第10話 大量虐殺の学園祭

 社会に不満があった訳ではない。学校で日々、耐えかねるイジメを受けていた訳でもない。他人を憎んでいた訳でもなかった。


(うちの学校の生徒たちを大量虐殺してみよう)


 殷画高等学校1年C組の不破勇太は、8月、夏休みのある晴れた午前に、廃墟ビルの―ガラスを失い窓枠だけになった―吹き抜けの1階室内で、ふとそう思った。


 薄暗い足元には、血溜まりに溺れた三毛猫の屍骸が転がっている。中学校時代から時たまそうしてきたように、首や四肢を切断し、臓物を綺麗に並べてみたが、心には何の変化も起きなかった。


 惨殺された猫の残骸。それは、ぼんやりとした青空や、星空を眺めるように、それはただの景色でしかなかったのだ。


 未知の領域―人間の殺害―それでしか、自分の感情を満たせない事を否応なしに理解させられた。


(どんな方法で皆殺しにしようか)


 銃器は手に入らない。


 アーミーナイフならば部屋にある。しかし、刃物と言うのはいかんせん、動く対象物の肉や骨におかしな角度で深く食い込むと抜きにくくなる事が多々あるため、人を大勢、斬り殺していくには頚動脈を最短、最速でスパスパと斬っていかねばならないだろうと思った。


 娯楽映画の暗殺者よろしく、センスと体力が必要だ。そう考えれば小柄で非力な自分では、取り押さえられるまでに10人も殺せないだろうと、不破勇太は悟った。

 黒縁メガネのズレを直す。真剣に物事を考え込むときの仕草だった。


(毒物しかないな)


 結論が出た午後には、近所の図書館で毒物に関する本を読み漁っていた。急性毒性、慢性毒性、発癌性、催奇性、生殖毒性と、毒物にも様々な種類があった。

 大きく分けると、服毒から数秒で死に至らしめる即効性の毒物と、数時間、数日間かかる遅効性の毒物の二種類に分けられた。


(即効性か遅効性か)


 たとえば"即効性"の毒入りキャンディーを400人に配ったとしても、食べるタイミングはバラバラだし、誰かが食べてすぐに倒れたら、他の人間は食べなくなってしまうだろう。目の前でバタバタと即効で死んでいくのが見られないのは残念ではあるが、ここはインターバルをとった殺戮と考え、"遅効性"の毒入りフードを用意するのが賢明だろう。


(どのタイミングで、何に混ぜればいいだろうか)


 小学校、中学校であれば給食と言う毒殺チャンスがあったのだが、高校は弁当だった。購買のパンに毒物をしこむのは不可能だし、高校の水道設備はタンク式ではないので水を使った毒殺も不可能だった。


(学園祭だ)


 生徒たちの手作りの飲食物が生徒や教師、一般に向けて振る舞われるのは、この日、年に1度の学園祭だけだった。1年C組が食べ物屋を出店するとは限らない。だが、校内を練り歩き、こっそり自分がこしらえた「毒入りフード」を無料で配布したならば、大勢の人間がそれを学校側のサービスと解釈し、易々と口にいれるだろう。


(11月23日―学園祭初日にやろう―)


 学園祭の行われる11月まで、あと3ヶ月。それだけあれば準備期間としては十分だった。どれくらい殺せるだろうか。


 当日おそらく生徒、教師、外部の人間あわせて1000人以上のヒトで学校は溢れるだろう。厳しく見積もっても笑顔で配れば3人に1人は受け取ってくれるのではないか。300~500人に服毒できれば上出来と考えていいだろう。


 不破勇太は、学園祭翌日のニュース記事を賑わせるであろう自らが引き起こす大量虐殺事件を想像し、微笑を浮かべた。


(死刑になるかなぁ。どうせ皆を殺すなら、先にうちの母さんも殺してあげよう)


 絞首刑台の上でピースしてみたい。僕の命の重さは人間500人分の命の重さと等しかったんだと勝ち誇った顔で叫んでみたい。不破勇太は笑いを堪えきれずに借りた本を鞄に詰めると、そそくさと図書館を後にした。


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(毒を買うなら、アングラなサイトで探すしかないな)


 自殺サイトに飛ぶ、クリックする。黒い背景に毒々しい紅い文字で死を匂わせるポップな文字が浮かび上がった。


(こんな目を引くようなサイトじゃ有害な書き込みは削除されてるな。というか、ガチな奴らは書き込まないだろう)


 リンクから別サイトへ飛ぶ、クリック。さらに飛ぶ、クリック。さらに飛ぶ、クリック。さらに飛ぶ、クリック。さらに飛ぶ、クリック。さらに飛ぶ、クリック。さらに飛ぶ、クリック。さらに…さらに…さらに…。

 リンクからリンクへ。そこの口コミから、さらに深い場所に埋もれた自殺サイトへ。


 「くるしまず●ねるど●売ります」


 ある自殺サイトで、目を引いた書き込み。投稿者は"アズラエル"と名乗っていた。不破勇太は、黒縁メガネのズレを直しながら、再度その書き込みを凝視した。


("アズラエル"―死をつかさどる天使、か)


 いかにもって感じのニックネームだなと思いつつ、掲示板全体をチェックする。


 "アズラエル"の書き込みは、今日に日付が変わった深夜帯―。

 見た限り1ヶ月に数人しか書き込んでいないような深く埋もれすぎたこの自殺サイトで、掲示板の書き込み番号がいくつか連続して抜け落ちていた。


 この人物が定期的にここに書き込み、削除を繰り返しているのかもしれない。

 ここまでアンダーグラウンドなサイトなら、まだ警察に目をつけられていないのだろうが、"アズラエル"は、削除せざるを得ないような書き込みを定期的にしてるという事だった。


(ビンゴ!探してるモノがあるかもしれない)


 毒物商―自殺志願者に地下ルートで仕入れた毒物を売りさばく輩―の可能性あり。不破勇太は、リンク先のフリーアドレスにメールをした。送信から10分も経たないうちに"アズラエル"から返信がきた。


 不破勇太は目当ての品名を書いたメールを送信した。


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 猛毒ウクカトキシン―。


 南米一帯に自生するノモセニ科クイエフ属の植物ヨイナ・ノモソンの根や茎から抽出される、成人男性が0.5g摂取した場合、5~6時間後に四肢マヒ、心室細動、心停止を引き起こす遅効性の猛毒である。


 「最後の時間を過ごしながらゆるやかな死への誘いが約束される」と一部の自殺志願者の中で注目されつつある毒ではあったが、いかんせん先進諸国では知名度が低いため、また南米では珍しくない大量発生している植物から生産できるため、粉末状のものが、あろうことか100人分の致死量である、50g1万円といった非常識な値段で取引されている。


 9月半ば―。


 不破勇太は―アズラエル―から、5万円分にあたる合計250g、大人500人分の致死量にあたるウクカトキシンを買い取る事に成功した。


 もちろん1度にこれだけの量を買ったわけではない。満足そうな笑みを浮かべた不破勇太の前には、5つの小瓶が並べられている。


 一応、"アズラエル"に怪しまれぬよう、何度も買う理由として「今回も死ねませんでした。小瓶の中身をトイレに流しちゃったので、もう一度だけ売ってください」と言い訳メールをし、貯金1万円を切り崩しては振込み、局留めにされた50gの粉末ウクカトキシンの小瓶が入ったエアパッキン仕様の封筒を、郵便局の窓口で計5回、受け取ったのだった。


 不破勇太は、この5つの小瓶をデスクの鍵つきの引き出しの中に隠した。


 母はこの部屋を勝手にいじるような人間ではなかったし、鍵つきだから安心だった。仮に、もしも、この小瓶が見つかったとしても毒物だとは見抜けないだろう。友達にもらったスパイスとでも言えばいい―実際に褐色の粉末は、香辛料に見えた。


 8月某日の思いつきより1ヶ月余りで毒物は手に入れたものの、肝心な「500個の毒入りフード」を製造、保管できる場所の必要性に気づいた。

 自宅のキッチンは長時間占領はできない。なにより保管場所がない―そう考えた時、不破勇太の脳裏にあるものが蘇った。


 自宅から自転車で10分の距離、六道坂の下にある和菓子屋「仁源堂(にんげんどう)」にアルバイト募集の貼り紙があったではないか。


(あそこでアルバイトをして、堂々と毒入り饅頭でもつくれたら上出来なんだけどな)


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 そう思いついてから、日も経たないうちに「仁源堂」へ面接しに行った。学校帰りである平日の夕方だからか、客はいなかった。


「11月の学園祭で和菓子を作りたいので、勉強がてらアルバイトをしたいと思ってます。もちろん学園祭が終わってもバイトは続けたいと思います。将来は調理師の専門学校へ進むつもりなのでこういった経験は必要だと思ってます」


 表向きのまじめな顔で言った。後半部分はウソだったが、学園祭で和菓子を振る舞いたいという気持ちは本当だった。


「うちの姪っ子も殷画高校に通ってるのよ。吉岡莉那って生徒知らない?」


 履歴書を広げた店内のテーブルを挟み、頭の薄くなった人の良さそうな店主の隣で、年齢の割には綺麗なその妻が尋ねてきた。


「僕のクラスには吉岡さんという生徒はいませんが、他のクラスなのかもしれませんね。僕は1年C組ですから」


「うちはこの通り、私と主人しかいないでしょ。お店が忙しい時、よく姪っ子に手伝ってもらってるのよ。10代の子って飲み込みが早いから助かるわ。不破くんはいつから来れる?学校が終わってから21時まで。土日のどちらか、週に1回からでいいわよ」


 店主の妻は目じりを下げて言った。


「今週の土曜日から出られます。あの、ひとつお願いがあります。さきほども言いましたが、学園祭が11月23日と24日にあるのですが、その前日に出店する饅頭をここで作らせていただけませんか?翌日の朝につくったものを受け取りに来ます。もちろん、お金は先にお支払いします」


 店主の妻は感心したように深く頷いた。店主は「うちのお店の宣伝さえしてくれればタダで作らせてあげるよ」と冗談めかしく言った。


「学園祭のお饅頭はお二人のお力は借りずに、一人だけで仕込みから全部やりたいんです。あと2ヶ月、週に1回みっちり教えてください。もちろん饅頭づくり以外のお仕事も頑張ります」


 その言葉に、子供のいない店主夫妻は涙目で頷いていた。「最近の若い子はジャンクフードばかりで和菓子を食べなくなった」など、店にお客が入ってくるまでの数十分間、途方もない愚痴を聞かされたが、不破勇太はニコニコと笑っていた。


 愛想笑いではない。計画が順調に進んでいく喜びに思わず笑みがこぼれてしまったのだ。事件が発覚したらこの店には多大な迷惑をかける事になるだろう。いっその事この夫妻も殺してやった方がいいだろうか。そんな事も考えてはじめていた。


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 人は、長く続く順調な日々に疑惑を覚える生き物だろう。


 アルバイト開始から2週間後。

 10月上旬の土曜日―。


 和菓子屋「仁源堂」の調理場にて、店主がきちんと見守る中、2回目の出勤で、やや手馴れた手つきでボウルに水で溶いた山芋パウダーを泡立てている最中、不破勇太はふと頭の片隅に疑念が広がるのを感じた。


(5回に分けて売ってくれたが、あの用心深い"アズラエル"が、僕の目的が、ウクカトキシンによる大量虐殺だと気づいてたらどうだろう…。いや気づいてないまでも、どうせ服用せずに今回もトイレに小瓶の中身を捨てるんだろうと考えたら…毒物の違法売買も詐欺もさほどリスクとして変わらないのだから、途中からニセモノのウクカトキシンを送ってきていても不思議ではない)


 「今回も死ねませんでした。トイレに流しちゃったので、もう一度だけ売ってください」


 我ながら見え透いた嘘だと思ったが"アズラエル"は常に事務的に応対し、振り込めばすぐ、ウクカトキシンを送ってきてくれた。「案外、死に切れずにいて毒物をリピート購入する愚者もいるのかもしれない」などと楽観的に考えてはいたものの、手元にある5本の小瓶の粉末、全てが本物である確証はなかった。スパイスだと言われても気づかない。色や粒の形状に差異はなかったが、猜疑心は拭えなかった。


(試すしかない。犬や猫で)


 ウクカトキシンは南米の部族が、狩の際に矢先に塗って使う道具だった。言うまでもなく人間だけではなく、動物全般に通用する毒なのだ。ならば犬や猫で試してみよう、そう思った。


(やるならば、ここ最近のように…見つからないようやらないとな。見つかるとやっかいな事になる)


 数年前―不破勇太は都内の有名私立大学付属の中学に通っていた。運動は苦手だったが学校では成績も優秀だったし、友達も少なかったが誰も彼をバカにする者はいなかった。優秀かつ、至って平凡な性質を持つ生徒を3年間演じきるはずだった。


 しかし―中学2年生の10月。


 放課後、学校近くの空き地でいつものように野良猫を手懐け、近寄ったところを絞殺しようとしている所を、塾に行く途中の同級生数人に見られてしまったのだ。怯んだ手元から猫は逃げ出したが、翌日から学校中に噂が広まり、両親が呼び出された。


「数年前から、学区内のゴミ集積所で猫の死体がポリ袋に入れられ遺棄される事件が起きていたが、その犯人も君じゃないのかね」と校長に問い詰められた。


(そうですよ!ぜ~んぶ僕です。きちんと頭部と四肢を切断し、内臓も部位ごとに分けて解剖しています。付属大学の医学部の生徒に見て欲しくて、きちんと袋の中身が分かるように棄てたんですが、警察に回収されちゃって残念です)


 不破勇太は真実の答えを、こう悪びれずに述べようとしたが、息子へ猫殺しの嫌疑をかけられた事に激高した父親によって、その言葉はかき消されてしまった。


 不破勇太の父は弁護士だった。猫の絞殺は未遂であり、過去の猫殺しの証拠などどこにもなかった。これ以上なにかを言えば名誉毀損で訴えられかねない。校長は黙った。父母は憤りの言葉を浴びせ、学校を後にした。学校側もなにも追及してこなかった。


 やがて不破勇介は、父親が見つけてきた転入先―K県小喜多内市の公立中学校へ2年生の11月から通い始める事となった。父は都内のマンションに残ったが、母と勇介の2人は転入に伴いK県小喜多内市のマンションへ引っ越した。


 転入先でも、もちろん成績は上位を保っていたが、3年生にあがった秋、「私学同士であれば、横の繋がりを利用した簡単な調査で、前に転校せざるを得なかった中学時代の問題行動などが分かってしまいます。今回お薦めする学校は、問題を抱えた生徒と向き合う県内唯一の公立高校です。ほとぼりが冷めるまで3年間をこの学校で過ごし、大学受験で最高位を狙ってはいかがでしょうか」と父母と三人で並んだ進路指導相談室で、担任は言った。


 担任は猫の絞殺未遂事件の話を父母から聞かされていたのだ。それ以前に、父母は自分の息子が猫を殺そうとしていたと確信し、水面下で話を進めていたのだ。そう言えば、父母は「お前はそんな事はやっていないよな」などと聞いてこなかった。その話題に触れなかったのは信じていたからではなく、幼少時代から昆虫や動物を影で虐待する息子の異常性に気づいていたからだった。


 不破勇太の入学先の高校は、問題を抱えた生徒と向き合う県内唯一の公立高校―K県立殷画高等学校へと自動的に決定してしまった。


「公立は私立と違って、体裁で退学にさせるなんて事はないから安心だ」


 成績だけなら私立の上位高校にも入れたのに―。本来は別の有名私立大学付属高校に進学してほしかったはずの父は、失望と本音を隠し、ひたむきな父親を演じつつ、腫れ物に触るような態度で接しながら「今回の進路方針」が良き事かのように、自分自身に言い聞かせるように言った。


(仕事で欺瞞。家庭内でも欺瞞か。弁護士って職業はロクなもんじゃないな)


 何もなかった事にして、その事に触れようともしないが、父母は、息子である自分のお遊びに気づきながらも蓋をしていたのではないか?そう考えればツケがやってきたんだ―これは、いい気味だと思った。


 泡だったボウルの中へ砂糖を加え、それを15分休ませる間―洗い物をしながら、過去を反芻し思案する。


(過去と同じ轍を踏んではならない―。慎重さを欠かしてはいけない―)


 皆殺しを完遂するまで、本性が露見したり、過去のあれこれが周囲にバレてしまってはならない。大丈夫だ。ここ最近も猫を切り刻んでるところを誰かに見られたりはしていないじゃないか。―と、そこまで考えたところで、不破勇太は他の問題を捉えた。


(待てよ…遅効性の毒だから、死ぬのは数時間後だ。きちんと経過を見届けるには、一定の場所に繋がれた飼い犬か、監禁状態にした野良猫に毒を食わせるしかないのか)


 飼い犬の場合、事件性を疑われるので却下だった。やはり、この場合はいつも殺してる対象である野良猫に毒を盛るのが適切だった。


(来週末にでも野良猫を廃墟ビルに集めて、首輪をくくりつけたら毒入りキャットフードを食わせてみよう。生きたまま解剖するよりも地味な作業だけど、人を殺すという大仕事を前にした実験だからしかたないよな―)


 そう考えた時だった。「仁源堂」の裏口をノックする音が聞こえた。店主が招き入れる。そこに現れたのは、自分と同じ殷画高等学校の制服を着た少女―いや、美少女だった。


 不破勇太は上用粉を加え、へらで粉を織り込むように混ぜながら、美少女を覗き見た。


「不破くん。この前言ってた姪っ子だよ。ウチのカミさんの姉の娘さん。ちょっとご両親が遠方に出かけるから、今週末はウチに泊まっていくんだ」


 主人は笑顔を浮かべて二人を近づけようとした。


「はじめまして、吉岡莉那です。同じ学校の…あたしはE組なんだけど、C組なんだよね?たまに、ここでお手伝いもするから宜しくね」


 不破勇太は、自分の顔が火照るのを感じていた。その場から逃げ出したい。できれば遠くからこの娘を眺めていたい。そう思った。初めての感情だった。


「よろしく。吉岡さん」


 精一杯の返事だった。それに対し、吉岡莉那は満面の笑みで答えてくれた。


 これまでの人生で可愛い女子や、美しい女性を見たことは何度もあった。だがそれは、単なる記号的な特徴でしかなく、心に響くものはなかった。しかし、吉岡莉那―彼女には自分の心の奥底に眠る原初の欲求、それが何かは言い表せないが、自分を前後不覚に陥らせかねない危うい魅力が備わっていた。


(もし世界が終わるなら、彼女のような女子と過ごしたい―。思うが侭に蹂躙して、生きたまま解剖して殺してあげたいな―)


 漠然とではあるが、きっとこれが恋なのだろうと不破勇太は認識した。饅頭ができあがる頃には、自分に犯された後の、吉岡莉那の切断された頭部、四肢、一つずつ丁寧に並べられた臓器をリアルに想像する事ができた。


(でも、実際はもっと綺麗な内臓なんだろうな)


 血まみれの吉岡莉那を見てみたい。大量虐殺のシメは彼女の解剖で終わらせよう。不破勇太はそう考えながら勃起している自分に気づいた。


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 土日が明けた月曜日。

 朝、自転車を駐輪所に置き学校へ向かうと、3年生の軍団が生徒ひとりを校庭で踏みつけてるのを見た。


 踏みつけられた生徒が起き上がる。胸元には赤色でEというバッジが光った。同じ1年生でE組―吉岡莉那と同じクラス―。


 興味をそそられその生徒を凝視した。顔が引き攣っている。3年生の軍団を憎悪の目で見ていた。間違いない。あいつは殺意を胸に抱いている。


(睨んでないで殺しちゃえよ―)


 そう思ったが、生徒は何も行動を起こさなかった。


(なんだ、つまらない)


 不破勇太は、生徒への興味を失った。


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 その日のホームルーム。

 欠伸をこらえた生徒たちの視線が、ニキビ面に下膨れ顔のクラス委員長、草野義男に集中する。


「来月、11月23日、24日の文化祭の出し物を決めます。提案がある方は挙手でお願いします」


 誰もが沈黙する中、不破勇太だけが挙手をした。黒縁メガネをなおす。ここで皆の同意を得れば事がうまく運ぶ―。


「僕、9月から和菓子屋さんでアルバイトしてるんですが、実は饅頭作りが得意なんです。店主のご好意により、無料で饅頭500個つくらせていただける事になりました。皆さんにはそれを売ってもらいたいのですが、いかがでしょうか。もちろんこのクラス皆さんの分も用意します。内緒ですが、このクラスの皆さんの分はタダでさしあげます。美味しいですよ!」


 自分たちの作る手間がかからない!当日、売るだけでいい!満場一致で、1年C組の文化祭の出し物は「手作り饅頭」に決定した。まんまと毒殺されるとも知らずに、クラスメイトたちは不破勇介の行動を手放しで賞賛した。


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 その週の土曜日―。

 「仁源堂」のバイトが終わると、六道坂を自転車で立ち漕ぎをし、廃墟ビルへ向かった。母には遅くなると言ってあるが、時間は21時を回っていた。


 用意した毒の小瓶5つとキャットフード5缶と首輪は鞄に入っている。猫を探すがこの日、彼らに出くわすことはなかった。


 翌日、日曜日―。

 1日かけて廃墟ビル周辺で野良猫を探す。秋の発情期のせいで方々へ散っているのか、いつもなら5~6匹見かける場所にも猫はいなかった。遠出して野良猫を確保しても、この廃墟ビルまで連れてこなければならない。鞄に暴れまわり、泣き叫ぶ猫を詰めてどれくらいの距離を移動できるというのか。やはり探すのはこの周辺一帯に限られてきてしまう。焦りが鎌首をもたげる。


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 10月下旬。

 新しい生徒会長が立候補したとかで「信任投票」が11月4日に行われるらしく、その概要が書かれたプリント用紙が朝礼で配布された。


「我が高校の生徒の頭髪、服装の乱れ、校内暴力を一切ゆるしません」


 生徒会長候補者―1年E組の有働努が朝礼で壇上に立ち、公約を堂々と述べた。顔はなぜかパンパンに晴れ上がっていたが、不破勇太は彼を見て、数週間前の出来事を思い出した。


(いつかの朝、3年生に踏んづけられてた生徒じゃないか!しかも1年E組って吉岡莉那と同じクラスじゃないのか)


 澱のような感情が胸に広がる。有働という生徒を本能的に警戒し、嫌悪しはじめる。あいつは何者だ―何者だ―何者なんだ―周囲の噂話に耳を傾けた。


「内木のブログ見たかよ。3年生最強の権堂さんをぶっ飛ばして、往訪高校の誉田とのトラブルを和解させたらしいぜ」


「権堂さんが髪を黒く染めてたぞ」


「校内でイジメを見かけたら有働の手下―有働アーミーが黙ってないらしい」


「救世主だな」


「多少、窮屈だが、あいつが生徒会長になれば平穏な学生生活が送れる」


 級友たちは有働努を絶賛した。彼に投票しよう。彼に学校の未来を託そう。彼こそが救世主だ。


(ふざけるな。この学校の生徒たちは俺が皆殺しにするんだ。吉岡莉那も俺が殺す。この学校の生徒の命も未来も僕が奪うんだ―僕のものなんだ。僕のものなんだ―有働努―お前の好きにはさせない―)


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 11月4日。

 正午前に信任投票の用紙が配られた。


「信任しません」


 ボールペンを使って大きく書いた。

 直線的な漢字。角ばったひらがな。自分らしい文字で、自分の意思を紙いっぱいに表した。


(お前みたいな正義のヒーロー気取りが一番むかつくんだよ。学園祭ではお前にも毒入り饅頭食わせてやるからな)


 不破勇太は笑った。笑った。しかし、笑い転げるまではしなかった。平静を保たねばならない。おかしな奴だと思われたらやっかいな事になるからだ。


 集計が終わり、その日の午後、信任投票で有働努は生徒会長に就任してしまった。どうやら8割弱の生徒が有働を支持したらしい。

 不破勇太はひどく落胆した。だが、いつまでも落胆したままではいられなかった。やらねばならない事があるからだった。


(学園祭で有働も死ぬ事になるわけだし。まぁ、いいか。その為には今週、来週で毒の効能を動物で試さねばならないな―)


 今週末には野良猫5匹以上を捕まえ、首輪に繋ぎ、5つの瓶それぞれのウクカトキシンの効能を試したい。きちんと数時間で死ぬのか。どのようにして死んでいくのか。時間はもう残されていないのだ。


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 その週末―。

 土曜―「仁源堂」でのバイト帰りに自転車を漕いで、野良猫を探したが見つからなかった。

 日曜―数時間粘ってようやく廃墟ビル周辺で数匹見つけたが、こちらの焦りが伝わってしまったのか警戒して近寄ってこなかった。


 これでは毒の効能を試すどころか、首輪をつけるどころかできない。


(ふざけるな。ちくしょう。ちくしょう!ちくしょう!)


 このままでは、半ば見切り発射で毒入り饅頭をつくらねばならなくなる。


 ウクカトキシンの小瓶、5つ全部が偽物というのならまだしも、一番最悪なのが、1つか2つだけが本物で、あとの全てが偽物というパターンだった。


 500人殺すはずが、100人しか殺せずそのまま死刑。それでも犯罪史上に名を残すのは間違いなかったが、不破勇太は数十年、数百年かかっても人類が到達できない大量虐殺の王様になりたかったのだ。


(毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ、毒を試さなきゃ)


 もう、なりふり構っていられなかった。不破勇太は、黒縁メガネのズレを指でなおしながら数秒間、思案した。


(こうするしかない)


 首輪を繋いだ状態で野良猫たちが死に至る経過を観察できないのは残念だが、最低限、毒の効能だけは確認しておかなければならない。毒入りキャットフード缶を、今夜ここへ置いていくことにした。


 手元に"1"から"5"までラベルが貼られた小瓶があったが、その5本すべてを、ぞれぞれ5つの缶に混ぜてしまっては、猫の死体がみつかっても、5つのうち、どれが本物で、どれが偽物の毒かは分からない。ならば―。


 不破勇太は"5"とラベルの貼られた小瓶だけを鞄から取り出した。


 "アズラエル"が、詐欺師ではなく本物の毒物商であるという前提ではあるが、本気で死のうとしてる人間に、1回目、2回目で偽物を送るとは思えないし、3回目までは、頼まれるがまま本物を送ってくるだろう。


 しかし、4回目、5回目となると、いよいよ相手は服毒しないだろうと踏んでバカらしくなり、コストを抑えるため、または他殺に使われているのではないかという危惧がうまれ、偽物を送りつける可能性がぐっと高くなる。


 そう、重要なのは、最後に送られてきたこの5回目の小瓶なのだ。5回目が本物であれば、1回目から4回目が本物である信憑性が出てくる。


 だが、逆にこの5回目が偽物ならば、4回目や、さらに遡って3回目の小瓶にも疑いを向けなければならないし、そもそも1回目から偽物を送ってきてたのではないかと別の疑惑も出てくる。その場合"アズラエル"が毒物商ではなく、ただの詐欺師という事になる。


 同じ金額なら、毒物の売買より、詐欺で稼いだ方がいい。毒物を求めるようないつ死んでしまうかもしれない自殺者を商売の相手にする以上、一期一会であり、顧客という概念も、信用商売と言う概念も生まれない。それならば堂々と詐欺を働き、毒物ではなく褐色のスパイス粉を送りつけ相手の命を救う。毒物商より詐欺師への道を選ぼう―そう考える輩がいてもおかしくない。また、偽物を何度も送ってるにも関わらず、相変わらず4回も5回も注文する人間がいたら、こいつは毒物を試す度胸がないのだろうと悟り、そ知らぬ顔で詐欺師は、毎回、スパイス粉を送り付けるだろう。


 "アズラエル"が本物の毒物商か否か、これ1本ではっきりさせよう。


 不破勇太は"5"とラベルの貼られた瓶の中に入っているウクカトキシンを0.1gずつの合計0.5g、持ってきたキャットフード5缶に混ぜて、等間隔で廃墟ビルの中へ置いた。このビル内を野良猫たちがねぐらにしてるのは間違いないはずなので、食べないわけがなかった。


 数日中に猫の死体がいくつか見つかったとすれば"アズラエル"は本物のウクカトキシンを送ってきたと判断していいだろう。


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 翌週の水曜。

 学校内で生徒たちが噂していた。


 「猫の変死体が、週明けから6匹見つかってるらしいぜ」


(やった!本物だったんだ!)


 笑みを堪える不破勇太の耳に、続いて悲報が飛んで来た。


「警察が捜査に乗り出したらしい」


 猫の死体のどこにも外傷はないことから、当初は病死とも考えられていたが、あまりにも数が多いので行政で解剖が行われ、毒殺と特定されたらしい。生徒はそう付け加えた。


 しまった!不破勇太は思った。廃墟ビルに残してきた5つのキャットフードの缶詰に自分の指紋がついてしまっている。あの辺をウロウロしてたのを住民に見られた事もある。野良猫の毒殺を追っている警察は、不自然に放置された缶詰に興味を示すかもしれない。今日中にでもあの廃墟ビルに足を踏み入れなければならない事情ができてしまった。


(回収しなきゃ。慎重に、慎重に―)


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 その日の、放課後―。


 廃墟ビルの周辺に警官はいなかった。安堵しながら缶詰を置いた1階の部屋へ向かう。


 空になった5つの缶詰は腐敗臭がした。ビニールに包んだが、それでもまだ少し臭った。だが、その辺に捨てることもできない。覚悟を決め鞄に詰めた。


(大量虐殺計画もラクじゃないな。でも毒の効能はきちんと保障された。これで毒入り饅頭をつくれるぞ―)


 不破勇太は疲労感は多少あったものの、充実した気持ちの方が大きい事に気づき自転車のペダルを漕ぎ鼻歌をはじめた。


(皆を殺す―。皆を殺す―)


 鼻歌は止まらなかった。


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 その週末―。土曜日。


 「仁源堂」でのアルバイトに勤しんだ。もちもの、蒸し物、焼き物、練り物、あめもの、あんもの―色々な和菓子の作り方を少しずつ店主に教わりながら手伝った。


「学園祭のお饅頭は来週の土曜日につくるんだったよね」


 閉店時間を迎えシャッターを下ろしおえた店主が聞いてきた。来週の土曜日―11月22日。学園祭初日の前日にあたる。


「はい。営業終了後に調理場を貸してくだされば自分でつくります」


「本当に私たちが手伝わなくていいのかい?」


「一人でやり遂げたいんです」


 店主は情熱に打たれたのか、目頭を赤くして頷いた。情熱は嘘ではなかった。ただ、殺意への情熱ではあったが。


「こんばんは」


 店の裏口から吉岡莉那が入ってきた。頬が熱くなる。


「こんばんは。じゃあ、僕もう帰ります」


 不破勇太は裏口に立てかけた自転車にまたがり六道坂を下りた。途中、殷画学園のブレザーを着た生徒とすれ違ったが、かなり太っていた。C組には肥満体型の生徒はいなかったため、違う学年かクラスの生徒だろうと判別できたので特に気にもとめなかった。


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 翌週末―。土曜日。


 閉店してからでいいと断りを入れたにも関わらず、店主は営業時間内から"饅頭作り"をさせてくれた。


(こまったな)


 一瞬そう思ったものの、考え直してみれば、閉店後に饅頭を作ることとなれば、手が空いた店主やその妻がきっと監修しはじめるに違いない。そんな中、目を盗んで瓶から褐色の粉―ウクカトキシンを混入させるのは困難を極める。


 だとすれば営業時間中に、店主やその妻が他の和菓子をつくったり、接客している隙に、せっせと毒入り饅頭をつくればいいじゃないか。


「お言葉に甘えます」


 不破勇太は、2人が見ていない隙をついて、おおきなボウルに下ごしらえされた饅頭100個に相当する餡子の中へ、ポケットから取り出した小瓶の中身―ウクカトキシン50gを丸ごと投入し、満遍なく混ぜた。


 本来であれば1つの饅頭につき20gの餡子が入るが、毒入り饅頭の場合それに加えて0.5gのウクカトキシンが入る計算となる。


 大量の餡子の中で毒物が偏ってしまえば、大量虐殺は失敗に終わってしまう。だが、そこには自信があった。週に1回、何時間も、砂糖や塩をイメージどおり、きちんと等間隔に混ぜる技法を会得したからだ。毒物の真偽については頭を悩ませたが、偏りへの不安は一切なかった。


 褐色の粉末が、真っ黒な餡子の中へと呑み込まれる。


(混ざれ~混ざれ~死の粉よ~混ざれ~混ざれ~死の粉よ~)


 でたらめなメロディをつけて、心の中で何度も何度も繰り返し歌い続けた。次々と満遍なく5つの瓶の中身―厳密に言えば、猫に使った合計0.5g分は減っていたものの―約500gのウクカトキシンは5回に分けてそれぞれの餡子に混ざっていった。蒸し器の中で生産されていく死神の時限爆弾。


 数時間後。


 出来上がった饅頭は50個ずつ大判プレートに乗せられ、都合10段―無事に毒入り饅頭500個が完成した。


「1つずつ個包装にしなくていいのかい?」


「うちのクラスの趣旨では、すぐに食べて欲しいからそのままお出しするんです」


 おかしな理屈だったが、主人は何も言わなかった。


 真相はこうだった。


 個包装などしたら、持ち帰られてしまう。帰宅後、客が饅頭を食べようとニュースをつけたら事件の報道が流れてて命拾いをした―なんて事にならぬよう、包装はしないと決めていたのだった。


 そのままの状態で渡す。客としては、手がべたつく、形が崩れてしまう。ならばこの場で食べてしまおう―これで毒殺完了と言うわけだ。


 その後も主人との会話は続いた。


 1段ずつ自力で学校まで運ぶと言ったが、店主は朝一番に軽トラックを出して運ぶのを手伝ってくれると言って聞かなかった。そうしてもらえれば1度で済む。申し訳ないと思いながらも、店主の優しさに甘える事にした。


(明日の朝にでも、この中から2つを店主と奥さんに食べさせてあげよう。彼らが死ぬのはお昼過ぎか、夕方か。解剖が終わり毒殺と特定される頃には500人の胃袋に饅頭は収まってるさ)


 不破勇太は笑い転げそうになった。この数ヶ月で夫妻が好きになっていた。2人の命を奪う権限が自分に与えられた事を非情に嬉しく思った。やるなら夫婦一緒に殺してやりたい。一緒に仲良く人生の結末を与えてあげられるのはとても喜ばしい事だった。


「完成して嬉しいかい。明日は500個全部、売れたらいいね」


 店主の言葉に「はい」と素直な気持ちで返答した。「1つ味見してもいい?」と冗談めかしで言う妻に店主は「やめなさい。不破くんが頑張って作った売り物だぞ」と本気で怒っていた。


 不破は1番下の段にある毒入り饅頭1つを抜いて、店内にある包装紙に入れた。


 別に堂々と持ち帰っても何も言われなかっただろうが、たった1つ味見する事すら躊躇する夫妻の前で、そういった事はできなかった。


 ポケットに入れた饅頭。それは今夜、帰宅後に母親に食べさせる分だった。また、それを個包装したのは、母は潔癖症のため、そのままで手渡された饅頭など食べないからだった。


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 自転車を漕いで2LDKの自宅マンションに帰宅したのは、22時をまわったころだった。


 母親は顔にパックをしながらテレビを見ていた。息子が土曜の夜はアルバイトで遅くなる事は知っていたし、特に心配している様子はなかった。


「これ、アルバイト先でつくったお饅頭。明日の学園祭に出すんだ。よかったら今夜中に食べて」


「あら、そう」


 母親はそっけない返事をした。テレビに夢中になっているのだ。これが親子の最後の会話になるんだろうな。不破勇太は少しだけ寂しく感じた。


「おやすみなさい」


 返事はなかった。永遠に…おやすみなさい。心の中で母親に言った。


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 翌朝―。

 11月23日(日)―学園祭当日。


 午前5時30分。

 不破勇太は起床した。黒縁メガネをかけて、周囲を見渡す。リビングに饅頭の包装紙が開かれていた。どうやらあの後、母親は毒入り饅頭を食べたようだ。


 寝室へ。


「母さん、起きてる?」


 返事がない。近づく。母親は目と口を大きく開けたまま固まっていた。頬は冷たかった。両手を握り締めたままの形で硬直し、瞳孔は開き唇は青ざめている。


 母親は死んでいた―。


 この計画を思いついた当初から、最初の殺人は、自分を産んでくれた母親だと決めていた。その通りになった。


「苦しかったかい…色々と迷惑かけてごめんね。さようなら、母さん」


 不思議と涙は出なかった。


(できれば父さんにも食べさせたかったけど、今から東京に行く事はできない。母さん一人で寂しいかもしれないけど、もうすぐ500人がそっちへ行くからね。そして僕も、いつか…)


 不破勇太は穏やかな気持ちのまま、毛布を母親の顔の位置までかけてやった。


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 1時間後―。


 午前6時30分。

 母の遺体を確認し、自宅を出た不破勇太は自転車ではなく徒歩で「仁源堂」まで向かった。


 今日、毒入り饅頭で500人を大量虐殺する。


 学園祭で毒入り饅頭を食べさせられた一人目の犠牲者の遺体を、警察が司法解剖し、遺体の胃の内容物である饅頭と毒の成分ウクカトキシンに辿り着くまで、致死まで5~6時間を要する遅効性の毒によって最初の犠牲者が出てから、2~3時間といったところだろう。


 都合、7~9時間後には容疑者は特定される。

 学園祭が始まるのが9時00分。1年C組のクラスメイトには内緒で、饅頭を1人1個ずつ、無料で配るつもりでいるのであっという間にプレートは空になるだろう。教室内で手売りしてる連中のプレートも横取りして、最終的に500個すべてを捌く算段だ。


 つまり、午前9時00分より7~9時間後。

 悲観的に見て、午後4時には逮捕されている可能性があった。母親の遺体が確認されるのは、家宅捜索の入る午後4時30分といったところか。逮捕から拘置所に移されるまであっという間で、慣れ親しんだこの町をこの目で見ることはもうできないだろう。


 自宅から徒歩で「仁源堂」まで行こう。母親の遺体に毛布を被せた後、そう思いついた。


 ゆっくりと薄闇の中で眠りにつく殷画の町を眺めた。11月の冷気が鼻腔を刺激する。寒さで吐息によって黒縁メガネが曇る。開発が進んだとは言え都会に比べたら田舎だった。自然と町が折り合いをつけて混在している。秋虫の鳴き声。朝露に湿った緑の香り。


 うまれは東京だったが、住んでみれば田舎もいいものだ、と思えた。月明かりや、星の光、太陽を反射する水面だったり、本当に美しいものは、お金のかからない無償のものがほとんどだ。


 今、見てる景色は自分が死刑になるまでの短い生涯において、目にする美しい光景の一つだろう。これは心象、心情に依拠するところもある。昨日までの自分なら同じ風景を見ても心は打たれなかっただろう。これが最後だからこそ、何気ない景色に胸を打たれるのだ。


 やがて、東の空が白み始めた。新しい1日が生まれる。毎朝こんなに美しい光景が繰り広げられてるのに、今日を生きる人間は、無感動のまま朝を迎え、夜空を見上げる事もなく眠りにつく。そして明日も同じように1日が来ると疑わない。そう考えたら人の生涯は長いほどに、なんと虚しいものなのだろう。そう思えた。


 開店前の「仁源堂」のシャッターは閉まっていた。

 裏口のブザーを鳴らす。店主が出てきた。眠そうな顔はしていないところをみると、もっと早くに起きて仕込みをしていたのだろう。やがて妻も早朝なのに愛想よく出てきた。


「今日は売り子さん、がんばってねぇ」


 改めて思うが、店主の妻は、40歳を過ぎて可愛らしい人だ。美貌は家系か―あの吉岡莉那と血が繋がっているのだから当然と言えば当然だろう。


 店主と大判プレートを交代に運び、軽トラックの荷台に乗せる。4往復目から売り子用の中サイズのプレートを積んだ。この上には饅頭が25個載る。本来なら饅頭が潰れるのでやってはいけない事だが、毒入り饅頭を早急に捌くため、1周につき、饅頭の乗った中プレートを4段ほど重ねて配るつもりだった。無料配布だから崩れてても誰も文句は言わないだろう。むしろ、受け取り手側の心情としては、崩れた饅頭はその場で食べてしまえと思うだろうから都合が良かった。


 すべてを積み終わる頃には時計の針は7時15分を指していた。店主は運転席でエンジンをかけた。暖房をつけてくれようとしてるのだ。


「マスターと奥様の分です。一生懸命に頑張ってつくったので味は保障します」


 不破勇太は、店主の妻に、きちんと調理用のビニール手袋をはめた手で、饅頭を2個渡した。自分の大切な母親に続いて、2個目、3個目の毒入り饅頭を受け取る資格がこの親切な夫妻にはあった。


「え?」


 店主の妻は目を丸くしながらそれを受け取った。昨日あれだけ店主に味見を禁じられた手前、受け取るのを躊躇してるのだろう。


「できれば味が落ちる前に食べちゃってください。午前中にでも」


 夕方までにこれを食べなければ夫婦は命拾いをする事となる。大好きな二人は自分の作った毒入り饅頭で殺してあげたかった。どうしても食べて欲しい…しかし、今すぐに食べられたらやっかいな事になってしまう。その思いから「午前中」と曖昧な表現をしたのだった。


「いくよ」


 饅頭を手にしたまま、直立した店主の妻に礼を言い、不破勇太は助手席に乗り込んだ。軽トラックは発進した。六道坂をあがって行く。斜面でも饅頭が荷台から転げ落ちないように固定されてはいるが、少し不安で助手席の窓から荷台を振り返った。


「だ~いじょうぶだって。落ちないから。それより不破くん、ウチのに饅頭を渡したのかい?なんでまた?」


「食べて欲しいからです」


 不思議そうな顔の店主をよそに、不破勇太は満面の笑みを浮かべていた。死の学園祭が始まる。今世紀最大の大量虐殺をおこしてやる。たくさんの人間の未来を奪ってやる。


 自分はすでに母親を殺した。


 しかし日本国の刑法において、人は、1人殺しただけでは、無期懲役という名の「生きて罪を償う権利」が与えられるだけだ。死刑になるには、人を2人以上殺さなければならない。


 それは、殺人者とは言え、生きてる人間の魂は、死んだ人間の魂2つと等価値だからなのだ。


 ならば、500人を殺した自分はどうだろうか―。


 死刑になった時、自分の魂は500の魂と等価値になるのだ。500人の未来を奪った多大な罪を、この命たった1つで償うのだ。(君ノ魂ハ500人分の価値ニ等シイ)人を殺せて、なおかつ司法により、自分の魂の格付けまでしてもらえる。考えただけで胸が躍った。


(僕は医者や弁護士になるために生まれてきたんじゃない。殺人鬼として大成功するために生まれてきたんだよ。父さん、母さん)


 不破勇介は、自分の人生の絶頂がこの日、この瞬間だと悟った。生まれてきて良かったと初めて思えた。


 やがて六道坂を上り終え、殷画高等学校が見えてきた。学園祭の派手なアーチが目を引く。このアーチが死への扉だと気づく者は誰一人としていないだろう。不破勇太は黒縁メガネのズレを指でなおし、笑みを浮かべた。


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 午前9時00分―。学園祭が始まった。

 1年C組では室内を、江戸の茶屋に見立てた内装を少ない予算内で施し、のぼりには同じクラスの美術部員によって武士がお茶を飲むイラストが描かれた。


 飲み物は他のクラスメイトが用意した。バリエーションはお茶から清涼飲料水、炭酸、ミネラルウォーターまであった。食べ物は、毒入り饅頭のみ。飲み物が1杯250円に対し、饅頭の販売価格は100円となっていて、不破勇太が練り歩き販売し、店頭でも販売される。売切れ次第、終了。


 どうせなら僕が自分自身で客を見て、たくさん売ってやる―。不破勇太はそう思った。


 食べ物のバリエーションを増やそうと提案もあったが、不破勇太が500個の饅頭を用意すると言った事と、予算は内装に使い、食べ物屋と言うよりも長く留まれるサロンとして出店すれば、多クラスの飲食店に差をつけられるのではないか、と話はまとまった。


「これクラスの皆の分。どうぞ」


 1年C組のまとめ役的な存在の森園良一に声をかけ、クラス28人分の毒入り饅頭を中トレーから取り出し、キッチンペーパーを敷いたテーブルに置いた。それを見ていたクラス委員長の草野義男が「買ってきたみたいにちゃんとしてるんだな」と凡庸な感想を述べると、わらわらと寄ってきたクラスメイト全員に饅頭がいきわたった。


 無論、誰も「個包装されてないじゃないか」などと文句を言う者はなかった。今回の饅頭500個は学園祭の予算で作られたものではなく、不破勇太個人および「仁源堂」からの差し入れと言う扱いだったからだ。包装されていないのは経費削減なのだろうと漠然と解釈したに違いない。


「味が分からないとお客さんに勧められないし、皆さん今のうちに食べてみてください」


 開始して間もないので来客はなかった。試食の時間はあった。


 社交的な女子で構成される―茶屋内での給仕&接客班11名。

 声が大きい男子で構成される―校庭でのビラ配り宣伝班9名。

 体力に自信のある男子と女子による構成―廊下での饅頭販売班8名。


 合計28名の1年C組の生徒たちが、それぞれテーブルから毒入り饅頭を掴んで、口に頬張った。


「うまい」


「餡子が濃厚だ。コンビニの饅頭より深みがあるっていうか」


「不破くんの努力の味ね」


 口々に感想を言った。とりわけ仲が良い友達はいなかったけど、皆いい奴らだった。軽口を言い合ったり、教師の悪口を言い合ったり、女子には教科書を忘れた時は見せてもらったり、(不破は照れてしまい、話についていけなかったけど)男子とはクラスの女子の発育について議論したり…。


「お前、勉強しかしないのかと思ったらこんな特技もあったんだな」


 近くにいた酒井克彦が肩を叩いてきた。皆の視線が不破勇太に集まる。「つくるのに何時間かかったの?」「今度わたしにも教えてほしいな」女子の何人かの視線に少し恥ずかしい気持ちも湧いてきた。


(みんな…一緒に修学旅行いきたかったな。卒業式もしたかった。でも、もうそれは叶わない…)


 そう、皆、今から7時間後には死んでるからだ。クラスの皆を、学園祭での第一犠牲者にできた事を僕は、誇りに思うよ。安心して。数年したら、僕もそっちへ行くからね。


 不破勇太はこみ上げてくる感情を押し殺し、25個入りの売り子用の中サイズのプレートを4段重ねにして持ち上げた。「おいそんな事したら饅頭つぶれねぇか」森園が言った。不破勇太は舌打ちを堪えた。


「大丈夫ですよ。饅頭は鮮度が命だし、お昼までには完売させたいんです」


 誰も何も言わなかった。材料を準備して、アルバイト先で技術を習得して、せっせと作り上げたのは不破勇太なのだ。本人のしたいようにさせてみよう。そんな空気が伝わった。


「そっか。残ったらクラス委員長がぜんぶ買い取るっていうからよ。無理しすぎないようにな」


 森園の軽口に、草野が「そんなこと言ってないよ」と真面目に反論する声が耳に入って来たが、笑うそぶりもせずに不破勇太は教室を出た。


(何人に配れるかな。何人殺せるかな。500個全部だ。500人だ)


 不破勇太は笑い声を堪えながら、廊下を練り歩き、1年C組の教室からある程度離れてからこう言った。


「サービス品です。タダで~す。無料ですよ~。お一人様1個さしあげま~す」


 他のクラスの1年生たちが、各々の出し物の準備しながら、プレートに手を伸ばす。あっという間に1段目、2段目が消えていった。これで2クラス分を毒殺した計算になる。


(有働努…吉岡莉那…お前らにも饅頭を配ってやる。特に吉岡莉那…お前はあとで屋上に呼び出して…)


 そう思った、ちょうどその時だった。

 「和菓子屋」というのぼりを掲げた1年E組の教室から、吉岡莉那が出てきた。先ほどまでの吉岡莉那への甘美な殺意は、本人を目の前に気恥ずかしさに変わっていた。


「こんにちは」


 吉岡莉那の言葉に耳が熱くなる。


「E組…吉岡さんたち、和菓子屋さん…やってたんですか」


 不破勇太は、事前に配られた出し物プログラムに目を通してなかったため、それを今、知った。


「お饅頭も私が作ったんだよ。不破くんとライバルだね」


 そうか。おそらく、たまに吉岡莉那が「仁源堂」にやってきたのは、和菓子の作り方を叔父や叔母に聞きにきたためだったのだ。


「これ…1個味見して…タダでいいですから」


「え、でも。そんな。ちょっと待ってね」


 吉岡莉那はピンク色のお姫様のようなデザインの財布から100円玉を取り出し、プレートに置くと饅頭をひとつ取った。


「お金はいらないですよ」


「頑張って不破くんがつくったものでしょ?ちゃんと対価は払わなきゃ」


 また耳が熱くなった。吉岡莉那が小さな唇を開き、毒入り饅頭を頬張った。可愛かった。美しかった。愛おしかった。抱きしめたかった。


「おいしい!私のより上手!ウチの叔父さんと同じくらい上手」


 お世辞には思えなかった。真剣な感想を述べてるように思えた。「仁源堂」には子供がいない。吉岡莉那があの店を継ぎ、自分がそこの婿入り店主となる。そんな妄想が駆け巡った。


 だが、妄想は妄想だ。さきほど毒入り饅頭を食べ終えた吉岡莉那は、他の生徒同様に、7時間後、四肢マヒ、心室細動のちに心停止し、死ぬ運命にある。死ぬ時は糞尿を垂れ、美しい顔はぐしゃぐしゃに歪み、涎を垂らしながら死んでいくのだろう。


 そんな事になる前に、彼女を陵辱し(童貞を捧げ)生きたまま解剖してみたい―。不破勇太は、そう強く、思った。


「もう行かないと。あとで、ちょっと相談事があるから、屋上きてくれませんか」


「相談?叔父さんたちと何かあったの?」


「うん、ちょっと。5分だけ相談したいことがあるんです。あとで呼びに来てもいいですか」


「お昼過ぎだったら混まないだろうし、いいよ」


 吉岡莉那は迷惑そうな顔ひとつせず、そう言った。その時、教室から有働努が出てきた。一瞬目が合ったが、有働の目つきが思ったよりも鋭かったせいか、なぜか目を逸らしてしまった。


「有働くんも、これ…あげます」


 饅頭を乗せたプレートを有働の前に差し出す。


「タダってわけには、いかないだろ。C組で頑張ってつくった饅頭なんだろ?」


 有働はそう言い放ち、黒い革の長財布から100円玉を取り出しプレートに置き、饅頭を掴んだ。吉岡莉那とまったく同じ反応だった。二人は並ぶ形で、不破勇太と向き合うような形になった。2人はただのクラスメイト同士だろうが、美男、美女。絵になった。お似合いだった。


「うま」


 有働は男らしく、毒入り饅頭を一回で頬張った。餡が口からはみ出す。吉岡莉那がそれを見て微笑む。有働が噎せる。吉岡莉那が背中をさする。噎せ返りながら、有働の視線は泳いでいた。彼なりに照れてるのだろう。


(お前ら、ただのクラスメイトじゃないんか)


 嫉妬のこもった目で二人を睨んでる事に気づかず、有働は「じゃ教室に戻るわ。俺、会計だし」と教室へ戻っていった。E組のほかの生徒にも毒入り饅頭を食わせなければならない。しかし「皆に配ってください」と言っても吉岡莉那は無料では受け取らないだろう。


 E組の他の連中にどうやって配るかはまた後で考えよう。そう思ったときだった。


「言い忘れた。うまかったぞ」


 ひょこっと再び教室から顔を出し、吉岡莉那の肩越しに有働が声をかけてきた頃には不破勇太は怒りの形相をひっこめて、にこやかに「ありがとうございます」と言い、1年E組の教室から速やかに辞去した。


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 時計の針は、午前9時51分を指していた。

 準備やら吉岡莉那たちとの立ち話を終えた頃には、学園祭開始から1時間弱が経過しようとしていた―。


 不破勇太は、このまま1年生の教室がある1階から順に、2階、3階とあがっていくよりも、一度、3階まであがってから下に下がっていくかたちで毒入り饅頭を配り歩くことにしようと考えた。


 死に近づく順番は、たった数年とはいえ人生の先輩が優先である。


「ここの生徒さんたち、みんな派手な髪の色してたのに真面目になったわねぇ」


「去年来た時は、出し物もろくになくて、すぐ帰ったけど、今年はちゃんとしてるわ」


 この殷画という何もない田舎町の、お祭り好きな近隣の住民たちの話が聞こえてくる。子供のはしゃぎ声もした。廊下は一般客で賑わい始めていた。


 3年生―。

 かつてヤンキーだった生徒たちは髪を黒く染め、学園祭を訪れた一般客に、にこやかな応対をしていた。偽りの笑顔ではなかった。強面(こわおもて)だった彼らにも本来、子供を可愛がり、お年寄りを慈しみ、隣人を温かく迎え入れる社交性があったのだろう。どうやったかは知らないが、有働が彼らを変え、そういった善良な本質を引き出し、この学校を変えたのは紛れもない事実だった。


「サービス品ですよ~。タダで~す。無料ですよ~。お一人様1個さしあげま~す」


 人混みの中、3年A組からE組までを練り歩く。飲食ブース、ゲームブース、美術個展ブース、占いブース、お化け屋敷ブース。


「タダだってよ!」


 各々の催し物の対応をしながらも、ついこの前まで不良だったいかつい風貌の3年生たちが手を伸ばす。あっという間に1段目、2段目の中プレートが空になり、3段目も空になろうとしていた。都合、2クラス半の生徒を殺した計算だ。笑みがこぼれる。彼らは全員、毒入り饅頭を美味そうにその場で食べた。


「お一人様、一個ですよ~。悪くなっちゃわないうちに、すぐにでも食べてください」


(みんな死ね、死ね死ね。みんな死んでしまえ。改心したって遅い、死んでしまえ社会のゴミども)


 一般客たちにも配りまくる。生徒の家族と思しき大人たちの手、他校から来た中高生たちの手、お年寄りのしわくちゃな手、子供の小さな手。プレートから毒入り饅頭が次々に消えていく。やはり皆、その場で食べていた。「あら美味しい」「ありがとうございます」感謝の言葉に耳にタコができそうだった。


(元不良くんも、近所のお子さん、お年寄りも、み~んな殺してあげますよ~)


 毒入り饅頭を配りまくる。タダと聞いて目を丸くする者もいた。律儀なお年寄りに限ってお金を出そうとした。いえ、これはサービスです、と言い、残ったらもったいないので、と強引に配布する。


 廊下の終端。

 3年E組―お化け屋敷の前に辿り着いた。


 そこにちょうど、白装束に三角巾のベタなお化けの格好をした―美しい顔立ちだが、どこか暗い影を落とした女生徒が立っていた。不破勇太は、その女生徒に最後の1段のプレートの上にあった25個すべてを、あらかじめ用意していたレジ袋に入れて渡した。


「これサービス品です。お化けの皆さんで、食べてください。包装してないし、悪くなっちゃうんで、数時間以内には食べてください」


「え、いいんですか…」


その時だった。


「根倉さん、出番よ」


 女生徒を呼ぶ声がした。客寄せか、マンネリ化を防ぐためか、休憩のためかは知らないがお化けは中と外が交代制らしい。だったらネタバレになるからお化けが廊下をウロウロするなよ、と言いたかったが、根倉と呼ばれた女生徒は「ありがとうございます。お昼までには食べますね」と微笑を浮かべたまま25個入りの毒入り饅頭が入ったレジ袋をぶら下げ、教室へ戻っていった。


(夕方には、皆さん本物のお化けになってますね~)


 心の中でとは言え、こんな安っぽい皮肉が出てくるとは自分自身でも驚きだった。


 一度、1年C組の教室へ戻る。

 25個いりのプレート4段を抱え再び3階へ。「もうそんなに売れたのか」と誰かの声が追いかけてきたが無視した。


(どんどん、殺さなきゃ。3年でもまだ受け取ってない人たちいたし)


 3階。

 悪名高き3年生の権堂と廊下で出くわした。


「あ、これ…サービスです。どうぞ」


 沈黙が続いた。権堂は不破勇太を値踏みするような目で見ていた。権堂の右手には包帯が巻かれていた。有働と殴り合いをして骨折したらしいと噂を聞いた事がある。


「悪いな。1個もらうぞ」


 権堂は、左手で毒入り饅頭を掴み取り、その場で食べた。


「お前が作ったのか。まるでプロじゃないか」


「そう言っていただけて嬉しいです。他にも沢山ありますので持っていってください。饅頭は個包装してないので腐りやすいです。すぐに食べてくださいね」


「ごちそうさん。さっそく教室で皆に配るわ。ありがとな」


 権堂は、30個ほど毒入り饅頭が入ったレジ袋を受け取ると、権堂は3年B組のゲームブース「合法カジノ」へと姿を消した。まるでヤクザの元締めのような風情にカジノという単語がぴったりで噴出しそうになった。教室から「くそ!」とゲームに負けた男の叫び声が聞こえる。まさか金は賭けてないだろうが、悔しそうだった。「お前は弱いんだよ誉田。ほれ、饅頭でも食え」権堂の声が聞こえてきた。


 誉田という名前は噂で聞いていた。たしか権堂と仲の悪かった往訪高校の生徒の名だった。最近、有働の仲裁で権堂と和解したらしいが、学園祭に遊びに来てるとは思わなかった。他校の生徒まで殺せるとは感無量だった。


 毒入り饅頭の被害者はどんどん広がっていく。笑みが止まらない。


(あの世でもカジノ楽しんでくださいね)


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 プレート6枚分、3年生やそこに居合わせた一般客150人に配り終えたところで、2年生の教室へ降りていく。


 2年A組からE組までを練り歩く。手作りアクセサリーブース、古着売買ブース、世界の岩石展示ブース、似顔絵イラストブース、焼きそばの香ばしい香りのする飲食ブース。


「サービス品ですよ~。タダで~す。無料ですよ~。お一人様1個さしあげま~す」


 その声に引き寄せられるように、長身の2年生が寄ってきた。おそらく先月まで素行不良だった生徒なのだろう、黒髪だが眉毛は剃られてなかった。


「春日、タダだってよ。もらおうぜ」


 生徒は2つ饅頭を掴み取って、言った。


「おい久住!饅頭はいいが、説明員のお前が勝手に廊下に出るなよ。岩石に詳しいのお前しかいないんだからな」


 春日と思しき生徒の声が教室から返ってきた。


「皆さんのクラス全員分ありますから、どうぞ持っていってくださいね。個包装してないせいで腐りやすいです。早めに食べてください」


 しわくちゃのレジ袋に30個ほど詰める。「サンキュー」と言いながら、久住と呼ばれた生徒は自分のクラス―2年C組に持ち帰っていった。


 数十秒後「美味い、美味い」という声が聞こえた。2年C組の世界の岩石展示ブースには個人的に興味があったが、プレートに残された饅頭を配り終えなければならず、歩みを進めた。


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 それから3往復した。


 25個プレート4段で100個。その3回分の、都合300個を捌いた。1人1個ですと言ってるにも関わらず1人で饅頭2個食べるような少数派の意地汚い人間が10%いたとしても、270人には行き渡ったと見積もっていい。


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 時計の針は、12時36分を指していた。

 不破勇太は、空になった中プレート4枚を左脇に抱え、黒縁メガネの曇りをハンカチで拭きながら1年C組の教室へ戻った。


「おい、もう終わりか。タダで配ってるわけじゃないよな」


 誰かの言葉にぎくりとした。森園だった。噂が耳に入ったのか、確信めいた響きがあった。拭き終えた黒縁メガネをかけ反論の準備をする。


「僕がつくったんだから関係ないですよね。予算は饅頭作りには使ってないんだから、いいじゃないですか」


「それはそうだが…店頭の分も残しておいてくれよ」


 店頭―教室に残された饅頭はあと、100個ちょっとだった。と言う事は90個以上を店頭で捌いたという計算だった。


「お饅頭はどんな人に売りましたか?」


「お前が生徒たち優先でどんどん無料で配ってるから、一般の人がほとんどだ」


 森園に指摘され思い返す。


 一般人にもちゃんと配ったし、生徒たちを優先させたつもりはなかったが、考えてみれば、最初のいくつか以外は、毒入り饅頭のほとんどを、3年、2年とクラス単位でレジ袋に詰めて渡していたことに気づいた。しかし、思いつきの発端は(うちの学校の生徒たちを大量虐殺してみよう)という衝動だった。いいではないか。270人の生徒と、90人の一般人。まだ12時なのに、都合360人に死の時限爆弾が行き渡ったのは上出来だった。


(同級生をあと50人殺そう)


「じゃあ、これを最後にしますから、中プレート2枚分50個をください」


 森園は無言で、中プレート2枚を手渡してきた。在庫の半分を奪われて不機嫌になっているのだ。しかし皆もうじき死ぬ。誰に嫌われようと構わない。不破勇太は悪びれる様子もなくそれを両手で受け取った。


(50個…限定チョイスだな。まだ受け取ってない1年生で、見た感じなるべく明るい未来が待っていそうな生徒たち50人に1つずつ配ろう)


 不破勇太は笑った。これを配り終えたら吉岡莉那を呼びにいこう。有働に気づかれるとやっかいだろうから、誰か他の生徒に呼んでもらい、自分は屋上に待機してればいい…。


 ブレザーの右ポケットにバタフライナイフが閉じた状態で収まってる。吉岡莉那をナイフで脅し、陵辱したのちに生きたまま解剖してやろう。


 想像してみた。


「やめて」


 スカートをめくられ、下着を剥ぎ取られ、陵辱後、乳房や性器を丸出しの状態で命乞いをしながら、腹部にナイフを突き立てられる吉岡莉那―。


 飛び散る鮮血。微弱な鼓動とともに艶やかなピンク色の臓物が蠢きながら顕になる。切り口にもあれを挿入してみたい。不破勇太は笑みを浮かべていた。股間が盛り上がっていた。だが学園祭真っ只中、昼時の喧騒の中でそれに気づく者はいなかった。


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 3年A組からE組までを練り歩き厳選した。


 1年A組―ビデオ鑑賞会のブースから、暗室で観客の反応を眺めながら小声で映画の未来を語る生徒たちに、観客の分も合わせて毒入り饅頭20個をレジ袋に入れて渡した。去り際「好きな映画は何ですか?」と丸メガネのオタクっぽいA組の生徒に訊かれた。かつて父が好きで見せられた映画のタイトルを思い出し「タクシードライバーです」と答えたら仲間だと思われたのか握手を求められた。「あと10分で映画は終わるから、その時に皆で食べます。ありがとう」とオタク生徒は言った。


 1年B組―女子たちが相沢隆文の顔が大きくプリントされたTシャツを販売していた。誰も見向きもせず売れ残ったTシャツをぼんやり眺める彼女たちに毒入り饅頭10個をレジ袋に入れて渡した。Tシャツの購入を勧められたが丁寧に断った。「腐っちゃうので早めに食べてください」そう言おうとして振り返ったら、もうすでに女生徒立ちは、毒入り饅頭を口に運んでいた。


 1年C組―素通りした。店頭で中年男性に饅頭を販売している森園を見た。そしてその後「饅頭売り切れ」と書かれたポップをテーブルに出していた。


 1年D組―E組の対抗馬か、洋菓子屋だった。クッキーを笑顔で販売する可愛らしい女生徒たちに毒入り饅頭10個をレジ袋に入れて渡した。お礼にクッキー1袋をもらった。彼女たちは、饅頭の味に興味津々と言った表情で「あと少しで一段落するから、その時に食べるね」と言っていた。


 1年E組―和菓子屋の前を出入りした爽やかな男子生徒に「吉岡さんを呼んでください。不破です」と言い、毒入り饅頭10個をレジ袋に入れて渡した。律儀そうな彼ならすぐに饅頭を配るだろう。


 50個の饅頭をすべて配り終えた―。「待ってて」とその生徒は言ったが、その足で屋上へ向かった。


 おそらく数分もしないうちに、吉岡莉那はやってくるだろう。ブレザーの右ポケットにあったバタフライナイフをズボンの右ポケットに移して握り締めた。


「やってやる、やってやる。切り刻んであげるからね。ふふふ」


 思わず声に出ていたが、誰一人それに気づく者はいなかった。


-------------------------


 解放された屋上―。天を見上げる。


 青いペンキで塗りつぶしたような空に、ところどころ千切ったように巻雲が浮かんでいる。何の変哲もない空だったが、不破勇太には、ひどく美しいものに見えた。


 屋上ドア内側に直立していると、時折、頬を冷たい風がなぞるが、不破勇太の気分は高揚していた。


(今日、僕は主役になる―。伝説になる)


 いつかの誕生日に父が買ってくれたSEIKOの腕時計に目を落とした。時計の針は午後1時16分を指している。


 吉岡莉那を呼んで5分が経過した―。


(あと1~2時間で吉岡莉那を含む最初の犠牲者が死ぬ。吉岡莉那がやってきたら、屋上の鍵をかけて、彼女が死ぬまで時間いっぱいまでいたぶろう)


 ドアノブが回転する。小さな手がノブをゆっくり押すのが見えた。不破勇太は黒縁メガネのズレをなおし、深呼吸しながら体勢を整えた。


「あれ、不破くんどこ?」


 ドアの鍵を閉める。振り返った吉岡莉那に飛びかかり、馬乗りになった。鼓動が心臓をぶち破りそうだった。頭が酸欠になりそうなほど興奮していた。


 怯え引き攣る吉岡莉那。


「なにこれ」


 吉岡莉那の口を左手で塞ぎ、その目の前で、不破勇太はバタフライナイフの左右のグリップを開き、刃をむき出しにして見せた。


「いい事教えてあげる。今日、みんな死ぬんだよ」


-------------------------


 屋上で、数分が経過した―。


 吉岡莉那は、不破勇太の左手で口を塞がれながら目に涙を溜めていた。校庭でブースの宣伝をする生徒たちの声が響く。一般客の話し声。子供たちの笑い声。


 しかし、吉岡莉那の声は誰にも届かない。


「今日、配った饅頭はウクカトキシンという猛毒を混ぜたお饅頭なんだ」


 不破勇太は、バタフライナイフの刃先で吉岡莉那のシャツのボタンを1つ弾いた。


「うちの母はそれを食べて今朝、ちゃんと死んだよ」


 刃先が2つ目のボタンを弾く。


「あと数時間後には、生徒、一般客も含めて500人が死ぬ。君も、有働くんもね―」


 3つ目のボタンが弾け飛ぶ。吉岡莉那の涙が不破勇太の左手を濡らす。


「叫んだら、殺す。いいな?」


 頷く吉岡莉那。抵抗したいが恐怖で体が動かないのだろう。不破勇太はされるがままの少女から左手を離した。


「泣かないでいいんだよ。人はいつか死ぬ。君の魂は僕の罪の一部になるのさ」


 不破勇太は自分の左手についた少女の涙を音を立てて舐めた。股間が硬くなる。馬乗りにされた状態で股間の突起に吉岡莉那が気づき、咽び泣きはじめた。


「泣くな」


 吉岡莉那を平手打ちする。泣き声は止まったが、涙の雫は次から次に溢れ出していた。


「吉岡さん、おっぱいを吸われたことある?」


 不破勇太は、ボタンを3つ失ったシャツに手をかけ、めくった。ピンク色のブラが2つの膨らみを包み込んでいる。


「吉岡さんが処女かどうかは知らないけど、もうすぐ分かっちゃうね」


 不破勇太の左手が吉岡莉那のブラを剥ぎ取ろうとしたその瞬間だった。


誰かが、屋上のドアノブを回した。鍵がかかってると気づいたのか強引に何度も、何度も回していた。


 何か目的があって屋上までやってこようとした人間だろう。諦めて帰るのを待つか、ドアを開けて殺害してやろうか―。


 吉岡莉那は泣いていた。混乱してるため、ドアノブを開けようとする来訪者に気づいていなかった。


「泣くな」


 吉岡莉那は、ナイフの刃先を喉元に突きつけられ、声を殺しながら泣いていた。ドアノブはその後も何度か回転したが、やがて屋上が開かないと諦めたのだろう、ピタリと止まった。


-------------------------


 諦めたとは言え、ここへやってこようとした人物は鍵をもつ誰かに頼み込んで屋上を開けてもらうかもしれない。


「あと3、4分ってところか」


 不破勇太は馬乗りになっていた吉岡莉那から立ち上がり、彼女のスカートの中へ手を突っ込んだ。吉岡莉那は小さく悲鳴をあげて、足を固く閉じた。パンティを脱がすのが困難だった。


「足を開け。今すぐ殺されたいのか」


 犯しながら、おっぱいを吸いつつ、ナイフを突き刺して、殺す。全ての事を同時にやらなければ、数分後の来訪者たちにお楽しみを止められてしまう。そう思ったのだった。


 吉岡莉那は泣いていた―。泣いていた。泣いていた。陵辱される恐怖からか、殺される恐怖からか、あるいはその両方からか、泣いていた。


「足を開け!」


 不破勇太がそう言った瞬間だった。


 空から何かが降ってきて、不破勇太の後頭部に落下した。後ろを振り返る、この屋上には誰もいないはずだった。落下したものに目を落とす。


 それは、砕けた饅頭だった。自分が作った毒入り饅頭の1つだった。


 やがて、2つ目、3つ目の饅頭が降ってきた。今度は不破勇太には当たらず、関係ない方向へ落下した。


「おい。犯罪者。気分はどうだ」


 声がした。どこからか、声がした。辺りを見渡す。誰もいなかった。吉岡莉那に視線を落とす。泣いていた、泣いていたが、その目は希望の光を湛えていた。


「有働くん」


 前方を見上げた。鬼の形相の有働が立っていた。有働は薄笑いを浮かべたまま、右足を宙に浮かせる。不破勇太は顔面に蹴りを食らい、後方へ吹っ飛んだ。


「有働くん!」


 吉岡莉那の叫び声が聞こえた。叫びながら、泣いていた。彼女は泣いていた。


(死にぞこないのくせに)


 不破勇太の薄暗い心に焔のような殺意が滲み出る。


「殺してやる。殺してやる」


(毒が回って死ぬ前に、お前ら二人、切り刻んでやる)


 不破勇太はバタフライナイフを握り締め、立ち上がった。


-------------------------


 右手に掴んだナイフを振り回す。振り回す、振り、回す―。


 旋回する刃先、有働は軽やかにすべての攻撃を避けていた。


 それでもなお、不破勇太は憎しみを込めて、ナイフを振り回す。振り回す、振り、回す―。刺され、刺され、刺され―。死ね、死ね、死んでしまえ―。


 脳裏に光景が浮かび上がる。刺された有働。バラバラに解剖された吉岡莉那。血に染まり笑う自分―。


 間違いない―。さきほどドアノブを回したのは、有働だ。


 有働は、どういうわけか呼び出された吉岡莉那を心配してやってきた。そして、ドアに鍵がかかっている事に気づき、恐らくは、校舎の外に取り付けられた雑排水管でも伝ってきたのだろう。こうして屋上までよじ登ってきたのだ。


 つまりここで有働を殺せば、次に、気まぐれな誰かが屋上へやって来るまでの間、誰にも邪魔されず、数時間に渡って吉岡莉那を陵辱し、味わい尽くし、生きたまま泣き叫ぶ彼女を切り刻むことができる。


(死ね。死ね。死ね。死ね―)


 心の中で唱えた。


「死ね。死ね。死ね。死ね―!!!!!!!!」


 気がつけば叫んでいた。


 有働に向けて右手のナイフを繰り出す、繰り出す、突き出す、突き刺す。有働は避ける、有働は笑う。笑っていた。なぜ、笑う?なぜ笑っていられる―?ナイフが刺されば死ぬんだぞ―なぜ笑っていられる。


(そうか―お前も興奮してるんだな)


 刃先が有働のブレザーを掠めた。鮮血が飛び散る。だが有働は笑っていた。


(お前も僕と同じ人種だ。有働)


 次の刃先は旋回するだけだった。有働には当たらない。


(いつか権堂先輩にやったように、僕をボコボコにしたいんだろ?大義名分のもとで、悪人である僕をボコボコにしたいんだろ―)


 刃先を無数に繰り出す。不破勇太に息切れが始まる。でも手を休めない。


(くそ。これなら基礎体力を養っておけばよかった)


「いいから刺せよ」


 有働は言った。有働は笑っていた。


「刺してやるよ」


 不破勇太は言った。不破勇太も笑っていた。


 吉岡莉那―。屋上の隅でへたりこんでいた。シャツは閉じられている。有働を心配そうに見ている。泣いていた。あの涙は自分を助けに来てくれた有働への感謝の涙に違いない。


(白馬の王子様になんかしてやらないぞ―吉岡莉那は僕のものだ―僕が奪うんだ―)


 両手でバタフライナイフを握った。全体重をかけ突進する。憎しみを込めた一撃。


 刺さった!


 ナイフは、不破勇太から見て右側。有働の左わき腹に刺さっていた。滴る鮮血…。


(もう少し真ん中を狙えば良かった。もう1度刺そう―)


 ナイフを引き抜く。引き抜こうとする。しかし有働は、ナイフを握り締めた不破勇太の両手を掴んだ。


「よく刺した。偉いぞ」


 有働は、不破勇太を褒めた。出来の悪い教え子が問題を一つやっと解けた時に教師がかける言葉のように、温かく、にこやかに、有働は不破勇太を褒めた。


-------------------------


 刺さった。だがナイフが抜けない。有働は笑っている。血溜まりができていた。


(抜けろ、抜けろ―もう1回、刺すんだ―抜けろ!!!)


 身体を揺さぶるが、有働の左わき腹から生えたバタフライナイフの柄は抜けなかった。


「内木!警察呼んでくれ!先生方を呼ぶんじゃダメだぞ。110番だ」


 有働が誰かに叫んだ。ここまでよじ登った後、こっそり有働が開錠したのだろう。屋上のドアは開け放たれ、そこに太った生徒が立ち尽くしていた。このずんぐりとした体型―どこかで見たシルエットだった。だが思い出せない。


 生徒がスマホを操作する。警察を呼ぶ。


「残念だったな。不破」


 有働は笑っていた。多少、顔は青ざめているが笑顔だった。


「お前が刺した場所、わき腹の皮と脂肪だ。内臓には達してない。とは言え、痛いけどよ」


「僕に、わざと刺されたのか…?」


 有働は脂汗をかきながら、それでも笑っていた。


「警察が駆けつければ、これで殺人未遂の現行犯逮捕だ。猶予を与えず、今すぐお前のような人間をこの学校から追い出すにはこれしかなかった」


「僕を追い出す?何のために」


「この学校をお前から守るためだ」


(何を言ってる。笑わせるな…有働、お前は何も守れちゃいない。現に500個の毒入り饅頭は配られた。あと1時間もすれば死者が出るんだ)


 不破は言葉を呑み込んだ。毒が効き始めるまで、すべてが終わるまで。有働、お前は何も知らないまま過ごすがいい。と言っても何がなんだか分からないまま死ぬ事になるだろうが。不破勇太は笑った。すると、なぜだろう、有働も笑っていた。


「何がおかしい」


 有働。お前は勝ち誇った気分なのだろう。僕を警察に取り押さえさせればすべてが丸く収まるとでも思ってるのだろう。そんなんじゃないんだ、僕の罪は。君への殺人未遂と吉岡莉那への強姦未遂だけじゃないんだ。僕は大量虐殺の犯人なんだ。お前には分からないだろう。お前には想像もつかないだろう。僕は500人を殺した史上最強の殺人犯なんだぞ―。


「お前にとってはさらに残念な事だろうが、お前がやろうとしてた事も推測ではあったが、全部お見通しだ」


 有働は微かに震えていた。傷が痛む為か、失笑しているからなのかは、分からなかった。顔は青ざめている。血の気を失いつつも、有働は不破勇太を睨み据えていた。


「何のことだ」


 不破勇太は、わなわなと震える有働の紫色の唇の動きを見つめながら言った。


「何が入ってるかはしらないが、お前が頑張って作った饅頭500個は、昨日の夜に店主夫妻に作り直してもらった」


「なに」


 不破勇太は動揺した。何を言ってるんだ、こいつは。


(そんなはずはない。そんなはずはなかった。そんなはずは…)


 心の声が口をついて漏れそうになる。そんなはずはない、と。きっと有働は先ほど、僕が吉岡莉那に聞かせた言葉を盗み聞きしていただけなんだ。そうに違いない。もう助からない事を知って、悔しくて、この期に及んで僕を動揺させようとしてるんだな。そうだろう?有働。


「お前、俺に生徒会長"不信任"の票を入れたよな。投票用紙の筆跡で分かった」


(だから何だよ。何が言いたい?それとこれで、どう関係がある?)


 言ってみろよ、有働。毒に侵され、ナイフが刺さったままのお前の負け惜しみを聞いてやろう。嘘だとは分かってるが、少しでも僕を動揺させることができたら褒めてやるよ。お前の思いついた負け惜しみを言ってみろ。不破勇太はそう思いながらも、有働の言葉の続きを待った。


「俺は、俺のことを良く思っていない不破勇太という生徒に興味が湧いた。そしてお前の過去を調べた。猫を絞め殺そうとして私立中学を追い出されたとか、自分から辞めたとか…それで、最近、猫の毒殺事件があっただろ?」


 背筋を寒いものが走る。話が少しだけ真実味を帯びてきた―。そこが結びつく事に論理破綻はなかった。不破勇太は顔をしかめた。


 だが、それが何だと言うんだ。僕の過去と、猫の毒殺事件が繋がったとしても、学園祭で毒入り饅頭を配る計画まで予測できるだろうか?さきほど自分が吉岡莉那に言った言葉を聞いて、悔し紛れに饅頭を作り直したと言ってるに違いない。やはり、はったりだ。


「そんなハッタリに僕が引っかかるか。お前も吉岡さんも毒入り饅頭を食べたんだ!みんな死ぬ!500人が死ぬんだ!」


「その言葉は自白と捉えていいな?ハッタリじゃない。お前を調べてるうちに、お前が和菓子の仁源堂でアルバイトを始めたこと、学園祭で饅頭をつくるんだと店主らに言っていた事、そこにいる内木が店主から全て聞いたんだ」


 内木という生徒が警察を呼び終え、スマホを握り締めたままこちらを見ていた。


 やはりどこかで見たことがある。


 そうだ。いつか仁源堂からの帰りに六道坂を下りる途中で殷画学園のブレザーを着た生徒とすれ違ったが、かなり太っていたのは覚えてる。内木は、あの時の生徒だ。内木はあの時、仁源堂に向かい、僕のことを店主から聞いたに違いない。


「くそ」


 有働の汗の雫が垂れ落ちる。息が荒い。急所をずれたとは言え、なるほど、ナイフを引き抜けば大量に出血する。警察が来るまでずっとこのままでいるつもりらしい。


「どうやら、ハッタリじゃないのが理解できたか。俺だってお前が饅頭に毒物を混入させたという確信が100%あったわけじゃない…だが、周囲から聞く限り、催し物に積極的に参加するタイプじゃないお前の今回の行動には、何かウラがあると踏んだ。嫌な予感がしたんだ。そこで昨日の深夜、お前が帰宅した数十分後、代理で来たお前と同じクラスの者だと言って、500個の饅頭に不手際があったと言い…回収させてください、と店主に頼んだ」


「でも、もしそうなら朝の時点で言うだろう!そんな話、店主から聞いてないぞ!」


「ベタだが、砂糖と塩を間違えたという事にしておいた。食べて確認しようとする店主に、しょっぱいから絶対に食べないでくださいと念を押した。不破は相当ショックを受けてるようだから、明日はその事に触れないであげてくださいとも言った。フォローで言ったのか、マジ話かは知らないが、砂糖と塩を間違えるなんてよくある事らしく、店主夫妻は信じて疑わなかったよ。ちなみに饅頭を作り直す時は、俺も…そこにいる内木って奴も手伝った。店主夫妻はいい人たちだな。お前に利用されてるとも知らず、お前の事を褒めてた。饅頭が完成したのは深夜2時。おかげで寝不足だ」


 ナイフから血が滴る。有働の顔はどんどん青ざめていった。どうしても敗北を受け入れられなかった不破勇太は、有働の言葉の真偽を見極めるため思考を巡らせた。


「マスターと奥様の分です。一生懸命に頑張ってつくったので味は保障します」


 今朝、店主の妻にそう言って饅頭を渡したが、確かに彼女は目を丸くしていた。「何を言ってるの?」という風に。


「それより不破くん、ウチのに饅頭を渡したのかい?なんでまた?」


 あの時、店主は軽トラックを運転しながら言っていた。自分たちが作り直した饅頭を渡されて、意味が分からずに困惑していたのだろう。


「おいしい!私のより上手!ウチの叔父さんと同じくらい上手」


「お前が作ったのか。まるでプロじゃないか」


 食べた者たちの感想。当たり前だった。プロが作った饅頭なのだから。有働の発言は裏打ちされた。やられた。やられてしまった。この有働と言う男は、自分が「信任しません」と書いた投票用紙から、すべてを手繰り寄せ、情報をかき集め、動向を探り、結果的に「大量虐殺計画」を阻止したのだ―。


(ふざけるな。ふざけるな。僕のものだぞ。僕のための500個の命、吉岡莉那なんだ―お前なんかに)


 涙と共に、怒りがこみ上げる。なんでこんな奴なんかに邪魔されるんだ。すべてを手に入れるはずだったのに。すべてを失わせるはずだったのに。くそ!くそ!不破勇太は唇を噛みしめた。


「本物の毒入り饅頭は、視聴覚室で鍵をかけて保管してある。あとで警察に押収されるだろう。容疑が固まれば余罪とともに再逮捕だ」


「うるさい!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」


 何度も、ナイフの柄に力を込めるが、不破勇太の両手を掴む有働の腕力はそれを許さなかった。


「死ね!死ね!死ね!死ね!」


 何度も叫んだ。涙が止まらない。叫び声はやがて、力なく呟き程度に変わっていった。


 今朝、毒殺した母親の遺体を確認した時ですら流れ出なかった涙腺が、今になって決壊した。自分が可哀想で、可哀想で堪らない。自己憐憫の涙だった。


「死ね。死ね。死ね」


 泣きながら呟いた。


 誰に対しての言葉か―。


 有働?吉岡莉那?それとも内木か。饅頭を作り直した「仁源堂」店主夫妻か。存命中の父か。殷賀高校の生徒たちか。近隣住民たちか。日本国民全員に対してか。世界中の人類に対してか。


 それとも、自分自身に対してか―。500の命と等価で死刑になる夢は潰えた。


 悲しい、哀しい、かなしい。悲しい―泣いた。泣いた、泣きじゃくった。大声で号泣した。慟哭した。泣いた。涙が溢れ出した。泣きまくった。やがて笑みがこぼれた。泣きながら笑った。笑いながら、不破勇太は有働に言った。


「有働くん。刺され損だったね」


 有働は青ざめたまま俯いている。反応はなかった。


 有働が流した血液は彼自身の影を赤黒く染めていた。気絶してるのか、死んでいるのか―。それでも不破勇太は有働に話しかけるのを止めなかった。


「有働くんが、わざわざ刺されなくても、僕は逮捕されてたよ。母親を殺したんだから」


 相変わらず無反応の有働。泣き叫ぶ吉岡莉那の声。続いて、屋上ドアで突っ立ったままの内木の狼狽も聞こえてきた。内木は、どもりながら有働の身を案じる言葉を、何度も何度も、繰り返していた。


 やがて、駆けつけた警察官たちの怒号が鼓膜を震わせた。


「そこを動くな。ナイフから手を離せ」


 不破勇太は警察官の1人に言われるがまま、素直にナイフから手を離した。


 泣きながら笑った。笑いながら泣いた。警察官に取り押さえられる。それでも泣き続けた。笑い続けた。有働は同時に駆けつけた救急隊員によってストレッチャーで運ばれていった。吉岡莉那の泣き叫ぶ声が聞こえた。自分のために泣いてほしかった。自分が泣かせたかった。絶望させたかった。しかし、今、泣きながら絶望してるのは自分だった。


 両手に、冷たい金属の感触があった。涙と鼻水で顔の感覚がおかしくなっていた。麻痺していた。笑ったまま天を眺めた。巻雲を散りばめた空は人工着色料のように青かった。ただ、それだけだった。


(殺したかった…殺したかった…殺したかった…殺したかった)


 不破勇太は天から目を逸らし俯くと、何度も何度も、心の中で呟き嗚咽した。

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