第51話 全世界の政治家たち、集まれ

 絹の糸のような煙が見慣れた天井へ立ち昇ってゆく。居間には線香の匂いが濃厚に立ちこめていた。


 壁には在りし日の父に向けた表彰状が所狭しとかけられており、色褪せた家族写真とともに並べられている。


 ソファに沈み込んだ有働は、日曜の昼からテレビをつけたまま宙を見上げていた。


「父さん…」


 もしも時を戻せたら、何をしてでも父を救うだろう。有働はそう思った。


 だが――、死者を蘇らせる術はない。


 どれだけ科学が進歩しようとも、死者は蘇らないのだ。


 たとえばこの先クローン技術が実用可能になったとしても、その人をその人たらしめんものとは記憶の集積であり、父とまったく同じ遺伝情報をもつ人間がそこにいても、それは死んでしまった父とある意味別人と言うことになる。


 だからこそ、近しい者を失った人間はこう願うのだ。


 時を巻き戻したい、と――。


 失われた魂を地上に呼び戻したい、と――。


「番組の途中ですが、緊急速報です」


 有働は、突如としてバラエティ番組がニュース中継に切り替わるのを見た。


 年輩の男性キャスターが冷や汗をかきながら、言葉を選びつつ報道をはじめる。


「一時間前に米国大手軍事企業アウグスティン社CEO――、マイケル・ホワイト氏が大手動画サイトを使い全世界に向けて発信したメッセージの内容を受け全世界に激震が走っています。つい先ほどレナルド・トンプソン米合衆国大統領が正式に声明を発表いたしました」


 それと連動するようにして有働のスマホも鳴り、プッシュ通知には「米国大手軍事企業アウグスティン社、秘密裏に核兵器を開発、宇宙へ打ち上げか」というニュース速報があがってきた。


 有働はスマホを開きネットで情報収集をした。


「未だ真偽不明。マイケル・ホワイト氏の宇宙兵器開発、打ち上げ発言。米国政府の指示によるものか。個人の狂行か」


「マイケル・ホワイト氏、沈黙。兄の主宰する宗教団体タワーへ雲隠れ」


「レナルド・トンプソン米合衆国大統領、全面否定せず、全世界に向け、分別ある行動を呼びかけ」


「全世界首脳、緊急会議開催か、開催地は完全秘匿」


 各報道局はこぞって真偽が定かではない錯綜した記事をアップしていた。


「…世界の終わり、か…」


 有働は無表情のまま呟く。瞳の奥では焔が揺らめいていた。


「一体どんな演説をしやがったんだ」


 有働はマイケル・ホワイト――、ドールアイズが全世界に向けて発信したというメッセージをスマホで検索してみた。


 オリジナルの動画はすでに削除されていたものの、コピー、あるいはコピーのコピーがそこかしこで見れる状況にあり、いともたやすく有働は再生ボタンを押すことができた。


「ご機嫌よう、全世界の諸君。俺は米国軍事企業アウグスティン社CEOマイケル・ホワイトだ――」


 音声と共に映し出されたのは、古今東西の悪役フィギュアが並べられた真っ白い壁の広大な部屋だった。


「俺は今から少し前、極秘裏に宇宙兵器――、神の杖を衛星軌道上に飛ばした」


 部屋のど真ん中に鎮座する男――、ドールアイズへと画面はズームする。


「神の杖は無数の小型核爆弾を搭載しており、世界のあらゆる場所にそれを落とすことができる。悲しいかな現時点における諸君の科学力では迎撃は不可能だ」


 発言とリンクするようにして画面中央にURLが表示され「神の杖の性能を知りたい方はこちらへ」と誘導が敷かれた。


「俺は当初――、巨大SNSを用いた世界規模のシャドープロファイルにより選定した心優しき者だけを核シェルターである新バベルの塔へと収容し、地上に残った悪しき連中は全て神の杖で滅ぼすつもりだった――」


 ドールアイズはロックミュージシャンのような出で立ちだった。


 鋲を打ったブラックレザーのライダース。黒と金のツートンヘアはハリネズミのように逆立っていて、見る者を威嚇し続けている。


 いかにもと言った悪人らしい風情に有働は吹き出しそうになった。


「だが昨夜、俺は考えを変えた」


 ドールアイズはニヤリと唇の端を歪め、サングラスを外す。


「…善悪問わず、七十億人すべてに生き残る権利と…抹消されるリスクを等しく与えてやろうと」


 ドールアイズは蝶型に広がる醜悪な傷跡に填め込まれた、不自然なほどに青い義眼をこちらへ向けて笑った。


「今の世界は人類七十億でつくりあげたものだ。その罪は等しく七十億にあり、死にも値する。罪を逃れられるのは運によって生かされた者のみ…俺はとあるゲームを発案した」


「…思ってた以上に中々のもんだ…傑作だ」


 有働は笑いがこみ上げてくるのを感じた。


 ドールアイズは狂人だった。有働がこれまで出会ってきたどの人間よりも狂人だった。発語、仕草、言い回し、すべてにおいて世界の終焉を予感させる狂人であった。


 それが可笑しくて、有働は動画を再生している間も腹を抱えて笑い続けた。


「俺が要求することはたった一つ。ゲームを始めるため、全世界の政治家、国政に関わる王族は今から俺が言う場所まで十月三十一日の、現地時間午前十時までに来い。その国の政治家全員の参加が条件だ」


 ドールアイズは踵のすり減ったブーツに包まれた両足をデスクに載せ、葉巻を吸い始める。


「期日までに政治家の来なかった国、来たはいいが集まりが悪い国には、問答無用で核を落とす」


 世界七十億の人類の息を呑む音が聞こえたような気がした。


 核心を語ったあとドールアイズは数秒、沈黙する。


 頭が真っ白になった人々が次の発言を聞き流さぬようインターバルをとっているのだ。絶望する時間をしばし与えたと言い換えてもいい。ドールアイズは巧みに恐怖心を煽る才能に長けている。


「手強いな」


 有働は確信した。


 いつか直接対決する際に、有働がこの男に敗北しないことが世界を救う唯一の手だてになるのだが、作戦通りにドールアイズを倒すことができるかどうか。有働は少し不安になった。


「俺の発言を疑う者も多いだろう。諸君に証拠を提示するため近日中に神の杖を行使する。それを見てから政治家たちは身の振り方を考えろ…そしてもう一つ。今をもって政治家を辞職することは許さん」


 ドールアイズはベレッタM92FSを操作し、自らの背後の棚に並べられた悪役(ヴィラン)フィギュアを粉々に撃ち砕く。


「いいか――、俺は神であり、世界一の悪役(ヴィラン)だ」


 その台詞をもって動画は終わった。


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 翌日、学校中が騒ぎになっていた。


 職員会議で臨時休校も検討されたが、悲観的になった生徒が何をしでかすか分からないという理由により、授業は通常通り行われた。


「ウドー、みたかあの動画」


 昼休みになって、戸倉が話しかけてきた。


 正直ここまで憔悴しきった戸倉の顔を見るのは初めてだったので、有働は何と答えていいものか暫し、考えあぐねる。


「どこまでマジか分からない。あんなもんに振り回されるな」


「嘘かどうかなんて分からないだろう…ネット記事で見たんだけどあのマイケル・ホワイトって野郎、中東の戦争で得た利益を元にして神の杖を製造したらしいじゃん」


 戸倉は義憤に駆られてるようだった。その背後には犬養真智子がそわそわしながら立っていた。


「ハリウッド映画じゃ毎回、核の脅威がネタにされている。あの国はそういう国だ。ただのハッタリだ」


 有働はぴしゃりと言い放つ。


「お前、どうすんだ。解決してくれんのか」


「無理に決まってんだろ。俺はただの高校生だし、こういう問題は政治家が解決してくれるだろう。いざとなりゃ国際連合軍が動く。一個人が世界相手に勝てるわけがない」


 有働は常識的観点から答えた。だが戸倉はなおも食いついてくる。


「でもよ…あのマイケル・ホワイトって奴が死ねば、心拍数が神の杖に伝わって、全世界に核爆弾が落ちるそうじゃないか…単純に一個人を殺せばおさまる問題じゃないぞ」


 おそらく昨夜、ドールアイズのネット動画で誘導が敷かれた「神の杖の効果について」の英文記事を翻訳機能を使って読んだのだろう。戸倉の睡眠不足の原因はこれかと有働は合点がいった。


「全世界に核を落とすといっても、大陸の端から端まで核の炎で焼き尽くすことはできない。多少、大地は汚染されるだろうがどこか人のいない山奥に犬養と一緒に逃げ延びて木の根でもかじりながら生き延びればいいだろう。…まぁ社会システムの崩壊した世界では生き残るのも至難な技だが」


 有働の提案に戸倉は反応を示さない。何か別のことを考えているようだった。


「実は俺も犬養も…マイケル・ホワイト主催のニュー・バベルタワー音楽フェスに招待されてたんだ。SNSの運営づてにメッセージ来ててさ…。渡航費も無料だって書いてあった…俺も犬養も、本来はマイケル・ホワイトの選民基準を満たしていたんだ…俺だけじゃない。俺の父さんも…母さんも…犬養の両親も…兄弟も…お爺ちゃんもお婆ちゃんも…従兄弟も…本当は生き残れるはずだったんだ…」


 戸倉は嗚咽する。


「俺のところにはそんな招待状こなかったけど」


 有働は、ぽつりと言った。


 ドールアイズは「シャドープロファイル」と呼ばれる巨大SNS企業によって収集、蓄積された「商品開発、マーケティング調査」のための膨大な個人情報を元に「善人と悪人の選定」を行っていたことを動画内で語っていた。


 例えば、


『近所にスイーツ屋ができた。三十分並んだ。前に並んだ老夫婦が食べるのが遅くて店にはいるまでイライラした、彼女は「やめなよ、お年寄りには優しくしなくちゃだめよ」と言ったが俺はブチ切れた。年金泥棒の老害はさっさと死ね』


 などとSNSに書き込んだ場合、たった数行ではあるがその人物とその恋人の「趣味嗜好」「主義主張」「思考」「倫理観」などが言語データとしてSNS側に吸い上げられることになる。


 そしてさらに書き込みが増えればデータはさらに精度を増し、限りなく実像に近い人物データを企業は把握することができる。


 無防備に自らのプライバシーを世界中に公開する人々と、彼らの写真付き日記で二次的にプライバシーを公開されてしまったSNS未登録の人々の人物像は、今や三十五億人がSNSを利用すると言われる時代において企業によって完全に把握されており、確かにそれを用いれば「世界規模の善悪の選定」は可能と言えた。


「俺のところには、招待メッセージなんて来なかったけどな…」


 有働は再度、呟く。


 ネット上には内木による有働の「善の活動」の記録が残されているはずだが、どうやら総合的に情報を鑑みて、有働はコンピューター上で「新世界に不要な人物の一人」としてカウントされてしまったらしい。


 戸倉はそれが聞こえていないらしく、ただ、ただ泣いていた。犬養とともに。


 善人の基準に漏れた有働と、善人判定されたカップル。有働は馬鹿らしくなって教室を出た。


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 屋上に行くと、大柄な三年生が一年生相手にカツアゲをしていた。


 それはこの学校で久しぶりに見る光景だった。


 権堂が去ったあとも春日がしっかりとその跡目を継ぎ、有働も生徒会長職を続投したことで校内暴力は根絶していたはずだが、先の終末思想によって不良たちのか細い倫理など吹っ飛んでしまったらしい。


「だ~か~らぁ、あと三万で今月は許してやるって言ってんだろ?お前たしか美術部だよなぁ?逆らうと右手の指をへし折るぞ」


「やめてください…僕、もう父からお金を盗むのはイヤなんです…」


 一年生は背の低い肥満体型で、内木にどことなく似ていたせいか有働の心に怒りの炎がついた。


「いじめは良くないですよ、先輩」


「んだ、こら…あ…」


 三年生は二年生である有働を見て、怯えた目をした。だが有働は三年生に謝る隙を与えなかった。


「春日さんが入院中だから羽目を外してんのか、こら」


 有働の右拳が三年生の腹部を深く抉る。


「ぶっっっ!!!!!」


 まともに鍛えられていない腹筋はいともたやすく有働の攻撃を受け入れ、三年生は身体をくねらせ、地面にのたうち回り胃液を吐いた。


「おい。俺が誰だか分かってるよな」


 有働は馬乗りになる。


「す…すいません…」


「反省してるなら三発だけ耐えろ。そこそこ加減はする。死ぬんじゃねぇぞ」


 有働は何度も拳を振り下ろした。


 血飛沫が舞う。気がつけば三年生は白目を剥いて気絶していた。


「う、有働さん…助かりました…あ、あ、ありがとうございます!」


 一年生はお辞儀をして去っていった。礼を言っていたものの、どこか怯えていた。


 有働は天を見上げる。雲は灰色で今にも空は泣き出しそうだった。


「クズをぶっ飛ばしたところで、気分は晴れないな」


 ひとりごちる有働の懐で、スマホが鳴った。


 通知されているのは国際電話の番号。


 オブライアンの元・第一秘書クリス・グライムズからの番号であることにすぐ気づいた。


「もしもし」


「先日、君から国際郵便で届けられたブリザードフラワーは、しっかりオブライアンの墓前に手向けたよ。彼も喜んでいることだろう」


 クリスは湿った口調で言った。オブライアンの暗殺のショックからまだ立ち直れていないのだろう。


「この前、君と打ち合わせをしたプランについてはこちらも水面下で動いている。世界滅亡の危機を救えるのは君しかいない」


「ありがとうございます」


「ところでドールアイズの動画は観たか」


「ええ…笑えました」


 クリスは有働の発言の意図を掴めず暫し、沈黙した後「確かに笑えるほど、奴は狂っている」と言った。


「ドールアイズによるこの度の発言を受けて、トンプソン大統領が五百三十五名の議員を徴集し臨時連邦議会を開いている。君には現場の中継映像を観てもらいたい。私の仲間が君にテレビ通話をかけるから、すぐに出てくれ」


 通話は切れた。すぐにテレビ通話の着信があった。有働はそれに出る。


「どうも初めまして。僕の名はエリックだ。君が自分のタイミングで切るまでずっと映し続ける」


 通話の相手はそう言うとカメラを下に向けた。


 広大な議事堂に座る百名の上院議員と四百三十五名の下院議員が、俯瞰で映し出される。


「大統領!狂人を野放しにしていた責任は重大だ!副大統領時代から貴方は神の杖の存在を黙認していたのではないか?」


 唾を飛ばす初老の野党上院議員がいた。


「私は何も知らない。ただ、前政権の与党である諸君がそれを黙認していたというならば話は別だ。政権交代の際に、いつか我々を引きずりおろそうと負の遺産を渡すべく口を閉ざしていたのではないかね?そうだとしたらこの上なく大問題だ」


 トンプソン大統領は狸だった。顔色一つ変えずに責任転嫁を切り出す。


「マイケル・ホワイトはオブライアン前大統領に多額の資金援助をしていた。癒着が疑われても仕方がないのでは」


 今度は若い野党上院議員が冷静な口調で牽制する。


「ではそのマイケル・ホワイトに多額の利益をもたらした政権はどこの党だろうか?考えてみてほしい」


「時代が争いを求めた。人々が血を求めた。私たちは彼ら国民の代弁者であり、戦争は国民の総意だった。トンプソン大統領。あなたは国民をマイケル・ホワイトの共犯者だと仰りたいのですか?」


 若い議員はなおも食らいついた。


「では国民を守るために、我ら五百三十五名でマイケル・ホワイトの元へ行こうじゃないか。そうでなければ奴はこの国に核を落とすと言っている。君にもう一度聞こう。大統領である私の前を歩き、今からマイケル・ホワイトが指定した場所まで行けるかね」


 沈黙が続く。トンプソン大統領は皮肉な笑みを浮かべた。


「これが皆の本音だ。奴に会いに行けば何をされるか分からない。奴はこれをゲームだと言っていた」


 五百三十五名はなおも沈黙を続ける。


「まず神の杖の真偽も怪しいじゃないか。考えるのは奴が次にどう動くか見てからにしよう」


 与党の老上院議員が言った。


 トンプソンはそれに頷く。場は纏まった。


「見るだけ時間の無駄だった」


 有働は通話を切った。


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 その日の夜――。


 どこのテレビ局でも、マイケルホワイトの発言と神の杖の真偽について議論が飛び交っていた。


 政治評論家、軍事評論家、国際学者――。


 それぞれが各々の見解を示すが、狂言だろうというのが全員の一致した意見となっていた。


 街角インタビューでは怯える一般人をここぞとばかりに捉えているものの、いざインターネット掲示板を見れば誰もがこの状況を面白がっており、本気でそれを信じている者は半数以下であることが明らかになっていた。


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「なぁ…みんな。ネット掲示板みた?なんだよあの反応は。世界が終わろうとしてるってのに…この先スカートの中を盗撮ができなくなるかもしれないってのに…暢気な奴らが多すぎだろ」


 盗撮ルパンこと出川が吼える。


「こんなことなら、さっさとラクな方法で自殺しとけばよかった…」


 自殺未遂を繰り返す大学生――、車内恋痰がそれに続く。


「死ぬ前にもう一度、スーサイド5Angelsのライブが観たかったなぁ…カネだったら使いきれないほどあるのになぁ…ううっ…」


 涙声で言うのは三十代の横領魔――、反撃の阪神だった。


「皆さん、落ち着いてくださいよ」


 有働は、スーサイド5Angelsのチャットメンバーに誘われグループ通話に参加していた。


「世界がやばい中、さらに僕らの天使たちに危機が…」


 午前肥満時こと太田は焦燥しきった声で語る。


「…MANAMIのブログによると、あのイカレ野郎に呼ばれたみたいだ。ゲームを楽しませるためのパフォーマンスをしろとか…世界中に核が落ちる中、彼女たちに歌わせるのが目的らしい」


「彼女たちはあの男に気に入られてる…きっと殺されはしない。大丈夫だよ」


 太田の嗚咽に慰めの言葉をかけたのは、男の娘の栞――、伊藤祐希だった。


「皆さんは現地へ行くんですか?」


 有働は訊ねる。


「僕は行こうと思う。どうせ死ぬなら天使の側で」


 太田が答えた。


 他の連中は無言になった。


「有働くんも行きたいなら…私が航空チケットを手配するわ。まぁ、あなたの場合、別の目的がありそうだけど…敢えて聞かないのが大人の女性ってもんよね。ところで今度、お茶しない?最近、彼氏のアレが勃たないのよ」


 不倫主婦りん子が言った。


 有働は誘いを受け流し、チケットの手配については礼を言う。


「じゃあ一緒に行こう。有働くん」


「よろしくお願いします」


 現地には、太田を保護者として向かうことになった。有働はひとまず移動の手段を手に入れたことに安堵する。


 だが、母にどう説明すべきか。


 有働は通話が終了した後もずっと悩んだ。


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 サウジアラビア王国南部・ルブアルハリ砂漠――。


 この砂漠地帯は夏の気温が夜は氷点下、正午には摂氏五十五度に達する地球上で最も過酷な環境の一つと呼ばれる場所である。


 どでかい太陽を受けて砂漠に落ちた影は全部で五つ。


 慣れないサウジアラビアの民族衣装トーブやアバヤで身を包む彼ら五名の足下の砂一粒一粒には、数滴の汗と夥しい量の血液が広がっていた。


「こんなところにまで亡命したはいいが、ツメが甘かったね…君の秘書たちはすでに寝返っていたのさ」


 インドの英傑――、シャカの握る銃口からは硝煙の香りがする。


 砂に半身を埋もれさせ、その額にぽっかり空いた穴から鮮血を流すのはパキスタンの国家元首たる男――、ムハンマド首相だった。


 国政をアヴドゥル大統領に任せ、隕石とともに行方を眩ましていたもののシャカを相手に鬼ごっこなど児戯にも等しいことであった。


 つい数分前までムハンマドの秘書として振る舞い、果てに裏切った秘書たち三名は「不死の隕石」を縄で括り付けいつでも動かせるように待機している。砂漠に落ちた汗の染みは主に彼らのものであった。


「その隕石どうするの?」


 アバヤを着た褐色の肌をもつムラート――、カラーレスがシャカに訊ねる。


「もちろんインド側で回収さ。こんな簡単に手に入れられたのは仏に感謝するほかない」


 シャカは金のピアスを揺らしながら、両手を合わせて太陽に祈る。


 古代北インドの小国シャカ一族の血を受け継ぐ彼は、同族であり仏教の開祖でもあるガウタマ・シッダールタに敬意を表した。


 イスラム教徒が見たら激昂しそうな光景だったが、ここには怠惰なクリスチャン数名しかいない。誰もとがめる者はなかった。


「見てよこれ…きれい…」


「まるで生き物のようだね」


 不死隕石は陽光を浴びて艶めかしく七色に輝き、亀裂が毛細血管のように収縮している。


 シャカとカラーレスはそれをまじまじと見つめ、なるほどこれは地球上に存在することのない物質なのだと改めて納得させられた。


「ところでドールアイズの件だけど…」


 カラーレスの言葉が終わるより先にシャカは笑った。


「ハッタリだろう。宇宙兵器など一個人が開発できるものじゃないからね」


「米合衆国政府が黙認していたとしたら?」


「だとしても、精度の低い宇宙兵器などただのゴミだよ」


 シャカはなおも笑った。


「ちょうど二回目の中継がやってるわ。観ましょうよ」


 カラーレスはスマホを片手にシャカに近づく。


 画面の向こう側ではアジトに雲隠れしたドールアイズが吼えていた。


 この世界は神の意志によって浄化されるべきであると――。

 神の意志とはすなわち運命そのものであると――。

 運命を操るのは自らであると――。


 ドールアイズはテーブルに足を投げ出したポーズで豪語していた。


「前々から悪役気取りのおかしな奴だとは思ってたけど、アイツらしくないな」


 シャカは呟いた。


「どういう意味?」


「ただ運に任せて大量虐殺しても何の得がある?僕がアイツの立場なら善人は生かして悪人だけ殺すとか、もっと神らしいアイディアで人を殺していくんだけどなぁ」


 シャカはドールアイズの演説に対して違和感を拭いきれなかった。


 一見、理路整然とした選民思想、終末思想、宗教観に思えるが注意深く観察するとその端々に論理的な破綻が見られる。そしてドールアイズは乱心しているのだろうという結論に至った。


「きっと何か事情があったんだろうね…まぁ僕らには関係ないけど」


 興味を失いシャカはカラーレスから離れる。


「ちょっと待って」


 カラーレスはスマホの音量を最大にした。


「今から見せしめに、とある場所へと核を落とす。宇宙兵器神の杖の精度と恐ろしさをそこで示してやる」


 画面の向こうでドールアイズはにやりと笑う。


「インド、パキスタン国境のワーガに落ちた不死隕石が今現在サウジアラビア南部、ルブアリハリ砂漠にある。シャカ、カラーレス…俺には衛星でお前らの動きが見えてるぞ…」


 カラーレスが凍り付いた目でシャカを見つめた。シャカは動きを止めてゆっくりと青空を見上げた。


「今からそこに神の杖による鉄槌を下す。隕石ごと消えて無くなれ」


 シャカは言語ではない何かを叫ぶ。


 カラーレスはシャカにしがみついた。


 ムハンマドの秘書たちは何を思ったのか、地上の砂を掘り起こしその中に隠れようともがいていた。


 上空で何かが煌めいた。


 太陽がそれに覆い隠された。凄まじい熱風と衝撃が砂漠の上空で炸裂した。


 時間差で鼓膜を引きちぎる爆発音。重力に逆らい舞い上がる砂の一粒一粒が蒸発してゆく。


 シャカとカラーレス、ムハンマドの秘書たちの身体は眩い光に吸い込まれるようにして一瞬にしてこの世界から消滅した。


-----------------------------


 米合衆国バージニア州アーリントン郡ペンタゴン――。

 国防総省庁舎――。


「大統領!間違いなく奴は神の杖を行使しました!汚染濃度が尋常じゃない!!」


 庁舎会議室でジェフリー・フィッシュ長官が唾を飛ばす。


「めいっぱいズームしろ!」


 長官は部下に指示を出し、巨大スクリーンいっぱいに現地ドローンによる映像を中継させた。


 変わり果てたルブアリハリ砂漠――。

 巨大な渦をぽっかりと開け、地形を変えてしまった砂丘地帯――。


 大気中には砂塵が舞い上がり視界良好とはいえないが、巨大な穴の中へ黒い雨が降り注ぎ、地獄の門が開け放たれたような状況が見て取れる。


「これは…会議のやり直しが必要だな…」


 庁舎に赴いていたトンプソン大統領は、平静を装い葉巻に火をつけるが足下はガクガクと震えていた。


「大統領」


 声をかけてきたのは秘書だった。


「後にしてくれ…」


「シンシア・ディズリーが姿を消しました」


 トンプソンは動きを止め、背後に立つ秘書を振り返る。


「マイケル・ホワイトの凶行はその反動ではないかと」


 トンプソンは、少し前にマイケル・ホワイトを捕縛すべく仕向けた暗殺者の存在を逡巡した。


 彼は裏社会でピカソと呼ばれていた手練れの暗殺者だったが、サウスブロンクスの路地裏で死体で発見された。


 それ以降、トンプソンは刺客を放ってはいない。


「私以外にも裏で動いてる者がいるということか」


 ゴッドスピード家か――、シュミットバウワー家か――。


 マイケル・ホワイトの泣き所であるアリシア・ディズリーの妹シンシアに目を付けた者が他にもいるということだ。


「くそったれ!」


 ヤツを狂わせたのはどこのどいつだ――。


 トンプソンは大声で怒鳴り散らし、床に叩きつけた葉巻を踏みつぶす。

 秘書や軍人に宥められ、ソファに座った。


「大統領。三回目の中継が始まりました」


 秘書が恐る恐る言った。

 休まる暇もなく、トンプソンは立ち上がった。


-----------------------------


「全世界で騒ぎになってるとは思うが、これで分かっただろう?神の杖の効力は本物だ」


 庁舎の会議室に設置された巨大スクリーンの中で、ドールアイズは挑発的な笑みを漏らす。


「今の状況を踏まえた上で、もう一度全世界の政治家、国政に関わる王族たちに命令する。十月三十一日、現地時間の午前十時までに俺が指示した場所へ来い。応じない国には優先的に核を落とす。政治家どもの辞職は許さない。それと各国空港、港からの出航を今より一切禁止する。旅行者もゲームが終了するまでその国に滞在してもらおう。変な動きをすればサウジアラビアの二の舞になると思え」


「狂った野良犬め」


 トンプソンは震えながら毒づく。


「全世界の国民に告ぐ。自国の政治家がゲームへ不参加の意志を表明したならば、そいつらの家族、友人、恋人を襲撃し、吊し上げろ」


 ドールアイズは親指を立てて首を切る仕草をした。


「それと全ての黒幕であるゴッドスピード家、シュミットバウワー家の両当主も必ず来い。いいな?」


 ドールアイズは大笑いし、映像は途切れた。


「これであの狂人のゲームに参加せざるを得なくなった」


「二度めの臨時連邦議会を行いましょう」


 秘書の言葉にトンプソンは静かに頷いた。


-------------------------


 翌日行われた臨時連邦議会は荒れに荒れた。


 狂った男の仕掛けるゲームになど参加しないという者が過半数であったが、大統領であるトンプソンが参加の意を示すと、与野党の議員は黙り込んだ。


「ドールアイズはただのピエロだ!我々を一カ所に集めて説教でもするつもりだろう。行ってやろうじゃないか」


 否定も肯定もない。ただただ、沈黙だけが時と共に流れてゆく。


「私には考えがある…ドールアイズのアジトである新バベルの塔へと手練れの刺客を潜り込ませ、ヤツから神の杖の指揮系統を奪うつもりだ」


「神の杖を奪うことが可能なんですか?大統領」


 若手の下院議員が、藁にも縋るような目でトンプソンを見上げた。


「神の杖に指令を飛ばせるのはヤツの懐にあるスマートホン、そしてヤツの義眼だけだ。入念に調べた結果、これだけは間違いない」


「では、表面上は従順にしておいた方が良さそうですな」


 口髭を伸ばした上院議員が静かに言う。皆も納得しているのか異論を唱える者はなかった。


「我々は神の杖を奪い、ドールアイズに勝利する!いかなる手を使ってでも!」


 トンプソンが与野党関係なく、五百三十五名の議員を鼓舞する。


 彼らの多くはトンプソンに拍手を送り、不安そうな少数派もやがてそれに迎合するかのように拍手を始めた。


「皮肉なものですね。真の危機を前にして全議員が団結している」


 副大統領のミッチ・ニューマンが笑う。


「ゲームとやらが終われば米合衆国はかつての栄光を取り戻す。必ずな」


「そして貴方こそが世界の覇者に」


 その言葉にトンプソンは満足そうに頷くとニューマンの肩を叩いた。

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