第45話 日本人絶滅計画

「父さんー!父さんー!」


 楊の「息子」であるコーラとの通話で父の危機を知った有働は、狂ったように叫び続けた。


 楊の孤児院で祈るようにして待ち続けた、北京時間の深夜三時半頃――。


 誉田から連絡が来て、父や久住ら数名の死と引き替えに、小喜田内市での大虐殺が未然に防がれたことを知った。


(やはり父さんは死んだのか…久住さんたちまで…)


 有働は右手からスマホを落としそうになったが、誉田は何かに追われるように言葉を続ける。


「有働。お前の親父や久住たちを殺した黒孩子(ヘイハイズ)たちは今頃、広大な海の底だ。どこに沈んでるのかも俺自身もう分からん。あいつらは地球が滅びるその日まであそこにいるだろうよ。有働、お前の親父は最後まで勇敢だった。俺たちは勝ったんだ。皆を守ったんだ。命を懸けてな」


 有働に考える隙を与える前に顛末を話す。それは誉田の優しさだった。


「分かりました…ご苦労かけました。ありがとう、誉田さん…」


 涙を堪えながら誉田の総括を聞き終え、楊の孤児院をあとにした。


「言いたいことや言わなきゃならんことは沢山あるが…頑張ってくれ!負けるな!息子にはいつも強くあってほしい。これが全ての父親の願いだ」


 去り際の、楊からの言葉だった。


 北京軍区の兵士が運転するジープのミラー越しに、白い建物の前に立つ楊が、悲しそうな顔で左手を降っているのが見えた。


 十人の「息子」たちが行方不明になったというのに、有働の心配をして心から悲しんでいるようだった。


 有働は三角布で固定された包帯だらけの左腕を見つめた。傷口は痛まない。


 麻酔は心の疼きまでは癒してくれなかった。


「実は薄々、お前がなにをしようとしているのか気づいていた。血は争えないな」


 これが父――、有働保が息子に遺した最後の言葉だった。


 有働はその意味について考えてみるが、父はどこまでを見抜き、何を願っていたのだろうと思いを巡らせてみても、答えなど見つかりそうにない。


 有働の前には「父の死」という純然たる現実しか存在しなかった。


 有働はジープに揺られながら、北京市内のホテルに戻る途中スマホに残っている父との写真を何枚か開いて見た。


 思い出というのは、二度と戻らないと感じた瞬間に悲しみへと姿を変える。


 真夏のキャンプに冬の釣り。秋の紅葉狩りに春の花見。


 どの写真もまだ幼さの残る、中学生時代の有働が写っていた。


「もう少し、親父と写真を撮っておけばよかったな」


 涙で画面が歪む。


 ジープを運転する北京軍区兵士が、ミラーごしに気の毒そうな視線を投げかけてきたが、何も言葉を発しなかった。


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 北京市内の高層ホテルに戻ってすぐに、エイブラハム・オブライアン米合衆国大統領から国際電話の着信があった。


 有働はスマホを操作し、それに出た。


 遠柴博士と同じ部屋に宿泊していたので、それぞれのトランクや荷物がベッド上に散乱している。


 有働はソファに腰掛けて、オブライアンに流暢な英語で挨拶をした。


「ツトム。お父上の件は残念だった。友人たちの死にも哀悼の意を表する。君の悲しみを想像すると胸が痛い…」


 オブライアンは涙声だった。


「オブライアン。あなたはよくやってくれた。在日米軍の到着時間も妥当だった。父も友人たちも、あの状況ではどうしようもなかった」


 有働は、オブライアンからはここが見えないにも関わらず、スマホを片手にお辞儀をする。


「君は永遠に私の親友だ」


 オブライアンはそう言い通話を切った。


 ホテルの窓からは黄金色の陽光がカーテンを照らし始めている。


 泣き暮れても日は昇るのだと、有働は当たり前のことを思った。


「…エミ」


 震える右手の指先で、救いを求めるようにエミに電話をかけてみる。


 繋がらなかった。


 戦いにエミも参加し、殺されかけたことも誉田から聞いている。


「ぜんぶ俺のせいだ」


 有働はスマホをソファに放り投げ、右手で頭をかきむしる。


 チェルシースマイルに傷つけられた左腕は、相変わらず三角布と包帯で固定されており宙ぶらりんになっていた。


 その時、スマホにメッセージの着信通知があった。


「誰だ。エミか」


 メッセージを開封する。


「朝からごめんなさい。お父さんが勤務中に亡くなりました。早く帰国してください」


 母からだった。


 今さっき叩き起こされ、父の死を知ったのだろう。簡素だが深い悲しみに満ちているのが分かった。


「疲れた」


 有働は電気を消す。


 世界が消えたような錯覚を覚えた。


(例え世界中の人間を救えたとしても、身近な大切な人々を失ってまでやることなのかい)


 誰かの声が聞こえた。


 不破勇太の声に似ている気がした。有働は頭がおかしくなりそうだった。


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 数時間後――。


 有働の微睡みを止めたのは、オブライアンからの国際電話だった。


「ツトム、たびたびすまない。一夜明けて今度は日本が大変だ。チェルシースマイルが派遣した、別の黒孩子(ヘイハイズ)たちが、日本を食い散らかそうとしている。彼らは中華思想を純粋に受け継いだ不死身のモンスターだ。ある意味、小喜田内市にやってきたピンクやレッドたちのような半端者にはない覚悟がある、手強い存在だ」


 有働はソファから身を起こし、テレビをつける。


 ちょうどやっていた北京のニュース番組では、日本の皇居や国会議事堂、各地の原発を「中国出身」の若者たちが占領している、と報道していた。


 警察の機動隊が駆けつけ、銃撃戦が繰り広げられたものの、事態は収まらないと言う。


 日本の自衛隊は後れをとり、返り討ちにあったとされた。


 また――。


「これは国と国の戦争なのか」


 日本政府はそう中国政府に抗議したが、中国側としては謂われのないことで責め立てられ遺憾に思う。それと同時に若者たちの凶行に胸を痛めている。すべては個人の行動であり、国家ぐるみによる攻撃ではない――。


 そう報道していた。


「相変わらずだな、北京政府は」


 中国としては周遠源の死後、新政権が樹立するまでの間、国際社会で波風立てないようにしておきたいところなのだろう。


「我が国は間違った指導者、周遠源により世界から孤立しかけた。戦争を引き起こすような生物兵器の実験は即時、取り締まる」


 中国政府は、クーデターから一夜明け、不死研究(プロジェクト・イブ)の存在を認めたものの、チェルシースマイルによる「日本人絶滅計画」は黙殺するつもりらしい。


「このままじゃ日本がめちゃくちゃだ…」


 内木や父、久住たちの顔が浮かぶ。彼らは自分の死を無駄にしないでくれと言っているようだった。


 有働は、すぐさま中国共産党のナンバー2の男に話を持ちかけてみようと、ソファから起きあがる。


 人民大会堂で怯えきってたあの親父がどこまで働いてくれるかは知らないが、オブライアンを後ろ盾にして話し合いをすれば話が早いだろう。そう思った。


(そんなことをして何になるんだ。日本が何をしてくれた。顔も知らない、会ったこともない連中を救うために必死こくのか?バカバカしい。お前は一体、誰なんだよ)


 また誰かの声がする。


 スーサイド5エンジェルズのコンサートで二千人を人質にした男――、冬貝久臣の声に似ていた。


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 その男は数名の取り巻きを連れて、有働が宿泊するホテルの一室にやってきた。


「やぁ、昨夜はどうも」


「こちらこそ」


 有働は男に会釈する。


 男は昨夜、人民大会堂の最前列で周遠源やチェルシースマイルの凶行を、冷や汗をかきながら震えていた、中国共産党中央委員・政治局常務委員のひとり――。


 名を孫清明といった。


 国務院総理の経験もあり、二百五人いる中央委員会のうち、総書記であった周遠源に次ぐ、序列二位である。


「エイブラハム・オブライアン米合衆国大統領から、電話があったときは…正直、冷や汗が止まらなかったよ…」


 来客用のソファに座った孫清明の、小柄で猫背気味の肩が少し震えている。


「…でも有働くん。君に協力すれば、私を悪いようにはしない約束をしてくれるようだね?」


 孫は小心者であることを隠すつもりはないらしく、媚びたような視線を有働に向けてきた。黒服にサングラスの取り巻きは、背後で直立したまま、微動だにしない。


「周遠源が死んでしまった現状、孫さんあなたがトップだ。あなたの影響力、権力をフルに活用して、僕の祖国を守っていただければ有り難い。中国に居づらいなら、資産凍結を解除して、米合衆国での永住権をオブライアンに発行してもらうことだってできる」


「なんでもする。ぜひとも協力させてくれ。こんなガタガタになってしまった国に愛着などない」


 かつて最高指導者争いで周遠源に破れたという孫は、眉尻をさげて何度も頷いた。


「孫さん、あなたは長生きするタイプだ」


 上座のソファにゆったりと座った有働は、テーブルの上に置かれた紙に「やってほしいこと」を北京語で書き始めた。


(君は愚かだ。自分が世界のすべてを支配できるとでも思っているのか。君は神ではない、人間だ。いつか私のように破滅するがいい――。いつかすべてを失うんだ)


 声の主は劉水――、チェルシースマイルだった。


 有働は、もう頭の中の声を振り払うことはしなかった。


「俺は内木に誓った。父さんも久住さんも、ほかの皆…除上将も、すべては守るべき人のために死んでいった。俺も彼らのようにやるべきことを、やるだけだ」


 有働は心で呟く。


 有働はこれまで倒した巨悪と憎悪のすべてを飲み込み、同化し、いずれ自分が「巨大な怪物」に変化していくような錯覚にとらわれた。


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 今年十八になる青年――、長笑は、生まれたときに名すら与えられず、父母の存在もなかった。


 中華人民共和国の、ひとりっこ政策の反動。


 長笑のように、貧しい農村部に生まれた二人め以降の子供は、両親が税金を払えないため、出生届を出してもらえず、捨てられるか、人買いに売られることが多々あった。


 そういった境遇の人間――、黒孩子(ヘイハイズ)たちは、中国全土において数千万とも、億ともいわれていて、中国政府ですらその実態をつかめていない。


 ここは、占領された国会議事堂――。


 臨時国会中に襲撃され、芋虫のように手足を縛られた国会議員たちと、チェルシースマイルに襲撃を指示された黒孩子(ヘイハイズ)五十名がいる。


 この計画が立ち上がってから顔を合わせた連中だが、誰も彼もが黒い戦闘服に身を包み、銃を構え、目が殺気立っていた。


 年の頃は、自分と同じ十代後半から二十代前半ばかり。


 身寄りがないのをいいことに、人体実験を繰り返され、運良くか悪くか、不死身の肉体を得た者たちだった。


 この場所にたどり着くまで、日本の警察隊によって無数の弾丸を食らったが、誰ひとり死ぬことはなく彼らを返り討ちにした。


 名も無き自分が、祖国の歴史に名を刻む――。


 誰もがそう願い、国会議事堂(ここ)までやってきたわけだが、先ほど確認した昼のニュースで、遅れて祖国のクーデターを知った。


 十三億の国民は、国際社会からの孤立を恐れ、周遠源が極秘裏に進めていた「不死研究(プロジェクト・イブ)」を糾弾し、政府も素直にそれを認め、今後は研究を取り締まるというのだ。


 不死研究(プロジェクト・イブ)の頓挫は、自分たちの存在意義を脅かす。


 暗闇の中で薄く輝く光を求めて、地獄をさまよってきた黒孩子(ヘイハイズ)たちは、呆然としながら互いの顔を見合った。


「戦いに夢中で、十二時間ぶりに祖国のクーデターを知るなんざ間抜けすぎるにも程がある」


 誰かが言った。


「チェルシースマイルが死んでしまった今、俺たちの後ろ盾はあるのか」


 別の誰かが言う。


「国民からも政府からもやっかい者扱いの俺たちが、今すべきことは何だ?。今もこの状況は全世界に動画配信されているんだろ」


 撮影係の黒孩子(ヘイハイズが)、タブレットのカメラを回しながら親指を立てる。「もちろん」という意味だ。


「まずは、このネットの反応を見てみろ」


 五十名を束ねる、リーダーの何(カ)という男がスマホを皆に見せた。


 いま現在、国会議事堂を五十名が占領している動画中継の下部に、ネット住民たちのコメントが流れている。それは中国語が多数を占めていた。


「俺たちを賞賛するコメントもあるな」


 誰かが言う。


「不死研究(プロジェクト・イブ)の可否と、日本人を懲らしめることは別問題だ。俺たちがそれなりに国会議事堂(ここ)で結果を残せば、国民は俺たちを受け入れる。そして新政権もそれを鑑みて、俺たちを受け入れるだろう」


 何(カ)は、四十九名の同士を鼓舞した。


「その可能性に頼るしかないか。大勢の日本人を殺したし、後戻りはできない」


 誰かがため息混じりに言う。頷く者も少なくはなかった。


「この政治家たちを殺せばいいのか」


 別の誰が言った。


 上等なスーツを着込んだ中年男たちが、手足を縛られガムテープで口を塞がれ芋虫のように這いずる姿は見物だった。


「んぐ…んぐぐ、ぐもんぐぐ、ぐっ」


 日本の政治家たちは小便か涙を漏らすだけで、自分たちに反抗的な目を向ける者は一人とていなかった。


 それは無理もないことだった。


 彼らの周囲には、警察隊の死体がそこかしこに転がり、血だまりをつくっていたのだから。


 死体と一緒に寝転がる政治家たちは、生きた心地がしないだろう。


「こいつらに第二次大戦における中国への非道行為を謝罪させて、日本国を解散させる審議をさせよう」


 反日、中華思想の強い誰かが言う。


「臨時国会の最中に襲撃されて災難だったね。おじさんたち今どんな気分?」


 細面の少年が銃を向けながら、議場に転がる政治家たちを見つめた。


「俺が日本語で聞いてやるよ。今どんな気持ちですか?」


 リーダーの何(カ)が、が政治家のガムテープを剥がし、答えを要求した。


「君たち、こんなことをして…」


 言い掛けた政治家は何(カ)が持つライフルの先端で殴られ、血しぶきを吐く。


「いいから教えてくれよ。あんたらも言いたいことがあるだろう?」


 前歯の欠けた政治家は、何(カ)たちを恐れるようにして見つめると、観念したように話し始めた。


「米合衆国が中国に経済制裁を加えた。今日未明、中国国内でクーデターも起きた。我が国、日本はどのようにして外交を進めていけばいいのか緊急性をもって話し合わねばならなかった。私たちだって真剣なんだ…君たちとて、言いたいことがあってここまで来たのだろう?銃ではなく、言葉で話し合わないか?君は日本語ができるんだろう…」


 政治家は憤ったように叫んだが、再び何(カ)に殴られ大人しくなった。


「話し合うなら、あんたみたいなヒラじゃなくて総理大臣だ」


 何(カ)が壇上で、椅子に亀甲縛りをされた琴啼総理を睨み、ライフルの銃口を向けた。


「あんた、この国の最後の総理(リーダー)になるね」


 何(カ)は、ビー玉のような瞳を、琴啼総理に投げかけたまま、薄く笑う。


「俺たちは今日、この国を無いものにする。祖国のためにね」


 何(カ)の瞳は熱を帯び、潤み始めた。


 それは、悲願が叶う間近の者が見せる表情だった。


 ここにいる誰もが「一つの願い」で繋がっている。日本が消滅すれば、自分たちは祖国に認めてもらえる――。


 存在を無いものとして否定された自分たちこそが、憎き日本を破壊し、祖国に感謝されるべき存在になってやるのだ――。と。


 花は花としてうまれ、花としての生涯をまっとうするのに、自分たちが人として存在するためには、自ら種を蒔かなければならない。


 それは悲しくも、純粋な、根源的な願いだった。


-------------------------


 椅子に括られ、亀甲縛りをされた琴啼総理は、小便をちびっていた。


「そこにいる、き…君は、なにを撮っているんだ…私の無様な姿か」


 何(カ)の後ろでタブレットのカメラを回す黒孩子(ヘイハイズ)を睨みながら、総理は震える。


「兵役も経験してないんだろ。銃を向けられたのは初めてか」


 黒孩子(ヘイハイズ)たちは笑った。


 ネット中継でも、日本の総理を馬鹿にする中国語がたくさん流れている。


「すぐそれを止めなさい…」


 にべもなく何(カ)はムリだ、と言い、総理は俯いた。


「俺たちはこれまで、日本警察との銃撃戦、議事堂を占領するまでをネット中継してきた…コメントもすごい数だ。日本語と中国語以外は分からないけどな」


 何(カ)が総理にスマホを見せる。


「もういい、見せるな…」


 ネットを介して中継が繋がり、世界中の言語でコメントが流れているのを、総理も確認した。


「こんなことをして、何の意味が」


「ほら、見てみろ。皇居も俺たちの仲間が占領している」


 何(カ)が握ったスマホの画面いっぱいに、ドローンが映したと思しき皇居の俯瞰映像が広がり、黒い人だかりが建物を囲んでいた。


 もちろんその人だかりは日本の自衛隊ないし警察だ。闖入者を許し、右往左往している様が遠くからでも伺えた。


「こ、こんな事が…」


「一部の皇族は逃げたみたいだが、建物にこそ、その存在意義があるという考え方もあるし、俺たちは日本の政治と象徴を、すべて侵略できたことになるよな?総理」


「…あそこは聖域だぞ。貴様らには分からないだろうが」


 総理が初めて怒りの表情を滲ませた。何(カ)はそれを見て、満足そうに笑う。


「聖域だからこそ蹂躙する。敗北した国の神話は滅びる。歴史が証明してきたことだ」


「日本は…滅びない」


「なに…?」


「貴様らが銃で脅そうが、日本人の国民性、信念、魂が汚されることはない」


 総理は燃えるような瞳を何(カ)に向ける。それは揺らぎ無い信念を持つものの目だった。


「本当にそうか」


 何(カ)が、スマホを再び操作しはじめ、それを総理に見せる。


「なんだ、これは」


 総理はつぶらな目を大きく見開かせた。


「ネットの声…これはある種、社会の声を可視化させたものだ。実に八十パーセント…」


 それは日本最大の匿名掲示板だった。


 そこに書かれたコメント――。


「八十パーセントの日本国民が、日本という国の脆弱さを恥じている」


「くそ…なんてことだ」


「もうじき、皇居が燃えるよ」


「貴様ぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


「さぁ、ここも燃やされたくなかったら審議してくれ…お前ら、政治家たちのガムテープを剥がしてくれ」


「何をさせるつもりだ」


「日本国、解散。国民の代表者たる、あんたたち政治家がこの国の解散宣言をすればそれでお仕舞いだ」


 何(カ)は狂ったように笑った。


----------------------------


 その時だった。


 黒孩子(ヘイハイズ)たちの所持するスマホが一斉に鳴った。


 日本に到着し、同朋によって現地支給されたスマホ。この番号を知るのはチェルシースマイルの部下くらいしかいない。


「ほっておけ」


 何(カ)は言った。


 だが、何人かは何(カ)の指示が聞き取れず、反射的にスマホに出てしまった。


「もしもし…はい。僕ですが。なんですって…それは本当でしょうか…そんな…そんな、嘘だろ…」


 そこかしこでそんな言葉が出てきて、涙ぐむ者もいた。


「何だ、どうしたお前たち」


 何(カ)が総理に銃を突きつけたまま、叫ぶ。


「中国中央政府の高官からの電話だった」


 スマホを握りしめたままひとりの黒孩子(ヘイハイズ)が答えた。


「用件は何だっていうんだ」


「僕たちの…両親が見つかった。中国政府は全力を尽くして僕らの家族を見つけてくれたんだ。まだ見つかっていない皆の家族も、今から探すって言ってる」


 先程とは別の、年端もいかない黒孩子(ヘイハイズ)が笑った。


「自分を捨てた家族に会いたくないってヤツにも、戸籍と名前を用意してくれるらしい。すべてを政府の罪だと認めた上で…、素直に日本警察に投降するなら、外交で俺たちのことは何とかしてくれると…」


 別の者が言った。


「…だが、このままテロを続けるなら、国際犯罪者として国内に受け入れることはできない、と言っている」


「何をふざけたことを。俺たちが何を目的としてここまで戦ってきたのか分かるか!」


 何(カ)は怒鳴り散らす。そしてハっとした。


「ほしいものが、やっと手に入ったんだ。多数決をとろう」


 長笑は、このグループではじめて発言した。


 五十名中、四十一名が「テロを中止する」に賛成した。


 四十一名は愕然としている何(カ)を含む九名を縛り上げると、日本の政治家たちの戒めをほどいた。


「私たちは…助かった…のか」


 鳩が豆鉄砲を食らったような、という表現があるらしいが、総理をはじめとした日本の政治家たちはそんな表情で成り行きを見守っている。


「父さん…母さんか…」


 長笑は笑みがこぼれてくるのを自覚した。


 先ほどスマホをとり、父母の存在が確認できていることを知ったのだが、父に会えたら、母に会えたらと想像し心が躍った。


 自分の顔は父に似てるだろうか。母に似てるだろうか。


 長笑はすでに父母のことを恨んでいない。謝罪の言葉などほしくもないし、捨てた理由などを問いただすつもりもない。


 ただ、ただ空白の時間を埋めるように一つの食卓で古里の料理でもつつきたいなと思った。


 自分はもう誰かの過ち、黒孩子(ヘイハイズ)ではない。


「誰だ…誰の差し金だ」


 縛り上げられた何(カ)が誰にともなく聞いた。黒孩子たちは全員、銃口を地面に降ろし日本の警察がやってくるのを待っている。


「例の、有働という男らしい」


 誰かが答える。


「なんだと」


「有働努。あいつは中国政府を倒し、なおかつ俺らに手を差し伸べた。米合衆国大統領にもコネがある。有働がどんな男なのかは知らない。だが、俺たちの心を救った人間はヤツが初めてだ」


「お前、自分の言ってることが分かるのか」


「憎しみだけを教え込む者を親だと勘違いしていた。それだけだ」


 何(カ)は何かを言い返そうとしたが、口をガムテープで塞がれた。


----------------------


「国会議事堂に続き…皇居や原発の黒孩子(ヘイハイズ)たちも素直に投降を認めたようだ。これでいいのか…?」


 中国共産党中央委員・政治局常務委員の孫清明は、汗を垂らしながら有働に尋ねた。


「感謝します。あなたが発言するからこそ、意味があった」


 有働は頭を下げるが、孫に感謝などしていない。自分たちで蒔いた種を刈らせただけだ。内心、孫の顔に唾を吐きかけてやりたい気持ちだった。


「家族を捜し出すだの、罪に問わず戸籍を与えるだの…こんな嘘をついて…彼らをどうするつもりだ…」


 孫は取り巻きの男によって注がれたミネラルウォーターを飲み干す。


「太平洋の海底に沈んでもらいます」


 有働は笑う。その表情には一点の曇りもない。彼らは地上にいてはならない存在なのだ。


「日本政府は了承するのか」


「オブライアン大統領に話をつけてある」


「なんてことだ…立場上、私はこれ以上何もいえないが…」


「黒孩子(ヘイハイズ)たちに殺された者の遺族は、棺にしがみつき泣き暮れるでしょう。生きて償う権利を与えられるのは罪が軽い者たちだけです」


 孫は何も答えず、ただひたすら怯えた犬のような目を有働に投げかけてきた。


「僕は嘘つきですが、孫さん。あなたに誓ったことは違うつもりはない。ご安心を」


 有働は来客者たちに帰ってもらい、部屋にひとり残った。


 内木のことが一瞬、頭によぎったが有働には何が正しいのかよく分からなくなっていた。

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