第52話 死亡に至る遊戯

 レナルド・トンプソン米合衆国大統領は、浅い眠りに落ちていた。

 まどろみの中で古い記憶が刺激される。


 澄み渡る青空――。

 じりじりと肌を焦がす太陽――。

 はしゃぐ子供たちの声――。


 トンプソンは夢の中で、自らの両手を見つめる。

 白く小さな幼い手がそこにあった。


 周囲を見渡すと巨大な貯蔵タンクがいくつも並んでいた。

 地平線を覆い尽くすほど広大な石油精製工場地帯は、すべて父であるチェスター・トンプソンのものである。


「レナルド!次はお前が鬼だぞ」


 はしゃぎまわる子供たちの肌は浅黒い。


 彼らはアンドリュー・ジャクソン大統領の時代に発令された「インディアン移住法」によりこの地に追いやられた先住民の子孫だった。


「おい、お前ら」


 口が開き、声が勝手に出始めた。


「カネをやるから、誰かボクの代わりに鬼をやってくれ」


 トンプソンがポケットから硬貨を一枚出すと、先住民の子供たちは次々に手を挙げる。


「恥知らずどもめ」


 そう隣で毒づいた少年は、トンプソンと同じ白人だった。


「どうやって鬼を決める」


 ハイド・アンド・シークには鬼が不可欠である。

 子供たちは互いの顔を見ながら困惑していた。


「おまえら、殴り合いをしろ。最後に勝ったやつを鬼にしてやる」


 トンプソンは言い、ほどなくして子供たちは殴り合いを始めた。


「懐かしいなぁ…」


 血を流しながら暴力に没頭する子供たちを眺めながら、少年時代に還ったトンプソンは笑う。

 他人をコントロールする行為はハイド・アンド・シークなんかよりもずっと楽しかった。


「背の高い奴は真っ先に囲まれる。そいつが倒れれば残った奴らが殴り合う。勉強になるな」


 子供たちの争いを観察しながらトンプソンは腹を抱えながら笑い転げる。


「やりすぎじゃないのか?」


 隣にいた白人少年が凍り付いていることに気づいた。


「文句あるのか」


 先ほどまで先住民の子供たちに侮蔑の視線を投げかけていたの少年が、自分を非難していることに気づき、トンプソンは気分を悪くした。


「い、いや…」


 少年は何か言いたそうにしたが口を噤む。

 彼の父親もまた、トンプソンの父親の石油精製工場で責任者として働いているため意見を言えずにいるのだ。


「おい、レナルド…勝ったぞ」


 血塗れの少年が息を切らせてそこに立っていた。ほかの子供たちはみな折り重なるようにして倒れている。


「このカネ全部やる。お前はこの半分を、残り半分は倒れてる奴ら全員で分けろ」


 血塗れの少年は目を見開いた。


「そのかわり、大人には言うな。明日以降もボクと遊べ」


 血塗れの少年は頷き、気絶した仲間たちの元へと駆け寄る。トンプソンはこう呟いた。


「これで明日も退屈しないな」


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「大統領。もうじき到着します」


 米合衆国大統領専用機エアフォースワンで、トンプソンは目を覚ました。


 ワインのボトルには手をつけていない。水を一口飲んだだけだった。

 にも関わらず地上から飛び立った数分後から記憶がプツリと途切れている。トンプソンはシートから身体を起こし欠伸をした。


「私はどれだけ寝ていた」


「ずっとです」


 秘書は肩を落とす。


 連日の過労が原因で睡眠をまともに取れていないため、寝心地の悪い座席の上でありながらも舟を漕いでしまっていたらしい。


 よりによって子供時代の夢を見るなど、人知れず疲弊した心が退行現象を引き起こしているのかもしれないとトンプソンは思った。


「連絡は」


「奥様、娘様からの電話はまだございません」


「昨夜からずっと連絡が取れていない。安全な場所へ避難させたものの、愛する者がいると心配は尽きることがないな」


 トンプソンは秘書の肩を叩く。秘書は笑った。


「ドールアイズは何をさせる気でしょうか」


「知らん。だがヤツはこの私を…米合衆国を敵にしたことにより、敗北したも同然だ」


 ドールアイズが潜伏していると思われる新バベルの塔にはエージェントを何名か潜らせている。


 彼らは、かつて中東でイスラム原理主義組織の頭領を暗殺することに成功した猛者たちだった。


「世界中から政治家を集めて何をさせたいかは知らないが、適当に時間稼ぎをしている間にカタはつく」


 トンプソンは再び目を閉じた。


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 アメリカ合衆国・アリゾナ州北西部――。

 グランドキャニオン国立公園――。


 面積は実に五千平方キロメートル弱――。


 アメリカ合衆国最古の国立公園の一つに数えられ、天を穿つようにして雄大にそびえ立つ峡谷は、七千万年前の地殻変動により隆起した地層が永きにわたるコロラド川の浸食作用で削り取られたものであり、壮大なこの地層一体の歴史を現している。


 近年の異常気象のせいだろうか、じりじりと肌を焦がす十月の太陽は滴らせた汗の一滴すら地面から奪い尽くしていた。


「指定された時間までたっぷり余裕がある。もうじき上院、下院議員たちも到着する。その前にこのゲーム会場とやらの下見でもしようじゃないか」


 ハンカチを片手に乾いた大地に立ったトンプソンは、手首が日焼けしないようにと時価数億円の高級時計の盤面から目を離し袖を戻した。


「大統領、あそこにいる連中を見てください」


 陸路でやってきた副大統領のミッチ・ニューマンは、東洋人の集団を指さす。


「さすがは勤勉な日本だ。我々より数時間早くここに到着していたのだろう」


 数にして七百十名。


 総理である琴啼総理を中心にした大勢のグループと、その他少数のグループでつかず離れずの距離を保ったまま岩場に腰掛けていた。


「あちらも我々を伺っているようですが」


「話しかけよう。仲間は多い方が有利だ」


 ニューマンは頷き、大統領と二人で彼らの元へと向かった。


「やぁ、君たちはいつも一番乗りだな。いつかの国際首脳会議でもそうだった」


「トンプソン大統領…ご挨拶しようかどうか考えていました」


 一枚岩ではないとはいえ、総勢七百十名の国会議員たちの代表者たる日本国総理大臣、琴啼(ことなき)総理が立ち上がる。


 痩躯に人の良さそうな垂れ目だが、その黒い瞳の奥底は見えない。


 日本人の心には怪物が潜んでいると亡父チェスターが言っていたのをトンプソンは思いだした。


「君たち日本人は思慮深いが、言い換えればとても消極的だ。臆することなく対等に話しかけていいんだぞ。今のところ同盟国なんだからな」


「マイケル・ホワイトは我々を使って人類七十億の命を懸けたゲームをさせると言っていましたが、いったい何をさせるつもりでしょうか」


 琴啼総理の表情は曇っている。

 無理もない。


 ついこの前、全世界に向けたネット中継で亀甲縛り姿を晒されたばかりである。中国の無法者による暴力と死の恐怖に触れてからというもの、眠れない夜を過ごしているのかもしれない。


「知らんし考える意味もない」


 マイケル・ホワイトが潜伏している新バベルの塔はこのグランドキャニオン国立公園のどこかに建てられていた。


 丈高い岩山が邪魔して現在の位置からは見えないが、世界一高い建造物であるため峡谷を少しよじ登れば一目瞭然のはずである。


 敵がいくら狂っているとはいえ、自らも被害に及ぶこの地にいきなり核爆弾を投下するとは考えられない。


 ゆえにトンプソンは心に余裕を持つことができた。


「私はすでに手を打ってある。それが成功するまでは時間稼ぎすればいい」


 トンプソンは琴啼総理の肩を叩き、豪快に笑った。


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 午前十二時になった。


 トンプソンから見える位置には日本の他に、ドイツ、ポーランド、フランス、イタリア、キューバの首脳と政治家たちが固まりを成して岩場に腰掛けていた。


 広大な場所を漠然と指定されていたため、その他の国々は少し離れた場所に固まっているのかもしれない。


 また不死隕石を巡る「同盟国」同士は自然と近い場所に寄り添うようにしているが、これから始まるゲームの内容が不明である以上、不必要に馴れ合うことはしていなかった。


「会場へと案内する。各国首脳を先頭にしてついてこい」


 全身黒ずくめの男たちが岩場の隙間から現れ、銃を構えたまま声を張り上げた。


 今回のドールアイズの凶行によって停戦状態となっているものの、殺し合いを先日まで続行していたドイツとポーランドの政治家たちは睨み合いながらも歩幅を同じくして進み続ける。


 そしてフランスとイタリアに関してもモンブランでの隕石争奪戦での遺恨が消えることもなく、ぴりついた空気を醸し出していた。


 トンプソンは背後に連なる米合衆国の議員たちを振り返った。


「そう暗くなるな。これはただのゲームだ。ここまで来てしまったのならば非日常を楽しめばいい」


 総勢五百三十五名から成る上院、下院議員の集団はネクタイを緩めながら「そうですな、大統領」「楽しみましょう」「堂々としていましょう」などと強がりを言った。


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 指定された場所はこれまでと変わらない景色が広がっていた。


 唯一異なる部分があるとすれば、ひときわ高い岩山の上に巨大な電光掲示板が建てられており、この場に集まった政治家たちの姿を分割されたスクリーンが執拗に捕らえているという点である。


 周囲を見渡せば、イギリスやロシアを初めとした先ほど見あたらなかった国々の政治家たちが固まっており、数万人の息づかいが熱気として溢れ出してきそうだった。


「世界各国からの集まりは八割、九割といったところか。さて、この場に来なかった国は実際にどうなる」


 トンプソンはドールアイズの出方を見てみようと腕組みをして電光掲示板を見上げる。


「ご機嫌よう!!!本日のゲームにおける司会進行を務めるのはこの僕だよ!!!」


 掲示板の下に据え置かれた壇上に現れたのは、サム・クレイマーだった。


 過激なアクションと五十代にしては若々しいルックスから人気を博するこのハリウッド俳優が「ノアの救世会」信者であるのは知るところではあったが、この場に登場するなど誰が予測できただろう。


「集まった君たちに伝えることがいくつかある」


 サムはパーフェクトな歯並びを輝かせて数万人の政治家に手を振った。


「まず一つ目…世界七十億の人々はドールアイズの許可なくネットに接続できない状態にある。あの手この手ですべての通信網を手中に収め…これを実現するにも彼は一苦労したようだ」


 サムの言葉に政治家たちがざわついた。


「…その一方でこのゲームの様子は全世界に中継されている。好きな番組もネットも見れない環境で、彼らは固唾を飲んで君たちの一挙手一投足を見守っているわけ。しかも君らが自国の言葉を喋ってもほんの少しの時間差で自動音声翻訳が機能するから全世界に発言は筒抜けだ」


「ス…スマホが使えない」


 慌てふためく政治家たち。トンプソンも自らのスマホを操作し絶句した。


「私たちは世界から監視されているというのか」


「ふざけるのもいい加減にしろ!!!こんな馬鹿げた環境じゃ何も話し合えないぞ」


「私たちはここに来た。それだけで満足でしょ?」


 サムが言うとおり、各々の母国語で発狂する政治家たちの言葉はすべて自動翻訳機が拾いあげ、数秒のタイムラグで英語に置換しスピーカーが流していた。


 トンプソンは額に流れる汗が目に入り顔をしかめる。


「君たち政治家を集めてゲームをすると言っただろう。ゲームには厳格なルールが必要だ。ルールとはすなわち我々。君たちは異議申し立てできる立場じゃないんだよ」


 サムの言葉に政治家たちは言葉を失った。


「そして二つ目…ここに来ていない国、いくつかあるよね?」


 一転して悲しそうな目で問いかけるサムだが、口角は上がったままでいるため嗜虐心をたたえたサディストに見える。


「北朝鮮と、中東のこの国と…あの国とあの国と…」


 分割されたスクリーンには極東の独裁国家を初めとして、いくつかの国が衛星中継で映し出された。


「はーい!!さよならー!!!」


 サムは右手人差し指を太陽に翳した。


 瞬間――。


 分割したどの画面にも雷光に似た輝きが映し出され、次の瞬間には轟音と共に巨大なキノコ雲が立ちのぼった。


 極東の独裁国家・北朝鮮では、眩い光に吸い込まれるようにして国家主席の銅像が炎の中で朽ち果て――、その他の国々も炎に包まれ画面が真っ黒になり途切れた。


「とりあえず不参加国の首都と、避難目的による人口の推移が見られたその場所に神の鉄槌を下しました」


 グランドキャニオンのそこかしこから嗚咽と悲鳴と、神に救いを求める声が聞こえる。


「神よ…」


「なんてことだ!!!」


「悪魔め!!!」


 救いを求める先はキリストであり、アラーであり、仏であり、様々ではあるものの願いはさほど変わらない。一部の善良な政治家たちは今し方「神の杖」に殺戮された異国の者たちの魂の救済を叫んでいた。


「北朝鮮は一族の愚行によって滅びました。イスラムの小国もね」


 再び大画面に映し出された灰燼と化した街――。


 そこに繰り広げられた光景は、形を成さない建造物。

 血煙を立ちのぼらせ彷徨う皮膚の剥がれた半死者の列。

 うめき声。

 画面から漂ってきそうな濃厚な血と肉の焦げる匂い。


 まさに地獄絵図だった。


「愚者には死を!!!ひゃっひゃっひゃ!!!」


 サム・クレイマーはヒトラーの敬礼を真似ておどけてみせる。


「ふざけないで!」


 サムに怒号を浴びせたのはドイツの首相メンゲルベルクだった。


「ふざけてなんかないよ。君はジャーマンプレミア試写会の時、一度僕と寝たね。年の割には膣の湿り具合と締め付けが尋常じゃなかった。今この場でレイプしてあげようか?熟女は嫌いじゃないよ」


 サムの言葉にメンゲルベルクは言葉を失う。


「じゃあ気を取り直して、ゲームのルール説明は彼にしてもらおう!」


 電光掲示板に映し出された地獄絵図が途切れたあと、禍々しい男の顔がそこに現れた。


「ようこそ全世界の政治家諸君。ここに来ただけでも褒めてやりたいが、自国にいたんじゃ吊し上げにあうからと厭々ここまで来た偽善者も少なくはないだろう…そこでお前らの本心をここで試させてもらう」


 画面の男――、ドールアイズが人形のような蒼い目を光らせた。


「いつの世も戦争が生じて死ぬのは兵士と民間人に限る。お前ら特権階級は銃弾の危機に晒されることもなく戦争の決断を行うからだ」


 数万のざわめきが一気に静まりかえった。


「今日は政治家であるお前ら自身に戦争を行ってもらう」


 ドールアイズは低い声で笑いながら人差し指を銃に見立てて、こちら側へと構えて見せる。


「各国ごとに十二人の代表者を決めてもらい、AブロックからZブロックに分かれて国同士で殺し合いをしてもらう。岩場に隠れながらのゲームとなるがどちらかの国の政治家十二人全員が死ぬまでゲームは終了しない。ルールとしてエリアの外に出ればアウト。制限時間は六時間。制限時間内に決着がつかない場合、双方ともにアウト。トーナメント制で最後の一ヶ国になるまでゲームは続く」


「グレイト!!!まるでホラー映画のデスゲームだね!!!」


 サム・クレイマーは電光掲示板を見上げながら愉快そうに拍手をする。


「言うまでもないが、アウト、それはすなわちその国に神の杖による鉄槌を行使することだ。その国の首都、人口の固まった場所、インフラの要所。それらに即座に核を落とす。運良く爆風から生き残った国民もいずれ死の灰によって滅ぶ運命にある。お前ら政治家が敗北すればその国は滅亡すると理解しろ」


 ドールアイズは笑った。


「国民を守るのはお前らだ」


 泣きじゃくる声。悲観し発狂する者もいた。


「待て…」


 トンプソンはがくがくと震える足許をどうにか落ち着かせ、米合衆国大統領としての威厳を保ち続けるに精一杯だった。


「待て、待て待て、待て…」


 声を張り上げようにも、その喉元から漏れるのはしゃがれた情けない叫びだけ。


 計画の一切が狂い始めた。


 新バベルの塔に忍び込んだエージェントの動きを一切掴めなくなったことに加え、ドールアイズは自分たちに殺し合いをさせようとしている。


 しかも敗北すれば自分が死ぬだけでなく、愛しい妻や子供たちにまで危害が及ぶという。


 おそろしい核兵器の威力によって荒廃した米国では、例え爆発の難を逃れようとも家族たちは生きていけないだろう。


 エージェントによる進捗状況も分からないまま、どうやって大統領らしくふるまえというのか。自信の根拠を失ったトンプソンは滝のように汗を流し始めた。


「泣くな、喚くな。悪い話ばかりじゃないぞ」


 画面越しにドールアイズの合図を受けると、サムは笑顔でリモコンを操作した。


 サムの壇上がある岩山の左右に位置する二つの大きな岩山の頂上に立てられた鉄柱がむくむくと天を目指して上昇し、その先端に吊された木製のアンティーク調の椅子にはそれぞれ中年男が鎖で括り付けられていた。


「助けてくれぇ!!!!」


「こんなことをしてタダで済むと思ってるのか!!!ドールアイズ!!!娘を…マリアを殺した悪魔め!!!」


 空中でそう叫ぶのは、ジェイムズ・ゴッドスピードとヤコブ・シュミットバウワーだった。


「こいつら二人は世界皇帝の座を争い、ずいぶんと好き勝手やってきた。だが俺はこいつらを責めるつもりは毛頭ない…」


 ドールアイズが画面で指を鳴らすと、電光掲示板に米ドルで巨大な金額が表示された。


「今から三時間前、銃を突きつけてこいつらに有り金ぜんぶを賭けてもらった。どこの国が生き残るかについてな。一時的にその賭け金は俺が預かっている。勝ちが決まればこいつら二人のうち一人が天文学的な大金を手にし、世界皇帝の座は確定、さらに優勝国にはここから三分の一の額が優勝賞金として支払われる」


 政治家たちはさらに発狂した。自分たちの後ろ盾までもが人質にされていると知りもはや後にも先にも逃げ道などないと悟ったのだ。


「世界が滅びたあとじゃ、カネの使い道なんざないだろうがな。米ドルは固くてケツを拭くにも役に立たん」


 邪悪な笑い声が真っ青な空にこだまする。


 ほどなくしてドールアイズが画面から消え、電光掲示板には世界中の人――ー、白人、黒人、黄色人種、ヒスパニック系、中東系…様々な人種の顔が映し出された。


 彼らはネット環境が制限されている中で、自国の政治家たちの行く末を知るために巨大モニターを求めて街に集まった者たちだった。


 ロンドン――。

 ワシントン――。

 ニューヨーク――。

 東京――。

 大阪――。

 パリ――。

 シンガポール――。

 ソウル――。

 香港――。

 北京――。

 アムステルダム――。

 ベルリン――。

 ウィーン――。

 ミラノ――。


 その他の都市にも人だかりが生じ、ゲームの様子を伺っている。


 不思議と世界中どの都市でも喧噪や混乱は見られず、世界の終末に怯えるでもなく神に祈るでもなく、ただ漠然と自国の政治家たちの様子を傍観していた。


 声なき七十億の人々の息づかいが今にも聞こえてきそうだった。


「私は…悪夢を見ているのか」


 トンプソンは自らの股間が濡れていることに気づく。そして鼻孔を刺激するアンモニア臭に顔をしかめた。


「すべてドールアイズの思うがままだ」


 ここで無様な戦い方を見せて米国に核が落ちるようなことがあれば、間違いなく米国民たちは自分の妻や子供たちを吊しあげ、なぶり殺しにするだろう。


「あの日、私はあちら側にいたはずだ」


 幼い頃、ネイティブアメリカンの子供たちにカネを渡し殴り合いをさせた記憶を想起する。


 成人して政治家になってからもゲームのイニシアティブはいつも自分が握っていた。


 他人の心を読み、思考を先回りしいつも操作してきた、はずだった。


 だがドールアイズという怪物を生み出したツケがここで回ってきてしまった。マイケル・ホワイトという男はおそらくは生来、人間ではなかったのだ。


 人間ではない生き物を相手に自らが主導権を握ろうなどと愚の骨頂であることに今更、気づいた。


「もう…いやだ…うちに帰りたい…」


 立場が逆転してしまった状況を理解したトンプソンは尿を漏らし、只々乾いた大地を濡らすことしかできなかった。


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 やがて全世界の政治家たちは暫し話し合いを行い、ゲームに参加する自国の十二人のメンバーを選定し終えた。


 当初は誰もが命を賭けることを躊躇っていたが、多数決という数の暴力によって「殺し合い」に参加すべく人選は速やかに行われ、軍事に長けている者、運動能力の高い者、最も政治的責任と権威を持つ者という判断基準でそれらは決定していった。


 各国の十二人の代表者たちには謎のアタッシュケースが手渡された。

 全員の手元にそれが行き渡ったのは十五時を過ぎた頃であった。


「ばかばかしい!我々にこんなもの着せてエーゲ海でバカンスをエンジョイしろとでもいいたいのか!」


 運悪く自国の政治家たちによって選ばれてしまったイギリスの首相がアタッシュケースの中身を見るなり叫ぶ。


「いいからそれを着ろ」


 黒服の男に銃口を突きつけられた首相は上等なスーツとシャツ、ズボンを脱ぎ捨てた。


「サ…サイズがきつい」


「うるさい!さっさと着ろ!」


 黒服の男に小突かれ、大柄なイギリスの首相は仏頂面でそれを着用する。


「似合ってるじゃないか」


 再び電光掲示板に現れたドールアイズは愉快そうに笑った。


 数万の政治家たちが着用させられたのは、各々の国旗を額や全身に柄としてあしらった黒のスキューバダイビングスーツと、ゴーグルだった。


 着用した者の身体が異常に膨れ上がっているところを見るに通常のダイビングスーツを改良した強化ゴム製かもしれない。


 意味不明にして滑稽な互いの姿を見ながら、政治家たちは眉を潜めた。


「これよりお前らは命を懸けて戦うわけだが、こいつらを選んだ奴らにも責任はあるぞ」


 自分だけは危険から逃れたと安堵していた大半の政治家たちが表情を凍らせる。


「殺し合いのルールを説明しよう。至ってシンプルだ。米軍が昨年開発したレーザーガンを用いて撃ち合いをすればいい」


 ドールアイズの指鳴らす。


 電子音と同時にアタッシュケースの中に収納されていた銀色の小箱が一斉に開いた。


「フッ化水素レーザーを用いた赤外線による化学レーザーだ。出力はメガワットレベルに達しているから、実弾以上の威力がある」


 黒服の一人が腰元のホルスターからレザーガンを引き抜き、握る。銃身は鈍い銀色を放つハンドガンサイズのものだった。


「近未来型ハンドガンのチカラを見せてやれ」


 黒服は頷く。そして引き金をひいた。


 鼓膜をつんざくような音と同時に放たれた深紅の光線。岩山の土手っ腹に、深い拳大の穴が穿たれた。


 鼻孔をつんと刺激する焦げ臭い匂い。


 灰色の煙が葉巻の穂先のように朦々と立ちこめている。近未来の殺戮兵器は獰猛な牙を剥いて政治家たちにその威力を見せつけた。


「あんなもの食らったら、ひとたまりもない!非人道的だ!!!」


 政治家たちは驚愕し、悲鳴をあげる。


「今から始まるのは殺し合いだぞ」


 その言葉を前に一瞬にして悲鳴は止み、水を打ったような静けさが流れる。


「分子の状態が反転分布している化学発光の反応系がレーザーガン内部の共振器に搭載されている。実弾の装填は不要だ。お前らのために子供のオモチャ銃なみに取り扱いやすいものを与えてやったんだ。感謝しろ」


「なにが感謝しろだ!狂人が!!!」


 トルコの政治家の一人が小箱に手をかけレーザーガンを手にした。


「ゲームを始める前にこんなものを渡して間抜けだったな!今すぐ私たちを解放しろ!!!」


 彼は近くに立つ丸腰の黒服に銃口を向けた。着用させられたゴーグルの中では目が血走っている。


「命など惜しくない。撃つなら撃て」


 黒服は両手をあげ、笑った。


 彼らはドールアイズの駒であり、量産型ロボットのような存在で自我というものが一切ないらしい。その言葉に嘘がないのは一目瞭然だった。


「ほ…本当に撃つぞ?…」


 しばらくの間、膠着状態が続く。灼熱の広野に凍り付くような時間だけが流れていった。


「やっていいぞ」


 静寂を破ったのは、ドールアイズの言葉。


「畏まりました」


 レーザーガンを所持していた別の黒服が、引き金を撃つ。


 深紅の眩い光線。


 鼓膜をつんざく音。トルコの政治家は後方へ吹っ飛んだ。


「これでトルコチームは十一名。繰り上げ参加は認めん」


 撃たれたトルコの政治家は三十代後半の男だった。


 トルコ国旗があしらわれたダイビングスーツの左胸から大きな穴を開け、そこから夥しい血液を溢れさせながら痙攣している。


 間髪入れず、大画面にトルコの首都イスタンブールが映し出された。


「勝手なことしないでよ!!!!」


「くそ野郎!てめぇに投票した俺がバカだった!!!」


 タクスィム広場に集まった数万のトルコ人たちが死んだ政治家に向けて野次を飛ばす。


 かつてのトルコは軍部による度重なる政治介入、数度のクーデターにより不安定な状況が続いてきた。


 近年、国民投票による改憲により、軍による政治介入を押さえ国会や大統領権限を強めることにより国民が安定を手にしたという背景がある中で与党議員によるこの体たらく。


 タクスィム広場では暴動寸前の熱気が迸っていた。


「すまない…残りの十一名で、なんとか…なんとか…勝ってみせる」


 トルコ大統領が泣きながら国民に謝る。残る十名もそれに倣った。


「そこに転がってる薄汚い死体はすぐ片づけろ。食いかけのケバブのように真っ赤で不快だ」


 ドールアイズの指示で黒服がトルコの政治家の遺体を引きずっていく。

 引きずられた遺体は血の筋をつくりながら、往生際悪く痙攣し続けている。


 人間は撃たれてもすぐに死ぬわけではないらしい。臓器を破壊され、大量の血液を失いながら徐々に冷たくなっていくのだ。


 本物の死というものを目の当たりにした数万の政治家たちは息を呑んだ。


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 レナルド・トンプソン米合衆国大統領は失禁し続けていた。


 タイトな作りのダイビングスーツの中で尿は行き場を失い、縮み上がったペニスの影響か若干の余裕がある股の空間でタプタプと揺れ続けている。


「くそ…」


 与野党議員による投票でトンプソンは十二人のメンバーの一人に選定されてしまった。


 その主たる理由は休日の狩猟が趣味であるトンプソンは銃の扱いに長けているだろうという大義名分と、大統領としての責任追及によるものであった。


「無事に帰還した暁には、ここにいる全員を訴えてやる…」


 トンプソンはゴーグルの中で子供のように涙を流し、泣きじゃくった。


「こっちで勝手にトーナメント表を作った。コンピューターによる無作為選定だ。他意はない」


 ドールアイズの顔が消え、電光掲示板に広がる巨大すぎるトーナメント表に映像が切り替わる。


 国名表記は、国際基準の表記であり物資と情報交換を安易にするため国際機関で用いられているISO3166-1が用いられていた。


「我が国は…イギリスやフランス、中国やドイツはどこにある」


 トンプソンは目を細める。


 一つずつ国名を確認していくとなると気が遠くなりそうだった。


「現場の誘導は黒服に任せてある。お前らは大人しく戦場までついて行けばいい」


 トーナメント表が消え、グランドキャニオンの様子が画面いっぱいに映し出される。


「行ってらっしゃい!僕はここでみんなを応援してるよ」


 現場の司会進行役サム・クレイマーは、拍手しながら数万人の政治家たちを見送った。


「ア…アメリカ!負けるんじゃないぞ!!!」


 椅子ごと岩山に括り付けられたジェイムズ・ゴッドスピードが声を張り上げた。


「ロシア!無様な姿は見せるな!!!絶対にだ!!!」


 向こうの岩山でもヤコブ・シュミットバウワーも負けじと叫ぶ。この期に及んでも両家は負けじと争っていた。


 滑稽だった。世界の終わりにプライドなどクソの役にも立たないことは明白なのに。


 トンプソンはジェイムズ・ゴッドスピードの言葉を無視して黒服の後をついて行く。


 なにやらジェイムズが罵声を浴びせてきたが、それでも振り返ることはなかった。


(もう終わりだ。あのような狂犬を育てた私の計算ミスだ…妻に…娘に…息子に…もう一度だけ会いたかった)


 トンプソンはなおも失禁を続ける。


 思い返せばエアフォースワンに乗る前に一度だけ小便をしたきりだった。


 電光掲示板に映し出される衛星による俯瞰映像。


 世界中の政治家たちは、エリアごとに殺し合いを始めるべくグランドキャニオンの方々へと散っていった。


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 スーサイド5Angelsのメンバーはデビュー以来、自殺をテーマとしたメイクや衣装でイメージ展開を繰り広げている。


 首吊り、飛び降り、ガス自殺、焼身自殺、服毒自殺、とそれぞれ担当が振り分けられていて、そのユニークなキャラクターと卓越した美声で日本はもちろん世界中でファンを獲得していった。


 もうじき始まるわ――。


 これが私たちの最期のステージになるかもしれない。


 服毒自殺担当の白塗りメイクを施したMANAMIは「新バベルの塔」の地下にある無機質なコンクリートの壁で囲まれた部屋で衣装合わせをしていた。


 漂白されたような、精神病棟を思わせるような空間。他の四人のメンバーたちも同様に、メイクや衣装合わせを行っている。


 スマホはすでに使えなくなっていた。外部と遮断された部屋に監禁されてからしばらくの時が経つ。


 彼女たちをここに呼び寄せたのはマイケル・ホワイトだった。


 全世界に向けて狂ったメッセージを放ったすぐ後、マイケル・ホワイトは代理人を通じて彼女らにコンタクトを取ってきた。


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 それは今から数週間前のことだった。


 彼女たちが所属する芸能事務所に、マイケル・ホワイトの代理人と名乗るアジア系の女がやってきた。


「去年、日米合作で発表されたアニメ、ウィザード戦記の主題歌をホワイト様は大変気に入っております。世界の終焉を飾るアーティストとして貴女たちが選定されました。今や全人類の生殺与奪を握るホワイト様の申し出を前に貴女たちに拒否権はございません。しかし特権はございます。メンバーひとりにつき親族、恋人、友人十名まで我がノアの救世会の核シェルターで保護させていただきます」


 英語訛りの日本語を駆使しながら、代理人は「アウグスティン社のプライベートジェットを羽田空港に待機させています」と付け加えた。


 冷え込んだ応接室。


 女社長とマネージャーは壁際に立たされ、代理人とスーサイド5Angelsのメンバー五名だけが向かい合って、座っていた。


 このビルの外には数十名の私服警官、公安警察が取り囲んでいるらしいが、恐るべき核兵器を保持したホワイトの代理人を拘束することなど彼らにはできず、交渉を終えた彼女は悠々とこの場所を後にすることができるだろう。


 MANAMIは怪物を見るようにして代理人の顔を凝視した。


「ファンの皆を見捨てろって言うんですか」


 MANAMIは強い口調で言った。代理人はサングラスをはずし、狐のような細い目で微笑みかける。


「見捨てることになるかどうかは、貴女たち次第。ホワイト氏は見せしめにもう一発ほど核を落とそうかと考えています」


 MANAMIは他の四人のメンバーたちの顔を見た。皆が皆、各々の正義と葛藤し、言葉を紡げないでいた。


「安心してください。貴女たちを悪者にしないよう、全世界にはこう発信します。スーサイド5Angelsがこちらへこない場合、日本の東京に神の鉄槌が下ると」


 メンバーは泣きはじめた。


 MANAMIは寸前で泣くのを堪えていたが、女社長が優しく手を添えてこう言ってくれた。


「今すぐ終わる運命よりも、救われるかもしれない明日に縋りたい。最新シングルの歌詞にもある通り、まさにネバーギブアップよ。貴女たちは何も気にせずあちらへ出向いて」


 MANAMIは遂に泣くのを堪えきれなくなった。


「そちらの要求に従う限り、彼女たちの身の安全は保障してくださいね」


 女社長の言葉に代理人は深く頷く。


 その瞬間、五人の天使たちが全世界の政治家たちが呼び寄せられるという「ゲームの地」へ召還されることが決まった。


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 代理人が帰った後も泣きじゃくる彼女らに、女社長は言った。


 先に言っておくわ。貴女たちが核シェルターに連れていく十名のうちの一人に決して私を入れることはしないで、と。


 私はとんでもない選択の後押しを貴女たちにさせたかもしれない。その罪滅ぼしとしてこの生まれついたこの東京で世界の行く末を見守ってる。


 世界の終焉に響きわたるのが、私が手塩にかけて育て上げた貴女たち五人の歌声であることがとても嬉しい。


 だから、これが死のステージであることは一切忘れて、全世界ツアーの千秋楽であると自分に言い聞かせて、最高のパフォーマンスを見せてね。


 この言葉を聞いたとき、五人は泣くのを止めて覚悟を決めた。


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 翌日――。


 マイケル・ホワイトが用意したプライベートジェットに乗せられ、MANAMIは物思いに耽っていた。


 年末カウントダウンコンサートで自分たちを救ってくれた高校生、有働努は今頃なにしているだろうかと考えていた。


 一部のネット上の噂では不死の人体実験に邁進した中国政府を転覆させたとまことしやかに囁かれていたものの、一高校生にそこまでのことができるとは到底考えられなかった。


「ずっとファンでした。皆さんが無事で本当に良かった」


 事件の数ヶ月後に有働努をコンサートのバックステージに招待したとき、有働はそう言っていた。


 一見して普通の高校生に見える有働があの大立ち回りを演じたのかと思うと、人の心奥底に眠る正義の計り知れなさを見せつけられたような思いがして、勇気がわいたものだった。


「正義の味方はかならずやってくる」


 ほかの四人のメンバーも直接、口に出すことはなかったものの何かそういった希望を抱いているのだろうと推測できた。


 自分を含め、誰もが悲観的な言葉を一切口に出さなかったからだった。


 長時間のフライトを経て新バベルの塔に到着した五人は「審判の日」のステージに向けて数週間、リハーサルに励んだ。


 はじめてマネージャーやプロモーターが介入しないステージを行うことになる。


 セットリストは協議を重ね、これまでの全ての曲を歌うことにした。


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「もう時間です。ステージに出てください」


 代理人が部屋の扉を開けるなり、そう言った。


 全世界の政治家たちが世界の命運をかけた「ゲーム」を開始したということだ。


「その前に、弟は…学は元気にしていますか」


 白塗りメイクを終えたMANAMIの問いかけに対して、代理人は端末の中継映像を見せてきた。


 核シェルターとは思えない広さの、どこかのホテルを思わせる大広間で、学はソファに腰掛け本を読んでいた。


 本のタイトルは「臨床心理学」で、弟は世界が終わりを告げようとしているこの瞬間も未来を諦めていないのが伝わってくる。


 学は、カウントダウンコンサートで観客全員の命を救った有働努を心から尊敬していた。


 いつか彼のように正義のために自らを犠牲にできる男になりたい、と有働を目標にしていた。


「ほかの皆さんのご家族も元気ですよ」


 四人のメンバーもまた、画像越しに自分たちの家族の姿を見て泣いていた。


 大勢を収容するはずだったそのシェルターには大きさに反比例するようにして人が少なく、そこにいる者たちは元からここに住み着いている「ノアの救世会」の信者たちなのだろうと想像がついた。


 広すぎる安住の地。今や救われるはずだった「選ばれし人々」すらも世界中の政治家たちが繰り広げるデスゲームの人質にされている。


「喜んでください。信者でもない彼らが数少ない新世界の住人に選ばれたのですから。貴女たちが各々で選んだ十人の命は保証されています」


 貴女たちが選んだ大切な十人――。


 その言葉に対し、メンバーが嗚咽する。


 連れてこれなかった者たちのことを思い出し良心の呵責に耐えかねてるのだ。


 一方のMANAMIはというと、結局は弟だけしかこの場所に連れてこれなかった。


 何人か孤児院の先生や友人、お世話になった関係者に声をかけたものの、彼らは家族と一緒に最期の瞬間を過ごすと、その誘いを固辞した。


 もしも明日が無事に訪れたら、また歌を聴かせてね。


 自分が育った孤児院「花園の里」の橋本先生。朋子先生。誰もがMANAMIにそう言った。


「泣くのは止めにして、はじめよう」


 MANAMIの声かけに五人は集まり、円陣を組む。


「必ず、必ず。神様は私たちのことを見てるわ」


 首吊り自殺担当のCHULIAが手の甲を皆の前に差し出す。


「私たちにできるのは、ただ歌うことだけ」


 飛び降り自殺担当のYUKIHOはその上に自らの手のひらを重ねた。


「今日、歌うのはデビューから最新シングルまでの全曲。声が枯れるまでやろうね」


 ガス自殺担当のRANも手を重ねる。


「全世界の人たちに希望を届けよう」


 焼身自殺担当のMOEはこの日のため日本を発つ前に自らアフロヘアにしてきた。焦げた死体がストレートロングヘアなのはおかしいと彼女なりに考えた結果だった。MOEもまた手のひらを重ねた。


 四人の視線がリーダーであるMANAMIに集まる。


 MANAMIは深呼吸をして、皆の手に自らの手のひらを重ねた。


「悪は必ず倒される。世界七十億はきっと救われるわ」


 そう言うと、メンバーは頷いた。


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 ここ新バベルの塔――、英語名ニュー・バベルタワーの大舞台には、観客は一人もいない。


 地下スタジアムの冷えた空気と目映いライトだけがMANAMIたちを照らしている。


 世界七十億の人々はたちは今頃、固唾を呑んで自国の政治家たちの動向を見守っていることだろう。


 モニターには歌詞とは別に政治家たちの戦いを中継した映像が流れている。世界が終わる様子を後目に歌えと言うことなのだ。どこまでもマイケル・ホワイトは悪趣味な男だった。


「それじゃ一曲目…初期の私たちの代表曲…」


 MANAMIは天を仰ぐ。


 高く掲げられたいくつかの電光掲示板では、米合衆国の新しい大統領と中国の国家主席が銃を構えて岩場に隠れている様子が映し出されていた。


 米合衆国VS中華人民共和国の戦いが開始されたのだ。


「どちらかが破れ、そこに核が落とされる…」


 米中の画面が小さくなり、分割された他の画面を見ると複数のブロックで同様に国同士の戦いが開始されていた。


 MANAMIは涙を堪えワールドツアーを思い出す。


 米国のLos Angelesで握手した白人少年からはたどたどしい日本語で「応援してます」と伝えられ気分が高揚した。


 中国の上海ではスーサイド5Angelsのコスプレをした十代の女の子が一際大きい声でメンバーの名前を連呼してくれた。


 イタリアで開催したバリアフリーライブで車いすに乗ったファンたちの笑顔。

 ドイツではファンが日本語のうちわを掲げてくれていた。

 シンガポールでは日本語でのファンレターを山ほどもらった。


 どの国にも滅びてほしくない。できれば全世界が救われてほしい。

 あの日最高の笑顔を見せてくれたファンたちにまた会いたい。


 そして、まだ出会えてない世界中のファンたちも含め、この先もずっと、ずっと私たちの歌を届けていきたい。


 MANAMIの想いは他のメンバーにも伝わったようだった。


 全員が涙をこぼしながらコーラスを歌い始める。


 こらえたはずの悲しみの滴が頬を伝わり、床にこぼれ落ちてしまった。


 人生はいつも「ひき逃げ救急車」

 悲しい過去は「やり逃げ高級車」

 あなたと未来は「勝ち逃げ霊柩車」

 Yeah...Yeah...


 彼女たちのステージは、デスゲームと平行して全世界に中継されはじめた。

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