第37話 酒浸りの復讐者

 8月2日(日)

 14時00分――。


 有働は小喜田内市にある内木の部屋にいた。


 内木が、宜野湾市のバス爆発事故で他界し、もうすぐ一ヶ月。


「大事に運んでちょうだい。壊さないようにね」


 内木の母・京子は、息子の思い出の品々を東京にある自宅にそのままの形で置いておきたいらしく、中のものを壊さぬよう引越し業者らに何度も念を押して、作業を見守っている。


 あっという間に美少女アニメフィギュアやアイドルのポスターは撤去され、がらんどうな3LDKの部屋中に積み上げられた最後の段ボールが運ばれた。


 春日と久住は、形見分けとして美少女フィギュアを受け取ったあと、しんみりしたくないのか、頭をペコリと下げたあと早々にバイクで帰っていった。


 有働も帰ろうとしたが、京子に呼び止められ、現在、玄関先でぼうっとつっ立っている。


「あの子が生前、注文してたみたいなの…お誕生日より前になっちゃうけど、受け取ってあげて」


 業者に代金を支払い終えた京子から渡されたのは、赤い小さな包み袋だった。リボン型のシールには「Happy Birthday」と金の印字がされている。


「もらっていいんでしょうか…」


 亡き友人からの、二週間早い誕生日プレゼント。


「今まで母親らしいことなんて何もしてあげられなかった…私にできるのは、あの子に代わってこれを有働くんに渡してあげることくらいだから」


 有働は震える手で包み紙を広げた。


 日本製ブランドの腕時計だった。先月、臨海学校の水難救助訓練で「腕時計はほしいんだけど、買おうとすると、なかなか自分で選べなくてさ」と内木に言ったのを思い出し、有働は頬を緩める。


(そういえば…最後に見たとき、内木のやつバスでなにやらスマホをいじってたな。その時にこれを注文してたのか)


「もう行くわね」


 京子は涙ぐんだ声で有働の肩に右手を置いた。


「あの…」


 有働も声を詰まらせる。


「俺にとって一番の友達でした」


 なぜか、それ以上の言葉は出ない。


 言いたい事や思いがたくさんある時ほど、人は言葉を紡げないものだ。有働はもう二度と足を踏み入れることのない玄関先の天井を眺めた。


 涙で歪む視界――。


 画鋲跡が四つ穴になっている。かつてこの天井には、アイドルユニット「抹殺少女戦闘隊」のポスターが貼られていた。その周囲が微かにくすんでいるのは、春日らが玄関の換気扇前で煙草を吹かしていたためだ。


 内木は春日や久住らと和解したあと、ヤニで黄ばむ部屋を見て、いつも苦笑いしていた。


「あの子もそう思ってたわ…あの子の分も元気に、たくさん生きて」


 白のサマーセーターでは隠し切れないふくよかな体型。小皺が目立つものの、在りし日の内木そっくりの笑顔で京子は笑った。


 有働は頷くと一礼し、思い出深い部屋を後にした。


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 同日18時――。


 小喜田内市・市民センター武道場。


「お前と手合わせするのも久しぶりだな…ずいぶんと強くなった」


 有働の父、有働保は道衣の乱れを直しミネラルウォーターをごくりと飲み干す。


「父さん…」


 有働は汗一つかかず、合気道の技だけで父を三度畳に伏せさせた。


「行ってきなさい」


 父――、保は眼鏡をかけなおし言う。


「遠柴さんが一緒なら安心だ。アニメ会社の社会科見学に行ってきなさい…しかし、物騒な場所には行くなよ」


「分かってる」


「私が勝っていれば、行かせなかったんだがな」


 父は深い溜息を堪えたようにボソっと呟き、あとはなにも言わなかった。


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 8月4日(火)

 10時00分――。


 羽田を出発し、有働と遠柴は機上の人となっていた。


 人生初、オーダーメイドの黒スーツに身を包んだ有働は、左腕に嵌めた腕時計を一瞥する。


 北京まで四時間――。


「感謝します、遠柴さん」


 ファーストクラスの柔らかい座席に身を沈めると、有働は右隣の遠柴に目を向けた。


「未成年者の海外旅行。保護者が必要だろう…これが最後の恩返しだと思ってくれ」


 遠柴は薄く笑う。灰色の高級スーツにジュラルミンケース。誰もが彼を日本からきたビジネスマンだと信じて疑わないだろう。


「はい」


「もし君になにかあった時、ご家族への責任もとるつもりだ。思う存分、戦いなさい」


「僕は命を投げ出すつもりはありません。生きて帰ってこその復讐ですから」


 遠柴は深く頷く。


「いい心がけだな。北京で米大使館の連中が迎えてくれる。夜は長くなりそうだ。今のうちに寝ておくといい」


 通路を歩きながら化粧の濃いCAが会釈してきたがそれを無視し、有働はスマホのアラームをセットした。

 エミからのメッセージ着信は百八件。既読せず削除し、目を瞑る。


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 同日18時――。


 北京市にある在中米大使館の応接室に有働と遠柴は通された。歴代大使の肖像が金縁に飾られてるのをみて有働は殷賀高校の校長室を思い出す。


 熱いコーヒーが湯気を立てている。


 テーブルを挟み、有働の前には五十代半ばの肩幅の広い男――、米大使テレンス・オルコットが書類に目を通しながら老眼鏡のズレを直していた。


「話は大統領から聞いている。本来なら…国家機密レベルの案件に、一般人を…よりによって日本から来た未成年者である君を巻き込むなどあってはならない…しかし君を今回の作戦に参加させねば、我が国の国益に反するとホワイトハウスは判断した。君は脅しのプロらしいじゃないか」


 わざとらしい咳払い。

 オルコット米大使は、有働が所持するオブライアンの痴態を収めた動画を苦々しく思っているに違いない。


「お手数かけます」


 有働の会釈を無視してオルコット米大使は書類を何度もめくり直す。


 彼の左隣、ちょうど遠柴の前には中華系米国人男性――、セバスチャン・リーが座っていた。米中央情報局――CIAに所属するセバスチャンは、中国内で共産党や人民解放軍の情報をかき集め米国に報告するのが任務だという。


 セバスチャンはアジア人特有の平たい顔に薄毛が目立つ中年男だった。くたくたのポロシャツにジーンズ姿という、米大使館内にそぐわない服装。

 言ってしまえば風采の上がらない中年男風の身なり。労働者階級の中国人誰もが彼を同朋だと思うだろう。


 しかし彼が生粋の米国人であることは、流暢な英語によって証明された。


「友人の復讐が目的らしいね。実に感動的だ…でも言っておくが命の保障はできないよ。この国において君の身に何かあった場合、米合衆国は一切の否定をするからね」


 セバスチャン・リーは冷淡な口調で有働に言い放つ。オルコット米大使もその言葉に同調するように有働と遠柴を青い瞳で睨みすえる。


「もちろんです」


 有働は申し訳無さそうに頭を垂れるが、一刻も早く、内木を殺害した男――チェルシースマイルに接近し思うが侭に嬲り殺ししてやりたい、という憎悪が瞳の中でチリチリと揺らめいている。


(内木が生きられなかった今日を、明日をあの男に与えるつもりはない…ぶっ殺してやる…ヤツに近づく前、刃物はどこで手に入れようか。それを使って何をしてやろうか…そのためにここまで来たんだ)


 薄笑いが頬に張り付くのを有働は必死に堪えた。


「それにしても…」


 オルコット米大使が書類をデスクに叩きつけるように放り出す。


「オブライアン大統領から聞いている。この計画を発案したのは君だそうだが、荒唐無稽極まりない…」


 そして右手人差し指を、放り投げた書類に突きつけ深い溜息をついた。


「他に方法がありますか」


「CIAに属する私の考えとしては、当任務の成功率は三十パーセント以下だね」


 言葉に詰まっていたオルコット米大使を押しのけ、CIAに属するセバスチャン・リーが答えた。


「それだけあれば充分です」


 有働の返答にセバスチャン・リーは鼻を鳴らす。


「すごい自信だね。君のご注文どおり、合計・三百五十本のダイナマイト…そして、米国内における愛人村の捜索が完了しているよ。有働くん…君は日本で二つの大きな事件に関わってきたようだが、今回も成功するかな?」


 すべて調査済みと見えて、セバスチャン・リーは白い歯を見せた。


「やるしかないでしょう。クライシスアクターの準備はいかがでしょうか」


「反共産主義者一万人を、どうにか中国内から集めたよ」


 隣で驚愕の表情を浮かべるオルコット米大使をよそに、セバスチャン・リーは誇らしげに言い放つ。


 CIAとはそこまでの根回しまでできるのか、と遠柴が深い息を吐く。だが、何十年とこの国でスパイ活動をしているならば、それくらいできて当然だろという風に有働は軽く頷くだけだった。


「充分です」


 有働の、にべもない反応。


「失敗すれば多くの中国人の血が流れる…そして君の母国、日本にもその余波が必ず来るぞ」


 オルコット米大使が、苦々しく言い放った。


「先ほども言いましたが、あなた方が他に納得できる代案を提示してくださるなら、僕はそれに乗りますよ」


 有働は答えを待った。沈黙の時間が数秒、あるいは十数秒と続く。


「時間がない。"彼"がすでに別室で待機中だ」


 腕時計に目を落としたオルコット米大使に促され、一同は腰をあげる。四人の中で有働だけがコーヒーに一切、手をつけていなかった。


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 在中米大使館のゲストルームにいたのは、人民解放軍・北京軍区司令員――、除暁明上将だった。


 加齢のせいか頭髪は後退し、黒縁眼鏡の度が強いため目は落ち窪んで見える。セバスチャン・リーに負けず劣らず風采の上がらないアジア男性の顔つきだが、唯一、彼の姿勢に有働は注目した。


 テーブルには米大使館ゲストルームに据え置かれたであろう空のワインボトルが幾つか並べられ赤ら顔であるものの、背筋はぴんと伸びていて、隙が一切ない。また、なにがしかの武道の心得があるのか、ブルーのワイシャツの下には細身ながらも筋肉が盛り上がっているのが分かる。有働がもし彼に飛びかかったとしても、彼なりに俊敏に対処できることは容易に想像できた。


 これが軍人か、と有働は感嘆する。地元の不良連中とは異なる獰猛さにあてられ知らぬうちにごくりと唾を飲み込む。除暁明のほうも日本の高校生、有働努をみて、一瞬その幼さに動揺したようだが、オルコット米大使から話は聞いているらしく、それ以上無粋な視線を向けてはこなかった。


 有働、遠柴、オルコット米大使、セバスチャン・リーCIA諜報員の計四名がそれぞれ除暁明と握手を交わしたのち、長テーブルで彼に向き合う形で席に着く。


「正直、貴方たちがこの私に声をかけてきたとき、冷や汗が出ました…」


 除暁明はやや高めの声で英語を紡いだ。普段から英語圏の人物と会話し慣れているのか、やや訛りはあるものの正しい言葉選び。


「…党でさえ辿り着けていないであろう、この私の秘密がどこから漏れたのかと」


 六本目のワインコルクを抜く彼を制止する者は誰もいない。オルコット米大使だけが指で鼻をこする仕草で何か言いかけただけだった。


「今回の計画にあたり協力者を探していた我々は…文化大革命の大虐殺を生き延び、米国へ亡命し、いつか祖国への復讐を考える男がいるという情報をつかみ、ウラをとりました」


 CIA諜報員セバスチャン・リーが流暢な英語で話しかける。


「それが、私の叔父上か」


 除暁明は天を仰ぐようにして言った。


「ええ。カリフォルニア州知事の協力を得て、米国のチャイナタウンをだいぶ駆け回りましたよ。ホワイトカラーの白人が昼間から大勢で押し寄せ、現地の中国人の方々は、ただ事じゃないと騒いでいたようですが…」


 セバスチャン・リーはオルコット米大使を横目で見ながら顛末を話し出す。除暁明は相変わらず天井を見つめたままだった。


「…結果、この貴方の叔父様…貴方の亡きお父上の弟に当たる方に行き着き、彼が全てを語ってくれた。自分はもう動けないが、甥っ子がやってくれる、と。涙を流しながら仰ってました。我々としても、貴方のような存在がいることに歓喜しましたよ」


 言い終えるとセバスチャン・リーは口を噤む。四人の男が除暁明の表情や言動に注目し、数秒の沈黙が流れる。


「なるほど。これは利用できるぞと手を打って喜びましたか」


 除暁明はさらっと皮肉を言う。


「そんな言い方なさらずとも。私たち米国がほしいのは、信頼できる仲間なのです。北京軍区ナンバーワンの実力者でありながら、チェルシースマイルに遺恨がある貴方と我々は、利害が完全に一致している」


 オルコット米大使は、生粋の米国人らしく演技がかった口調で言葉を返した。


「周遠源とチェルシースマイルの野望…プロジェクト・イブの阻止の為には…この私を利用してやれと」


「米国(われわれ)も本気なのです。ご理解ください」


 皮肉の応酬に遠柴がそっと溜息を押し殺す。有働も同様の気持ちだった。彼の気持ち一つで今回の計画は明暗を分ける。


「私のほうも言い過ぎました…ここ最近、酒浸りで口が悪くなってしまったようで、ご容赦ください」


 不安をよそに除暁明は穏やかな表情でワイングラスに朱色の液体を満たし始めた。四人の男たちは、彼がグラスを傾けるものだと思いそれを待った。


 だが除暁明はグラスに口をつけることなく、有働らに向き合った。


「復讐のためといえ、別戸籍を取得し、軍に潜り込み…この地位まで昇りつめるのに、どれだけの労力と金がかかったと思いますか。血の滲むような訓練だけじゃ司令員まで出世できない」


 人民解放軍は入党、昇級に際し必ず賄賂が必要である。目指す地位が高ければ高いほど、軍区司令員であれば、数千万元(数億円)は渡す必要が生じ「銃を扱う才能よりも金を捻出する才能があれば司令員になれる」と軍人同士が冷ややかな冗談を言い合うほど、人民解放軍における賄賂の悪循環は出世と密接な関わりがあるため断ち切りがたい腐敗要素となっている。


 人民解放軍北京軍区のトップにまで昇進した除暁明が、あらゆる手を尽くし、どれだけの不正と賄賂に手を染めたのか――。有働は想像するだけで気が遠くなりそうだった。


「お察しします」


 セバスチャン・リーが軽く頷く。


「おためごかしは止めてください。苦労したとはいえ自分の姿は心得ています。失うものと得るものを天秤にかけ…今ではすっかり牙を抜かれた復讐者だと嗤ってください」


「あなたの父母は、文化大革命で紅衛兵…チェルシースマイルこと――劉水に命を奪われた」


 自嘲気味な除暁明に対し、オルコット米大使は同調するように言う。


「仰るとおり。最近、貴方たちが現れてからというもの…夜な夜な、数十年ぶりにあの日の出来事を夢で見る」


 除暁明は、眼鏡の奥で落ち窪んだ目をテーブルに向けワイングラスをくるくると回すが、やはり口をつけることはなかった。


「部屋中血まみれの…時間をかけた惨殺だったそうですね。チャイナタウンの片隅で、貴方の叔父様が兄夫婦の死について悔しそうに仰っていましたよ」


「当時四歳だった私は、クローゼットの中で一部始終を見ていた…」


「聞いています」


 オルコット米大使が深く頷く。


「…父は頭を割られながらも、犯しながら母に手をかけようとする劉の左頬に、肉切り包丁を切りつけた…」


「チェルシースマイルの左頬の大きな傷は、その時のものらしいですね」


 オルコット米大使は、左人差し指を自らの左頬に当てる仕草をした。


「…母方の親戚に引き取られた私は、北京大学で政治を学び卒業後、両親の仇であるチェルシースマイルに復讐すべく、文化大革命で遺恨を持つ元・資産家たちの協力を得ようと、水面下で接触しました。結果、米国人となった叔父が、それを聞きつけ多額の資金の申し出をしてきた…」


 除暁明は言葉を詰まらせる。


「叔父様は貴方を誇りだと仰っていました。約二十年ぶりに連絡が来てどんなお気持ちでしたか」


 オルコット米大使が、彼の気持ちを汲み取るような優しい口調で語りかけた。


「さすがに…顔さえ覚えていない叔父からの連絡には驚きました。資産家だった父方の一族は紅衛兵に皆殺しにされたものとばかり思っていましたから…」


 除暁明は天井を仰ぎ、言葉を続けた。


「…先ほども言いましたが、叔父の協力で戸籍を変えた私は別人として軍部に潜り込み、ここまでの地位を得ることができた。いつか地位をもって、あの男に、いつか辛酸を舐めさせる為に…」


「結果、どうでしたか」


「あの男…チェルシースマイルの恐ろしさは、党幹部や軍上層部、裏社会とも繋がっている恐るべき人物であると風の噂で聞いていましたので、最初の何年かは復讐を躊躇いました。そして五年が経過し…私は党の上司の縁談を受け、子を儲け…順調に出世していった…」


 除暁明の言葉は歯切れが悪い。


「お察しします。人としての幸せを得た貴方は…」


 オルコット米大使に水を向けられた除暁明は手を震わせ、言葉を呑み込む。そしてワイングラスをテーブルに置き、有働らに向き合った。


「正直言いましょう。復讐心と言うのは薄れてゆくものです。大きな幸せを得ればなおさら。別人として第二の人生を歩み始めた私は、いつか…いつの日か、と自分に言い聞かせつつも、ぬるま湯に漬かりながら過去を忘れようとしていた」


「引き返しますか」


「妻と娘は、貴方のおかげで秘かに米国籍を取得し、あちらで不自由のない暮らしをさせてもらっている。もう失うものがない今…」


 オルコット米大使は辛抱強く、除暁明の言葉を待った。


「…父と母の敵を討つ。周遠源、チェルシースマイルの研究を、国際社会で公にし…奴らをなんとしてでも死刑台に送ってやる」


 除暁明のいうように、彼らを計画にのっとり国家の逆賊として立件できれば、司法によってチェルシースマイルの命を奪うこともできる。


(死刑なんかにさせるか…俺が殺すんだよ、チェルシースマイルをよ…)


 有働は内心そう思うものの「友人の仇であるチェルシースマイルが、拘束、逮捕される瞬間を見に来た高校生」を表向き演じているため、何もいわなかった。


「くそったれが!死刑になれ!」


 除暁明は、自らを鼓舞(こぶ)するようにテーブルに右拳を強く叩きつけた。ワイングラスが一瞬数センチ浮いたが零れることはなかった。


「お覚悟は伝わりました。感謝します」


「このまま死んでいたら、私は自分自身を許すことができなかったでしょう。感謝するのはこちらの方です。本来の自分に戻れた。ようやく父母の墓前に手を合わせられる」


 四人の男たちは顔を見合わせ頷いた。


「では計画について話し合いましょうか。実行に移すのは、明日行われるホワイトハウスでの米・中・韓の会談で思うような結果を出せなかった場合に限ります」


 CIA諜報員セバスチャン・リーが、テーブルに書類ファイルを幾重にも積み上げる。


「思うような結果が出せなかった場合…、共産党幹部と軍幹部らが集まる人民大会堂・大会議場に、五十個の爆発物…ダイナマイトにして三百五十本分の爆弾をスマホで遠隔操作できるよう細工し仕掛けます。そして…そこに集まった彼らの前で、除暁明上将…貴方にクーデターを起こしていただくことになる」


 オルコット米大使の言葉に、除暁明が微かに震えながら頷く。


 男たちは夜通し「計画」について話し合った。


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 8月5日(水)

 10時00分――。


 米合衆国大統領官邸(ホワイトハウス)・迎賓室で、中華人民共和国国家主席――周遠源と、大韓民国大統領――ペク・ウニョンが、琥珀色した大理石の床の上、一糸纏わぬ姿で折り重なっていた。


 米・中・韓の首脳会議までまだ三時間ある。


 昼時になるまで中国と韓国で内密の打ち合わせがあると言ってあるためこの部屋を訪れる者は誰ひとりとしていない。監視カメラや盗聴器の類はマナーとして置かれていない迎賓室で、周遠源とペク・ウニョンは互いの友好関係を確認しあう必要があった。


「きっちりいやらしい音を立ててね…そう、いい子だ、ウニョン姫。数ヶ月ぶりに会ってだいぶ上達したじゃないか…ぼくの指示通りキムチ断ちをしたみたいだし。ヒリヒリせずいい感じだ」


 上になった周遠源の顔は、下で仰向けになったペク・ウニョンの股間の茂みに、ペク・ウニョンの顔は四つん這いになった周遠源の股間に生えた毒キノコを口に含んでいる。


 それは、まるで双方の尾を噛んで環となった古(いにしえ)の双龍――、ウロボロスを思わせる「シックスナインスタイル」――。

 永劫回帰、完全性は我らにあり、とばかりに両国首脳は貪婪に互いの生殖器を貪りあっていた。


 互いの舌使いに合わせて、唾液と分泌液の混じり合う粘着質な音が恥ずかしげもなく響き渡る。


「周ちゃん…いっちゃうよ」


 小刻みに痙攣を繰り返し始めたペク・ウニョンが、おしゃぶりを中断し言葉を発すると、小さな唇から夥しい唾液が溢れかえり、外気に放り出された周遠源の猛々しい毒キノコがちゅるん、と彼女の右頬へ滑り落ちた。


 その先端の鈴口からは先走りの雫が糸を引いてペク・ウニョンの頬をつたい床にゆっくりと零れ落ち、彼が興奮の最中であったことを如実に現していた。


「こら!もっとしゃぶってろ!先駆けはダメだぞ!」


 ペク・ウニョンの黒い茂みの割れ目から、顔を持ち上げた周遠源が怒号を飛ばす。周の口の周囲は愛液で濡れ光り、唾液と混じり合った雫が唇の端からつらりつらりと垂れている。


「周ちゃん…ごめんね」


 周遠源とペク・ウニョンは互いを「周ちゃん」「ウニョン姫」と呼び合うズブズブの関係にあるものの、多少の力関係は存在し、ペク・ウニョンはしゅんとした。


「きちんとぼくとタイミングを合わせなきゃ、ダメだろ!」


「周ちゃん…」


 周遠源は怒張した毒キノコを、ふんとペク・ウニョンの口にねじ込むと腰を上下に揺さぶり始めた。


「このまま、ウンチがしたいな…」


 ゴボ…ゴボゴボと苦しそうな音を立ててペク・ウニョンが慌てた表情になった。


「んぐっ?…」


「両手を飛行機のように垂直に広げ、ステルスお便器モードになってよ」


 周遠源は腰を浮かし、プスと放屁をした。菊の花弁をひくつかせながら直腸の動きに身を委ね、糞をひり出す準備に入ったのである。


「そ…それはもうやらない約束では」


 周遠源の毒キノコから口を離し、ペク・ウニョンが泣きそうな顔になった。


「異議申し立てできる立場なのかな?」


「それは」


 ペク・ウニョンは泣き出しそうな声で言葉を詰まらせる。周遠源は嗜虐的な笑みを浮かべながら、重たい尻を彼女の顔に深く埋めた。


「ぼくらの国には食糞文化がある…親しい間柄では当然のことだ」


 周遠源の言葉にウソはなかった。


 嘗糞(サンプン)――。


 それは상분ともいい、親族や親しい間柄に当たる人物の排泄物を舐めて、その味から相手の健康状態を診断する行為である。中国の南北朝時代や唐代、また朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われたともいわれ、儒教の観点からすると「相手を思いやる」最上級の行為にあたる。


「ウンチをごちそうしてあげるといってるんだ。安心していい。君のもあとで食べてあげるから」


「そんな」


 強引な周遠源。拒否反応を示すペク・ウニョンの言葉に呼応して周遠源の毒キノコが膨れ上がってゆく。


 上下関係がある以上、いくら彼女が拒否をしたところで最終的には強引に嘗糞をさせる――。ならばいっそのこと、嘗糞を受け入れるまでの間、いやがるそぶりのペク・ウニョンをいたぶり、涙を流してるところに思い切り糞をひり出そう――。というのが周遠源の本心なのだ。


「米国や日本がぼくらにケチをつけてくる今、大切なのは友好関係だと思わない?」


「でも…」


 ペク・ウニョンは幼女のように泣き出した。


「いいから、いいから。ほら、だすよ」


 プス、プスと屁をひり出す周遠源は醜悪な泥人形のような笑顔で、涙顔の淑女をいたぶり続ける。


「好きな人のしか食べたくない」


 泣きじゃくりながらペク・ウニョンは本音を漏らした。


「日本の新聞社を起訴してまでゴシップを隠し通した、あの愛人のことを言っているのか。君は自国民が大変だった間、彼と逢瀬を重ね、一本糞を美味そうに食べたのではないかね?」


 周遠源は鬼の形相でペク・ウニョンを叱った。どこかのつまらない男と自分を天秤にかけられ多少、傷つき、悲しい思いを胸に押し殺しながら怒りだけを前面に出した。


「彼は菜食主義者だから、くさくないの」


 沈黙。

 周遠源は巨漢だった。肥満体を維持するのにどれだけの肉料理を毎晩たいらげているか。それらが腸内で発酵しどれだけ悪臭放つ大便になるのか。


 生活習慣を揶揄され、周遠源は数秒間、言葉を失った。


「質問を変えよう。ぼくのことは好きじゃないのかね」


「…」


 ペク・ウニョンは言葉を紡げない。


「いいかい?ぼくのこの顔をよく見なさい」


「え?」


 周遠源は、ペク・ウニョンの顔に埋めていた尻を持ち上げ、シックスナインスタイルのまま、股の間からお互いの顔が見える体勢になった。


 上位ポジションの周遠源の顔は、逆さまの状態でうっ血し、鬼の形相に拍車がかかる。それを見たペク・ウニョンは少女のように怯え始めた。


「映画に出てくる悪役のように怖い顔だろう?ぼくがその気になれば、何をするか想像できるね」


「すいませんでした…なら、せめてお水を用意してほしいわ」


 ペク・ウニョンは諦めたかのようにゴクリと唾を飲み込み、口を大きく開けながら言った。


「何を言ってる」


 にべもない周遠源の言葉。


「…」


「そのための小便じゃないか。高級なステーキを高級ワインで流し込む贅沢を知らないのか。ちゃんとウンチしたあとオシッコも飲ませてあげるよ」


「周ちゃん…」


 ペク・ウニョンは宝石のような涙を頬に伝わせながら軽く頷く。周遠源も今度は菩薩のような優しい笑顔で微笑み返した。


「さぁ、オブライアン米合衆国大統領との会談が迫ってる。はやく口を開けてよ、可愛いウニョン姫…。最近ストレスで多少、下痢ぎみだから口を大きく開けてね」


 命じられるがまま両手を広げ「ステルスお便器モード」となったペク・ウニョンの口内は、ビリリリリリという情けない音とともに、周遠源の下痢便で満たされた。


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 同日13時00分――。


 米合衆国大統領官邸(ホワイトハウス)・特別会議室で怒号が飛んだ。


「ふざけるな!!!!」


 会議用の長テーブルで向き合った米合衆国大統領――エイブラハム・オブライアンは中・韓、両国首脳を睨んでいる。


「そう大声で怒らないで下さい…オブライアン大統領…ぼくの方でも調査をしましたが…そんな事実はありません。軍も共産党も潔白です」


 周遠源は表面上は困ったような顔を取り繕いながらも、一瞬ペク・ウニョンの方に目配せをした。


「韓国も中国も、不死の兵士の研究など一切しておりませんよ。ましてや梅島に不死の研究所などございませんわ」


 ペク・ウニョンは淑女の仮面を保ったまま、にこりと周遠源の言葉を補足する。


「軍部を焚きつけて、研究を主導しているのは君自身じゃないのか!」


「ぼくにそんな権限はないですよ。人民解放軍は一枚岩ではなく、軍部高官たちも政府にそこまで従順じゃない。それはあなたもご存知のはずだ」


 オブライアンの言葉に周遠源は右手をひらひらさせながら否定のポーズをとった。


「過去はそうだったかもしれない…だが、周国家主席…君は国内で軍部高官へ汚職摘発と言う名目の粛清を繰り返し、今や恐怖で七大軍区を掌握している。さらに劉水という男を使い、梅島から不死の研究を大陸に持ち帰らせた!軍は不死の研究を進めている。これは間違いない事実だ!」


 オブライアンは充血した目で、二人の東洋人を睨む。


「ただでさえ米国の情報源は怪しいものですからね。私の国が統治する島に土足で踏み込んで何を見たのかは知りませんが」


 ペク・ウニョンは上品に口元を隠しながら皮肉交じりに笑う。


「歴史の浅い、下品なカウボーイたちはドアをノックする礼儀すらも知らないんだろうね」


 周遠源が挑戦的な視線を、オブライアンに向けた。


「キサマ…」


「米合衆国大統領の任期終了まであと少し…あまり調子に乗らない方がいいよ。今までどおりでいいじゃないか」


 周遠源は立ち上がると、オブライアンの背後に回り肩を叩いた。


「どういう意味だ…」


 オブライアンは椅子に座ったまま、肩越しに周遠源を睨む。


「もう一度いうが…ぼくは君が言う不死の研究とやらには心当たりがないし、全面的に否定するよ。でもね…あれこれ難癖つけられながら米合衆国に纏わりつかれるのはジャマなんだよ…」


 周遠源はオブライアンの視線を受け止め、言葉を続けた。


「…だからね、オブライアン大統領。あなたはノーベル平和賞受賞者らしく今までのように当たり障りのない大統領でいればいい…ぼくらが数年前から南シナ海に埋め立てを始めても、現に君は口先だけでなにもしなかったじゃないか」


 数年前より中華人民共和国は、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)で、暗礁に埋め立てを始め、ファイアリー・クロス礁(永暑礁)に滑走路などを備えた軍事拠点ともなり得る人工島を建設しはじめた。


 当初、米合衆国は衛星上でその国際法に触れる行為を黙認し続けた。近年になってようやく重い腰をあげたものの、結果、東南アジアにおいての米合衆国の世界警察としての信頼は失墜、オブライアン大統領の弱腰外交は国内外で批判された。


 周遠源は、オブライアン大統領に「今までどおり腰抜けでいろ」と言いたいのだ。


「今や米合衆国と、ぼくたち中華人民共和国は切っても切れない関係にある…いいか、判断を誤るな。ぼくらは一心同体だ。今、あなたがすべきことは…中華人民共和国をどうにかすることじゃない…」


 周遠源はオブライアンの右耳たぶに息を吹きかけながら言葉を続ける。


「…より友人関係でいること。ただ一つ。そうすれば…あと何年かしたとき、世界二位の強国でいられるような、おいしい話をあげられるかもしれない…今は大人しくしてなさい!いいね!」


 言い終えると、パシンと力任せにオブライアンの右肩を叩き、豪快に笑った。この周遠源という男は、大胆な国内の浄化政策を断行する豪胆ぶり、巨体、そして悪人面も相まってそれなりの人物に見える。


「たしかに、有利なカードはそちらに多く配られているようだ…」


 数年後の世界征服者を前に、オブライアンはうな垂れたまま力なく言った。


「肩が震えているよ、オブライアン米合衆国大統領。あなたは兵を率いるより、兵を引き上げさせる方が似合ってる。身の丈に合った仕事だけを全うなさい。ノーベル平和賞はダテじゃないな…ははは」


 周遠源の笑い声に、ペク・ウニョンの嬌声が重なる。


「もうノーベル平和賞なら返還したさ」


 オブライアンは小声で呟き、有働努に「ゴーサイン」の連絡を入れる決意を固めた。

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