第44話 血の降る町
夢の中。
遠い記憶――。
遠柴エミはあの時、中学二年生だった。
冬休みの二日目に友達のリカと新宿のバイキング食べ放題に行った帰り、何者かによって薬品を嗅がされミニバンで拉致された。
忌まわしい、葬り去ることのできない記憶。
雪が降っている。
どこかの山奥――。
小屋の鉄格子から遠柴エミは手を伸ばす。指先に綿菓子のようでいて冷たい感触がふわふわと舞い降りる。
指先に触れた雪が氷へと姿を変え、やがて水滴になってしまった。
所々、汚れ穴があいたニットワンピースの隙間から冷気が侵入し、がたがたと震えた。
頬の奥に疼痛。前歯も少し欠けていた。今の自分の顔を鏡で見たらぞっとするだろうと思った。
「ぼくのエミちゃぁ~ん。おあそびの時間だぁよ。魔法ガール★マジックえみりちゃぁ~ん…ぐふふ。はぁ…はぁっ…」
生温かく粘ついた「やつ」の声が、雪の絨毯を踏み散らかすゴムブーツの靴底の音と一緒に小屋の外から聞こえてきた。
自分もこの雪の結晶のように、姿を変え消え入ってしまいたいと思った。
「パパ、ごめん。私汚れちゃった」
父の顔を思い出し、エミは嗚咽した。
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「エミちゃ~ん。今日も君の魔法でボクを癒してよう、ぐひひひぃ」
やつが粘ついた声で語りかける。
「なに泣いてるの、エミちゃん…はぁっ…はぁっ」
年齢不詳だが、自称グラフィックデザイナーで、ニキビ面の身長の低い男だった。真冬だというのにアニメのTシャツは汗でぐっしょりと濡れ、玉子の腐った臭いがする。
裸体にされたまま、エミは診察台の上に座らされた。
「今日はナイフアートはお休み。アッチの授業をしてあげるよう」
拉致された初日から二週間もの間、ナイフの刃先で身体中に意味のない落書きをされ、その傷口が膿んで痛むが、今日は文字を刻まれることはないらしい。
小屋――、冷たいコンクリートに囲まれたその部屋には様々なものが転がっていた。
電動式玩具――。銀皿――。産婦人科にしかない特殊な医療用具――。そして、バラエティに富んだ拷問器具と、鋭利な刃物。
エミはまだ中学生だった。
下校途中、ヤツに車で連れ去られ、ここにやってきた当日はそれらが何を意味するか分からなかったが、この二週間でその「用途」をイヤというほど教え込まれた。
「こんなにも濡らしちゃって、いけない子だね。奥まで食い込んでガバガバじゃあないか。ぐひひ」
やつが何かを自分の胎内に侵入させるのが分かったが、エミは涙を堪えそれを見ないようにした。
頭皮がやつの黒い長髪をまるで整髪料のように固めていて、やつが頭を上下するたびに悪夢のような臭いが鼻腔をついた。
「ここに来たころは、何もしらない無垢な少女だったのにねぇ~?」
やつは鼻水と汗でぐしょぐしょになった顔をこちらに向けた。
「あとで、アッチの方も大人になろうか。昨日は下剤が効いたろう?ぐふふ…はぁっ…あぁっ」
やつは下半身を見ようとしないエミの髪を鷲掴みにして、見せようとする。薄目を開けると脈打つおぞましいものと自分の陰部とが、しっかり結合しているのが分かった。
「コッチが終わり、あともう一回アッチの方も少しがんばったら、明日朝イチでアニメキャラのナイフアートを完成させてあげるよ」
腰を振りながら、やつは言った。そして「うっ、うっ」と荒い吐息を吐きながら口づけをしてきた。
もう楽になりたい。その一心でエミは、やつの上唇と下唇に噛みつき、全体重をかけて噛み千切った。
「ぐぎゃぁああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
牡豚の鳴き声が聞こえ、噴水のように鮮血が散った。エミは千切ったやつの唇を必死の思いで咀嚼し飲み下した。
自分が人間でなくなるような気がしたが、何を今更――、と思い直す。
「いでででで!!!!いでーよ、いでぇよう!!!!!!!」
待っていたのは死ではない。報復だった。
唇を失い、並びの悪い前歯が丸見えになったやつは「プラン」を変更し、市販のハサミを用いて、エミの小指と薬指を左右一本ずつ切断しはじめた。皮、筋肉、腱、骨、と少しずつ削るようにして切断していき、四本めを切り離した頃に「もういいか」と言った。
翌日、やつは唇の痛みに耐えきれず病院へ行った。
不審な外傷に目を付けた警察が駆けつけ、結果としてエミは保護されることとなった。
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「久しぶりにいやな夢を見ちゃった」
覚醒したエミは、玄関開けてすぐのダイニングにあるテーブルから上体を起こし、猫のように伸びをし欠伸をかみ殺す。
そして効き目のないブラックの缶コーヒーをもう一口飲んだ。
持参した金属バットやハンドガンは足下の学生鞄の中に突っ込んだまま床に置いてある。
踵に重心をのせると木目の板張りの床が軋んだ。
「よく寝れるな、こんなときに。他人様(ひとさま)の家でよ」
エミの左側に座る春日が不機嫌そうに言った。戦闘の前の景気付けか、先ほどオールバックにしたのだろう。ポマードの臭いをプンプンさせていた。
「俺はさっさと終わらせたいぜ」
手持ちぶさたなのか、春日の目の前でコーヒー缶が潰されていた。
「こんなときだからこそ、見ちゃったのかな…あんな夢」
エミは先ほどの夢を思い出し、天井を見上げる。
有働と出会い、付き合うようになってからは見なくなっていたのだが、最近、連絡も取れず情緒不安定になっているのだろう。
「俺らは吉岡を守らなきゃならない。みんな落ち着いていこう」
声が微かに震えているが、久住が言い出した。
エミ、春日、久住の視線を浴びて、この部屋の住人――、吉岡莉那が俯いている。
「みんな…ごめんなさい」
莉那は大きな瞳を潤ませていた。
「私のために、ごめんなさい…」
そして何度も何度も、頭をさげた。
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十分前――。
エミと春日、久住ほか数名は、間壁の運転する車で、黒亥子(ヘイハイズ)たちの「殺害リスト」に名前の挙がっていた吉岡莉那の住む横嶋団地までやってきた。
「私、そんな人たちに狙われてるなんて夢にも思わなかった…」
スマホの着信音で十分前に叩き起こされたパジャマ姿の莉那が泣き顔になった。
莉那は差し入れの缶コーヒーに口をつけていない。
春日は黙っていた。
久住は何か言葉を考えていた。
エミは欠伸をした。
「有働くんからも、気をつけろとメッセージがあったし」
莉那の発言に、エミは欠伸をやめ、眉を顰める。
「吉岡…お前も含め、有働と仲のいい同級生たち、みんな殺害リスト入りだ。なぜか俺や久住の家は殺害リストに入ってなかったようだが、権堂さんちは入ってた。皆で張り込みをしてる」
殺し合いの前の緊張からか、言葉をかみ砕くようにして答える春日。
「この一年間、吉岡もいろんな危ない目に遭ってきたな。有働もすごく気にしてたぜ。あいつがしでかしたことが良いか悪いかは別にして、災難だったよな」
莉那の左に座る久住が、気の毒そうに言う。
「いつだったかな、俺と春日が内木をいじめてたとき、お前に怒鳴られたっけ。センコウもみんな見て見ぬふりだったのに、肝っ玉の座った女だと思ったぜ」
莉那に思い出を語るが、微かに足が震えている。
久住だけ缶コーヒーではなくホットのミルクティーだった。
「まぁ、その肝っ玉を今夜、俺らにも分けてくれよ。吉岡」
心細そうな笑顔。久住は不良などになるべき男ではなかった。
茶髪に左眉にピアスをしているが、心の奥底では暴力が好きではないのかもしれない。
「久住、弱気になるな」
春日が久住を睨む。久住は視線を合わせたあと頷いた。
春日も久住も、誉田から受け取ったハンドガンはジーンズの後ろにしまってあるのだろう。Tシャツの背中に不穏な金属の膨らみがあった。
「吉岡も弱気になるな。今までだっていろいろ乗り越えてきただろう」
春日は莉那に言った。
「そう、いろいろあったわ。有働くんと出会ってからは特に…」
莉那の視線が宙をさまよう。
ああ、まだこの子はつとむが大好きなんだとエミは直感した。
「…あの。有働くんの彼女さん、だよね」
莉那が、左斜め前に座るエミに話しかけてきた。
いつだったか、莉那がすぐそこにいる状態にも関わらず、商店街のビルの隙間で有働とキスしたことを思い出す。
恋の勝者であるにも関わらず、エミは目の前の少女を見て不安になった。
自分が失ってしまった色々なものが、莉那の瞳の奥に揺らめいてるからかもしれない。
「うん、まぁね。付き合って半年以上だし」
素っ気なく返事をするが、中国へ旅立ったあとも有働からメッセージの返信はなく、人民大会堂でのクーデター成功の報せも、久住を介して知ったことだった。
エミは久住の方を見る。
目が合った。久住がにやける。なにか勘違いされたかもしれない、とエミは思った。
「そういえばよ。エミは、その…有働とは連絡とれてるのか」
久住はにやけるだけでなく、口を開いた。
「あ、すまん」
エミと莉那の会話に水をさした後ろめたさからか、ふいに久住は視線を逸らす。
(わかりやすい男。本当にわかりやすい)
エミはこんな時にも関わらず、吹き出しそうになった。
久住とは有働を介して知り合い、連絡先も交換したが「有働とはうまくいってるか」などと、ここ最近しきりに聞いてくるようになっていた。
有働からの連絡がシャットアウトされてる今、久住を利用してやろうと思ったエミは何度か「食事」をする条件で、様々な情報を得た。
久住はおそらく童貞だった。面白いようにエミの思いのままになった。
誉田たちが集結し、不死身の黒亥子(ヘイハイズ)たちを迎え撃つという情報を、久住から得たのは今から一時間前。
間壁を叩き起こし、運転させた。
エミはいてもたってもいられなかったのだ。
有働と出会い「殺人」は止めたはずなのに、なにかを求めるように殺戮集団が訪れるという場所に自ら出向いた。
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莉那の父母は奥の寝室で寝息を立てている。
エミたちが押し掛けたことはもちろん、これからこの横嶋団地が血みどろの殺し合いの舞台になるなど想像だにしていないことだろう。
できれば、この部屋までたどり着いてほしくない。外にいる武装した仲間たちが手短に解決してくれればいいのだが――。
というのが全員の共通認識だった。
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「こっちは、まだ来てないようだ。有働の家の四方を見張りで固めてるが動きはない」
春日のもつスマホのスピーカーから、誉田の声がした。
倉庫に集結した百人はいくつかのグループに別れ、殺害リストに乗せられた者たちの家の前で張り込んでいる。
誉田が張り込んでいるのは有働の家。
有働の父は夜間の勤務らしく不在で、有働の母は二階の寝室で寝ているらしい。
誉田は上がり込まず、外で敵を待ち伏せするようだ。
同様に、吉岡莉那の住む団地の周囲にも五名ほど武装した仲間たちが待ちかまえている。
武装した黒亥子(ヘイハイズ)たちがやってきたら、すかさずこちらへ連絡をよこし、同時にやつらを鎮圧すべく動く算段だ。
「こっちも、まだだよねぇ~。暇だよう」
エミは退屈そうに欠伸をする。
「バカやろう、外では俺のダチ、五味が見張りやってんだぞ。命かけてよ」
春日が声を押し殺しながらエミを窘めた。
「それを言ったらウチの間壁もすぐそこ、玄関ドアの前に突っ立てるよ。命かけてさぁ。まぁでも、ダストボーイズ三人、つとむのお陰でまたつるめてよかったね」
陰画、往訪、椋井の同盟ができた日のことを思い出したのか、春日が無口になる。
「誰ひとり死なせねぇ。そして俺らがこの町を守るんだ」
春日がひとり、呟く。
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「おい、お前ら!」
スマホのグループ通話で誉田が騒ぎ始めた。
「来たぞ!こっちは、こんな真夏にライダースを着込んだピンク色の髪、グリーンの髪…ガキふたりだけだ。銃を持ってるが、大したことはないだろう。他はどうだ?」
誉田が「おい、あっちから囲め」など、身辺にいる仲間たちに指示を出す声が聞こえてくる。
「ええ~っと。こちら権堂さん宅…焼き肉屋の辰前から。なんか白い…ホワイトブリーチした髪のガキがひとり、ハンドガン片手にひょこひょこ現れやがった」
元・権堂組幹部だった男、肥塚が会話に参加した。
肥塚は元・権堂組十人と、権堂の母が営む焼き肉屋兼、一軒家の前で張り込んでいる。
権堂の母はもちろんこのことを知らない。
「なんとかいけそうか?…」
誉田が肥塚に応答する。
肥塚からの返事はない。あちらはあちらで忙しいのだろう。
「…たった一人はいえ、某かの訓練を受けてるガキだ。侮らない方がいい。でも、まぁ権堂がアメリカ行く前にいってたぜ。肥塚は自分に負けず劣らずの強者だってな」
誉田葉っぱをかけた。
「あっちが不死身だろうが、動きを封じればこっちのモンだ。なぁ、誉田さんよ。片づけたら、どこかのグループに合流しようと思うんだが、いいか?皆も戦況は逐一報告してくれ」
肥塚がそう言ったあと、乾いた音が何度か聞こえた。銃声は二、三発聞こえたのみで、あとは静寂が続く。
「え~、こちら白橋美紀ちゃんのお宅前。皆の言い方に合わせると、シルバーとブルー、この二人が来ました。手榴弾みたいなものを持ってますね」
誉田の後輩、小田島からの報告。
ひょろっこいが気合いの入った後輩だと誉田がいつも目にかけてた男だった。
「気ぃ、ひきしめろよ。殺されんな」
「はい、誉田さん」
小田島はそう言った後、絶叫してマシンガンをぶっ放したようだ。連続した銃声の後、会話は途切れた。
「こちら犬養真知子さんのお宅。誰も来ません」
春日の後輩からの報告が入る。
「こっちは来ました!戸倉宅!オレンジとブラック」
五味が連れてきた若いやつ――、高校にあがったばかりの粋のいい後輩が興奮気味に叫ぶ。そしてそこでも乾いた銃声が響き、無音となった。
「すでに始まったやつらもいるみたいだが、空振りしたグループも、しばらく様子は見とけ。いつまでも来ないようなら合流もアリだが、やつらが何人いるのか正確に把握できていない以上、網は広げておいた方がいい」
誉田が皆に、指示を出す。
戦闘が始まってるグループ以外は「了解」と返事があった。
「とっつかまえたら、全貌を吐き出させろ」
誉田はそう言ったあと「おい、こら待てやぁ!」と叫び、有働宅を襲撃しようと現れた連中に襲いかかった。
住宅街で張り込みをする誉田が所持しているのは、サイレンサーつきハンドガンだが、おそらく何度も発砲しているのだろうと分かった。
「…こっちも来た。…吉岡宅。ゴールドとレッドだ。団地の外をうろうろしている」
すぐ外に待機していた五味からの報告。
ほとんどのグループが戦闘を開始しているため、反応する仲間は少ない。
「死ぬなよ、五味」
春日の言葉に「ああ」とだけ答える。
「死ねやぁあああああ!!!」
五味の怒号と共に、銃声が聞こえた。
エミたちがいる吉岡莉那の部屋からもそれは、はっきりと聞こえた。
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銃声と静寂。
そこかしこで窓を開ける音がした。
団地の住民らが不安になって様子を伺っているのが気配で分かった。
「おい!五味!やったのか?やったんだよな?」
いやな予感が空気に混ざり始める。春日はグループ通話ごしに五味や外にいた仲間たちの名前を呼んだ。
「てめぇは、こいつの仲間かぁ~?」
五味のスマホごしに訛りのある日本語が聞こえてきた。
「銃の扱いも知らないくせに、大声出して銃をぶっ放しやがってぇ。お前のツレはアホかぁ?」
「なんだと」
「有働努とかいう奴の親父も死んだが、この五味とかいうやつはもっと無惨な死体にしてやったぜぇ~」
「誰だてめぇ」
「仲間からはレッドと呼ばれてる。それと分かる真っ赤な髪だが、お前のツレの返り血でさらに赤いぜぇ。イエイ」
レッドと名乗る男は、笑いながらスマホ越しに言った。
「吉岡莉那ちゃん、レープ。レープしにきたお。チンチン勃起してるよ」
「黙れゴールド」
通話口から聞こえてきた意味のない会話だが、敵は二人とも無事らしい。
「次はお前らだぁ。覚悟しろぉ。この日本鬼子どもがぁ」
レッドの声の反響具合と、階段を昇る音がグループ通話から聞こえる。
「間壁、逃げてぇ!」
ドアの外に飛び出そうとするエミを、久住が力一杯引き寄せた。
同時に銃声。銃声。銃声。
金属でできた団地のドアに無数の穴があき、その隙間から真っ赤な血が流れ出る。
こちら側のテーブルにも弾痕が無数にある。
ドアの外にいた間壁は、死んだ。
ドアの前の見張りをしていた間壁の死は、エミ、春日、久住が黒亥子(ヘイハイズ)との直接対決を意味している。
皆がテーブルから立ち、中座のままドアを見つめていた。
「お前ら銃を構えろ!!!!」
春日の自動小銃が火を噴くと同時に、ドアが爆破された。
重力を無視した非常識な力学が、エミや莉那、春日や久住たちの身体を台風に捕らえられた石ころみたいに吹っ飛ばす。
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「ぐああ。くそ!手榴弾か」
煙たつ真っ白な空間で、仰向けに転がった春日が呻く。
左わき腹から大量の出血をしている。春日は防弾チョッキを着ていたが爆発には耐久性がないらしい。
すぐそばには、ひしゃげた金属のドアが転がっている。
「お前ら、皆殺しだぁ」
レッドがサッカーボール大の何かを投げてきた。
壁に叩きつけられたエミの眼前に転がってきたのは、五味の生首だった。
ナイフで胴体から切り離されたばかりなのか、切断面から脊髄やら喉仏の肉の残骸がはみ出している。
爆破による火薬と濃密な埃の香りがエミの鼻腔をくすぐる。吐き気がしたが、吐く元気もない。
「吉岡莉那ちゃん、レープ…レープしたいよぅ…」
子供じみた声が聞こえる。ゴールドと呼ばれたやつの声だろう。金髪のオカッパ頭の少年が爆破された部屋の中に入ってくるのが煙越しに見えた。
「あの子はどこ…」
エミはうなだれた体勢のまま、吉岡莉那の身を案じた。
莉那は左斜め前でうつ伏せになって倒れていた。
「死んで…ないよね…?」
恋敵にも関わらず、有働の初恋の女が簡単に死ぬことを許せなかった。
「お前は吉岡なんちゃらを犯してる間、俺はそっちの下品な女を犯してるぜぇ」
遅れて部屋に入ってきたレッドが、エミを見下ろす。
真っ赤な髪に眉のない三白眼。薄い唇は半開きで、右手に握ったハンドガンの銃口がこちらを覗いている。
「ふざけるなぁあああ!!」
叫び声が誰のものか分からなかった。
だが、銃声の後――。
頭部を吹っ飛ばされた久住の死体がエミの前に転がってきて、その声の主が彼のものだと分かった。
「バカたれが。邪魔するからだぞぉ。死んじまった後じゃ遅いが…」
レッドが久住の死体の頬に唾を吐く。銃口からは煙が昇っていた。
「…有働とかいうバカ野郎の親父も死んだが、そいつの死体に負けず劣らずのグロ死体だな、こりゃ」
笑い声が耳に障った。
「つとむのお父さん…アンタたちが殺したの…」
エミは呟く。
「ああ、身を挺して俺らを止めようとしたが、くたばりやがった」
「つとむが…壊れちゃうよ…あんなにお父さん尊敬してたのに…」
エミは泣いた。自分以外の誰かのために涙を流すのは久しぶりだった。
天井からパラパラと破片が落下してきたがレッドはそれを払いよけもせず、笑っている。
「人間ってのは脆いな。こいつ一発でアウトだ」
レッドは笑うのを止めて、久住の命を奪ったハンドガンを見つめる。
「久住ちゃんも…つとむの大切な先輩だったのに…」
エミは久住の亡骸を見つめた。
「エミ。守れなくてごめん。有働にも謝っておいてくれ。ダチの女に横恋慕した俺が悪い。死んでも文句は言えない」
形を失った頭蓋骨――、久住の死体はエミに向かってそう言っている。
目から下はつい数分前まで生きていた久住の顔、そのものだった。
その薄い唇が微かに笑っているような、泣いているような、謝りたいけどその言葉を紡ぐ前に事切れてしまったかのような、そんな表情だった。
「よしよしよぉ~し。今から4Pだ。そっちで腹が裂けてくたばりかけてるリーゼントの小日本人ヤンキーは観客な」
レッドとゴールドが、焦げ臭い真っ白な部屋の中でズボンを降ろす。
エミは絶体絶命の中、状況確認をした。
ドアが破壊された部屋。ダイニングは粉々に吹っ飛ばされ、天井にも大きな穴が開いている。
打ち付けられた壁の向こうに寝ていたはずの莉那の両親の安否は不明だが、気絶しているかもしれない。
キッチンの方へ吹っ飛ばされた春日は、左わき腹を押さえ血の霧を吹いて絶命しかけていた。
サイレンは鳴らない。日本の警察や救急車、消防車はこんなにも職務怠慢なのかとエミはうんざりした。
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莉那は全裸になったゴールドによってパジャマをはぎ取られ、下着姿のまま気絶している。
エミも、やはり全裸のレッドに馬乗りになられたまま、制服をむしり取られ、スマホの動画を撮影されていた。
「きっちり、挿入してる結合部分を撮影しろよ。知恵遅れ」
レッドがゴールドに声をかけるが、ゴールドは莉那の乳房にキスをしながら
「ぱいぱい、気持ちいいよ。ぱいぱい、気持ちいいよ」
と歌っていた。
「ぜんぜん聞いてねぇわ、あのバカ」
レッドはため息混じりに、エミの顔面を思い切り殴る。
意味を成さない暴力。
鼻血が吹き出し、前歯が欠けたのをエミは自覚した。
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「ピンクたちも有働の母親を犯したら、こっちに合流する段取りだ。最初の中出しは俺らだけの特権だぞ」
全裸のレッドが勃起した男根の先端を右手に握り、エミの下着の隙間に滑り込ませようとした。
「全身、傷だらけじゃねぇか~、卑猥な日本語やアニメキャラなんか彫られてよぉ~。昔の男に虐待でもされてたか?バカ女ぁ~?」
レッドの亀頭の鈴口からは謎の粘液が糸を引き、エミの太股にくっついているのが分かった。
「へへへ、ヌルっと挿入するぜぇい。有働のオンナよぉ」
レッドがそう言い掛けた瞬間、パァンという破裂音が左側から聞こえてきた。
左半分の頭部を失ったレッドが崩れ落ちる。
「ざまぁみろ、クソどもが…」
発砲したのは瀕死の春日だと分かった。左わき腹を押さえ、右手だけで銃を構えている。
「助かったよう…、春日ちゃん…」
エミはレッドを突き飛ばしたあと下着姿のまま立ち上がり、ふらふらと犯されそうになっている莉那のもとへと歩いていく。
「オマンコいれるよ、オマンコいれるよ。ぱいぱい気持ちいいけど、一番はマンマン…」
戯言をつぶやきながら、全裸で勃起したゴールドは莉那の下着を剥ごうとしていた。
莉那に過去の自分が重なる――。
「死ねぇ!!」
エミは破壊されたダイニングキッチンに転がっていたフライパンを片手にとり、ゴールドの頭頂部に叩きつけた。
「ぎゃっ」
ゴールドの頭蓋骨はおおきく窪み、眼球が突出した。
「吉岡莉那…別にあなたを助けたわけじゃないからね」
エミの問いかけに返事はない。莉那は相変わらず気絶している。
「ふん、つまらない女。自分で自分の身も守れない情けない女」
なぜかエミの瞳には涙が滲んでいた。
ゴールドの上に馬乗りになりフライパンを大きく振り下ろす。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
何度も何度も叩きつける。赤い血しぶきと桃色の脳症が白煙まみれの空中にまき散らされる。
記憶の中の「あの男」を殺す。ゴールドを殺す。記憶の中の「あの男」を殺す。ゴールドを殺す。
「死ねぇ!死ねぇ!死ねぇ!」
エミは涙を流しながら、何度も何度もゴールドの頭蓋骨を砕く。
何度も何度も何度も、何度も…。
あの日、失ったものを取り戻すかのように――。
「死ね!…死ねぇっ、死ねぇ…」
エミは息切れをし、フライパンを落とした。手の皮は剥けている。血まみれだった。
ゴールドは頭部を失い痙攣している。
同時に、青春を奪い、人生を食い散らかした「あの男」も死んだ。
エミはこれまで数え切れないほどの悪人を殺してきたが、このゴールドというヤツは気持ち悪さといい「あの事件の犯人」に似ていた。
エミの中で何かが終わった。
その手の傷から流れ出る赤い血液に、温かさが戻ったような気がする。
「おい、くそアマァ!!!」
背後のレッドの声に気づいたときは遅かった。
脅威の再生能力――。やつらは人間ではないと思いだし後悔が頭をよぎる。
「ぶっ」
ものすごい力で蹴り飛ばされ、エミは下着姿のまま壁に叩きつけられた。
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「もういい…、吉岡なんちゃらから犯してやる」
レッドは全裸の尻をエミの方へ向け、吉岡莉那を犯そうと歩み寄っていた。
相変わらず莉那は意識を失ったままだった。
「おい…エミ…」
春日は血を吹き出しながら、ジーンズのポケットをまさぐり、白い粉の入ったビニールをエミの方へ投げた。
「これは…」
エミは震える指先でビニールをつまんだ。
(誉田さんの仮説が正しけりゃ、これでいける)
春日の唇が、かすかにそう動いた。
実のところ、この戦闘が始まるまで春日は「誉田の仮説」に半信半疑であり、「銃で撃って倒れた黒孩子(ヘイハイズ)たちを捕縛すればいい」というシンプルプランを考えていたのだが、ここにきて最後の望みに賭けたのだ。
「わかったよう…春日ちゃん…」
エミは床に放り投げられた包丁に手を伸ばし、その刃先にビニールを破り、白い粉を塗りたくった。
「へへ、挿入~」
レッドが莉那の両足を大きく広げ、下着の隙間から見え隠れするその女性器に男根を挿入する一歩手前の瞬間。
「お前も死んじゃえ!」
エミが両手で握った包丁が、レッドの背中へと深く刺さった。
「てめぇ…」
レッドは振り向き、エミを睨む。
不死身の男とて痛みはあるらしい。呻きながら莉那のすぐ横に転がった。
「…くそっ、いてて、いてて、痛てぇ…」
レッドはじたばたしていたが、包丁の刺さった場所の血液はボコボコと泡立ち、刃物が筋肉で押し出され、傷は治りかけている。
「くそ、くそぉ…」
「どんな気分?」
エミは疲れた目で笑う。
レッドの様子は明らかにおかしい。顔を真っ赤にしながら茹で蛸のように笑い始めた。
「くっそぉ…くっ、あばば…あば」
全裸で横たわるレッドの顔がさらに歪む。焦点が狂っていた。
「なな、なにをした…傷は治ってるはずなのに、なんだ…おおおおかしいぞ、立てててないいい」
レッドは笑いながら涙を流し、畳の上で泳いでいた。
「薬物(ヤク)だよう。刃物に塗りたくったから全身に回るでしょ?」
エミは子供のように微笑む。
そしてレッドの身体から押し出され、転がっていた包丁を拾い、頭部がボコボコと再生しかけているゴールドのところへ歩いていった。
「てめぇも食らえ!金髪強姦ヤロウ!!!」
エミは包丁をゴールドの腹部へ何度も何度も、突き刺した。
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●
●
●
有働宅付近――。
水を打ったように静まりかえった住宅街。コンクリートの地面にできた血だまりが鈍く光る月の光を映し出していた。
呻き声が聞こえる。
北京語で呪詛を呟く声だった。
「どうだ…新種のシャブの味は…世にまだ出回ってないヤバイやつだぜ」
誉田の右手に握られた消音(サイレンサー)つきハンドガンの銃口から、煙が吹き上がる。
硝煙の臭い――。
コンクリートの地面に這い蹲るピンクは、笑い顔と泣き顔を同時につくり、立ち上がろうとしても立ち上がれなかった。
「弾丸に…クスリををを、ぬぬぬ塗りこみやがっ、…た、のか」
ピンクは冷や汗を流しながら誉田を見上げる。取り巻き数名の真ん中に誉田はいた。
誉田はTシャツ一枚しか着ていなかった。その左肩を銃弾が抉り、流血しているが、右手一本でハンドガンを構えている。
一方、ピンクの着込んだ季節はずれの鋲打ったライダースのあちらこちらには穴が開いていた。傷口は塞がっているが、穴の数が叩き込まれた銃弾の数を物語っている。
「こんののの、クソ野郎めがががが…ががが」
ピンクは日本語のあと、北京語で「日本鬼子」と呪詛を吐く。
「シャブはヤクザの本分だ。親父の倉庫からくすねてきてあとでぶっ飛ばされるかもしれねぇがそれも覚悟の上だ。なぁ、ピンクとやら。その身体…人並みはずれた血の巡りのよさが仇になったな。極楽だろう?」
向こう側でもアルマーニのタンクトップを着た緑色のモヒカン――、グリーンも仰向けになりながら狂ったように笑い転げている。
「てめぇ、て、て、てめぇ」
ピンクは血走った瞳で誉田を睨む。
「それよか、さっきの話はマジか。有働のオヤジを殺したって」
「ののの、脳みそぶちまけてやったぜ」
笑いながらピンクは勃起している。
誉田は、明かりの消えた有働の一軒家の方を見た。
一家の主の死をまだ知らない有働の母は、寝息を立てている頃だろう。残酷な現実とは受け取り手がいて、はじめて悲しみに変わる。
夫の死を知らない有働の母からすれば、今この時間、夫はまだ生きているも同然なのだ。
「なんて言えばいいんだよ…」
誉田の眉間に皺が寄り、額に血管が浮き出る。
そしてその粗野な風貌にそぐわぬ繊細な睫毛が震えはじめ、目頭を赤くしながら鬼の形相に変わった。
「今、決定した。お前ら全員、地獄にたたき落としてやる」
誉田はハンドガンの弾倉を装填し直し、ピンクに何度も何度も銃弾を撃ち込む。
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誉田は数名の仲間たちとスモークの貼られたバンに乗り込み、手足を拘束したピンクとグリーンの衣服をはぎ取った。
「こりゃ性根が捻じ曲がるのも仕方がねぇ」
ピンク、グリーン両者とも、身体のあちこちに火傷や刃物傷の跡があった。
下腹部、性器に至っては矢印マークと一緒に中国語で何かしらネガティブな言葉が彫られている。
これでは思春期に恋をしても易々と服を脱ぐことはできないだろう。
闇の私生児、黒亥子(ヘイハイズ)――。
彼らは悪意をもった何らかの存在に青春を、人生を奪われたに違いなかった。
「…だがな、同情もしてやれねぇ。お前らはそれだけの事をしちまったんだよ」
誉田はため息を吐く。
身体中を駆けめぐる薬物の海に溺れながら、素っ裸のレッドとグリーンは涙を浮かべ、狂ったように笑っている。
「極道なりのケジメをつけるぜ。つっても俺ぁカタギだがな」
誉田は、組の連中に電話をかけた。
若頭である父親に内緒でシノギの金をちょろまかしていることを突き止めてから、いいように使っている連中だった。
電話がつながる。
「あ、秋元さんに柏崎さんか。ちっとばかし船を出してほしいんだが。いいか?親父にはあの話は内緒にしとくからよ。今回で最後だ。俺のために動いてくれや…ああ、風俗ぐらいは奢るよ」
誉田はあれこれと指示を出す。
それを聞いていたピンクが一瞬、正気に戻り誉田に不安そうな視線を投げかけた。
「おおお、おい、俺らをどうするる、つもりだコラ、おお、おい、てめぇ」
ピンクは泡を吹き出しながら誉田を睨む。
「細かいことは気にすんな。考える時間ならいくらでもある…。終身刑よりも重い罰を与えてやるからな。おい、こいつらの身体を掻っ捌いてGPSの類が埋め込まれてねぇか調べておけ」
バンの中にいた誉田の後輩たちがナイフを取り出し、ピンク、グリーンの腹に突き刺す。
絶叫がこだまするが、走行中のバンの中でむなしく響くだけだった。
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陰画湾――。
小型ボートが停泊し、濁った海面には空き缶や吸い殻が浮いている。
そのだだっ広い駐車場には、ジープにバン、セダン、ミニトラックが円を囲むようにして集まり、誉田を中心とした百人弱の男たちがヘッドライトの先を睨んでいた。
照らされた先には――、九名の、裸にされ縛り上げられた黒亥子(ヘイハイズ)たちがいる。
そいつらは殆ど廃人といっていい状態で、黄色い小便と涎を垂らし意味不明な言葉を叫び、笑っていた。
有働宅にやってきたリーダー格のハリネズミじみた短髪ピンク頭――、ピンク。
そしてその相棒のモヒカン頭――、グリーン。
吉岡宅を襲い、久住、間壁、五味その他四名を殺した赤髪――、レッド。
そのツレである小柄な金髪ボブ頭の――、ゴールド。
権堂家を襲撃しようとして、元・権堂組の肥塚によって返り討ちにされた白髪の平凡な少年――、ホワイト。
白橋家に向かう途中、誉田の後輩である小田島のマシンガンの餌食になりあっけなく捕らえられた顔中ピアスだらけの銀髪――、シルバー。
そしてその相棒である青い長髪――、ブルー。
戸倉宅にたどり着く前に五味の後輩数名に捕らえられた出っ歯のオレンジ頭――、オレンジ。
その相棒で唯一、染髪していない俳優のような顔立ちの男――、ブラック。
誉田たちは、チェルシースマイルという男が作成した殺害リストの上位ニ十世帯に網を広げていたものの、実際に黒亥子(ヘイハイズ)が襲撃に現れたのはその五世帯のみだった。
一世帯につき約五名が張り込み、中国からの刺客を待ち受けた。
「上位五世帯に絞れば、張り込み人数も増やせたし死人も出なかったんじゃないか?」
「そんなの予想もできなかっただろう。こいつらが言うには他に十人仲間がいたらしいが、途中で決裂したらしいぜ」
「こればかりは仕方がない。この戦いに参加したやつらは死ぬ覚悟をもっていた」
「自分たちの町を守ったんだ。この怪物どもから」
「こいつら、どうする?まさか警察に引き渡すなんてないよな。国際問題になって日本政府がこいつら強制送還とかしたら、二度と手出しできないぞ」
陰画、往訪、椋井からやってきた百名たらずは、今宵の殺戮者を囲み、彼らの処罰をどうすべきか話し合った。
「ねぇ、誉田さん。こいつらに仲間たちや有働さんのお父さんは殺された。俺たちでこいつら切り刻んでやりましょうよ」
誰かが言った。
「久住さん…五味さん…今野に田端、前川…宮瀬。みんなこいつらに殺された。許せない」
誉田の後輩、小田島が涙で顔を濡らしながら唾を吐く。
「お前らが何しようが、こいつらは、死なねぇ…。さっきも見ただろ?こいつらの身体を切り刻んだが、すぐに修復しやがった。もう人間じゃねぇんだ」
誉田は吸い殻を携帯灰皿にしまうと、深呼吸をした。
「このケジメは、俺につけさせてくれねぇか」
いつもよりも力ない声だった。誉田は真夜中の戦争を終え、疲弊しきっている。無精ひげも相まって四十代半ばに見えなくもない。
「でも…久住さんはもう戻ってきませんよ…」
幼さがのこる少年が震えた。
久住が可愛がっていた後輩だということを誉田は思いだし、頭をクシャクシャに撫でる。
「ヘタなやり方で報復しても、こいつらにとっては屁でもない。だからこそ誰の目も届かないところへ隠し永遠に閉じこめてやるつもりだ。ここからは俺ひとりでやる。お前らは手を汚さなくていい」
誉田は血塗れになったTシャツを脱ぎ捨てた。
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ボロボロの制服を纏い保護されたエミは、パトカーのシートに座り亀裂が入ったスマホの画面を見つめた。
有働とエミのツーショット。有働は照れくさいのか無表情だがエミは自分でも恥ずかしくなりそうなくらい笑っている。
横嶋団地の一部分は黒こげになり、パトカーを囲むようにして住人たちが野次馬となっていた。
吉岡莉那とその両親、春日は病院へ運ばれた。
間壁や久住、五味らの遺体は陰画警察署が回収したが、彼らの死について後日どのように発表されるのか見物だった。
容疑者不在の事件――。
薬まみれの包丁を刺されてヘロヘロになったレッドとグリーンは、誉田のバンが回収していった。
エミはパトカーが来る前に亀裂の入ったスマホを使い、仲間たちと連絡を取った。
話によれば誉田は、陰画襲撃グループ九名の黒亥子(ヘイハイズ)を拘束し、数人のヤクザ者とともに陰画港から海へ出たという。
エミはパトカーの真っ赤なサイレンに染められ、血塗れの惨劇を思い出す。
「もう潮時かなぁ」
有働との交際を終わらせようと思い、涙が出た。
もういかなる方法をもってしても彼を止めることはできない。有働を殺さない限りは。
どこまでも着いていくつもりではあったが、愛情とは別に、埋められないほどの距離が自分たちにあることを今回の戦いを経て悟った。
愛した男が怪物だった――。それが全て。
親友を殺された復讐に、中華人民共和国を倒しに行くような実行力を伴うエゴの化身――、それが有働努だった。
今回も有働は父を殺され、兄とも慕っていた久住を殺され、仲間たちを失った――。
有働が行き着く先はどこだろう。エミは怖気をふるう。
エミはあの拉致監禁事件を経て、自分が怪物になったのだとずっと思いこんでいた。
だがそれは大間違いだった。
今回の黒亥子(ヘイハイズ)たちとの戦いを経て悟ったことは、自分など怪物を演じ過去の痛みから目を背ける、ただの弱い人間なのだということだった。
それは父の博士も同じ。
人間だからこそ、過去に捕らわれ、それに怯えながら戦い続けるのだ。すべては過去のたった一つの汚点のため。
一方、有働努は本物の怪物だった。
感情の赴くまま手段を選ばず、すべてを破壊し尽くし自分のエゴを満たす本物のモンスターだった。
まるでそれは自然災害や、神話に出てくる神々のようにも見える。
「憧れていたのかもしれない…でも、でもつとむは、遠い、遠い存在だったんだね」
人間でしかない自分が、怪物の心を癒し、添い遂げることなどできない。
別れの本当の意味を理解し、心から涙したのは生まれてはじめてだった。
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「早く来ねぇかな」
小田島は、誉田の言いつけを守り、皆が帰ったあとも陰画港の駐車場にただ一人、突っ立ていた。
トイレの前の水銀灯が、ワンボックスカーのボンネットに尻を乗っけた小田島を照らす。
いつの間にか月は雲に隠れていた。足下の吸い殻だけが増えてゆく。
向こうから、平凡なサラリーマンが買うような結婚指輪のカラットほどの煌めきを確認し、それがヘッドライトだと理解する。
ジープが目の前で停車するまで、小田島は得体の知れない緊張感に支配されていた。
「君はミスターウドウの仲間か」
降りてきたのは筋骨隆々の黒人兵士だった。
流ちょうな日本語が在日年数を物語る。
非公式の任務と言うことで私服姿ではあったがアロハシャツが汗で濡れ、筋肉の割れ目が浮き上がっていた。
小田島は手を振り、
「仲間と言えば仲間だが…俺が一方的に遠目から見ただけで、彼は…有働さんは俺のことなんか知らない。だが今回は有働さんの親友である誉田さんと一緒に黒亥子(ヘイハイズ)たちを排除する作戦に出た」
そう答えた。
「オーケイ。ミスターウドウも言ってたよ。頼れる仲間たちに今回の件は頼んである、と。米軍はあくまで保険だとも言っていた。とんだ暴言だがオブライアン大統領の親友だ。笑うしかない」
黒人兵士はスミスと名乗った。
スミスはスマホを操作し、なにか英語で話し始める。「プレジデント」という単語だけは聞き取れたが、あとは何を話しているか分からない。
「黒亥子は全員、どうした」
スミスはスマホを耳にくっつけたまま質問する。
「誉田さんが片づけた」
「なに?」
「誉田さんが、不死身の人間にしか与えられない苦痛を考え出し、それを遂行するため海に出た。黒亥子(ヘイハイズ)たちにはGPSの類は埋め込まれてないため、あんたら米軍でも、もう追えないぜ」
「それはいいんだ。さっき拾いものをしたからね」
スミスはそう言ったあと通話を再開した。
小田島はジープの方を見る。
スミスと同じく屈強な米兵に挟まれるようにして二人のアジア人男性が座っていた。
一人は紫色の頭をしていて、もう一人は眼鏡をかけた中年男だった。
「襲撃グループは九人だったろう。あと一人、パープルという仲間がいた。そいつを拾ったんだ。米国としてはとても喜ばしいことだ。不死の研究データを中国や韓国の政府が持っている中、米国だけは遅れをとっているからね…まぁ中国の中央政府は不死研究を放棄すると言っているがどこまで信用できるか分からない」
通話を終えたスミスは、スマホをポケットに仕舞いながら笑った。
「その隣の男は?」
「我々はアダムと呼んでいる。哀れな韓国人だ。彼を沖縄の宜野湾で逃したことは米国にとって大きな失敗だったし、あの大爆発は有働の友人たちの命を奪うきっかけにもなった。だがこうして回収できてよかった」
「ずいぶん嬉しそうだな」
「ああ、他国に奪われるのは一番避けたいが、どこの国がそれを保持しているのか見当がつかないというのはもっと避けたいからね。核と同じだよ」
そうか。
スミスが他の九名の黒亥子(ヘイハイズ)の居所を聞いたのは、同盟国とはいえ日本政府が不死の研究の被験者を得ることを米国は危惧しているのだな、と小田島は合点がいった。
学校の成績はてんでダメだが誉田から信頼を得ているだけあり、小田島はバカではなかった。
「パープルもアダムも米国の研究材料になるのか?」
「パープルについては人間としては扱われないだろう。一生出られないような場所に閉じこめられ、いやというほど実験が繰り返される。君はこれを聞いて同情したかい?」
小田島は首を振る。スミスは満足そうに笑った。
「アダムについては…我々の目の届く場所で、言い方を変えれば家族ともども保護…、直接的な言い方をすれば米国の味方となってもらい、任意でムリのない範囲の実験に参加してもらうつもりだ」
アダムとやらが善人か悪人かは知らないが、きっと黒亥子(ヘイハイズ)たちよりは人間らしく、同情の余地がある人物に違いなかった。
小田島はそれを聞いて安堵した。
「問題は他の十名だ」
「他の十名?」
スミスは眉間に皺を寄せる。
「君らが戦った連中とは別のグループが、今も逃走中している。殺戮ゲームを降りたというところまでは評価できるが、不死身の肉体を持つ青年たちがそこかしこを逃げ回っては、まずいことになる」
「交渉決裂したグループがあるというのは聞いていたが…」
「ウナギ、コーラなど独特なネーミングの連中らしい。落下したバスに閉じこめられていたようだが、何かの瞬間に爆発し、身体が回復した彼らは逃げたようだ」
日本国内を不死身の人間が走り回る――。米合衆国の悩みの種は、あと少し続きそうだった。
「…そしてその付近には」
「その付近には?」
「ミスターウドウの父親の亡骸があった。それに関しては地元警察に伝えてある」
「警察より先に、お忍びの米軍が現場を押さえたわけか」
小田島はうなだれる。
「ミスターウドウの父親の遺体は無惨なものだった。私にできることといえば、彼の上半身に米国の国旗を被せることくらいだった」
「そんなことをして、面倒なことにならないのか?」
スミスは首を振る。心配ないよという意味らしい。
小田島はきちんと自分が伝えた言葉の意味が理解されてるか疑問だったが、とりあえずはスミスの話を聞く。
「今回の殺人事件、発砲事件、その他諸々は国家間のトップシークレットが絡んでる。オブライアン大統領は日本の総理と極秘通話を終え、一連の事件をもみ消そうということで合意した。警察が有働巡査長の遺体にかけられた米国旗を見ようが、特に私が疑われるわけではない」
それについては小田島も「そうだろう」と納得がいった。
不死身の黒亥子(ヘイハイズ)を撃ちまくろうが、こちらが死のうがそれは正当な事件としては扱われない。
有働が米国大統領のオブライアンを通して、日本政府および警察関係者にまで根回しをするからだ――、と誉田から説明を受けていたからだ。
だがやはり言葉の意味は、正しくスミスに伝わってはいない。小田島は噛み砕くようにして再び自分の主張を伝える。
「ちがうよ。スミスさん。俺が言う、面倒なことにならないのか…というのは、有働さんがお父さんの遺体と対面したとき、米国の国旗が被せられたと知ったら、米国のために父親は死んだわけではない…と怒り出さないかと」
「ワッドゥユゥミィン?どういう意味だい」
「内木さんがバスの爆発で亡くなったとき、米国に殺されたと解釈した有働さんは当初、米合衆国を破滅させるアイディアもあったらしい。今回もそうならないと言い切れるかい?」
「オォ、シット。国旗は回収しよう」
小田島は、長時間この場所で待たされた苛立ちまぎれに、スミスを脅してやりたいと思ったことは認める。
だが、米軍でさえ、米合衆国でさえ有働努を恐れるのか――、と小田島は舌を巻く。
そりゃそうだ。
有働努は国をも壊滅させる怪物(モンスター)なのだから、と小田島は納得する。
父の死を知った有働がどこまで暴走するのか想像したら、背筋がゾっとした。
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墨汁を塗りたくったような空にうっすら灰色の雲が浮かんでいる。月は輝きを取り戻し、雲を透かしていた。
ピンクは天地のひっくりかえった世界で日本の夜空を眺めている。
全神経を耳に集中する。
モーター音に遮られている静かな波の音。
視線を水平線にうつせば、夜を映し出した真っ黒な海が大きな口をあけて笑っていた。
(ここは…海…俺はボートに乗せられているのか)
薬を盛られて感覚は麻痺しつつあったが、首の自由は利く。
しばらくすると自分の身に何が起きているのかを把握することができた。
(な、なんだこりゃ)
身体の感覚が鈍い。冷たい。動かない。
声も出せないまま、祖国の言葉で呪詛を呟く。
ピンクは首から下を、ドラム缶にコンクリートのようなもので固められていた。
(あいつらは、どこだ)
首を左右させると、同じくドラム缶に詰められた仲間たちの影がうっすら見える。
夜霧が隠そうが苦楽を共にした、地獄を一緒に乗り越えてきたやつらを見落とすわけがない。
ドラム缶は等間隔に、一直線に並べられていた。おそらく一つ欠けているのは道ばたに置いてきたパープルだった。
あいつだけ難を逃れやがって、と思いつつも、自分たちの代わりに日本鬼子どもを地獄に突き落としてほしいとも思った。
だが、それは無理な願いというものだろう。
やつはケンカでもアタマでもピンクはおろか、レッドにも適わず、チームの中ではいつも雑用係だった。
モーター音が止まる。波の音がいっそう存在を主張してきた。
ピンクの額を汗が流れ出た。真夏の生ぬるい風が頬を撫でる。
「たくよ、若にも困ったもんだ。ヤクザの扱いが荒すぎるぜ。コンクリート詰め…しかも首だけ出せって注文に加えて、海のどこかに沈めろってんだから…。こんなこと今時のヤクザはやらないよ?俺の兄貴分の若い頃ならいざ知らず」
ボートの隅でずんぐりした影がそう言った。少しすると影の手元で煙草の穂先が真っ赤に染まる。
「すまんな。アンタらしか頼れる人間はいなかった。これは借りだと思っておく…本当にすまん」
この声は――、おそらく誉田。
ピンクの身体に薬いりの弾丸をぶち込んだ憎き男の声だった。
「まぁ、いいや。なんだかんだで俺らもいい暇つぶしになったしよ。なんだかんだで俺らは若のことが好きなんだわ。小さいときから知ってるしなぁ」
ずんぐりした影が煙草を海に投げる。真っ赤な穂先が放物線を描いて落ちていった。
「貴重な実験体のわりにはお粗末じゃねぇか、中国人さんもよ」
別の影――、ほっそりした中年男が息を吹きかけてきた。歯並びが悪くヤニの臭いがする。
「ななな、なな」
ピンクは日本語でも北京語でもない言葉を発する。
(なにをしやがる)
そう言いたかった。
「ここまで来れば充分だ。戻っちまえばもう俺らにも場所は分かりゃしない…こいつらは海の底で永遠に生き続けるってか。酸素もないのにどうするんだろうね」
実験によると、不死の身体をもつものは環境に適応し、肉体を進化させるので水中の酸素を取り込んで生き永らえるらしい。
だがそんなことに答える道理もない。ピンクはほっそりとした中年男を睨んだ。
「まぁそんなのはどうでもいいだろ。早いとこドボンしちまうか」
ずんぐりとした影が近づく。やがてそいつも中年男だと分かった。頭髪が薄く、鼻が大きい、瞼の垂れ下がった日本のヤクザ。
「おいおおお、おい、やめやめやめろ!や、やめろ!」
やっと言葉が形を取り戻した頃には、ピンクの三つ右隣――、仲間のひとりを詰めたドラム缶にワイヤーだかロープのようなものがかけられるところだった。
「一人目、落とすぞ~い」
別の誰かの声。ワイヤーを操作している誉田の仲間だろう。
(まままま、まて、まてよ)
ピンクは成り行きを見守りながら祈るように言葉を紡ぐ。
やがて宙吊りにされたドラム缶が月明かりに照らされ、その顔が判明した。
真っ赤な髪。あれはレッドだった。
レッドとは孤児院ではよくケンカもしたし、同じ施設の女を取り合ったこともあった。
ある日、その女が町の金持ちに騙され妊娠させられたことを知った。
ピンクとレッドは他の孤児仲間たち十数名と結託し、金持ちの家に進入し一家を皆殺しにした。
(俺ら死刑になってもよ。今よりはマシかもしんねぇなぁ)
逮捕された夜、レッドは笑っていた。ピンクは何も答えなかった。
裁判はすぐに終わった。全員、死刑を宣告された。
だがある日、死刑を前にしたピンクたちは、拘置所からチェルシースマイルによって引き取られ、訳も分からないまま他の孤児院の連中と一緒にされて実験台にされた。
仲間の何人かは死に、何人かは生き残った。実験の精度が高まり自分たちは生き延びたのだと説明をされた。
ピンクは死刑になることで、この世界の全てとオサラバするつもりだった。だがそれは叶わず、世界はピンクに復讐者であれと命じたのだ。
「一缶ずつ場所を離せよ。仲間同士で固まっちゃ反省もできんだろうさ」
ずんぐりした男が二本目の煙草に火をつける。
レッドの首が生えたドラム缶を吊ったワイヤーが徐々に下がってゆき、ドラム缶と海面の距離が近づく。
「震与…」
ピンクはレッドの本名を思わず呟く。
実験に参加する前、皆でアホみたいに髪を染めて捨て去ったクソッタレな名前。
レッドの目は虚ろではあったが、ピンクの方を横目で見ながら少し笑ったように見える。
「やめろ!」
ピンクの叫びもむなしく、ドラム缶は海の中に放り投げられた。
「人生が長いってのも考えもんだな」
モーター音が再び響きわたり、船が進んでゆく。
真っ黒な空を鏡のように映しだした海面の綾は規則正しい模様のように織りなされ、どこにレッドが沈んでいるのかも分からなくなった。
「やめ」
二つ目のドラム缶――、ゴールドが放り投げられ、三つ目のドラム缶――、ホワイトが放り投げられた。
やがてピンクのドラム缶にワイヤーがかけられる。重力を失い、天に向かって召されるイエスキリストのような気持ちになった。
(ああ、俺は何になろうとしているんだ)
何度か死を経験したあと、アタマの中に聞こえてきた声――。
言語ではない、感覚に近い声。あれを思い出す。だが内容は思い出せない。
ピンクは別のことを考えた。
(憎き、日本鬼子め)
生前のチェルシースマイルが日本に派遣した黒亥子(ヘイハイズ)たちは自分たちだけじゃない。
不死身の肉体を持ち、自分たちなんかよりももっと訓練に訓練を重ねた――、武装したヤツらは、皇居や国会議事堂、原発――、ありとあらゆる日本の「泣き所」に向かっている。
そしてその場所で破壊と殺戮を命じられている。
チェルシースマイルの掲げた「日本人絶滅計画」――。
それは一億の日本人を殺すということではない。
日本人を日本人たらしめるアイデンティティを砕き、この小さな列島に住む民族たちを何者でもない存在に貶めることに、その意味があった。
ドラム缶はすでに海面に近づいている。
(明日になれば皇族も政治家もみんな死ぬ。原発もそこかしこで爆発し、日本は消滅するんだ)
捨て台詞として、このことを誉田に言ってやろうか――。
あるいは、この情報を切り札にして、残り五人の仲間たちと生き延びるのもアリかもしれない――。
ピンクはそう思った。
だがすぐにその考えは消し飛んだ。
日本が――、そして世界が滅びる様を想像しながら海の底で笑ってやろうじゃないか。そう思いついたのだ。
なにか発言を我慢することなど生まれてはじめてだった。
ピンクにとって最初で最後の我慢だった。
笑った。
笑いながら、誉田たちを睨んでやった。
有働努――、お前の思うとおりにはさせない。そう思いながら――、深い海の中へとピンクは落ちていった。
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