第4話 罪深き淫行教師
K県刈間(かるま)市の閑静な住宅街にある3LDKの分譲マンション。
自室のモニターに向かい欠伸をかみ殺す。時計は午後11時をまわっていた。妻の彩香と小学生の息子、良一と幼稚園に上がったばかりの希美は眠りについている。
刈間(かるま)市立天声高校の社会科教師、石黒誠司は、顧問しているサッカー部の再来週の練習メニュー表や、練習試合スケジュールをエクセルに打ち込んでいた。
これらをプリントアウトしたものを配るのは来週の月曜だが、土日に仕事を残したくなかった。あと1時間。日付が金曜のうちにすべてが終わる算段だった。
部は、県大会の下位を争う弱小チームだった。石黒は学生時代にサッカーをかじっていたという理由だけで、前の学校でも、今の学校でも、ただ成り行きで顧問を引き受けた。部員たちに的確なプレーアドバイスをし、時として、たるんだ生徒に情熱のこもった叱咤をすれば善良な熱血教師に見えた。
石黒はK県の私立大学を卒業後に社会科の教員免許を取得した。今は政治経済を2年生に教えている。爽やかな笑顔と端正な顔立ち。37歳と教員の中では比較的若いことから、男女問わず生徒たちに人気が高かった。
前に勤務していた県立高校で、「ある事件」が起こり、校長と昔からの知り合いの教育委員会職員、双方の根回しで何とか「県立高校と市立高校の人事交流」という名目で、この学校にもぐりこむ事ができた。
それが去年の秋である。
県立高校の職員より市立高校の職員の給与の方が遥かに良かった。
この不景気にありながらも銀行が快く貸してくれた金で、新しい門出にと、区画整理が徹底され住みやすく交通の便がいい、刈間市内の住宅街にある分譲マンションを25年ローンで購入した。
30過ぎてからの大きな買い物には勇気がいったが、子供たちは新しい部屋が持てて喜んでいたし、石黒も自室を持つ事ができた。妻は憧れの分譲マンションに引越し、目を輝かせながらご近所づきあいに精を出していた。
プリントアウトを終えチェックが済むと、冷めてしまったコーヒーに口をつけ、ブラウザを立ち上げマウスを動かし、ヤフーニュースを見た。
トップ記事の「高校の屋上から女子生徒が飛び降り自殺。原因は分からず」という見出しが目に入った。そこに書かれているのは、世間から見れば悲劇でありながら、ありふれた未成年者の自殺報道に過ぎなかった。
しかし、石黒は何かを思い出したように呼吸が荒くなっていた。喉の奥が乾きあがる。激しい動悸と震える指先でマウスをクリックした。そして記事に目を通し始めた。
石黒の脳裏に「ある事件」が蘇る。
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去年の夏「ある事件」は起こった。
以前の勤務先であったK県立・殷画(いんが)高等学校で、月曜日の早朝、サッカー部のマネージャーだった臼井祥子が、部室で首を吊り自殺していたのだ。
第一発見者は、朝練習のため最初に部室に入ってきた、臼井祥子と同じく当時1年生だった春日毅と久住尚人だった。2人とも多少ケンカっぱやい部分はあったものの、朝早く部室にやってきて、一番最初に準備をする、基本的にマジメな生徒たちだった。
調書に協力し解放された後の彼らは、両親が迎えの車が来るまで、警察署の待合室ソファでそれぞれ蒼白な顔のままうなだれていた。
「先生は、臼井さんの自殺の原因に心当たりはないですか?」
石黒も同じように呼び出され、担当の警察官に聞かれたが「特に心当たりはないです」と答えた。
しかし本当は、その自殺の原因に心当たりがあった。
石黒は自分が顧問しているサッカー部のマネージャー臼井祥子と、男女の関係を持っていた。そしてつい先週の土曜、彼女を捨てたばかりだった。
遺書は残されていなかったが、別れたくないと涙ながらに縋る臼井祥子に対して自分が強引に別れを告げたために、彼女は自殺をしたのだとすぐに理解した。
これまで行ってきた女生徒たちとの関係の痕跡は、消さなければならない。
石黒は帰宅後、震える手でパソコンを立ち上げ、中にある臼井祥子、そしてその他の女子生徒の関連画像、動画を削除した。ハードディスクの中身も削除した。
だが、最後。たった一つ残ったUSBフラッシュメモリだけは削除できなかった。これほど小さなものなら、いざと言うときまで隠し通せる。石黒には自信があった。
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石黒が、この悪癖に目覚めたのは、教師になって3年目。26歳の頃からだった。当時、妻となる彩香とはすでに交際していたが、制服姿の女子生徒に対し、性的衝動を抑えられなくなっていた。
石黒はまだ若かった。女子生徒たちはまだ幼かった。
狡猾な大人の頭脳も持ち合わせた石黒は、誰にもばれないように様々な女子生徒と淫行を重ねていった。
後日、彼女たちがすべてを暴露しないように、口止め材料にするために、言葉巧みに誘導し彼女たちの卑猥な画像や動画を撮影した。
9年間ずっと問題は起きなかった。
わざわざ口止めするような事態も起きなかった。卒業していった女生徒たちの画像、動画は、コレクションとして追加されていくばかりだった。
その後、彩香と結婚し子供が生まれてからも、石黒は悪癖を繰り返していた。全てに対しうまくやり通せていたし、何も問題が起きないはずだった。
しかし、誤算は起きた。
石黒はいつも女生徒たちと肉体関係に入る際「3回しかデートはできない。僕は既婚だから。それでもいい?」と必ず同意を入れるようにしていた。
情が移ると面倒になので一人の女生徒と関係を持つのは、きっちり3回までと決めていたのだ。こうやって布石を打っておけば、別れの際ダダをこねそうになっても「最初に言ったでしょ?」と言えばそれを聞き入れるしかなくなるというわけだ。
だが、臼井祥子は、石黒の別れの言葉を聞き入れてはくれなかったのだ。
石黒は女生徒に近づく際、いつもその女生徒について入念にリサーチをするようにしていた。臼井祥子も例に漏れず処女ではなかったし、複数の男子生徒と関係を持つような、遊びなれたタイプだと判明した。結論として、彼女は恋愛に執着しない、すぐに別れられるタイプだと確信が持てたので関係をスタートさせたのだが、石黒の読みは外れてしまったのだ。
臼井祥子は、石黒から離れようとしなかった。
「先生は、はじめて好きになった人なの」少女は目に涙を浮かべていた。
プライドが高くて、いつも強がりを通し、短命な恋愛を繰り返し、過去の恋人には執着しない遊びなれた少女。そんな彼女とは思えない言葉だった。
石黒は臼井祥子が離れていくように、あれやこれやと言葉を並べたが、涙ながらに自殺をほのめかす彼女の剣幕に押し流され、4回目の関係を持ってしまった。
「もう会えない」
いつになく強い口調の石黒に、臼井祥子は涙ぐみながらゆっくりと頷いた。慟哭しないよう必死に堪えてはいるものの、この16才の少女がこれまでの人生にないであろうほど深い悲しみに打ち震えているのが見てとれた。
ラブホテルを出るとき、別々に出ようとしたが、臼井祥子は入り口で駆け足で石黒に追いつき、腕を絡ませてきた。
一瞬、彼女がホテルから少し離れた電柱をチラと見た気がした。電柱の後ろで人影が動いたような気がした。だがそれが誰なのか確認する暇はなかった。どうせどこかの酔っ払いだろうと思い、気にはしなかった。
石黒は臼井祥子の腕を解き、一人で駐車場に向かい、車を発進させた。バックミラーで小さくなっていく少女の影に罪悪感を感じながら、ハンドルを握った。
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臼井祥子の死から1週間がたった。
部室で、1年生の春日と久住が突然、石黒に殴りかかってきた。
何度も彼らの拳が飛んできた。何度も蹴りが振り下ろされた。他の部員たちが止めに入り、石黒は保健室へ運ばれた。
校長の独断で警察や救急車は呼ばれなかった。
生活指導の尾中教諭が、石黒を暴行した理由を2人に詰問したが、彼らは口を開こうとしなかった。
日夜、サッカー部の練習に励んできた賜物か。骨折など大事に至らなかったものの、春日と久住の蹴りは、特に効いた。
石黒は苦痛に顔を歪めながら、保健室のベッドの上ですべてを理解した。あの日、臼井祥子と自分がラブホテルから出る際、見かけた電柱のうしろの影の正体。それは春日と久住、彼ら2人だったのだ。
あの日、心の中ですでに自殺を決意していた臼井祥子は、せめてもの意趣返しに、自分を捨てた石黒を追い詰めるため、彼ら2人をホテル前に呼び出し、わざと自分たちの姿を目撃者させたのだ。
自分が捨てられたなどとは、プライドが許さず遺書には書けない。しかしせめて、石黒を誰かに殴りつけてほしい。
春日と久住。あの2人なら自分の名誉を守るため事態が収束するまでは口をつむぎ、事件にならない程度に、石黒を一発か二発、殴ってくれるだろう。
実に臼井祥子らしい、最期の望みだった。ある程度は、彼女の目論見通りになったと言っていいだろう。
しかし、一発どころか、全身打撲の大怪我を石黒に負わせた春日と久住は、その日のうちにサッカー部を自主退部した。
保健室の養護教諭は「警察には届けてないんですか」と、石黒に不思議そうな目を向けてきた。
他の教師も口を挟み「無抵抗の教師を、ウサ晴らしに理由もなく何度も殴りつけるなど言語道断。警察に突き出すべきだ」と言い出す始末。事は大きくなり始めていた。
石黒は、もう何もかもが隠し通せないと、涙ながらに全てを校長に話し、辞職の意思を示した。すべてを聞き終えた校長は、辞職を許さなかった。学校の不祥事発覚を怖れたからだ。
暴行の件は警察(おもて)沙汰にはならなかった。春日たちの暴力は内々に示談で済ませた。他の教師たちも、校長と石黒本人の説得もあり、渋々この処遇を受け入れた。
怪我の具合を心配する妻の彩香には、反抗的な生徒を少年院に送らず、校内において更正させるのも教師の務めだと説明した。
傷が癒えた石黒は、校長の薦めもあって、数年前、校長のツテの教育委員会事務局の面々との飲み会で知り合った、教職員人事課にいる根本という男に自ら連絡をした。
あの日はよく飲んだ。酔っぱらった。校長は、根本らを石黒に紹介すると一次会で帰宅した。二次会のメンツは終電前に解散した。
石黒と根本、2人だけの三次会では、互いに余計な暴露話をしながら風俗店に一緒に入った。俺たちは兄弟だ、と言い合った。
「石黒。お前の話を聞いてるとよぉ。今はうまくやってるみたいだけど、そのうち淫行問題が発覚しちまうだろうな。ヤバそうになったら、発覚する前におれに連絡して来い!人事課にいる間ならおれが何とかしてやる」
根本は酒の勢いも手伝って、冗談交じりにそう言った。
スマホから番号を呼び出し通話ボタンを押す。数コールで繋がった。石黒の事を忘れていた根本も、あの日の夜を思い出し、世間話に花が咲いた。
ひと段落したところで、石黒はすべてを話した。あの日の冗談は本当になった。
数秒の沈黙の後「ちょっと、待て」と根本は言った。
さらに沈黙の後「県立の高校で社会科の教師を募集してる。それを使い、県立高校と市立高校の人事交流という名目で、お前を異動させられるよう何とか動いてみる。校長には紹介状を書いてもらえ」と続けた。
その声からは、先ほどまでの明るさが消えていた。石黒への嫌悪の色があからさまに滲み出ていた。
「あの日は酔っ払ってて、おれも色々と暴露しちまった。が、これでお前に貸しができたな。あの日、おれがお前に話したことは一生墓までもっていけ。それと、二度とおれに連絡してくるな」
根本は氷のようなトーンでそう言った。石黒は涙ながらに言葉を詰まらせ、根本に感謝の言葉を述べた。
こうして、保身に努めた校長と知り合いの教職員人事課にいる根本の助力を得て、石黒は綺麗な身のまま、ある種、昇進とも言える人事異動を成功させた。
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石黒は、高校生の自殺報道の記事を読み終えると、ヤフーニュースのブラウザを閉じた。臼井祥子の事件を思い出すたび、背筋を悪寒が走りぬける。指先は震えたままだった。
鞄の中をまさぐる。隠しポケットのチャックを開け、キシリトールガムの細長い箱を取り出す。開けるとUSBフラッシュメモリが出てきた。
しばらくして震える指でUSBフラッシュメモリをデスクトップPCに差し込んだ。
現れた画像たち。
あの日からさらに、フォルダは増え続けていた。空き容量も僅かになっていた。
サムネは、一糸纏わぬ少女たちのレンズ越しの無垢な笑顔でいっぱいだった。臼井祥子の画像や動画も、奥の奥の、さらに奥のフォルダで眠っている。全てを消す事はできなかったのだ。
この先もフォルダは増え続けるだろう。校内の女生徒だけではなく、都内や市外で出会う、行きずりの援助交際目的の少女の画像も追加され続けるからだ。
石黒は薄ら笑いを浮かべ、最新フォルダを開き、自らを慰めはじめた。精一杯の現実逃避だった。
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午前0時過ぎ。自慰行為を終えた石黒のスマホで、インスタントメッセージの受信マークが点滅した。
発信者は"アリス"と表示されている。石黒はメッセージを開いた。
「明日の13時ごろ新宿まで来れる?いいコ見つかったよ。2時間で"3"でどう?」
石黒は、即メッセージを送り返した。
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翌日。
土曜の昼過ぎという事もあって、新宿歌舞伎町にあるホテルはどこも満室だった。少々、値は張るが空室のあったホテルへ、石黒は一人で入った。
"アリス"に、昨日と同じインスタントメッセージではなく、別のフリーアドレスから、ホテルの名前と部屋番号の連絡を入れた。
「了解。あと30分以内には女の子着くから。"3"の料金前払いで、スマホでの撮影オッケー。写真はこの前送った子に間違いないから安心して」
"アリス"は信頼の置ける「仲介業者」だった。
石黒と"女の子"を直接、結びつけるような事はせず、いくつかのSNSアカウント、フリーアドレス、インスタントメッセージなど使い分け、リスクを分散させて、両者をホテルで対面させる。そして何か事が起きた際は、それらの全てのアカウントを削除し、石黒の事は一切、喋らない(と言っても何も知らないと言ったほうが正しいかもしれないが)という約束も交わしていた。
詳しい年齢は知らなかったが、「ウリ」はもう3年前に卒業したと語る、敏腕女衒"アリス"の顧客は、もちろん石黒だけではない。毎月の売り上げは相当なものだろう。
30分待つと、ドアのチャイム音が聞こえた。
「栞(しおり)です。今日はよろしくおねがいします」
「まず、学生証を見せて。見た感じ未成年だとは思うけど、ちゃんと確認してから楽しみたいからさ」
石黒は"栞"から学生証を受け取ると顔と名前を確認した。
住所と学校名は"栞"の左右の親指によって意図的に隠されていたが、隠されていない部分の本名は「伊藤祐希」と記載されており、さらにその下に記載された生年月日を確認すると、現在、高校1年生という事が分かった。
髪も今以上に短く、私服のせいもあって、目の前の"栞"よりも多少ボーイッシュな印象を受けるが、本人に間違いなかった。
「入って」
石黒は沸きあがる欲望を押さえ込みながら、笑顔で"栞"を迎い入れた。
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「ふざけるな」
10分後―。
石黒は怒鳴りながら"栞"―伊藤祐希―をホテルの部屋から追い出すと、バスルームを巻いただけの姿で、怒りに震えながらスマホを操作した。
「おい、どういうことだ。俺を騙したのか。お前もグルなのか?」
"アリス"にメッセージを送る。返答はなかった。
「ふざけやがって。ふざけやがって」石黒は何度も呟いた。
―10分前。
石黒が先にシャワーを浴びた。石黒がバスルームから出て、次に"栞"がシャワーを浴びようと衣服を脱ごうとした時、彼女、いや―彼―は衝撃の告白をした。
「私、心は女の子だけど…身体は男の子なの。それでも…抱いてくれますか?」
"栞"は石黒の手を握り、自らの股間に押し付けた。石黒は―彼―の告白が嘘でない事を知った。
「男だと。ふざけやがって。くそ。そんな事、俺がシャワー浴びる前に言えよ」石黒は、一人きりの部屋で毒づきながら、テーブルに置かれた鞄に視線をやった。
背筋を冷たいものが走った。
慌てて鞄の中をまさぐった。自分が騙されたと気づいた後、財布の中身に手をつけられていないかどうかは"栞"の前で確認済みだったが、鞄の中までは改めていなかった。
「ない」
何度も鞄の中を確認した。隠しチャックの中にあるはずのキシリトールガムの箱、そしてその中に隠しておいた、USBフラッシュメモリが無かった。
「栞は男だったぞ。アリス、お前は知っててアイツをよこしたのか?」
石黒は"アリス"の返事を待たず2通目のメッセージを送った。指先は震えている。USBの件には触れなかった。触れたくなかった。だが"アリス"の指示によって盗まれたのならば…許せない。
怒りと、不安と、絶望が混ざり合った感情が渦を巻いて心に広がる。
「捜し出してやる」
石黒は服を着てホテルを出た。
時間にして10分。電車に乗られたら二度と"栞"を見つけ出すことはできないだろう。息を荒げながら歌舞伎町をホテル街を走りぬけた。
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17時すぎ―。
石黒は外面蒼白のまま、新宿をぶらつき、もういるはずもない"栞"の行方を捜し続けた。ゲームセンター。ショッピングモール。レストラン。喫茶店。シャッターを開けて間もない居酒屋。どこにもいなかった。
"アリス"からの返答メッセージを知らせる着信音が鳴った。内容は次のようなものだった。
「本当?ごめんなさい。性別までは確認していなかったから。今後はこういう事ないように確認します」
(USBを盗ませたのはお前だろう!この俺を強請るつもりなんだろう!白状しろ)
石黒は書きかけたメッセージ内容を削除した。
"アリス"とは一度だけ顔合わせしたのみで、連絡手段も限られていた。逆上して怖がらせたら永久に連絡が取れなくなるかもしれない。
まずは出方を伺おう。そう思い、送信を踏みとどまった。
それに"アリス"が"栞"にUSBを盗ませたとは限らない。
「栞とはどこで知り合ったんだい?」石黒は書き直したメッセージを送信した。
「SNSメッセージが来たの。バイトを探してるって。いろいろ条件を聞いたら石黒さんにピッタリかと思って。石黒さんに紹介する前にメッセンジャーの無料通話もしたし、男の人の声には思えなかったから」
アリスからの返信内容を確認すると、石黒はそのSNSのアカウントにログインページに飛んだ。
アカウントは2つ持っていた。職場の仲間や学生時代の友達と繋がるための"表"アカウントと、アリスと繋がるためだけの"裏"アカウントだ。
石黒は"裏"アカウントへ3日ぶりにログインした。
「3通メッセージが来てる」石黒は荒い呼吸でスマホの操作を進めた。
"裏"アカウントには石黒自身の個人情報はおろか、顔写真すら載せていない。そのせいで誰からも連絡が来る事もないため、メッセージ受信通知設定にしておらず、新着メッセージが3通きている事に、ログインした今、はじめて気づいた。
差出人は"栞"と表示されていた。受信日時を見る。
13時30分に1通。15時過ぎに1通。そして今から1時間前―16時ちょうどに1通。
「さきほどは、すみませんでした。お借りしたものをお返ししますのでこの後、夕方以降でお時間ありますか?」
「今夜19時頃はご都合いかがでしょうか?このままずっと連絡がなければ刈間(かるま)市立天声高校充てにUSBの内容を書いた封書と一緒に送付いたします」
「今夜19時までに連絡をいただけますか?」
激しい動悸が石黒を襲った。汗が噴出す。視界が歪む。呼吸を荒げながら石黒は"栞"と思わしき人物へメッセージを返信した。
「何が望みだ?どこへ行けばいい?」
返信は1分もしないうちに送られてきた。
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2時間後。19時すぎ―。
石黒は再び新宿歌舞伎町のホテル室内にいた。
手足をベッドの上で縛られたまま、目隠しをされ、シャッターの切られる音、何らかの機材を設置する音に耳を澄ませ怖気を震い、叫んだ。
「おい!俺をどうするつもりだ!!」
室内で異常事態に気づき抵抗した際、見知らぬ男たちに殴られ手足を縛られた。鳩尾が激しく痛む。奥歯には鉄の味が広がっていた。疼痛だけが悪夢のような状況に現実感を与えてくれる。
「お前はな、俺らと楽しむんだよ。撮影環境もバッチリだ」
目隠しを外された石黒の眼前に現れたのは、スキンヘッドの屈強な男だった。
黒いブランド物のタンクトップは、鍛え抜かれた筋肉ではち切れそうだった。男は舌なめずりをしながら、優しい手つきで汗で額にへばりついた石黒の前髪を整える。
「お前の順番は3番目だからな。それより、こっち来て手伝え」
石黒を殴り飛ばしたプロレスラー体型の長髪男が怒鳴った。腕っ節も強く1番の年長者のように見える。おそらく男たちを取り仕切ってるのは彼だろう。スキンヘッドの男は、飼い主にお預けを食らった犬のようにしょんぼりしながら戻っていった。
電動式玩具を起動させるモーター音が聞こえる。長髪とスキンヘッド以外にも、石黒を粘つくような視線で見つめる体格のいい男が2人ほどいた。
「おい!栞…いや、伊藤祐希はどこだ!俺はあいつに話があってきたんだ」
「ああ、あのノンケのボーヤか。近頃の若い連中はよく分からんな。その趣味もないのに女の格好してなぁ」
長髪の男がノートパソコンを開きながら、撮影環境のチェックをしながら答えた。
「俺はあいつに物を盗まれた!なぁ、金ならある!あいつをとっ捕まえてくれれば、あんたらに金をやる!話を聞いてくれ」
「金だと?あんた公務員だろ。俺たちが"お楽しみ"を放棄するほどの金を用意できるとは思えんがね…それよりよ。盗まれたのはUSBだよな。中身は見ちゃいないが、内容については概ね知っているぞ」
「なに?」
「アンタ、教師なのに、教え子にかなりエグい事をやってきたみたいだな。自殺した生徒もいたそうじゃないか…ひどい奴だよ、アンタは」
「お前らが俺に何をしようとしてるのか知らんが、これは犯罪だぞ!」
男たちの忍び笑いが聞こえてくる。彼らには分かっているのだ。「石黒は警察に駆け込むことができない」と―。寒心に耐え切れず石黒は黙り込んだ。
「いずれにせよ、俺たちは、そのUSBとは何の関係もないし、ありかもしらない。"栞"って名乗るボウズの事もそこまで知らん。俺はアンタの事を、あれこれ聞かされて、アンタと仲良くしたいと思ってここに呼んだのさ」
長髪の男がノートパソコンから離れ、ズボンを脱ぎ始めた。
「俺らとアンタの関係はここからだ。楽しませてやるよ」
三脚の上、ビデオカメラのレンズが石黒と長髪の男を冷徹なファインダーで覗き込んでいる。
「なぁ、センセイ。女子高生よりも、もっと楽しいモノもあるんだぜ―」
石黒の絶叫は、男の唇で強引に塞がれた。
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