第3話 復讐引き受けます

 人生はいつも「ひき逃げ救急車」

 悲しい過去は「やり逃げ高級車」

 あなたと未来は「勝ち逃げ霊柩車」

 Yeah...Yeah...Right now.


 有働のイヤホンからはいつもの曲が流れていた。バスは「横嶋団地前」で停車する。サラリーマンや学生の大群の中、いつものように吉岡莉那が乗車するのを確認する一方、これまたいつものように風呂敷包みを背負った老婆も乗車するのを確認した。


 有働は右最前列の座席を立ち、ここ数日そうしてきたように、この日も老婆に対し、にこやかな笑みを浮かべた。


「おばあちゃん、どうぞここ座って」


「いつもいつも、ごめんねぇ。荷物が重くて重くてしょうがないから、お言葉に甘えさせてもらうね」


 老婆は赤黒い顔に笑みを浮かべて有働と席を入れ替わり、風呂敷を下ろし前で抱きかかえるようにした。そして、そこから林檎を3つとり「あんた、これお礼だよ」と言って有働に渡してきた。


「ありがとう。おばあちゃん。いつもいつもご苦労様。今日も公民館でお仕事なんだね」


「年寄りでも手伝いが必要だって言ってもらえてるからねぇ。あと10年は頑張るよ」


 有働は心の中でため息をついた。どうやら卒業するまでバスで立ち続けなければいけないらしい。やれやれと思いながらも、ありがとうと、もう一度お礼を言いながら老婆がくれた林檎3つを鞄に入れた。内木と戸倉に1つずつくれてやろう。そう思いながら、背後に莉那の気配を感じていた。


(振り返ったらいけない。視線を合わせたらいけない。俺が席を譲ったのは、吉岡莉那の前だからじゃなく、俺自身が善人だからだ)


 有働は極力そう思い込もうとした。誰かを意識した偽善行為は簡単に他人に見抜かれてしまうとチャット仲間の午前肥満児(ごぜんひまんじ)たちに指摘されたのを忘れていなかった。内木が書いたブログで有働の評判も校内でまわりはじめてる。上級生2人による内木いじめには、無関心と思えた連中も、内心義憤を募らせていたようで、有働によくやってくれたと声をかけてくる事もしばしばあった。


 そんな連中の反応はどうでもいい。あれ以来、学校に来なくなった春日と久住の動向が気になるが、まずはそんな事よりも莉那による自分の評価がどう変化したか有働は知りたかった。


 犬養真知子には「有働くん。内木くんはイジメから解放されたみたいだけど、どうやってあの上級生2人を説得したの?」などと興味本位のインタビューを受けたが、それには「内木の代わりにスパーリングの相手になっただけだよ。結果、俺が勝った。2人はもう内木には手を出さないさ」と答えた。


 しかし、いじめを止めさせるため、有働自ら暴力による実力行使を肯定した事になり、莉那の中で自分の評価が下がってしまったのではないか?という不安も少なからずあった。


 いや。世界の秩序を守る世界のリーダー。かのアメリカ合衆国大統領も言ってるではないか。正義のためには暴力も辞さない、と。悪に対処するには、法規処置か暴力か、どちらしかない。しかし、この学校の教師は引け腰で校内暴力の問題に対応しようとしない。法は崩れ去り、無秩序な暴力が横行しているのは明白である。そんな中、無法者に悪事をやめるように土下座しても無意味なのだ。暴力しかない。実力行使という名のカードを切るしかないのだ。


 莉那がもし、自分を誤解したままだとしても、いつか理解してもらえる日が来るだろう。内木によると校内には、まだまだ陰惨な暴力の連鎖と、問題を抱えた生徒たちがうようよいるらしい。有働はほくそ笑んだ。偽善活動を推し進め、春日や久住のような連中は裏で返り討ちにして、校内の無法者たちをあらゆる手段で支配してやればいいのだ。


 そう。有働努という一生徒が努力し、校内の半数を占める不真面目な連中を改心、屈服させ、校舎の内外とわず問題を起こさないようにさせて、殷画高等学校を完全に浄化するのだ。いずれ教師たちも気づくだろう。生徒たちの規範は誰なのか。必要なのは埃かぶった校則などではなく、有働努という生徒の存在なのだと。


 そうなれば、莉那も、きっと有働を見直すはずだ。バスでお年寄りに舌打ちするチンケな男子生徒から、少しは世の中の事を考えてる、ちょっと気になる人…くらいにはなるだろう。いや、なってほしい。そう有働は思った。


 バスが殷画高等学校に辿り着く頃には、いつもの曲のリピートを停止させイヤホンを引っこ抜き、おばあさんに笑顔で「じゃあまたね」と挨拶する有働がいた。莉那はとっくに下車していたが、彼女を意識する暇もなかった。有働は鞄から3つの林檎のうち1つを取り出し、教室に向かうまでの間、齧ろうと思った。


 下車して数歩ほど歩いた時だった。加速するオートバイが、林檎を右手に持つ有働とバスの間の隙間を通り過ぎた。


「ひったくり!つかまえて!」


 どんどん小さくなりつつあるオートバイ。フルフェイスを被った黒いダウンジャケットの男の頭部めがけて、有働は狙いを定め、力任せに林檎を投げつけた。高速回転でフルフェイスに激突し、粉砕する瑞々しい林檎。


 オートバイは転倒し、バスは急停車した。あたりに車はなく、男はオートバイを起こし、急発進しようと試みた。が、時すでに遅し。有働は男の足を払いのけ、反撃できないようにその右肩を押さえ込み、路肩まで押し倒した。


「よかった。バッグは無事だわ。それより、あなた大丈夫?」


 ひったくりの被害に遭った中年主婦は有働ではなくオートバイの男の方に言った。


「大丈夫そうね。じゃあ、救急車じゃなくて警察呼ぶわ」


 主婦は有働にお礼を言うと、携帯を開き警察を呼び出した。


「おい、お前、殷画の生徒か?俺を逃がせ」


 男は有働に向かって言った。有働は男の右肩を制したまま、無言で睨みつける。くそ、と呟き男は観念したようにうなだれた。生徒たちが現場に野次馬で集まる。


「なに、あいつ!すげぇピッチングだったぞ!林檎を犯人に投げつけてよ」


「あいつ、野球部か?」


 そんな野次馬たちの声が後ろから聞こえてきた。有働は振り向きもせず、犯人を取り押さえたまま(面倒なことになっちまったかな)と、とっさの行動を反省しつつあった。(俺は犯人を捕まえた。これは正義だ)そう思い直す頃には、警察官が到着し、有働と主婦と、犯人の男、それと有働の学年の生活指導の教師、尾中が署まで呼ばれる事となった。


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 警察署での調書に協力し、尾中と有働は学校へと戻る事になった。尾中が運転する軽のワゴンの車中、会話らしい会話もなく重苦しい空気だけが充満していた。


「何て言ったらいいかなぁ」


 ため息混じりに尾中が口を開いた。


「犯人の頭にリンゴ投げつけて転倒させた有働。お前もお前だがなぁ。犯人の正体もまた、ウチの卒業生だったとはなぁ。まいったなぁ」


「僕は、何か間違ったことをしましたか。それともあの時僕が犯人を見逃していれば、学校的には頭を抱える事もなかったと仰りたいんですか?僕は犯行を防いだんです。バッグの中に大事なものが入ってたとかで、あの主婦も感謝していましたよ」


「いや、まぁ。犯行を防いだってのは結果論でな。お前の行動で、一歩間違えれば、あの犯人…は後続車に轢かれて死んでた可能性もある。結果として、バッグは戻った。犯人も軽い打撲だけで済んだ。警察も今回の件は多めに見てくれるようだがな。お前のやった事は」


「悪ですか」


 尾中の言葉が終わる前に有働は、そう訊いた。


「悪じゃないがなぁ。それは警察の仕事であって…」


「悪じゃないなら、正義ですよ。うちの父が警官なので、聞いた事がありますが、現行犯なら警察でない一般市民にも逮捕権があるそうですよ。いずれにせよ何もせず黙ってる人間にはなりたくないだけです。例えば、校内でのいじめとか。先生方も見て見ぬふりじゃないですか。仕事をしない先生方に代わって、僕はこの前ある問題を解決しました。春日と久住という生徒がうちのクラスの内木を強請ってたのを止めたんです。ご存知かどうかは知りませんがね」


 尾中の顔が紅潮するのを感じたが、有働は気にせず笑いながらそう言った。


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 有働は3時間目の国語から授業に参加した。工藤教諭の朗読中も教室はざわめき立ち、戸倉からメモが渡ってきた。


(よう。ヒーロー。今朝からお前の活躍で話題が持ちきりだったぜ。野球部の厚木先輩あたり、がお前のピッチングに目をつけて昼にでも勧誘にくるかもしれないぞ)


 有働はメモを折りたたみ、机に仕舞うと、前の席に座る莉那の方をチラと見た。莉那はお年寄りに優しく、さらにはひったくりという悪を制圧した自分をどう思ってるのだろうか?今はまだ結果を求めてはいけない。ただ、彼女の中で自分のイメージが少しでも好転するのを願わずにはいられない。


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 昼休み、有働はコンビニ袋をぶら下げ教室へ帰ってきた。莉那の姿はなかった。恐らく今日も犬養真知子とともにクラブハウスで昼食をとっているのだろう。戸倉は他のクラスメイトと談笑していた。内木は自分の席でいつものようにスマホをいじっている。今朝も某国民的アイドルグループの一人が週末、俳優陣と合コンに勤しんでいたらしいという記事をアップしていた。


「おう。内木!よかったら林檎どう」


 有働は、今朝に老婆からもらった林檎の一つを内木に手渡した。背後から声をかけられ一瞬ビクンとなったが、有働の顔を見て笑顔を浮かべた。


「あ、ありがとう。有働くん、一緒にご飯食べる?あとちょっとでブログ更新終わるから」


「いや、今日はちょっと考え事があるんだ。また明日あたり一緒に食おうぜ」


 戸倉の推測だと、今日の昼には自分に来客があるはずだった。有働は残念そうな顔を浮かべながら言った。


「か、考え事?僕に協力できる事あったら何でもするから言ってね。それにこの前話したように、色々と正義の活動のことも水面下で調べてるから」


「ありがとう、助かるよ!信じてるぜ。相棒!」


 内木は、有働に信頼を寄せられた事に満足したように頷くと、何かあったら言ってねと、繰り返したのち、再びスマホに視線を落とし、親指を忙しなく動かしはじめた。 


 有働は自分の席に戻るとコンビニの唐揚弁当の蓋を開け、箸をつけた。


 しばらくすると、戸倉の言うとおり、3年生の引退後は、野球部の次期キャプテンと言われる、厚木という2年C組の上級生が有働に会いに来た。


「発進して遠ざかっていくオートバイに向かって林檎を投げ、それがちゃんとマトに当たった。しかも林檎は粉砕されていた。コントロール、スピード、パワー、全てにおいてそれはすごい事なんだよ」と厚木は力説した。


 有働は、唐揚をついばむ箸を止め、厚木の熱心な勧誘を丁寧に、にこやかに、しかし残念そうに断った。部活動でなく勉強に専念したいんですと、とってつけたような理由も加えた。


「でも、そういうお誘いが来た事は嬉しいです。あとお聞きしたいのですが、厚木先輩は春日先輩、久住先輩と同じクラスですよね?二人ともまだ学校には出てこないんですか?」


 うな垂れて帰ろうとする厚木に、有働は訊いた。


「ああ。相変わらず、2人とも学校には来てない。有働くんがクラスメイトを守るために、あいつらをシメたんだろ。あの話はマジなのかい?」


「シメたのではなく、内木の代わりに、あの2人のスパーリングの相手をしただけです。春日先輩たちは、やはりまだ僕を恨んでるんでしょうかね」


 春日たちが何らかの方法で自分に報復を企てているとしたら、対策を練らねばならない。


「有働くん。君は腕っ節も強いんだな。あ、そういえば、うちの後輩が、往訪(おうほう)商店街のゲームセンターで、春日と久住が他校の生徒がつかみ合いになってるのを先日、見たって言ってたな」


「まさか、二人とも毎日、あそこに入り浸ってるんですか」


「そうみたいだ。あいつらも1年の時はサッカー部をマジメにやってたんだけどなぁ。ある事件をきっかにして退部させられて、ああなってしまったんだ。」


 同じ運動部として同情の色を隠せないようで、厚木は、遠くを見るようにして言った。


「サッカー部を退部させられた、ある事件って何ですか?」


「春日と久住は、教師を殴ったんだ。殴ったというより半殺しにしたんだ」


「それで退部だけですか?」


「教師にも問題があったから穏便に示談で済んだらしい。と言ってもその教師も、もう辞めてしまったが」


「何があったんですか」


「サッカー部のマネージャーの女子が、当時サッカー部顧問だった、その教師と付き合ってたらしいんだ。そしてある日、捨てられた。教師は既婚者だったから。その女子は翌日、首を吊って自殺した。部室でね」


「自殺ですか」


 有働は鼻を鳴らした。サッカー部には去年自殺した生徒の幽霊が出るとか出ないとか、そんな噂を耳にした事があった。自殺者がいたのは、うっすら話に聞いていたものの、興味がなかったせいでその原因については今、はじめて知った。


「まぁ、遺書もないし、教師の淫行を立証するものもなかった。携帯でのやりとりはなかったそうだ。でも春日と久住は、マネージャーと教師が市外のラブホから出てくるところを見た事があったらしくてね」


「ふたりとも、そのマネージャーが好きだったんですね」


「まぁ、そうだろうな。でも、憧れのマネージャーを、顧問に取られた挙句、命まで奪われたわけだから。あいつらが切れるのはムリもない」


 厚木は、野球部への入部を考え直してみてくれ、とだけ付け加え、教室を出て行った。しばらくして、食べかけのサンドイッチを片手に戸倉が駆け寄ってきて、会話の内容を根掘り葉掘り聞いてきた。


「断った」


 にべもなく、有働がそう答えると、にやにやしながら「そうだろうな、やっぱり」と戸倉は言った。


「それより、俺のこの前の話がよほどお前に効いたらしいな。内木のブログ読んだぜ?記事といえば、お前の宣伝ばかりじゃないか。とことん偽善者をマジメにやろうってのか。その素直さもまた、お前らしくていいぜ」


 戸倉はとことん嬉しそうに言った。


「そんなんじゃねぇよって言いたい所だが。お前の言うとおりだ。俺はとことん偽善者になってやる。お前に言われて目が覚めたんだ。俺はこのままいく。これはその礼だ」


 そう言いながら有働は今朝、老婆にもらった林檎を戸倉に渡した。


「まさか、この学校中の問題をお前一人で解決するつもりか?」


「できることは、する」


「ウドー。面倒なことになったら、適当なところで身を引くのも、必要だぜ?」


 戸倉は笑いながら食べかけのサンドイッチを齧り、受け取った林檎をポケットに仕舞うと、有働の肩を叩き自分の席へ戻っていった。昼休み終了のチャイムが鳴る。以前クッキーを作ってくれた白橋美紀と目が合う。白橋美紀は頬を赤らめていた。「タイプじゃないのにな」と有働は心の中で苦笑いをした。


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 放課後、有働は、バスを乗り継ぎ、目的地付近の公衆トイレで私服に着替えると、往訪(おうほう)商店街へ向かった。ゲームセンターの駐輪場でスクーターでやってきたと思しき、20代前後の若者5人が我が物顔でたむろしている。


 有働はゲームセンターの中を覗いた。

 春日と久住が我が物顔で最新格闘ゲームの機種を陣取っていた。彼らも私服だった。迷彩色のズボンにミリタリージャケット。いかにも暴力を好みそうなその出で立ちに、小遣いを握り締めた中学生たちは恨めしそうに彼らを眺めていた。


 有働は再びゲームセンターを出た。

 若者数人がコンビニへ向かっていくのが見えた。有働は一番派手な改造がされた白のスクーターに、ジーンズのポケットから取り出した黒のマジックペンで大きく「店の前にいるのがジャマだ!さっさと帰れ!」と書いた。


 若者たちが帰ってきた。リーダー格の男が自分のスクーターの落書きに気づき、怒り狂ってるのが見えた。

 若者たちはゲームセンターの中に入り、犯人探しをしている。一人ずつ尋問する。中には人畜無害な中学生や麻雀ゲームに勤しむサラリーマンしかいない。


 若者たちは、春日と久住にたどり着いた。

 2人ともケンカ越しに威勢よく対応した。冷静に考えれば今までずっとゲームに熱中してたこの2人にスクーターに落書きすることはできないのだが、もしかしたらこの店の常連である彼らの間に、多少なりとも因縁があったのかもしれない。5人の若者、特にリーダー格の男は怒りに我を忘れてるようだった。


「あ?スクーターに落書きした?知らねーよ。んなことよ」


 春日はポケットに手を突っ込んだままメンチを切っている。相変わらず分ってないヤツだ。あれでは相手の攻撃を制す事も、攻撃をする事もできないではないか。有働は苦笑した。


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 5人が、春日と久住を囲む。困惑するゲームセンターの店員は一喝されると退散した。警察が来るまで5分。そんなところだろう。


「先輩!何してんすか。今、そのおっさんたちに絡まれてるんすか?」


 有働は春日たちに声をかけた。


「何だ、てめぇは!おっさんだと?このクソガキ。見ない顔だな」


 5人の若者の鋭い視線が突き刺さる。春日は気まずそうな顔をしていた。久住はなぜか有働を見て何かを期待するような表情を浮かべた。


「うちの先輩たちに何か用すか?」


「すっこんでろ!てめぇもボコるぞこら!」


 1人の若者が、有働を押しのけようとした。有働はその手を払いのけ、カーキ色のジャンパーの内側をグイとを掴み、足掛け払いで若者を地面に叩きつけた。


 他の4人が慌てふためく。


「うちの尊敬する先輩たちにケンカ売るなら、俺が相手になりますよ」


 残る4人のうち2人は戦意喪失していた。

 リーダー格の男と、一番体格の良い男だけが有働に敵意をむき出しにしている。


「なんすか?いい年した大人が揃って高校生いじめですか」


 体格のいい男が拳を振り上げる。有働はそれをスイとかわして、男のわき腹に膝蹴りを入れた。男は膝を折って吐瀉する。残ったリーダー格の男は戦局の不利を理解したのか、何か凶器になる物はないか、と周囲を見渡している。


「これ使えば?」


 有働は、1人目のジャンパーの内ポケットから、叩きつける際、瞬時に失敬した折りたたみ式ナイフを投げつけた。


「いいから俺を刺してみろよ。おっさん」


 リーダー格の男がそれを拾い上げる。折りたたみナイフを広げようとした瞬間、有働の右ひざが男の顎を射抜く。鋭い刃をむき出しにした状態のナイフを引ったくり、有働は男の顎に突き付けた。


「おっさん、俺ら未成年者は人を殺しても死刑にならないんだってよ」


 男の額から冷や汗が流れ出る。有働の突きつけた刃先は男の皮膚に浅く突き刺さり、血が滲み始めていた。


「正当防衛だから悪く思うなよ」


 有働は男の鳩尾に渾身の右拳を叩きつけた。時間にして3分弱。警察はまだ来ない。


「先輩、逃げましょう」


 有働の声が聞こえてないのか。春日と久住はあっけに取られたように固まっていた。


「はやく行きましょう」


 2人の硬直が解けた。有働がナイフについた自分の指紋を拭き取り終え、それを床に投げつけると同時に、3人はゲームセンターを飛び出し、夕方を向かえ人混みが溢れかえる歓楽街の方向へ向かった。


-------------------------


 一番はじめに、口を開いたのは春日だった。


「感謝なんかしてねぇぞ。俺と久住で何とかできた」


 歓楽街、小汚い雑居ビルの隙間で3人は座り込んだ。久住が春日に向かって口を開く。


「そう言うなよ春日。お前だってあの状況じゃ俺らの方がヤバかったって分かるだろう?それによ、有働の強さはこの前、さんざん思い知らされただろう」


 黙りこむ春日。久住は有働の方を向きなおした。


「あの場じゃ有働が動かなきゃ収まらなかった。助かった。サンキューな。」


 不服そうな春日を尻目に、久住は潤んだ瞳で有働に礼を言った。


「助けるとか、助けないとか、そんな事はどうでもいいです。そんな事より、2人には謝らないといけないなって」


「あ?謝る?何をだ」


 春日が不思議そうな顔をこちらへ向け、ポケットからマルボロの箱を取り出しタバコをくわえながら言った。


「内木の件ですよ。お二人は内木を強くしてあげたくて、定期的にスパーリングしてたんですよね?ちゃんと、そのへん確認せずに俺がしゃしゃり出てすいませんでした」


「やめろよ」


 春日が火をつけながら言った。久住は下を向いたままだった。


「ちげぇよ。そんなんじゃねぇ…」


 春日の声は今にも消え入りそうだった。


「お二人が1年生の時、サッカー部で活躍してたのを、厚木先輩から聞きました」


「あいつめ」


 言葉とは裏腹に春日の目には怒気は含まれていない。


「あそこは最低な学校です。教師も最低です。お二人は、もしかして、教師に対する復讐をしたかったんじゃないですか」


 有働は、トーンを抑えてそう言った。


「お前、どこまで聞いてるんだ」


 久住は悲しい口ぶりで有働に訊いて来た。


「ほとんど、その、聞いてます」


「ああ。お前の言うとおりだよ。内木を強くするスパーリングなんて名目だ。俺らは、教師の前で堂々と内木をいじめて、憂さ晴らしをしてたんだ」


 春日は太い煙と同時に本音を吐いたようだった。


「内木は俺のダチです。もう、あんなことは止めてあげてください」


 2人は黙ったままだった。


「教師に復讐したい気持ちは分ります。でも20人以上いる教師全員に復讐するのはムリでしょう」


「じゃあ、どうしろってんだよ」


 春日はタバコの穂先を見つめて吐き捨てるように言った。


「あの学校から出て行った男がいるでしょう。当時高校1年生だったマネージャーの女子を遊んで捨て、自殺に追い込んだ、元・サッカー部顧問の石黒です」


「石黒のクズ野郎をぶちのめせっていうのか?それとも有働、お前がぶっ飛ばしてくれんのか?」


「いえ。暴力では何も解決しません。だからと言って淫行の決定的証拠もない。しかし、話に聞く限り、用意周到さから常習犯だと思います」


「そうだろうな」


「今、石黒は刈間(かるま)市立天声高校でサッカー部顧問をしています」


「知ってるよ」


「内木に聞きましたが、あの学校の女子、可愛い子が多いそうです。石黒が、過去を反省し心を入れ替えてるかどうか、確かめましょう。まだ同じ事を繰り返しているなら、天誅を下しましょう」


 春日の指先からタバコの灰が落ちた。


「なんでお前が協力してくれるんだよ?」


 久住が口を開いた。有働は微笑み、こう答えた。


「俺はクズが嫌いです。お二人にはクズになってほしくない。だから、諸悪の根源をぶっ潰して、元のお二人に戻って欲しいだけです」


 ゲームセンターでの乱闘から20分以上が過ぎた。さほど遠くもないこの場所からサイレンも聞こえない。あの若者5人は逃げおおせたのだろう。いずれにせよ、大事にはならずに済んだ。有働は緊張が一瞬にして解れるのを感じていた。


「何を、どうぶっ潰すんだ」


 春日が食いついてきた。久住も頷く。有働は、今、この瞬間、二人の心が大きく揺れ動いてるのを感じた。


「石黒の大切なもの、ぜんぶ奪いましょう」


 有働は微笑み、こう答えた。

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