第9話 生徒会長はじめました

 殷画高等学校には、415名の生徒が在籍している。


 有働努の生徒会長就任においての信任投票は、11月4日(火)の午前に、その日登校してきた―不登校生徒、インフルエンザに感染していた生徒、その他病欠した生徒、忌引きの生徒、骨折により入院中の生徒を除く―401名の生徒らから、授業終了後に各担当教師によって回収された。


「あと1週間ちょっとしかないですが、できるだけ多くの生徒から回収したいんです」


 信任投票の8日前―有働は言った。


 春日や久住、権堂や権堂組が動こうと腰を上げる。


「生徒会長に就任してから僕がやるべき事を、権堂さんたちを通してアピールしたい」


 さらに有働のその言葉を受け―春日や久住、権堂や権堂組の面々―は髪を黒く戻し、制服のブレザーもきちんと着用し、上まで閉じられた真っ白なシャツの襟元に、ネクタイもちゃんと巻いたマジメ生徒の装いの上で、廊下をですれ違う生徒たちに「11月4日は学校に休まず来てくれ。そして、ぜひとも有働に信任票を入れてやってくれ」と触れ回った。


 彼らは、全校生徒のイジメや校内暴力も許さなかった。


 3年生最強にして、殷画高校の実権を握っていた最大の暴力装置「権堂組」が、そこかしこで"それらしきもの"を見かけたら、加害者につめより、睨みをきかせる。


 そう。イジメ、暴力をふるっていた張本人たちが、自分たちの過去を否定し、懺悔し、同じようにイジメ、暴力をふるう生徒らを見咎め、やめさせる光景―。


 単純に彼らのセリフが「道をあけろコラ、金出せボケ」が「イジメするなコラ、殴り合いすんじゃねぇボケ」に代わっただけなのだが、あの外道たちが改心したのだ、というインパクトは半端ではなかった。


 生徒たちは恐ろしいものを見るように、彼ら―かつての不良たち―がなぜ改心したのか理由を知りたがった。


 内木のブログの芸能とは関係ない"日常タグ"ページへのアクセス数が増える。そこには「有働くんこそが、殷画高校の負の側面を解決すべく救世主なのだ(^▲^)」と書かれており、数々の写真と共に、有働の活動が事細かに記録されていた。


 生徒たちは、有働に対し殷画高等学校の"革命家"であり"救世主"としての認識をはじめた。


 やがて、有働のために動き回るアーミー=部隊という意味を込めて、権堂組、春日、久住、内木らは「有働アーミー」と呼ばれるようになった。権堂や春日らも、その呼び名を否定しなかった。照れくさそうに自らを「有働アーミーだからよ」と言う事さえあった。


「1年生の有働が権堂にガチで勝って、改心させたらしいぜ」


「マジかよ。マンガかアニメに出てくるヒーローじゃん」


「偽善者じゃないのか?」


「ただの偽善者にここまで、できないだろ」


「もう、3年や2年に殴られることにビビんなくていいのか」


「有働が生徒会長になれば、3年間は暴力に怯えなくていい。よし、入れよう」


「髪型や服装の自由を奪われるのはキツくないか?」


「バカ。それを自由にするからヤンキーが出てくるんだろ。ガチガチに縛られてた方がうまく行く時もあるんじゃないのか」


「それに厳しいとは言え、間違った事は言ってないしな」


 生徒たちは思い思いの感想を口にした。


 11月4日(火)401名から回収された信任投票用紙。

 有働の功績と、有働アーミーによる校内浄化作戦における功績、または有働アーミーによる無言の圧力による結果が出た。


 8割弱―319名が「信任します」と書いた。

 2割強―82名が「信任しません」と書いた。


 圧倒的支持を得て、有働努は第56代生徒会長に就任した。有働は投票用紙401枚を、生活指導の小暮教諭から回収した。


「みんなの声を手元においておきたいんです」


 有働はそう方便を言ったが、本来の目的は他にあった。


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「なぁ、内木。俺を信任しなかった1年生…この21名について、それぞれの人物像と、なぜ俺に"不信任"だったのか調べてくれ。予想でも構わない」


 有働は内木の部屋で21人分の名前が書かれた紙を渡した。


「え!あ、あ、あれってさ、無記名投票だったよね?ど、ど、どうやってこの人たちを割り出したの?」


「今年度の全校生徒の文集あったろ?あの権堂さんですら、たった10行とは言え書かされた"私の信じる夢"ってテーマの文集。あれ、全部、本人たちの手書きの原稿がそのまま印刷されただろ。全員のタイトルに"信"って文字が入ってたのもラッキーだった」


 有働はポケットから「信任しません」と書かれた紙を数枚取り出した。


「信、任、し、ま、せ、ん、の6文字。特に"信"という漢字と"せ"は個人で特徴が出やすい。"ん"はよく使われる平仮名で、これもまた特徴が出やすい。この文集をつかって、一文字一文字、誰の筆跡なのかを照会した。3学年全体で不信任にした生徒が82名もいたから、けっこう大変だったよ」


「す、す、す、す、すごい、執念」


「1年生では21人。2年生では32人、3年生では29人が俺を"信任しません"と答えた。ただ、単に捻くれ者ってだけならいいが、この俺を快く思ってない連中だったり、何か後ろめたい事をしてる連中の可能性が高い。2年生のリストは春日先輩に、3年生のリストは権堂さんに渡した。」


「じゃ、じゃあ…こ、こ、この21名について調べてみるね。あ、相沢くんも"不信任"だったんだ」


 内木はリストの名を眺めて言った。相沢隆文は1年B組で芸能事務所に所属する生徒の名だった。ドラマなどでまだ端役しかもらえていないが、人目を引く外見を持っていた。校内にもファンが少なからず存在する。


「皆、ふ、不良ともマジメともつかない人たちが殆どだね。ぼ、ぼくも彼らについて、なぜ有働くんを支持しないのか、き、気になってきちゃった。あらゆる手を使って、し、し、調べてみるからね。2日くらいあればだいたい分かると思う」


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 翌々日、有働に生徒会長になってほしくないと"不信任"票を入れた1年生21名のリストに各個人の人物像と、内木なりの"不信任"である推論を書き加えられたものが有働に手渡された。


 1年A組 大橋匠 権力や思想がキライらしい。誰に対しても不信任かも。

 1年A組 鈴木理絵 生徒会長は1年生がやるべきではないという見解らしい

 1年A組 湯沢美帆 生徒会長は1年生がやるべきではないという見解らしい


 1年B組 相沢隆文 芸能事務所所属のため髪型の自由は必須

 1年B組 田辺悠馬 相沢の親友なので

 1年B組 並木道夫 相沢の親友なので

 1年B組 井上梨花 相沢のファンなので

 1年B組 小野寺香澄 相沢のファンなので

 1年B組 浜崎菜穂 相沢のファンではないが親友の小野寺に頼まれたようだ


 1年C組 不破勇太 大人しい生徒。不信任の理由は不明。

 1年C組 松沢留美 おそらくスカートの丈を長くしたくない

 1年C組 竹内沙織 おそらくスカートの丈を長くしたくない

 1年C組 梅本枝里子 おそらくスカートの丈を長くしたくない


 1年D組 安藤毅 権堂を崇拝してたので有働に嫉妬したのかも 

 1年D組 笠原哲夫 男だけど、B組の相沢のファンなので。ゲイらしい

 1年D組 斎藤志穂 スカートの丈を長くしたくないし、B組の相沢のファンなので 

 1年D組 鈴木早紀 スカートの丈を長くしたくないし、B組の相沢のファンなので 

 1年D組 田中麻里 スカートの丈を長くしたくないし、B組の相沢のファンなので

 1年D組 中島愛 スカートの丈を長くしたくないし、B組の相沢のファンなので


 1年E組 加藤清志 おそらく有働くんの人気に嫉妬

 1年E組 山岸満 おそらく有働くんの顔に嫉妬


 有働はリストを見ながら「不信任の理由は不明」と書かれたC組の"不破勇太"について思い出してみた。廊下に張り出された成績は常に1位で、黒縁メガネで小柄な生徒だったが、その真面目を絵にしたような容貌が逆に目立った。他の学校に進学もできたはずなのに、なぜこの底辺高校へやってきたのか―。


(中学時代に何か問題を抱えて、殷画高校に入学してきたクチかもしれないな)


「1年C組の"不破勇太"について時間あるときに調べておいてくれないか?」


「ふ、ふ、不破くんは、大人しい印象だけど、あ、あ、あ、あまり友達もいないみたいで彼に関する情報が皆無なんだ…学園祭までには、確かな情報を調べてみるよ」


「ありがとう。助かるよ、内木。いつもいつも、サンキュー」


「い、いいんだよ。ヒーローの相棒はいつだって情報に長けてないといけないからね。ぼ、僕がんばっていろいろ調べてみるよ」


 内木は目を輝かせ頷きながら、そう言った。


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 翌日。

 金曜日の放課後。


 有働は3年生の生活指導担当の小暮教諭とともに、小喜田内市殷画の閑静な住宅街を歩いていた。


「ここを通るのも、もう何百回目か…。根気よく通いつめたら玄関までは出てきてくれるようになった。本人は自首退学する気はないらしく、何とか進級はさせてきたんだがね…。不登校のまま卒業させるわけにもいかないだろう。何とか出席してほしいものだよ」


 小暮教諭はプリントの束と学園祭のチラシを鞄から取り出しながら有働に言った。


 しばらくして目当てのアパートはすぐに見えてきた。そこは、灰色に塗り固められた建物にうら寂しい外付け階段。絵に描いたような安普請アパートで、ここの203号室に3年E組―"根倉照子(ねくらてるこ)"―母子は住んでるという。


 ドアをノックするが反応はなかった。


「根倉。いるんだろ?10月分の各教科の授業をまとめたプリントと…学園祭のチラシを持ってきた。11月23日と24日にやるから…よかったら来てくれ」


 小暮教諭は声のトーンを上げて言った。


 やがて、ドアの向こうで物音がしてから鍵を開ける金属音。ドアの隙間、長方形に切り取られた細い闇の中から、青白く細い腕が伸びてきた。


「なぁ、根倉。たまには学校に来たらどうだ。今まで数えるほどしか来てないだろう。それも年度末に通知表を受け取る時だけ…」


 伸びた腕。細い指先を動かし、プリントに触れようとしている。しかし小暮教諭はそれを受け取らせたら話ができないと思ったのか、なかなか渡さなかった。


「もう一度、お母さんも交えて一緒に話せないか?もうじきお母さんもパートから帰ってくるだろ?」


 数秒間の沈黙。


「帰ってください…学校にはいけません…」


 か細い少女の声がドアの隙間から漏れてきた。


「それが"神様"の教えだからか?」


 再び沈黙。


「あ…あの。はじめまして…生徒会長の有働です。こんにちは」


「だれ?」


「真田さんの後任として新しく生徒会長になった1年E組の有働努です。よかったら学園祭やるんで、一緒にやりませんか?3年E組の出し物は…たしか…お化け屋敷だったと思います。根倉さんには…ぜひ…お化け役をやってほしいかな、なんて…」


 小暮教諭が厳しい視線を有働に送る。有働は慌てて言葉を付け加えた。


「あ、いや。出し物に参加しなくても…ただ、来てくれるだけでもいいんですよ。っていうか、ぜひ来てください」


「学校は…勉強を教えるところだから…勉強する事は…悪魔の誘惑に負けて…堕落した場所だから…いけません…」


「学園祭はただのお祭りですから…勉強とかは一切ないですよ。安心してください」


 有働がそう言ったその時だった。


「今日もいらしてたんですか」


 振り返るとそこに中年女性が立っていた。根倉照子の母親だろう。どこか焦点の合わない目に弛緩した口元は、意思もなく荒廃した街を彷徨うゾンビを思わせた。


「お母さん。今日こそは…お話できませんか」


 小暮教諭の言葉に頷くこともせずに、根倉照子の母親はドアを開けて部屋に入っていった。油断した小暮教諭からプリントをひったくるようにして根倉照子は部屋の中へ引っ込んだ。


 鍵を閉めないところを見て「失礼します」と小暮教諭は、強気にも玄関に足を踏み入れた。有働も慌ててそれに続く。


 かび臭い匂いの充満した部屋が視界に広がった。室内は綺麗に整理整頓されている。かび臭さの原因はこれだ―有働は、そこかしこに宗教団体―"神の叡智"―の書籍が積み重なっているのを見た。


「お話することは何もないですが…お茶でいいですか」


 根倉照子の母親が、部屋の電気をつけ、小暮教諭に無愛想に言いながらポットに水道水を入れ始めた。


 その時。

 根倉照子が、小暮教諭から受け取ったプリントの束を、母親に見つからないように一冊の大判の書籍の間に挟むのを、有働は見逃さなかった。


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 その日の夜。

 権堂から着信があった。


「おう、有働。お前が調べてくれって言ってた"不信任"の3年生29人、ぜんぶ調べ上げたぜ。殆どがお前のことを良く思ってねぇ連中だったが、俺がシメあげてやったら、態度がコロっと変わりやがった。もう影でお前を悪く言ったりはしないだろう」


「暴力はダメですよ。でも、ありがとうございます権堂さん」


 有働は礼を言いつつ言葉を続けた。


「こんな時間にわざわざ電話いただいたという事は、その29人の中に問題を抱えた3年生がいたという事ですよね」


「さすが察しがいいな、有働。実はな、言いにくいんだがよ…この中で3人、ヤンチャがいやがった」


「権堂さんがヤンチャと言うからには、相当でしょう」


「ああ。まぁ、腕っぷしは大したことがねぇんだが…このバカども"シャブ"を隠し持ってやがった。3年C組の3人で…えっと、麻田と、白戸、来栖、ってヤツらだ」


 シャブ―覚せい剤。殷画高校にも薬物汚染があったと言うのか。


「その3人以外にはいないんですか」


「念のため探りを入れてるが、今のところこいつらだけだ。ぶん殴ってシャブとは縁を切らせたけどよ、売り手がいるんじゃ、あいつらまたコソコソ買いに行くかもしんねぇ…まだやり始めらしいが、往訪駅のあたりで出回ってるのを買ったらしい」


「往訪駅ですか。誉田さんのオヤジさんの組が仕切ってる一帯ですね」


「誉田とは和解したばっかりだしよ。あいつのオヤジの組が関わってるとは考えたくないが…」


「すいません。かけ直します」


 有働は権堂の言葉を待たずスマホの通話終了ボタンを押した。

 そして、すぐさま誉田の番号を呼び出し通話ボタンを押す。


「有働か。実はよ、昨日も"リポリン"と会っちまった。ベッドでヒーヒー言わせてやったぜ。抜かずに3発って知ってるか?」


 話を続けたそうな誉田を制して、有働は"往訪駅"で高校生にシャブを売ってる連中に心当たりはないか聞いた。


「おいおい、マジかよ?」


 誉田はため息を漏らした。


「あの辺は誉田さんのオヤジさんの組が仕切ってる一帯ですよね」


「有働よ。見損なわないでくれや。ウチのオヤジの組はたしかにシャブを扱ってる。それが組の利益の大半だからな。だがよ…高校生のガキにシャブを流すなんてことはしねぇよ。仁義どうのこうの以前に、リスクが大きすぎる。ガキの小遣いくすねて、組まるごとパクられたら元も子もねぇぞ。何だかんだ言って極道は信用商売。そこまでバカじゃねぇって」


「ですよね…。では"往訪駅"でシャブを捌いてる連中はいったい誰なんでしょうか」


「おそらく独自のルートでシャブを手に入れてる"半グレ"どもだろう。あいつら無節操にも、ガキやリーマン、主婦に売りつけるからタチが悪いんだ。ウチのオヤジもそういや"半グレ"どもを警戒してたな。いつかシメてやるとは言ってたけどよ、オヤジたちも他のことに忙しくて半分、放置状態よ」


「その"半グレ"たちを特定してもらえますか」


「お前に言われなくてもやるさ。そんな奴らをのさばらせてるのは、半分はうちのオヤジたちの責任だ。お前や権堂の学校に迷惑かけた野郎どものツラおがんでよぉ、俺じきじきにシメあげてやるわ。どうせ俺らとタメ年くらいのヤツらだろう」


「誉田さん…勢い余って、殺さないでくださいよ」


「分かってる。そいつらひん剥いてやるくらいの事はするがな。捕まえたら、お前や権堂にも連絡するわ」


 誉田は笑いながら言った。

 この男もまた、根っから暴力が好きなのだ。大義名分のもと、誰かを痛めつけるのが快感なのだ。


 有働は通話を終えると、権堂にかけ直した。


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 土曜日の昼時。

 小喜田内市殷画にあるファミレスチェーン店「パリス」は混雑しはじめていた。


 空席が無いと言われ、客の舌打ちが聞こえてくる。

 朝9時に「スーサイド5Angels」チャットメンバーの3人とここで合流してから3時間弱。有働は、そろそろ据わりの悪さを感じ始めていた。


「あの…皆さん。そろそろ…出ますか?」


「ワークくんは、気が早いなぁ。まだセミナーまで2時間あるよ。もうちょいここで時間つぶそうよ!宗教法人"神の叡智"殷画支部の建物って、ここから徒歩10分くらいだったよね?」


 そう提案したのは、チャット仲間の一人である"午前肥満時(ごぜんひまんじ)"―太田という男だった。


「しかし、よりによって初オフ会が宗教セミナー潜入だとはね~。まぁ面白そうだから東京からはるばる来ちゃったけどさ~。もちろんセミナーの内容はぜ~んぶ撮影するけどさ…信者の中に可愛い女の子いたら、スカートの中、盗撮しちゃってもいいよね~?」


 "盗撮ルパン"―出川という男が、鞄に仕込んだあらゆる盗撮グッズのチェックを入念に行いながら、太田に続いて言葉を重ねる。


「実際にこうして会ってみるとさ、なんか不思議な感じ。特にワークくん…有働くんって呼んだほうがいいかしら?あたしの好みのいい男じゃない」


 娘が通うアイドル養成所のダンス講師と不倫関係続行中だと言う40代主婦の"完熟りん子"(主婦なので本名は名乗らず"りん子"と呼ぶ事になった)が舌なめずりするような表情で有働を見つめながら言った。


「太田さん、出川さん、りん子さん…今日は僕に協力するために、こんな田舎町まで来てくれて本当に有難うございます」


「ワークくん…いや、有働くん。田舎町たって関東じゃないか。電車で1時間の距離だしね。有働くんが"偽善者"として生徒会長にまで出世したって聞いてさ、直接お祝いを言いたかったわけよ」


 太田が糸のように目を細めて言った。身長185センチに体重100キロを越す巨漢だが、威圧感はまったくなく溢れんばかりの包容力をかもし出している。


「ふ~ん。お礼ね~。って言うか、太田ちゃんも、ちょっとは宗教セミナー潜入に興味あったんじゃないの~?」


 出川の言葉に太田は鼻を鳴らす。りん子はタバコを吹かしながら有働を凝視しながら相変わらず舌なめずりをしていた。


「ネットで調べる限り、この"神の叡智"って団体、けっこうあくどいみたいだね。出川くんが言うようにちょっと楽しみかも。悪の組織に潜り込むみたいで何だかワクワクしてきちゃうよ。ははは」


「太田ちゃんそうやって笑ってるけどさ~怖いよ、ここ。不思議体験とか言って~変なクスリ入りのお茶とか、飲まされるみたいだよ~?まぁ、あくまで噂だし、警察もまだ動いてないところ見ると、教団側も信者たちもうま~くやってるんだろうけどさ~」


「ウチの学校の根倉照子の母親に一度会ったんですが…あきらかに薬物依存症といった感じでしたよ。教団側は信者に定期的にそういったものを与えてるんでしょうね」


 有働は、あの日アパートで見た根倉照子の母親のゾンビのような風体を思い出した。


 焦点の定まらない目。弛緩した口元。パート先のスーパーでは"使えないパート"として煙たがられているらしいが、同僚たちはまさか、彼女が薬物に汚染されてるなどと知る由もないだろう。


「っていうか、潜入したあたしたちにも、お茶出されるんでしょ?どうするのよ。あたしは性格上だされたものは全部飲むけど。あら…いやらしい意味じゃないわよ」


 りん子がテーブルの下で、他の2人に気づかれないようこっそり細い指先を有働の膝で躍らせながら言った。


「これだよ、これ。飲んだ振りして、これにお茶を少しずつ吐き出し含ませれば、大丈夫さ」


 太田がテーブルの上のおしぼりをつまんで言った。


「有働くんは参加しないの?」


 りん子の手が有働の股間に伸びる。


「未成年者は合同セミナーに参加できないそうですよ。現に根倉照子もセミナーには参加できず、在家信者扱いです。成人するまでは月に一回の面談で個別に洗脳して、成人したらクスリ漬けセミナーに強制参加させられる仕組みらしいです」


 有働はりん子の手を握って言った。

 股間から遠ざけられ落胆するかと思いきや、手をしっかりと握られたりん子は、少女のように頬を赤く染めていた。


「有働くんのためなら何でもやってあげたくなっちゃった」


 りん子が言ったその時、出川がそ知らぬ顔でテーブルの下でデジカメを動かし、りん子のミニスカートの中を盗撮してるのに気づいたが、有働は面倒くさくて何も言わなかった。


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 宗教法人"神の叡智"が地下に入っている雑居ビルの真向かいの喫茶店で、セミナーが行われる14時から18時までの間、有働は時間を潰していた。


「シャブの売人の半グレを見つけ出したぜ。まだちょっと泳がしておいて、人数とシマをぜんぶ把握したら、押さえてとっちめてやろうと思うわ」


 誉田からのメールを読み終え、文庫本に再び目を通す。

 ラストまであと10数ページという時に店内に、ぐでんぐでん状態のりん子を太田と出川が抱えるカタチで、3人が入ってきた。時計の針は18時20分を示していた。


「セミナー後の勧誘がすごくて、すごくて」


 太田は額に汗をびっしょりかきながら有働の隣に着席する。汗の酸っぱい体臭が漂う。


「りん子姉さん、お茶飲んじゃってさ~。こんなんだよ~。だから言ったのに~。あ、セミナー内の撮影はバッチリよん。根倉照子さんのお母さんがどの人かは分からないけど、俺と太田くん以外は、み~んなトリップしてたよ~」


 出川がりん子を介抱する体裁で有働の正面に着席した。右手はしっかりりん子の右胸を揉みしだいている。


「神様…神様が…神様がいたの…あたし…見たわ…」


 りん子は焦点の合わない目で宙を見つめていた。


「太田さん、りん子さんを一人にせず送ってあげてください。出川さんと二人きりにしないようにお願いします」


 薬物で前後不覚に陥ったりん子への、いかがわしい計画を見抜かれた出川が有働を睨む。

 しかし、有働が睨み返すと、臆病な出川は媚びたような愛想笑いを浮かべた。


「動画は、あ、あとで送るからね~有働ちゃん」


「どうも。ところで…お茶は小瓶に入れてきましたか?」


「ああ。コレね。うちでルームシェアしてる友達が薬学部出身だから、急いで調べてもらうよ。明日の午前中にはどんなクスリを使ってるのか成分が判明すると思うよ。何が出てくるか…楽しみでワクワクするよ」


 太田は小瓶をバッグから取り出しながら愉快そうに言った。


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 翌日。

 日曜の昼。


 有働あてのメッセージの着信は、偶然にもほぼ同時にあった。


 "午前肥満時(ごぜんひまんじ)"―太田からのメッセージ

「"神の叡智"が信者に飲ませてる"お茶"に含まれてた成分が分かったよ。"リゼルグ酸ジエチルアミド"って言うんだけど、半合成麻薬でLSDって言った方が早いかな…。"神の叡智"の連中はLSDを使い、信者やセミナー初心者に神様の幻覚を見せてるんだ」


 誉田からのメッセージ

「"半グレ"どもの人数とシマが分かった。人数は4人。シャブを売ってるのは往訪駅前の公衆トイレ、商店街の路地を入った公園のトイレ、高架下にあるトイレ、この三箇所だ。今日の夕方あたり張り込んで、とっ捕まえるつもりだが、どうするよ?」


 続いて"盗撮ルパン"―出川からのメッセージがきた。

「セミナー内容を盗撮した動画送っちゃうよ~。太田ちゃんから連絡いったかな?お茶の成分LSDだってね~。そう考えながら、改めて動画を観たらヤバヤバだね~。幹部の数人除いて、みんなトリップしちゃってるし~。俺と太田ちゃんだけは、LSD入りのお茶飲まなかったからトリップしたふりだけどね~」


 出川から送られてきた動画のファイルを開く。

 セミナーを映し出した盗撮カメラは、出川の鞄に仕込まれたものなので、多少低い位置からのアングルにはなるが、出川は鞄の置き場所を工夫したのだろう。全体像がなんとか見える。


 15人ほどの信者の中、比較的カメラに近い位置に根暗照子の母親がいた。

 ヨガポーズのまま白目を剥いて天を仰ぐ。口からは涎があふれ出していた。


 そして、もぞもぞと揺らめく信者たちを冷ややかな目で見つめる幹部2名。

 有働はその場面を静止画にし、彼ら幹部の顔をクローズアップした。


 こいつらはどこでLSDを入手しているのか?

 殷画や往訪のある、この小喜田内市でそういった薬物のマーケティングを持ってるのは、誉田の父親が若頭を務める組と、例の"半グレ"くらいしかいないはずだった。


 誉田にメッセージを返す。

「変な質問してすいません。誉田さんのオヤジさんの組って、宗教法人"神の叡智"の幹部にシャブを卸したりしてますかね」


 誉田から返信がきた。

「おいおい、いくら俺でもウチのオヤジの組がどこにシャブを卸してるかなんて把握してねぇよ。でもまぁ、その神の何とか…っていう宗教法人は、何年か前に、お前らの住む殷画にやってきた連中だよな?そういや、ウチのオヤジも気味の悪い連中が隣町に引っ越して来たってんで警戒してたわ。そんな連中にシャブは流さねぇと思うぞ。なんか決まった顧客にしか売らねぇみたいだしな。一部の幹部はマーケット拡大を主張したみたいだが、組長は慎重な人でそれを許さなかったとか、オヤジが舎弟に愚痴ってるの聞いた事あるわ。…つーかよ、その宗教法人とシャブ…何の関係があるのよ?」


 有働は頬の片方を歪めて笑みを浮かべた。"神の叡智"と往訪駅周辺でシャブを捌いてる"半グレ"―この2つがひとつに結びつこうとしていたからだ。


「宗教法人とシャブ…関係ありまくりですよ、誉田さん。今夜、"半グレ"どもをシメるの、俺も同行させてくれませんか?」


 有働のメッセージに誉田はすぐに快諾の返信をしてきた。


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 数時間後。

 午後6時過ぎ―。


「おいおい、有働…その辺にしておけよ。死んじまうぞ」


 誉田の分厚い手のひらが、有働の肩を叩く。

 権堂は、タバコを吹かし成り行きを見守っていた。


 往訪商店街の路地を入った公園―有働の足元に4人のシャブの売人―都内から流れてきたという"半グレ"たちが顔も判別できないほどになって倒れていた。


「えげつねぇな、有働。おい、権堂よ。お前はこんなヤツと殴りあったんか」


 誉田の質問に、権堂は答えなかった。誉田は苦笑いするだけだった。


「高校生にシャブを売るなんてクズもいいとこだな」


 有働が"半グレ"たちを蹴飛ばす。

 "半グレ"たちは怯えたように頷く。


「ところでよ…このおっさんたちに見覚えはあるか」


 "半グレ"どもが有働の手元でひらひらと揺れる大判の写真―"神の叡智"のセミナーにいた幹部2人の静止画写真を、涙目で凝視する。


「あ…見覚えあります…寺本さんと…香田さん…定期的に俺らからシャブを買ってくれてる…お得意さんです」


「LSDを卸してたのはお前らだったんだな?」


 有働の蹴りが答えた"半グレ"の鳩尾にめり込む。


「ごめんなさい…ごめんなさい。ごめんなさい」


「誉田さん…こいつらどうしますか」


 胃液を吐きながら謝り続ける"半グレ"をよそに有働は誉田に訊ねた。


「ウチの組のシマを荒らして、散々シャブを捌いたんだからな。こいつらにはコンクリート詰めで海に沈んでもらうか」


「それだけは…それだけは…勘弁してください。何でもやります。何でもやりますから」


 涙目の"半グレ"4人を、有働は一人ずつ蹴飛ばす。飛び散る歯。脆い、脆すぎる。おそらく本人たちもシャブの常習者だろう。歯根が脆すぎる。


「本当にお前らが何でもやるって言うんなら、俺が誉田さんに頼み込んで命だけは助けてやる」


 有働は言った。


「ほ、ほ、ほ、本当ですか?何でもやります。何でもやります。やらせてください。何でもやりますから命だけは助けてください」


 "半グレ"どもが命乞いをする。

 有働は誉田の方を見る。誉田はニヤついた。すべては芝居だった。


 恐怖にひきつった"半グレ"4人。

 彼らに有働は、ある"提案"いや、決して抗えるはずのない"指示"をした―。


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 翌日、月曜日。

 放課後になると、有働は根暗照子のアパートを訪ねた。


 ノックをする。返事がない。

 「課題のプリントを持ってきました」部屋の奥から物音がする。


 やがて、鍵を開けドアの開く金属音がした。


「すいません。プリントなんてありません。今日は照子さんの本音が聞きたくて、やって来ました」


 根暗照子は慌ててドアを閉めようとしたが有働は足を滑り込ませ、それを阻止した。


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「小暮センセイの持ってきた授業のプリント、お母さんに気づかれないように隠してましたよね。本当は勉強がしたいんじゃないですか?だったら…学校に来て欲しいです」


 無言。


「おそらく、明日か明後日あたり…宗教法人"神の叡智"殷画支部は、解散に追い込まれます。もうすぐ自由になれます。安心してください」


 照子の視線が動いた。有働を凝視する。

 有働も照子を凝視した。伸びきった黒髪の隙間から、思いのほか顔のつくりの美しい少女である事が伺える。


「どういう…こと?なんでそんなことが…いえるの…希望なんてもちたくない」


「"神の叡智"の幹部が信者にLSDという合成麻薬を含んだお茶を飲ませているのはご存知ですか?都市伝説のように一部では囁かれてたことですが」


「お母さんの様子がおかしいのは…知っていた…未成年者はセミナーに参加できないから…何をしてたのかまでは分からないけど」


「これまで"神の叡智"は警察の目をのがれて上手く遣り通してたようですが…LSDを卸してた業者がヤクザとシマの件で揉めて、怖くなったのか警察に自首したようです。彼らはすべてを自白してるでしょう。今日か明日あたりには令状が出て、あのセミナー会場に家宅捜索が入ると思います」


 有働は昨日の夜のことを思い出す。


 恐怖にひきつった"半グレ"4人にこう言ったのだ―「アンタらがヤクを流してるのが誉田さんのオヤジさんの組にバレたら、間違いなく沈められる。逃げられると思わない方がいい。警察に自首しろ。そして寺本や香田に卸した事も自白しろ。いいな?初犯なら執行猶予もつくだろうし、出てきた後のアンタらに誰も手出しできないはずだ」―有働の言葉を信じ、有働や誉田、権堂が見送る中、4人は警察署へ駆け込んだ。


「なんで…そんな情報知ってるの?お母さんは…捕まっちゃうの?」


「まぁ、ちょっと…ちょっと知り合いにヤンチャな人がいて…その人からの情報です。お母さんの件は…状況が状況で騙されて飲まされていたわけですし…更正施設いきでしょう…でもしばらくすれば健康な状態で戻ってきます」


 照子は無言だった。


「お母さんの監視下で授業には出られなかったけど、自首退学は3年間ずっとしなかった。…本当は勉強がしたかったんじゃないですか?小暮センセイも分かってくれていますよ」


「もう3年生だしプリントしか解いてないからついていけないかも…」


「小暮センセイいわく、あれは要点をグっと抑えてあるから、応用力さえ養えば全然、問題ないそうです。照子さんにその気があれば毎日、補修して大学受験プランも練ってくれるそうです。やるだけやってみるのもいいんじゃないですかね?」


「そんな事…できるの…?」


「詳しくは小暮センセイに聞いてください。奨学金支援での進学についての説明もしてくれるでしょう」


 無言だった。

 照子は嗚咽していた。


「今日、明日は、お母さんに事情を聞くため、警察関係者が出入りすると思いますが、落ち着いたら学校へ来てくださいね。久しぶりに学校きたら驚く事ばかりだと思いますよ。あの権堂さんが、ちゃんとネクタイしめて登校してますから」


 笑いながら言う有働の言葉に、何度も、何度も照子は頷いていた。


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 翌日。

 朝のニュースで、宗教法人"神の叡智"殷画支部に警察の家宅捜索が入ったとワイドショーが騒いでいた。


 警察官である有働の父は「けしからん」と唸っていた。

 母は「うちから車で10分の距離じゃない」と怯えていた。


 有働は朝食を終え、スマホの振動に気づいた。

 内木からのメッセージだった。


「おはよう(^▼^)有働くんが、この前気にしてた"不破勇太くん"について、いろいろ調べたよ。ネットで彼の昔の同級生たちから話を引き出したんだけど、中学2年まで都内の私大付属中学校で、けっこう成績は良かったみたい。でも、あっちである問題を起こしたせいで、途中から小喜田内市にお母さんと引っ越してきたみたい」


 有働に「信任しません」の票を入れた1年C組不破勇太―。

 殷画高等学校を掌握しつつある有働にとって、彼の存在は無視できない。


「学校で詳しく聞かせてくれ」


 有働は内木へ返信メッセージを送った。

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