、確認させてね。キャンプか何かかな?こんな天気に珍しいね」
警察官は自転車を停め、ライトを照らしつつピンクの方へ近寄ってきた。
「消えろ」
ピンクの吐き捨てた言葉。同時にヒキガネが弾かれる。
乾いた音が一発。
警察官は「あ」とだけ叫び後方へ吹っ飛んだ。ピンクの構えたハンドガンの銃口から煙と硝煙の匂いが立ち込めた。
空薬莢がアスファルトに跳ね返る音と同時に、つまらない命は散った。
「運が悪かったな、おっさん」
ピンクは自転車と共に倒れこんだ警察官に近寄り、どうせなら彼の携帯する回転式拳銃を奪い取ろうと腰を屈めた。
仲間たちがぞろぞろとマイクロバスから降りてくると同時に、ふいに、自分が殺した日本の警察官の名前が知りたいと思った。末端の階級に過ぎないだろうが、日本国家の権力を担う警察組織に属する男の命を奪えたことを誇らしく思ったのだ。
「殺すことなかっただろ」
合流した新参グループの誰かがマイクロバスの窓越しに言った。ウナギやコーラとも違う、さっきまでまともに言葉を発さなかった小柄な少年。たしかイクラと呼ばれてたやつだ。
「俺たちは、ここへ何しにきたんだ?」
負け犬めいた怯えきったその声の方へ向け、ピンクは警察官から奪い取った警察手帳を広げる。それは縦開きのバッジホルダーで「K県警」と印字されたもので、中には金のエンブレムと警察官の写真と名前が入った身分証が収められている。
ニヤニヤしながら、ピンクは目の前の死体と写真を見比べた。実物の方が少し老けている。端正な顔立ちをしているが、中肉中背。そこらにいる四十男だった。
死体のどこに弾丸が命中したのかは分からないが、彼の制服をまさぐったピンクの両手は鮮血で濡れている。
ピンクは真っ赤な身分証を眺め続け、言葉を失った。
そして数秒間なにかを考えた後、笑みが零れ落ちてくるのを自覚した。
「こいつの名は、有働(うどう)保(たもつ)」
殺害リストで見たから間違いない。有働努の親父だ、と言いかけた同時に、
「タクシーがきたぞ」
ピンクと向き合う形で仲間たちが一斉に射撃の態勢に入り、タクシーはマイクロバスの十メートル手前で急停車した。コーラをはじめとする新参グループの連中は皆、マイクロバスの中に留まったままだった。
ピンクは背後のタクシーを睨む。
ヘッドライトは消え失せ、運転席の人影も微動だにしない。後部座席に人影はなかった。運転手だけ乗り込んだタクシー。俺たちを尾行してきたというタクシー。ただのタクシーじゃない。こいつは敵だ、と勘が告げる。
「やっちまえ!!!!!!!」
ピンクのかけ声。すさまじい轟音。ピンクの仲間たち十名が各々の銃火器をぶっ放す。激しい火花とガラスを砕く破壊音が数秒、数十秒、鳴り響いた。ピンクは耳を塞ぐ余裕もないまま、割れそうな鼓膜を無視してタクシーのほうを見やる。
蜘蛛の巣のように亀裂を走らせたフロントガラスの向こう、もぞもぞと人影が動いた。おそらくは虫の息だろう。
仲間の一人、グリーンがターゲットの死亡確認をしようと、ピンクと警察官の死体を追い越すようにして、煙の巻き上がるタクシーの残骸に近づく。人影の動きが活発になり、どうやらこちらの出方を伺っているように見えた。
「やつは死んでない!」
ピンクは叫んだ。ガタガタの扉が開く。自動ではなく手動で。蹴り飛ばした、という表現が無難だろう。中の人物は勢い良くそこから飛び出してきた。
仲間たちは弾薬を使い果たしていた。ピンクは舌打ちしながら、ハンドガンを構える。
人物が姿を現す。
肩幅の広い、眼鏡をかけた中年男で、洋服はズタボロだった。あちらこちらで肉片が吹っ飛び、鮮血に混じってそこから泡が吹き出している。泡立った箇所はブクブクと音を立てて筋肉や神経、血管、皮膚を再生させていた。
間違いない。こいつ、俺たちと同類だ。ピンクは男が「何者」かを推察する。
「君たち…これ以上、罪を重ねるのはやめなさい…や、やめないなら…」
「キム…さん」
新参グループのうちのヤキニクと呼ばれてるやつが呟いた。両者は知り合いらしい。こいつがこの男――キムを、ここへ呼び寄せたのかあるいは…ピンクは思考を回転させる。
「やつをとにかく撃て」
ピンクが号令をかけるまでの数秒の隙。
「わああああああああああああああ!!!」
キムは狂ったような唸り声をあげると、真っ赤な筒状の――、派手な色したロケットランチャーか、大砲なのか分からない。真っ赤な何かを車内から引きずり出しこちらへと構えた。
「まずい!」
誰かが叫んだ。キムは手前のグリーンを蹴り飛ばし、こちらに向かって突進。チューブのようなものの先端から何かを発射。
「ぶっ」
視界が白く染まる。鼻をつんざく刺激臭。粉末だった。キムが皆に撒き散らしたもの。
「くそったれめ!」
そうか、と合点がいった。自分たちに撒かれたものが消火器だと気づいた。銃での応酬に慣れていた自分らにとっては非常にバカバカしい攻撃だが焦った。視力を失ったピンクは叫び、警察官の遺体の上に覆いかぶさるようにして倒れた。
「うう」
警察官――、有働保巡査長が動く。
当たり所がよく絶命を免れたのか、死の間際の痙攣かは分からない。ピンクは咳き込みながら舌打ちをした。
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目を潰された方がマシだった。
目玉を抉られても周辺の細胞が増殖し新しく目玉を構築してくれる。だが消火器の粉末によって潰された両目は、ただ、ただ涙を流すだけで都合よく回復はしてくれなかった。
キムは弾丸を食らっても死ななかった。なにより自分たちの身体の特性を知り尽くしている――。やつもまた不死身なのだ。だが「不死研究(プロジェクト・イブ)」の被験者となるには年を取りすぎている。黒孩子(ヘイハイズ)ではない。やつは何者なのだ、とピンクは思った。
「動くな。手荒なマネはしたくない」
咳き込み、涙を流すしかできない自分たちに向かってキムは言った。甘っちょろい戯言。こいつは素人だ。ピンクは這いずり回りながら仲間たちにある指示を出す。
「誰でもいい!カミカゼをやれ!」
カミカゼ――。第二次大戦末期、憎きかの大日本帝国の特別攻撃部隊が自らをそう名乗り、体当たりで米兵を食い止めたらしい。半ば自嘲的に、それが行使される瞬間など訪れないだろうと高を括って名づけたクソったれの作戦名。
わぁ、と仲間――、合流した新参グループじゃなく、ピンクのグループに属する誰かが、キムに掴みかかる音がした。肉と肉がぶつかる音。
おそらくは一番体格がよくて英雄思考の強い、自己犠牲精神の旺盛だったパープルだ。
「お前ら!ここを離れるぞ」
ピンクは立ち上がり、有働巡査長の制服の襟をずりずりと引きずりながら、キムとパープルが揉み合っている地点の逆方向へと進んだ。
「お前ら、車に乗れ」
コーラの声。新参チームは車から降りていなかったため消火器による目潰しは免れていた。
ピンク、そして仲間たちも、この場はコーラに従う。各々、涙で溺れそうな盲目の世界の中を這い回ってなんとかマイクロバスに乗り込んだ。
急発進。ピンクが車内に引き込んだ有働保巡査長も空いた後部座席へと放り投げられる。
数十秒のちに背後で激しい爆発音。
マイクロバスの窓ガラスに衝撃が走った。
自ら手榴弾のピンを抜いたパープルもキムも死にはしない。死神の方がやつらを、そして自分たちを拒絶しているからだ。バーベキューよろしく丸焦げの二つの肉片がそれぞれ人間の形をつくる頃には、自分たちは最初の目的地に着いているだろう。
車内が蛇行運転に揺れる。運転に不慣れなコーラを詰りたかったが、こちら側の仲間の多数は目をやられているためどうしようもなかった。
ピンクはペットボトルの天然水で両目を洗い、なんとか回復しつつある右目を開き、急所が外れたためラクに死ねず、これから予想外の残酷な仕打ちをうけるであろう、後部座席でうつ伏せになった有働巡査長を見下ろした。
「いったいどういう事だ、おい」
レッドが怒鳴る。目を洗いつつ、視点が定まらないながらもレッドは新参グループのヤキニクに対して詰問しているのだ。
「ごめんなさい…キムさんは僕のバイト先の先輩で」
「バイト先の先輩がなぜ不死者なんだ!」
当たり前の問いかけにヤキニクは言葉を紡げずにいた。
「分からない…分からないんだ」
めそめそする太っちょ。
「あの男、沖縄で爆発事故に巻き込まれた韓国人じゃないのか。顔は分からないが背格好が似てた」
仲間であるヤキニクをかばったつもりだろうか、ウナギが言った。
「そいつが、なぜここにいるかは分からない。だが俺らは外部にこの計画を漏らしたりはしていない」
運転席のコーラが冷静に言い放つ。
「どうだろうな」
ペットボトルの天然水で洗い続けた両目が視力を取り戻しつつある。沖縄の爆発事故で有名になった韓国人「アダム」があのキムという男なら、自分らはあの男から分け与えられた細胞株で不死身になった事になる。感謝をしているわけではないが、ピンクは不思議な気持ちになった。
キムが「アダム」ならば、くだらない義務感で自分らを止めようとする理由はなんとなく分かる。黒孩子(ヘイハイズ)のヤキニクに接触し、事態を把握したのが偶然の出会いなのか、仕組まれたものなのかは分からないが、直感としてここにいる誰かが意図的に情報を流したような空気はなかった。ピンクは嘘をつくもの、何かを隠し怯えるものの区別をつける嗅覚が発達していた。
「まぁ、いい。計画は続行だ」
ピンクはペットボトルに残った天然水を飲み干す。
「これからどこへ行く」
「当初の予定通り、有働努の家にいく。この警察官……やつの父親の遺体を届けにな」
「まだ死んでいないぞ」
「今から殺す。目玉をくり貫き、鼻を削ぎ、内臓を抉ってな」
「なぜそこまでする」
「リストの一番目に記載されているからだ」
コーラは何も答えなかった。ピンクの提案を白紙にする代案など、持ち合わせてはいない新参グループたちは、沈黙で抗議をしているつもりだろうが、沈黙は暗黙の了解、というのが世界の常識だ。
「このお巡りさんの眼球に爪楊枝を刺しても、い~い?奥まで刺さるかな?」
後部座席に横たわる有働巡査長の方を振り返り、ゴールドが知恵の足らない質問をする。右手には一本の爪楊枝が握られていた。さきほど食い終わった弁当についてきたものだろう。ゴールドは一番後ろで自動小銃を発砲していたため、消火器による目潰しを免れていた。
「目を潰していいかな。こいつ有働ってやつのパパでしょ?有働のママは美人だったらレープしたいけど。中でいっぱいセーシでるよ」
ケロっとした表情でピンクの顔色を伺い問いかけてくる。
「お前は黙ってろ。知恵遅れが」
ピンクの言葉にゴールドはしゅんとして、指をしゃぶりはじめる。
マイクロバスは自然と折り合いをなす小喜田内市の闇の中をヘッドライトだけを頼りに深く、深く疾走してゆく。
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「誉田さぁ~ん、号令かけてくださいよぉ。俺らもう銃の扱いはバッチリっす」
誰かが言った。幼さの残る、見ない顔だった。
誉田虎文は咳ばらいした後、小喜田内市にあるがらんどうな倉庫に集結した有象無象の若者たちに向けて号令をかけた。
誉田の右隣には春日、久住、五味、そして権堂の腹心である地井という男が立っている。実質、若者たちを統率する立場にある五人である。
「じゃあ、さっさと行きましょうよ!中国人にこの町を好きにさせたくないんで」
世代交代とは残酷なもので、高校にあがったばかりのガキには誉田や権堂の伝説など通用しない。
「おい、お前!」
春日が怒鳴る。その隣で久住と五味も睨みを利かせた。
「ちぇ、ダストボーイズのヘッド三人に睨まれちゃ何も言えないっすよ」
「あのなぁ、誉田さんは俺らの」
言いかけた久住を、誉田は手で制す。
向こうでガキを睨んでいた誉田の後輩や権堂組の面々も落ち着きを取り戻した。怖いものなしのガキは欠伸をしている。年をとったな、と誉田は自嘲気味に笑った。
誉田は向き合った若者たち、一人ひとりの顔を眺める。
身内と呼べる者もいれば、権堂組から流れてきた者、つい先ほど挨拶をしてきた新参者もいる。やつらに限っては春日や久住、五味らの枝葉だった。
数にして、百人弱――。
(よくもまぁこんな時間に集まったものだ、これだけの人数が)
誉田はポケットから取り出した煙草を吹かし、命知らずのネジが吹っ飛んだ輩をなめ回すように眺めた。
誰も彼もがはちきれんばかりの筋肉を持て余し、汗ばんだシャツから伸びた丸太のような腕を組んでいる。
「この件の発端は、有働さんが中国で人民解放軍幹部のクーデターに暗躍したからだって聞きましたが」
さっきとは別のガキが声を張った。
「ああ。だから何だ」
誉田はガキを睨む。半ばガキどものまとめ役を引退した自分を軽んじるのはいい。だが有働を悪く言う者はガキとて躾けなければならない。そう思った。
「いや、クールだなって思って。殷画高校の毒入り饅頭事件や、中野のコンサート会場占領事件も有働さんが解決したんすよね」
杞憂だった。有働は軽んじられるどころかこの一帯で神格化されつつあった。
有働の伝説は年寄りからガキまで伝わっている。刈間市の文化ホールで市議会議員の徳園に何かの説得をするため二千三百人を集めたが、有働を一目見ようと満員の会場の外でうろついてた者も少なくなかったと聞いている。
「これから起こるのは戦争だ。有働がそう言った」
誉田は一同に向かって叫ぶ。ガキどもがざわめく。うまくやれば有働に認められるとはしゃいでいる。ケンカ好きなやんちゃ者は後を絶たないが、この小喜田内市にある殷画、往訪、椋井、どの町でも例外なくイジメや弱者を狙った恐喝がなくなったのも有働の効果なのだろうと誉田は合点がいった。
(一年前、お前が莉那ちゃんに好かれたくてはじめたことがここまで大きくなってるぜ)
誉田は薄く笑った。
「決して死ぬな。優先するべきは他者はもちろん自分の命を守ることだ。やばくなったら逃げろ」
これも有働が言ったことだが、誉田自身の言葉でもあった。小憎らしいガキどもでも未来はある。やつらが童貞を捨てきる前に命を散らすなどあってはならないことだった。
誉田の言葉に感銘を受けたのか、ガキどもから誉田コールが起きた。俺もまだまだイケるか、と誉田は頭を掻き毟る。
「やるぞ!生き残れ!みんなを守れ!」
自動小銃の銃身を握ったまま、太い右腕を振り上げる誉田の号令。一同が「おお」と熱狂する。
向こうでは誉田の後輩や旧権堂組の面々が、そんな誉田を直視せぬようばつが悪そうに天井を仰いでいた。
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誉田は倉庫内の百人がひとつになったのを感じながら、有働からのメッセージを思い出す。
つい一時間前に鳴った深夜の着信音。メッセージは十数件に及び、ただ事ではないと飛び起きた。
≪誉田さん。小喜田内市で大量殺戮が行われます。不破勇太の比じゃありません。そいつらは軍人ではありませんが特殊な訓練をつみ銃火器を所持してそちらへ向かっています≫
誉田は十数件のメッセージ内容をすべて確認し、すぐに折り返した。
「まず、中国共産党のクーデターに成功しました。内木の仇もとりました」
現在、北京にいる有働はすべてを語ってくれた。
スマホを片手に「メッセージの内容はマジなのか」と叫ぶ。
誉田は股間の寒さでマスをかいたまま寝ていたのを思いだし、股間のティッシュはそのままにジーンズを上までずりあげ、声を殺してこう言った。
「で、そいつらを迎え撃つにはどうしたらいい」
「そいつらの回る殺害リストを手に入れました。その画像を今から送りますので先回りしてください」
どうやって手に入れた。誉田は言い掛けてやめた。先ほどの話の流れから察するにチェルシースマイルとやらの部下を拘束し、それらの情報を吐かせたのだろうと合点がいったからだ。
有働の背後で耳慣れない、だがどこかで聞いたことのある言語が飛び交う。カンフー映画の字幕のうしろで聞こえてくる言語。中国語だ。中国共産党の人民解放軍とやらが有働のために何やら動いているらしいことが分かった。
「一時間もすればやつらが到着します。急いでください」
ああ、と頷き、誉田は通話を終了した。
自室で鳴り響くアダルトDVDを停止させ、適当にチャンネルを合わせる。ニュース速報のテロップには「緊急速報。中国で人民解放軍によるクーデター。中央軍事委員会主席、周遠源氏、逃亡のちに自殺か」とあった。
「お前は歴史を動かした。たかが高校二年生の分際でな」
誉田は自分がどう動くべきか――。考えた。
有働には「不死のテロリストたちから小喜田内市を守ってほしい」とだけ頼まれているが、極道の息子として何ができるか。
誉田は、若頭である父親が指定広域暴力団間の抗争に備えて、様々な銃火器を隠し持っているのを知っていた。
地元警察も金をもらい口を噤んでいる。「ここいらでぶっ放すなよ」とだけ言いながら、人を何百、何千人と殺傷できるほどのライフル、サブマシンガン、ハンドガン、夥しい弾薬、手榴弾が小喜田内市の物流倉庫の一つに眠っているのを見逃している。
「ここ数年で錆びちまっていないことを願うばかりだ」
平和な極道の世界。まさか大勢の命を救うためにそれらが使われるなど誰が想像しただろうか。
「米軍を動かします。彼らが動くまでの間の辛抱です」
さきほどの通話で有働は言った。「ふん、舐めるなよ。そんなもんに頼らずとも俺たちだけで追い返してやらぁ」そんな気持ちを込めて、
「死なない人間をよ。何度も撃てるなんざ二度とできない経験だろうよ」
ひとりごちながら誉田は二階にある父の寝室を覗き見て、彼が寝息を立てているのを確認した。母はいまごろ新宿歌舞伎町でホスト遊びをしている頃だろう。
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「私も連れてってよう」
防弾チョッキを着込んだ男たちが銃火器をカチャカチャといじりたおす倉庫の扉が、錆びた金属音と共に開き、少女の声が響き渡った。
栗色の巻き髪を揺らす少女は、そこいらのアイドル顔負けの可憐な笑みをたたえていた。なぜか夏休み中にも関わらず制服を着ていて、右手には金属バットを持っている。
「おいおい、誰が言った」
誉田がため息混じりに犯人探しをする。久住が下を向いた。
「エミちゃんに言うなとあれほど」
「虎文っち!」
誉田の下の名――、虎文に「ち」をつけて呼ぶのは誉田の婚約者である元・アイドルのリポリン、そしてエミだけだった。
「うちのパパだって重症なんだよ!北京でやられて左手の指はもう戻らないって!仇をうちたいよ!」
エミは大きな瞳に涙をためていた。
「それに…」
エミが細い身体をどけると、倉庫の外側に黒ずくめの男たちがいるのが分かった。十人ほどか。遠柴の部下――、間壁の顔もそこにある。彼らは全員、自動小銃を所持している。いったいこの国はどうなってるんだ、と誉田は天を仰いだ。
「兵隊は多い方がいいでしょ。うちらは全員、殺人経験があるよん。うふふ。私もねエッチした人数より殺した人数の方が多いよん。つとむにも褒めてほしいし」
エミは歌うように言った。かつて悪人を影で葬っていた、命知らずの小悪魔が目を覚ましたのだろうと誉田は頭を抱えた。
「し、死なないやつらを殺すぞ!!!」
久住が調子はずれの音頭をとる。百人がそれに続き雄叫びをあげた。
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